4・ハートキャッチできない体質
夏をチャージして満足できたのか、高野は日が暮れるうちに帰ると宣言した。すでに空の端が淡い曙色に染まり出していた。やはり冬はすぐに暗くなるな。
「もう満腹です。けぷっ。帰ります。」
「炭酸でだろ。送ってやる。」
「ありがとうございます、先輩。」
歩き出したその時、タイミングよく玄関の扉が開き、エプロンを着けている母さんが現れた。
「夕飯出来たわよ。雫ちゃんも食べていく?」
「あ、えーと…。」
このまま帰ったところで、高野はまたコンビニ飯だろう。精々、テレビから流れる芸能人の騒がしい雑音だけしか、寂しい夕食を共にはしてくれないはずだ。何食わぬ顔をしていてわからないが、少なくとも『楽しい食事』ではない。
「食って行けよ。夕飯食べて温まってから帰った方が良いぞ。」
「…ですね!すいません先輩のお母さん、ごちになります!」
「ふふっ、どーぞ。いっぱい食べてね!」
浅い雪に刺していた空のラムネ瓶を取ってから、温かい家へと帰った。今日はどうやら回鍋肉のようだ。
「あ、私手洗ってきます。」
「俺も行く。」
「先どうぞ。家の者でもないのに、家主より先に手を洗うなど不敬です。」
「何言ってるかわからんし、なんでもいいがちゃんと手洗えよ。不潔だぞ。」
「洗いますよ!乙女の足並みです。」
「揃えてんじゃねぇよ、嗜め。」
進められたまま俺は手を洗い、洗面所からも先に出た。夕飯が出来たとはいえまだ食器などの準備はされてないだろうから、手伝うために早歩きで。
数分後、高野が戻ってくる頃には準備が終わったから良かった。
「んまー!最高っす!」
「うふふ、嬉しいわ。…リンちゃんは?」
「美味しいよ、ありがとう。」
「あらあら。雫ちゃんがいるとリンちゃんが素直で嬉しいわ。」
「ふぅん、リンちゃんって呼ばれてるんすね?」
母さんは俺の事をちゃん付けて呼ぶ。一度クルマたち友に聞いてみたが、割とそう呼ばれてるやつらが何人かいた。思春期の俺らに取っちゃ、たまったもんじゃない。
「そこ気にするな恥ずかしい。」
「ふふふっ。久しぶりにリンちゃんが楽しそうで、良かったわ。」
(久しぶり…か。)
食べ終わるまで、終始母さんはニコニコと笑っていた。こんなずっと笑顔なのは、なんだか久しぶりに見た気がした。…と、そこで気づいた。俺は最近、母さんの表情をまっすぐ見ていないような気がする。いつだろう、最後に、母さんの顔を見たのは。
「ごちそうさまでした!」
「はい、お粗末様です。それじゃリンちゃん、ちゃんと雫ちゃんを送ってあげるのよ。」
「わかってる。雫、服着こめよ寒いからな。」
「うい!…っと、その前にお手洗いお借りしたいです。」
「廊下出て右。」
「あざーす!行っていきます!」
(全く、元気が絶えないやつだな。)
「リンちゃん、ここ最近楽しそう。」
「俺が?」
「うん。きっと雫ちゃんに出会えたからね。雫ちゃんには感謝しなきゃ。」
母さんは嬉しそうに言ってから、食器を洗ってくれる。
出会ってから二日と少し、まだアイツと知り合ってから過ぎた時間は短い。だが常に高野は楽しそうで、悲しそうな表情を見せたのは俺がヒナタの話をした時や、家に帰る時だけ。
(テンション常にマックスな奴といるせいなのは、間違いなさそうだ。)
・・・
玄関で靴を履き、高野を待つ。少し長い気がするが…まぁ、あまり女子にそういうこと考えない方が良いだろう。
(仲良くなりすぎた)
アイツを待つ間、思考回路は夏らしさに取りつかれてしまっていた。次はどんな夏っぽい事を考えて、どうやって冬に実現するか。仕方なく考えてしまう。
(プールなら温水の場所を探すか。向日葵を見るとか…ははっ、難しいだろうな。)
想像の中では、夏の隣に必ず高野がいた。暇つぶしについてきた不可思議な俺たちの遊び。もうすでに、この日々を日常にしたいと、高校なんて行きたくないなと思ってしまっている。高野と、ずっと。
(名前で、呼ぶべき…か。)
「しず、く。」
「はい。どうしました?お呼びですか?」
「おわっ!?」
(き、聞かれたか?)
