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七月十三日(月)―3



その言葉の意味を、時間をかけてようやく理解した時、俺は冗談だと思った。当然だろう。人殺しなんてそんな、思いつくだけでも正気で無いと言うのに、それを同級生に持ちかけるなど。

だから俺は、安芸でも冗談なんて言うんだな、と軽く笑って返した。


「私ね、この世で最も不要な言葉って『冗談』というそれだと思うの」


安芸はそんな俺の思考を一蹴するように、そう冷たく答えた。そして、俺はようやく悟る。彼女は本気だ。

けして意気込む訳でも、鬱蒼とする訳でも、変な余裕を見せる訳でも無く、安芸はただ無表情にこちらを見ていた。彼女の言った通り、冗談だと笑い飛ばさせてくれないその無表情は、言いようの無い威圧感と凄味があった。


「…………誰を、殺したいんだよ」


俺の口を突いて出たのはそんな言葉。目の前にいる少女は殺人を目論む危険人物。それも、こうして手伝い、つまりは共犯を持ち掛けるという事は計画的犯行だ。

しかし、一方で目の前にいる安芸陽頼という人間は、どう見た所で極普通の少女だった。その整った面立ちで『殺人』という言葉を使うと嫌な神秘性を持たせもするが、それでもやはり、彼女は実際にナイフや拳銃など、凶器と言われてパッと思い浮かぶ様な物を所持している訳でも、ましてやそれを俺に向けている訳でもない。危機意識を抱くには現実味に欠け、それを受け入れるには発言が奇異過ぎた。


「父親」


安芸は端的に答える。

俺はその言葉に少し、安堵した。その対象があまりに安易で身近だったから、彼女は突発的な怒りを抱えているだけだと判断した。所謂、親子喧嘩でもして、それを一日経っても昇華出来ないでいるだけだろう。

俺は自然と肩の力が抜けた。


「へえ、何でまた父親だよ」

「レイプされたから」


言葉を無くす。おそらく、俺は今目に見えて青ざめている。


「嘘よ」


その後、あっさりと告げられた言葉に、俺は反射的に一瞬止まった呼吸を再開した。どっと嫌な汗が流れる。頭を乱暴に掻いて、次に生れたのは苛立ちだった。


「ついて良い嘘と悪い嘘があるだろ」


少なくとも、今の嘘は確実に悪い方に分類される。人が悪いというレベルじゃない、純粋に性格が悪いとさえ感じた。

すると、安芸はそんな俺に対しても暖簾に腕押し、と言った様子で冷ややかに答えた。


「分かったでしょう?私が冗談を最も不要だと言う理由が」


そう言われてようやく安芸の意図する所に気付き、余計に顔を顰める。なんて性格の悪い奴だ、と今度こそ確信する。つい数分前まで気さくなクラスメイトだと思っていた分、余計に憎らしさが募った。


「そういう訳だから、私の発言は全て本気と思って受け取ってもらいたいのだけど」


そう前置きをして、安芸は勝手に話を続けようとする。


「父親を殺そうと思うのだけど」


彼女は確認するように、もう一度そう言った。


「……………何で、だよ」

「先日父親が若い女とスーパーの袋を持ってマンションに入っていくのを見たの」

「浮気?」

「……まあ、浮気でしょうね」


安芸はそう素っ気無く言うと、椅子から立ち上がる。自然と見下ろされる形になって居心地が悪い。

安芸は早口にこう言った。


「あなた、浮気をどう思う?私は気持ち悪いわ。とってもとっても気持ち悪いわ。何て言うのかしらね、この気持ち。おぞましい?」

「知らねえよ。何だよ、そのくらい。女と別れさせるとかじゃなくて、何でいきなり殺したいに話が飛ぶんだよ」

「飛んでなんてないわよ。だって、虫唾が走るわ。そんな男と血が繋がっているなんて」


そう言って浮かべた安芸の笑みを、何と表現すれば適切だろう。語彙力の低い俺には限界があるけれど、それでも俺の分かる範囲で表現するならば、『凄惨』だった。

気持ち悪いと、あらん限りの言葉で父親を貶めた安芸のあの言葉達は何一つ大袈裟では無いのだと、その顔で知れた。


「だから殺したいの。腐った枝は切り落とさないと、他をも害するでしょう?」


安芸はその笑みのまま、軽やかとさえ感じる口調で自身の父親を腐った枝に例え、切り落とすと宣言する。あんまりあっさりと言うものだから、ぞっとすると共に、妙な事だが現実味を無くしていって俺は冷静さを取り戻そうとしていた。

俺の感じる現実や常識と、かけ離れ過ぎた為だろうか。


「けれどね、殺すには動機が不十分なのよ」

「動機?」

「ええ、動機。私はそれを確かめないといけないの。……ふふ、私は幸運だわ」


安芸は笑い声を漏らすと、今度は頬を染めかねない程、嬉しそうに破顔した。思い出すのは今朝感じた、普段は落とすように話すはずの彼女の違和感。


「浮気相手のマンション、あなたのマンションの向かいの七階なの。間取りはもう調べてあるわ。あなたの部屋からならちょうど良く女の部屋の扉が見えるはず」


安芸は俺の机に片手を付いて、その白い顔をずいっと寄せる。間近で見た彼女の顔は人形のように整っていたが、同じく人形のように不気味に青白かった。


「だからね、私は動機を確立させる為に、父親の浮気が本当かどうか、確認しないといけないの。その為に、ねえ」


この真夏日の中、冷や汗をかく俺とは対照的にどこか涼しげな空気を纏い、安芸はこう言った。


「あなたの部屋を貸してちょうだい」


その涼しさは、幽霊染みた不気味さからくるものだった。






読んでいただきありがとうございます。

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