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八月四日(火)


経験がないので、私には大学受験の苦しみも塾といったものの正しい姿なども分かりません。全て聞きかじりと曖昧な想像です。

安芸さんのストーキング行為への情熱さえ伝わればと願います。





そんな、親父さんを監視する安芸を観察して、更に一週間が経った。

途中経過として、二週間の監視ではまだ言い切る事は出来ないが、安芸の親父さんは二週とも火曜日と金曜日の八時~八時半の間に女性の部屋を訪ね、十時~十一時の間に部屋を去る。まるで仕事にでも行っているかのように、曜日と時間が決まっていた。


安芸曰く、神経質な人らしい。

その記録を全てノートに記している彼女も、十分神経質だと思うが。

やはり暇を持て余した俺は、安芸に他愛のない話を投げかける。


「夏期講習が六時半に終わるって言ってたけど、何時から行ってるんだ?」


俺は中学三年で高校受験を控えていた時も、現在とりあえず進学を希望している高校三年の夏も、塾になど通った事が無いので、見当がつかない。

無理無くいける所ならどこでも良い、その主張の無さが逆に親や担任の頭を悩ませたものだ。

別に俺も、何も考えずにどこでも良いと言っている訳では無いのだけれど。これは言い訳か。


「コースによるわ。今は少子化の時代だからかしら。塾もニーズに合わせて色んなプランを用意しているのね。私は単に朝八時半から六時半までのコースを選んだだけよ」

「え…って事は何か。おまえ毎日それだけ勉強してからここに詰めてんの?」

「そうよ。何かおかしな事でも?」


安芸は相変わらず事務的に、双眼鏡だけをカーテンの隙間から窓の外に出してそう答えた。こちらの姿を視認される訳にはいかない、という安芸の主張により毎晩カーテンは締め切られ、碌に風の通らないこの部屋は暑苦しくて仕方がない。


「おかしいというか、ハードスケジュールだな」


世間一般的な基準がそもそも分からないのだが、少なくとも俺には想像の追い付かない領域である。


「目的の為に手段を選ぶのは、本気で目的を達成する気の無い愚図がする事だと思うの」

「にしたってなあ、いくら日曜は監視無いからって」

「日曜は模試があるけどね」


俺は唖然とする。安芸の親父さんの仕事が休みだからと、日曜日のみ彼女自身もこのストーカー染みた監視に訪れないのだが、その日まで模試で潰されるとは。高校三年の夏休みは課題も無いから、とだらしなく過ごしている俺なら耐えられない。


「何。おまえそんなに受験やべえの?」


俺達の通う高校は、生徒のプライバシーを騒がれる昨今故、成績の貼りだしなどは行っていないが、それでもクラス内で誰がどの程度の成績か、なんてものはある程度知れる。

そうして俺が耳にする安芸の成績は、けして悪く無かったように思う。むしろ、随分良い方だとさえ聞いた。


「受験自体は問題視してないわね。順当に試験を受ければ順当に受かる所を志望しているし、夏期講習は講師と親に勧められたから通ってるだけよ」

「ちなみに、志望校を聞いても良いか?」


この俺の問いに答えた安芸の志望校は、大学に興味が無ければやる気も無い俺でさえ知っている、この辺りでは有名な大学だった。学力、スポーツ両方が申し分の無い成績を誇っており、加えて言えばスーパーマン結城先輩の通っている大学で、現在楓が必死になって受験勉強している志望校だった。


「今、大袈裟に受け取ったでしょう?」


そんな事を考えていると、察しの良い安芸はそう問い返してきた。


「あの大学、有名なのは理学部の方よ。私の志望している文学部はそれ程でも無いの」

「え、学部でそんな違うもんか?」

「違うわよ。だから、私はこれに時間を割けてるの。理学部に行こうと思えばそれこそこの時間も勉強にあてて、やっと、でしょうね」


それでも、頑張ればどうにかなるレベルならば、十分頭は良いんじゃないだろうか。生憎俺は試験前の必死の詰め込みで平均点にしがみ付いているタイプの人間なので、その辺りの加減は実質よく分かっていないのだが。

それに、それ程焦らずに毎度平均点をキープしている楓が、この夏必死に詰め込んで運が良ければ受かるかどうか…と担任をうならせたらしいので、頑張ればどうにかなる、と言える安芸は頭が良いのだろうと思う。


「あ」


そう、自分の中で安芸の頭脳についての予測が立ったとき、彼女が小さく声を上げた。


「どうした?」

「父が今部屋を出て行ったわ。女に見送られてね」


女に見送られて、の所に忌々しさを乗せながら、安芸はようやく窓から離れて双眼鏡を定位置に置く。持ち運びには不便で重いから、とその安芸持参の双眼鏡は普段俺の部屋に預けられていた。ずしっと重くて、それなりに良い値段のしそうな双眼鏡だった。


