電子音が聞こえた
音が聞こえる。
聞き馴染みのない電子音だった。
「どうしよう……」
電子音を掻き消す様に、隣に居る友人の里奈が泣きそうな声で言うのが聞こえた。
だけど、私もどうしていいのか分からない。
「助けが来るまで隠れていよう」
そう言うしかなかった。
電話は繋がらない。
校内に、私達のクラス以外の人間が見当たらない。
どうしようも無かった。
「何なの? あの人……」
里奈が声を震わせながら言う。
里奈が指している人物は、授業中の教室に入って来た存在だ。
黒いパーカーに白い仮面。
手には、人が扱えるとは思えない程の大きさの鉈が握られていた。
そして、その大鉈で……。
「佐島さん……、死んじゃったよね……?」
生きている訳がない。
首を切り落とされて生きている人間など居るはずが無かった。
でも、その事を口にしたら、今起きている事を認める様で、怖くて口にできない。
「今は、生き残る事を考えよう」
言ってはみるものの、出入り口はおろか、窓さえも開かなかった。
何が起きているのか分からないが、普通でない事だけは嫌というほどに分かる。
校舎内に閉じ込められ、隠れる事しかできないなか、どうやったら生き残れるだろう?
「皆、無事なのかな?」
里奈が不安そうに呟く。
佐島さんが首を切られた後、クラスの皆は、教室から飛び出したはずだ。
あの人物は、皆が逃げるのを黙って見送っていた。
誰か一人でも学校から逃げ出せれば、助けが来るかもしれない。
それまで、隠れながら脱出する方法を探さないといけないだろう。
頼れる人間は居ない。
担任の上野先生は居たが、真っ先に教室から逃げ出していた。
頼っても、碌な事にならないのだけは分かる。
「………………」
無言になる。
また、電子音が聞こえた。
ハッキリと聞こえているのに、ここではない何処かで鳴っている感覚。
煩く鳴り響いているのではない。規則的に控えめな音で聞こえてくる。
「……何か聞こえない?」
里奈の言葉にハッとなる。
耳を澄ませば、何処からか、人の声の様なものが聞こえていた。
「お前が……! ……なれよ!」
クラスの男子の声だ。
何時も煩く騒いでいる声なので、聞き間違いのしようがない。
「揉めてる……?」
里奈と顔を見合わせる。
正直、この状況で様子を見に行くのは怖い。
信用できる相手でもなかった。
それでも、だからこそ、何か良くない事が起きている気がしてならなかった。
「行ってみる?」
里奈の言葉に立ち上がる。
状況だけでも知りたかった。
里奈と二人で、忍び足で声のする方へ向かう。
声が大きくなる。
「どうせ、お前なんか役に立たないんだから、囮くらいにはなれよ!」
声の内容がハッキリと聞こえる。
何か、殴るような音まで聞こえてきた。
廊下の角から様子を伺う。
数人の男子が、一人の男子を殴りつけていた。
怖くて膝が震える。
どうしていいのか分からない。
飛び出して行っても無駄だろう。
私達まで殴られるかもしれない。
助けられるとは思えなかった。
里奈を見る。
蒼白な顔色で、涙を流していた。
それでも、飛び出して行きそうな様子だった。
その様子を見て決心する。
助けよう。
私だって見捨てたくない。
あんな連中だけ生き残るなんて考えたくも無かった。
飛び出して体当たりでもすれば、逃げる隙くらいは作れるかもしれない。
そう思って、もう一度様子を伺おうとした時だった。
「うわぁぁぁぁっ!」
悲鳴が上がった。
先程まで騒いでいた男子の声だった。
慌てて覗き込む。
そこに居たのは、仮面の男ではない。
学校の制服を着た女子。
その女子生徒が立っていた。
ただ、普通の姿ではない。
切り落とされた自分の首を抱きしめる様にして、教室の前に立っている。
佐島さんだった。
間違いなく、死んだはずの佐島さんだ。
佐島さんの首が、泣きながら、何かを叫ぶ様に口を動かしている。
声は無い。
それでも、間違いなく口は動いていた。
「逃げろ!」
男子達が這う様にして逃げていく。
その場に、殴られていた男子が取り残された。
廊下に蹲り、逃げようともしていない。
「行こう!」
そう言って、里奈が駆け出した。
私も続く。
逃げる訳じゃなかった。
蹲った男子の下に走った。
「立って!」
私と里奈で、蹲った男子の腕を取って立ち上がらせる。
逃げ去った男子とは逆方向に引く。
早く逃げ出したい。
その思いから、力いっぱいに引く。
その瞬間だった。
佐島さんが此方を見た。
目の動きだけで、此方に視線を向けている。
足が竦んだ。
それでも、手は離さなかった。
「大丈夫」
腕を掴んでいた男子が言う。
抑揚のない、平坦な声だった。
「何を……!」
言いかけたが、言葉が詰まった。
佐島さんが、逃げ出した男子の方へ向かって行く。
もう、私達を見ていなかった。
「田部君……?」
里奈が声を掛けるが、男子……、田部君は何も言わなかった。
無表情で、佐島さんが去った方向を見ている。
「昇降口に行こう」
そう言って、田部君が歩き出す。
その足取りは平静その物で、この状況では、それが何処か不気味だった。
ついて行って良いものか一瞬悩む。
私よりも里奈が先に動き出した。
田部君の後を追う。
私も、それに続いた。
「昇降口は開かなかったよ」
「大丈夫。開けられるから」
里奈の言葉に、田部君が、相変わらず抑揚のない言葉で返す。
意味が分からなかった。
なら、何で逃げ出していないのか?