「やだなぁそんな驚かないでくださいよ。ちゃんて手洗いましたってば。」
「…そこを懸念したわけじゃねぇ。終わったなら行くぞ。俺は往復なんだから。」
「あいあいさーキャプテン。」
気の抜けた声を出しつつ靴を履こうとしゃがみ込む高野。瞬間、少し彼女はよろけた。
「おわっ。」
「っ!…あぶねぇな。」
「す、すいません。疲れたのかも。」
咄嗟に手を取ってあげられてよかった。
「靴履いたか。」
「はい。」
「おし、んじゃこれを貸す。」
「ん!…てぶくろ!」
「俺のだ。今持ってないんだろ。」
(来るとき握った手、冷たかったからな。)
「流石先輩、良く見てる~♪ありがたく家宝にします。」
「貸すっつったんだ。それつけて、行くぞ。高野。」
「…むっ……ふっふふふ。た、か、の、ですか?えぇ~?」
突然、手袋をはめながら高野はにまっと意地の悪い事でも考えてそうな笑みを浮かべる。いや実際意地の悪いことを考えているだろう。
(聞かれてたか…。)
仕方ない。男に二言があれば地獄行きだ。
「はぁ……行くぞ。雫。」
「~~~!!……人生最高の日です。」
雫は、ショートブーツを土間の石畳に、トントンと足踏みした。
どんだけ嬉しいんだよ。
「大袈裟すぎるだろ…。」
「それくらい嬉しいんですよ、もう!じゃはい、次は手つないでください!」
「そこまではしねぇ。手袋貸しただろうが。はよ立て。」
「けちぃー。」
言葉とは裏腹に、雫は楽しそうに立ち上がった。
外に出ると、やはり日はすでに暮れていて。寒さが首筋を通り全身に巡って行った。
「うっ…さむい。」
「だな。早く帰ろう。」
「せんぱーい。やっぱ手つないでくださいよ。」
「……まぁ、この寒さなら仕方ない。」
「ふっ、甘。」
「千切るぞ、手。」
結局俺たちは手を繋いで家に帰った。
(寒いから、仕方なくだ。)
道中、無言が続いたが居心地は良かった。ぎゅっと何度も手を握ってくるので、こっちがたまに一度返すと、三倍で返って来た。だから、会話はいらなかった。
けどふと、気になっていたことがあったので雫に聞く。
「そういえば雫。冬にやりたいこと三つあるって言ってなかったか?」
「はい、言いました。」
「海の見える学校に転校と…夏っぽい事と。あと一つなんだ?」
「焼肉食べたいです。」
「最後雑かよ。もしや、考えてなかったな?」
「なははー実はそうなんす。大体三つが定番じゃないですか、なのでそのつもりだったんですけど思いつかなくて。」
「なら、こっちとしてはありがたい。二つ目を叶えればもう終わりだからな。」
「いえいえ、三つ目を叶えるまで、手伝ってもらいますよ。先輩。」
敢えて何も答えなかった。
(まだ続けるのか、面倒だ。)
…違うよな。その思考は、ひねくれた俺の気持ちだ。
本心は、まだ雫といたい。
雫には嘘がつけなかった、というより俺本人そのものと話している、と言った方が正しい。クルマとかと話すときは繕った自分で会話しているが、雫に対しては壁を用意することなく話すことができるんだ。
「あ、先輩。私次やりたい夏っぽい事あるんです。」
「なんだ?」
(プールか向日葵か、はたまたそれ以外か。)
「肝試しやりたいです!なんか良い感じの廃墟、ありますか?」
ふふん、想定内だ。
「あぁ、良い場所がある。学校の裏方にもう使われてない隔離教室があったはずだ。ただ暗いと流石に危ない。行くなら明日朝だな。」
「なんか先輩、乗り気?」
「さぁな。」
嘘はついていない。真実も言えはしないが。だって、まぁ、うん。
それから何かお互い思いついたら話して、何もなかったら黙って。繰り返していると雫の家に着いた。
「ありがとうございました先輩、送っていただいて。」
「遠慮すんな。じゃあまた明日…朝家行くわ。俺が。」
「わかりました!待ってます!」
「ん、おやすみ。」
離れて行くと、雫がどんどん小さくなっていった。角を曲がるまで、雫はずっと俺に手を振ってくれていた。
(早く入れよ、風邪ひくぞ。)
日曜日が楽しみな事なんて、今まであったかな。
・・・
日曜日・午前10時
向かう30分前に雫にメールを送ったのだが返信どころか既読つかず。
(まだ寝てんのか?)