安芸の言葉を聞いて、自然と目は時計を探す。ベッドサイドにある卓上時計のデジタル表記は二十二時十七分。俺がそれを確認した頃には、安芸はやはりというか、いつも通り手帳サイズのノートにそれを書き込んでいた。


「やっぱり火曜日と金曜日の八時~八時半の間に来て、十時~十一時の間に帰るのは決まっているのかしら」

「そうなんじゃねえの?監視は火、金に絞るか?」

「………いいえ、イレギュラーがあるかもしれないもの。他の曜日も止めたりはしないわ」


安芸は首を横に振って俺の案を否定する。この狂気的とさえ言えそうな彼女の執念深さだ、その返答は予想出来ていた。

立ち上がった安芸が、ベッドに胡坐をかく俺を見下ろす。何だか妙な威圧感があって息を呑んだ。おそらく、彼女の無表情が原因だろう。


「ベッドから降りて」

「あ、ああ…」


その為、意図が読めないものの気圧され、大人しく従ってしまう。我ながら自己主張が強い方では無いので、こういう押しに弱いのだ。

すると、安芸は俺と入れ替わる形でベッドへ乗り上げ、膝丈のスカートがめくれないように整えると、そのまま壁と向き合う格好、つまりはこちらに背を向けて枕に頭を埋めた。


「あなたがハードなんて言うから、眠いのを思い出してしまったじゃない。三十分したら起こして。必ずよ?」

「ちょっと、待て。おまえ寝る気か」


こっちは協力として部屋を差し出しているのに、部屋の主をベッドから押しのけ占領した上、本気で寝入る気か。しかも、目覚まし役まで押し付けて。


そして、一番の問題は、ここは同い年の異性の部屋だ。あまりに無防備過ぎる。少しくらい警戒しろ、というか警戒してくれないとそんな度胸も無いだろう、と判断されたような情けない気分になってくる。この状況を据え膳と思える程、俺は自身を過大評価するつもりはない。

そんな俺の気持ちを察したのか、安芸はわずかだけ振り返って冷ややかな視線を投げて寄越した。


「念の為に言って置くけれど、邪な事は考えない事ね。そうね、今警察に捕まる訳にはいけないから殺しは…」

「しないでくれるって?」

「殺しがばれないように山中にでも埋めてあげるわ」

「こぇえよ!」


涼やかな声であまりに素っ気無く言うので、余計にゾッとする。それも、ただの浮気だけで父親の殺害計画を練るような潔癖で極端な性格の持ち主だと知っているから。

戦慄する俺など何のその、すぐに彼女から静かな寝息が聞こえて来た。やはり疲れていたのだろう、寝つきが早い。


恐ろしい発言を平然とする彼女だが、寝ている背中はやはり年相応の少女らしく、小さくて細い。その背中がどこか儚くとさえ見えてしまい、うっかり彼女の凄絶な笑みを忘れてしまいそうになる。

ちらり、窓の向こうを見ようと視線を向ければ、それをカーテンに阻まれる。仕方なく、その視線を安芸へ戻した。


もしも、父親を殺したいと言って来たのが安芸ではなく楓だったなら、俺は必死になって止めただろう。何があったんだ、どうしてそんな風に思う、思いなおせ、冷静になれ。俺はいくらでも言葉を募って楓を止めるだろう。間違っても、こんな事に手を貸したりしないし、中途半端な協力なんて絶対にしない。

明け透けに言ってしまえば、俺は安芸の事をどうでも良いと思っていたのだろう。

だから、適当な気持ちで安芸に協力出来た。そんな彼女を面白がって観察する。


その事を少し、申し訳なく思う。俺はいい加減な人間で、余程の事が無ければ、余程身近な事でも無ければ必死になんてなれない。

それは、内容はともかくとして、睡眠時間を削り無理に時間を都合させている安芸に、とても失礼な気がした。

今更この状況を、変える事も出来ないのだけど。


慎重に、真剣に監視に取り組む安芸には言っていないが、俺は彼女の親父さんは完璧に浮気をしているのだろう、と思っている。これもまた、適当さから来るただの予想だが、毎週決まった時間に決まった女性に会いに行く、というのはどう考えても怪し過ぎる。


それにはきっと、彼女も気付いている。安芸の頭の良さと察しの良さだけは、すでに十二分に理解していた。

それでも、断定を夏休み一杯まで引き伸ばしてまでする監視は、何を見極めようとしているのか。


そう言えば、あの協力を申し込まれた教室で、安芸はおかしな事を言っていた、と思い出す。彼女はこう言っていた。


『動機が不十分だ』と。









読んでいただきありがとうございます。

実際、受験生の方ってどのくらい勉強されているのでしょう?時間より効率だ、というお話もありますが、大変なことに変わりはないのでしょう。


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