思ったが、口に出せなかった。
口に出すより先に、田部君が口を開いたからだ。
「俺が虐められてたの知ってるよね?」
「……うん。さっきの男子達だよね?」
「君達以外、クラスの連中は、多かれ少なかれ、俺を虐めてたよ」
何でもない様に田部君が言う。
その言葉に、私も、里奈も言葉が出なかった。
そこまで酷い事になっているとは知らなかった。
「上野先生も、面倒事が嫌みたいで、俺が悪いみたいな事を言って、相手にしてくれなかった」
「………………」
「学校も、虐めが校内であると困るみたいで、対応してくれなかった」
階段に差し掛かる。
階段の上から、何かが落ちてくた。
何かが潰れる様な音をたて、私達の目の前で、その何かが動きを止める。
「あぁぁぁぁぁっ!」
さっきの男子の一人だった。
その男子が、呻き声の様な声を上げ、そこに居た。
「ヒッ!」
声が漏れる。
男子は腰を斬られ、下半身がなくなっていた。
腸を撒き散らす様にしながら、必死に藻掻いている。
思わず、階段の上を見る。
人が居た。
黒いパーカーに白い仮面。手には大鉈を持った男。
膝が震える。
男の大鉈からは血が滴っていた。
「気にしないで良いよ」
田部君が言う。
視線を男に向ける事さえしていなかった。
仮面の男が降りてくる。
歯の根が合わなくなった。
震えが止まらない。
「ついて来るだけだから。放っておいて」
そうとだけ言って、田部君が階段を降り始める。
私も、里奈と一緒に、必死に後に続く。
もう、何も分からなかった。
これは、田部君の復讐なのだろうか?
そうだとしても、この状況は何なのだろう?
死んだはずの佐島さんが歩き回っていた事も説明がつかない。
「下駄箱の辺り、上野先生が居ると思うから、相手にしないで」
昇降口に着く。
田部君の言葉通り、上野先生が歩き回っていた。
「お前達だけ、逃げるつもりか……」
そう言った上野先生は、頭の目から上が無くなっていた。
おそらく、あの大鉈で斬られたのだろう。
頭から止めどなく血を撒き散らし、眼球だったと思しき物が、残された顔の前で揺れている。
「黙ってろ」
田部君が言うと、上野先生が恐怖した様に身体を震わせる。
「ヒッ、ヒッ、ヒッ……」
そんな声を残して、上野先生が逃げる様に下駄箱の並ぶ列に姿を消していった。
「田部君……」
声を掛けるのが正解とは思えなかった。
それでも、自然と言葉が出てしまった。
「何?」
田部君が、振り返りもせずに聞いて来る。
聞いてしまって良いのか分からなかった。
それでも、口は動いてしまう。
「……仮面の人は誰?」
「………………」
田部君が初めて振り返る。
相変わらず、表情はなかった。
感情は読めない。
だからこそ、酷く恐ろしかった。
「外せ」
田部君が言うと、後ろから黙ってついて来ていた仮面の男が仮面に手をかけた。
今更になって怖気る。
見てはいけない気がした。
それでも、男は仮面を外す。
「………………」
男は無言だった。
それでも、顔は露わになる。
「田部……、君?」
里奈が呆然と呟くのが聞こえた。
私は、声が出ない。
そこには、田部君と寸分違わぬ顔があった。
「まあ……、そういう事」
そうとだけ言って、田部君が昇降口の扉を開いた。
どれだけやっても開かなかった扉が、何事も無かったかのように開いている。
「何か聞こえる?」
その言葉と共に、やけにハッキリと電子音が聞こえた。
規則的で、控えめな電子音。
「電子音が聞こえる……」
「私は、お母さんの声……」
私達の言葉に、田部君が静かに頷く。
そして、扉の向こうへと私達を促す。
「その音が聞こえているなら大丈夫。早く帰ってあげて」
そう言って、田部君が小さく笑う。
何処か、寂し気な微笑だった。
「田部君は……?」
里奈の言葉に、田部君が首を横に振る。
駄目なんだ。
それが、分かった。
分かってしまった。
田部君は帰れない。
「………………」
何か言おうとしたつもりだった。
言葉にはならなかった。
田部君が、扉の向こうに、私達を押し出す。
扉の向こうは、暗闇だった。
「音を頼りにして」
田部君の声が背後に聞こえた。
姿は、もう、見えなかった。
里奈と手を繋ぐ。
音に向かって歩く。
その背後から……
「さよなら」
田部君の声が聞こえた。
夢だったのだろうか?
そう思う。
私たち以外は、皆、死んだ。
私と里奈だけが生き残った。
校外学習の帰り道、乗っていたバスが土砂崩れに巻き込まれた。
私が聞いていた電子音は、病院で私に繋がっていた医療機器の電子音だったみたいだ。
田部君は即死。
先生と他のクラスメイトは、病院で少しずつ死んでいった。
里奈に、あの体験の話はできていない。
話してしまったら、あれが現実だったと認めてしまう様で怖かった。
病室から、空を見上げ、あの出来事を思い返す。
忘れたいけど、忘れられそうにない。
忘れてもいけない気がした。
本当に死後の世界があるのだとしたら、田部君は迷わずに旅立てたのだろうか?
目を瞑る。
病室の中は静かだった。
微かに誰かの会話が聞こえる。
人が歩く足音も。
そして……
そして、規則的で控えめな電子音が聞こえた。




