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八月十三日(木)-1





「すみません。個人的な事はお答えしかねます」


応対してくれた、いかにも頭の良さそうな眼鏡の似合うお姉さんは、ソツの無い笑顔で突き放した。








昨日は先日より更に気合を入れて、今度は待ち合わせ場所ではなく、駅構内の改札口付近で待ち伏せしてみたのだが、またもや安芸を見つける事は出来なかった。じっと座り込んで、目を皿のようにして道行く人々を目で追い、その姿を変質者でも見るような目で遠巻きに見られていたというのに、これでは割に合わない。


父親の監視をマンション付近で続けていてもいなくても、塾はこの駅の最寄りという事なので自宅に帰ろうと思えば必ずこの駅に現われるはずである。そう考えての待ち伏せだったのだが、と考えて俺はようやく思い出した。安芸は普通の高校生と比べ、プチセレブだ。タクシー代を母親から受け取っていると言っていた。それなら、どれだけ駅で待ち伏せしても意味が無い。その場にタクシーを呼びつけて優雅に帰宅しているはずだ。


同時に分かった事がある。おそらく、俺は避けられている。彼女はタクシー代を受け取っているものの毎日俺に駅まで送られていたし、なるべくタクシーを使わないようにしていた。それなのにわざわざタクシーを使っているとしたら、駅に来たくない理由があるのだろう。その『理由』が俺だ。彼女が電車を利用しなくなったのは、あの日からなのだから。


とか何とか予想してみるが、それら全てが見事に外れ、単に別の方法での父親の監視の為にそちらの方が都合が良かったから、という理由の方が案外安芸らしい気もする。


駅がダメとなると残りは塾だ、という考えにはすぐに行き当たった。俺は安芸の自宅を知らないが、塾の名前とどの辺りにあるかは聞いていたので、その記憶を参考に聞いた辺りをフラフラとさ迷うと、塾は意外なほどあっさりと見つかった。


そして、勢い込んで受付の女性に『安芸陽頼という生徒は今日来てますか?』と尋ねると、こちらが不快に思わない程度の不躾な視線を柔和な微笑で誤魔化し、頭のてっぺんから足の先まで瞬時に観察して先の言葉を告げられたのだ。


取りつくしまもない、とはああいうものを言うのだろう。美人だったが、笑顔に無言の圧力のある人だった。安芸のぞっとする冷笑とは違う、有無を言わせない類のもの。

結果、俺はその塾の前で安芸が出て来るのを炎天下の中待ち伏せするはめになった。彼女の執念深さがうつったのだろうか。ここまでくると、もう意地だ。今日こそ絶対に彼女を捕まえてみせる。


幸いだったのはその塾がこの近辺では割と大型だったので、同年代の出入りが多く、入り口前に座り込んでいてもそれほど不審には思われない。時折ちらりとこちらに視線をやって首を傾げる生徒は何人かいたが、その視線もすぐに逸らされた。見覚えのない奴だ、程度に思ったのだろう。加えて、もうお盆を迎えた真夏日だというのに毎日塾に詰める受験生の為か、入り口のすぐそばに自販機があるのは有難かった。今日は水分補給が必須だ、と普段そういう事に頓着しない俺でも気になるほどの猛暑だった。入口の扉が開閉される度にわずかに流れる冷気に何度も誘われたが、さすがに中に入ってしまっては講師などにばれて変質者として追い払われるだろう。


と、そこまで考えて気付いた。これってストーカー的な行為なのだろうか。


そう思い至ってしまうと俺の人生に押し寄せる暗雲が怒涛のように瞼の裏側に浮かんでは消えて行くような気がして、首を振ってその考えを追い払う。現在、昼から待ち伏せし続けて五時間弱。時刻は午後六時になろうとしていて、わずかに太陽の猛威も衰え、真上に広がる夏独特の厚い雲がちょうどそんな俺の心情を表している気がした。


そんな風に自分の行動に疑問を抱いていると、約五時間、肌をじりじりと焦がす太陽の下で待ち続けたその瞬間は、意外なほどあっさりと訪れた。

数名が出たり入ったりを繰り返していた塾の入口から、急に人の波がでてきた。そして、その人ごみの中に彼女がいた。


「安芸!」


彼女が振り返る。洒落っ気は無いが清楚な雰囲気のブラウスに、膝丈の細かいプリーツの入ったスカート。参考書が入っているのだろう、肩には大きな手提げをかけていた。その姿は最早見慣れた、制服ではない私服のときの安芸陽頼だった。

安芸は俺の顔を見て戸惑う訳でも避けようとする訳でもなく、極々自然にゆっくりと微笑んだ。


「秋山君、どうかしたの?」

「どうっておまえ………ああいや、俺はもう一度ちゃんと謝りたくて」

「?私、秋山君に謝られるような事をされたかしら」


安芸は本当に不思議そうに首を傾げて言う。


「だから、………あーっもう!面倒くさいから変な猫被るなよ!」


その様子がまどろっこしくて、少し投げやりな気持ちになる。口調も思ったより荒くなってしまった。

それでも安芸は不思議そうに首を傾げていて、むしろ謂われの無い非難を受けて困っているような表情を浮かべていて、そこで俺はようやく気付く。彼女は今この場でだけ、俺との関わりを知られたくない為だけにとぼけているのではない。この彼女は、この猫は、学校で接していた控え目だが気さくに話せるクラスメイトの『安芸陽頼』だった。


そうして悟る。彼女はこの場だけを誤魔化したいのではなく、本当に夏休みが始まってからの数週間を全てリセットしたいのだ。

俺は思わず口ごもった。俺は安芸の、異常なまでの意思の強さを知っている。そんな彼女が決めた事をはねのけ、すっかり馴染んでしまった夏休みが始まってからの安芸とどうすれば話を出来るのか分からなくて、咄嗟に言葉を紡げない。

というか、何だもう、この二種類の安芸って。二重人格か、おまえは。


そうこうしている間に視線を集めていた事に、俺はかなり遅れて気付いた。安芸と同じ頃に出て来た、同じ年頃の学生たちが俺達へ好奇の滲んだ瞳を向け、友人同士で何事かを囁き合っている者もいる。痴話喧嘩でもしていると思われたのだろうか、さり気なく、しかし確実に注目されていた。


ざっと見た所、知り合いがいないのは不幸中の幸いか、と肩を落としかけた所で気付く。おそらく、安芸と同じ頃に出て来た事を考えると、今俺達に関心を向けている彼らは安芸と同じ時間に授業を終える、つまりは同じコースを選んでいる人達だろう。俺は塾というものをよく知らないが、もしかしたら、同じ教室内で学んでいる人達も少なくないのかもしれない。つまり、この場に俺の知り合いはいなくとも、安芸の知り合いは大勢いる可能性が大きい。

安芸はそんな周囲を視線だけで確認して、俺を見上げて微笑は崩さないものの、困ったような表情でこう言った。


「ごめんね。話があるなら、歩きながらでも良いかしら」


彼女は後日、塾の前で男と何やら揉めていた、と噂されるのだろうか。

父親の殺害計画を目論む上での危険な安芸に対しても、真っ当な思考で生きていたクラスメイトとしての安芸に対しても、俺は自身の浅薄な行動に、その両方に申し訳なくなった。








読んでいただきありがとうございます。


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