八月十二日(水)-1
わずかな望みをかけ、ちょうど安芸の親父さんが女性のマンションを訪ねる日でもあったので、昨日はいつも通りに安芸を迎えに行ってみたのだが、彼女は宣言通り姿を現さなかった。新たな方法で父親の監視をしているのだろうか。
結局昨夜は諦めて帰宅し、一晩経ってお昼時に目を覚ました俺は、そのままベッドの上で頭を抱える。一昨日の事を思い出して、こちらに非があるのは変えようのない事実だが、それにしてもあんな風に突然自分の中だけで結論を出して、ろくに説明もないまま突き放すのはあんまりではないか、と今になって思う。
確かに俺はあの行動に飽いていた。それなら、厄介事は無くなったと、それも安芸の方から断られたので円満に終えられたと、そう安心すべきだ。
暇になった時間で好きなだけ夏休みを満喫すれば良いのに、俺はあの夜から魚の小骨が喉に引っかかったような違和感を覚え、何かしようとは全く思えないでいた。
夜の闇の中で蹲っていた彼女のその姿を、そう簡単に忘れられない。
「あー……っあ!」
俺は気合を入れる為か何かを誤魔化す為か、声を上げて体を揺らし、その反動で起き上がった。寝起きで凝り固まった筋肉を、首を回してほぐす。
とりあえず気晴らしに外へ出て、ファーストフード店にでも行って空腹を満たそう。今日は平日なので、出勤している母が昼食を用意してくれる事も無かった。ちなみに、美琴が自分の分しか用意しない事は考えるまでもない。
美琴から、ファッション性の欠片も無い、と非難される機能性と無難さに優れたTシャツとジーンズに着替えて、財布と鍵類だけを尻のポケットに突っ込み玄関へ向かう。その過程で聞こえてこない物音から察するに、どうやら今日は美琴も外出しているようだ。
廊下は夏特有の湿度の高い熱がこもっていて、容赦なく俺のなけなしの気力体力を奪っていく。それでも、玄関の扉を開ければこの熱気から解放される、と何の根拠も無い希望を抱いて気力を呼び起こし(体力は最早枯れ木のようになっている)、履き慣れたスニーカーに足を突っ込む。流れ作業的に錠を外して扉に手を掛け、開けた途端に隙間から入り込む涼風に一瞬にして癒された。そして、その更に一瞬後、照りつける太陽にうんざりした。今日も元気に輝いてご苦労様です。ぜひ休暇を取ってください、今すぐに。
やる気を根こそぎ奪われた俺は、照りつける太陽の熱に比例して汗を掻きながら、ほとんど惰性でダラダラと玄関の外に出る。どれだけ挑戦的な日光だろうが、玄関まで来たのなら今更引き返すという選択肢は生まれない。扉を閉めて鍵を手に取った所で、
「あ」
「あ」
ハモった。我が家の隣の家の玄関の前に立ち、今まさにインターフォンを押そうとしているその人物。俺はとても見覚えがあった。
「久しぶりだね。元気にしてた?」
爽やかに、この真夏日の中でさえ爽やかさと清涼感を滲ませる笑顔を浮かべて、その人は実に気軽に声を掛けて来た。キラキラと効果音が聞こえてきそうな笑顔だ。
女子なら皆好きだろうと確信出来る、清潔感のあるむやみやたらと整った顔立ちに、人の良さそうな雰囲気と気安い笑顔の持ち主で『イケメン』としか言いようのない人物。
シンプルなデザインのジーンズとポロシャツも、ひとたびその人が着ればどこのブランド物かと目を凝らしてしまいたくなるほどの輝きを放つ。何このファッション格差。
文句なしのこのイケメン、去年卒業した先輩で元陸上部のホープにして生徒会執行部としても活躍し、学業でも大変優秀な成績を修めていたと有名だった、どこの少女漫画の王子様だよ、と言いたくなる彼こそがスーパーマン。つまり、
楓の彼氏である結城雅臣先輩だった。
読んでいただいてありがとうございます。
結城先輩は、少女漫画の王子様がリアルにいたらもう笑うしかないなぁ、と思いながら書きました。