平日ならとっくに寝坊だ。新しい学校で友達ができないと言っていたが、まさかこんな時間に登校してたらそりゃ出来なくなるのも否定しにくい。
なんだかんだ、最後まで既読がつくことはなく雫の家についてしまう。
ピンポーン
チャイムを鳴らしたが、家から物音らしい音は聞こえてこなかった。いない…ってことはないだろうし、起きなかったのか?
もう一度インターホンを鳴らすか、電話をするか迷っていると、ピコンとメールが一件。
『すいませんすこしまさい!』
(まさい?…待ってくださいが打てなかったのか。)
別にゆっくりで良いのに。そこから10分ほどは待たされて、ようやく玄関の扉が開かれた。
「はぁっ…はぁっ…す、すいません…。寝過ごしました…。」
「髪、跳ねてる。」
「ふぇ!?…あ、愛嬌です!」
「はっ、そういうことにしてやるよ。」
慌てて出て来た雫はやけに疲れていて、でもきっちり着替え終わっていた。ラフで暖かそうなもこもこぶかぶかパーカーにタイツ姿。ほんと、すぐ準備しました感がある。
「肝試しな、なんですけど。ちょ、ちょっと待ってくれませんか。急いで動いたので疲れて…。すぅ…はぁっ。」
「だ、大丈夫か?急いでないし休んでから行っても良いだろ。」
「ど、どもです。ありがとございます…。」
(やけに…なんだ?疲れてるな。そんなに急いだのか?)
リビングをよく見ると、昨日の服が脱ぎ捨てられていて。俺が貸した手袋は机の上に丁寧に並べられていた。まるで、帰ってきてから何一つ変わっていない。
「いやぁ本当…はぁっ…すいません。楽しみで、遅寝しちゃいましたよ。」
「そうか。…今起きたならなんも食べてないし飲んでないだろ。飲み物取ってくるよ。」
雫をリビングのソファに座らせて、俺が飲み物を取りに行くことにした。
「あ、いや…私がやります。先輩は…はぁっ…はっ…ごほっ。」
「…テキトーに持って来ていいか。」
「で、ですから!お客さんは家主がもてなすもので…。」
「友達同士だろ。冷蔵庫、開けるからな。」
「や、やです。やめて…ください。」
否定しながらも、雫は諦めたような顔をして、ソファに深く沈むように座った。もう抗議するだけの力が残ってないのかもしれない。俺は《《確信》》を得るために、高野家のキッチンに足を運んだ。
「広いな…。」
明らかに広いダイニングテーブル。使われた形跡のない台所。埃の被った、棚の中の皿とコップ。
(ゴミ箱は。)
《《錠剤》》が入っていたであろう、個別に分けられたアルミのシートがいっぱいにつまっていた。
コンビニ弁当や、おにぎりのプラゴミなんかは一切見えなかった。
俺はそれを無視して、冷蔵庫に向かう。
「……これか。」
冷蔵庫、も無視して。隣の比較的新しめな箱の中を開いた。
・・・
洗ったコップに、開かれていなかったプラスチックペットボトルに入ったお茶を注いだものを持ってきた。冷えた飲み物は、体に悪いんだろう。
「ほらよ。」
「あ、せんぱい…。」
「…。」
雫の顔色は明らかに悪くて、呼吸も荒い。それでも無理をして笑顔を作るその様子が、痛々しかった。
「何の病気なんだ。」
「……見たんですね。」
開いた箱の中には、一目では何種類あるかわからない量の薬剤がぎっちり入っていた。
β遮断薬、ACE阻害薬、抗アルドステロン薬。
知らない言葉、知らない形の薬。
近くには保険証も置いてあって、ここ近く、どこかへ通っている様子を感じさせる。
「教えてくれ。」
「………ごほっ。」
雫は苦しそうに咳をして、精いっぱい否定の意地を見せる。言葉にはしていないが、何故か読み取れた。
「とりあえず横になったらどうだ。疲れてるなら。」
「…なれません。横になれないんですよ、先輩。ひゅっ…げほっ。はぁっ…。寝る時も、…座ったままで。咳が、止まらなくなるから。」
ダムが崩壊したように、雫は懸命に言葉と咳を繰り返し吐いた。
「寒いのダメなんっすよ、倦怠感が…ぜぇっ…やばくて。かき氷とラムネ……辛かっ、た。でもだけど、美味しかった。はぁっ…はぁっ…足も、むくんじゃって。タイツで隠して。」
(いつもの防寒対策。冬だから、じゃない。)
「食欲も…ぜぇっ…湧かない。ごめんなさい昨日の夕飯、吐いちゃって。」
(トイレ、長かった。)
「それと…ちょっと走ればすぐ……はぁあっ……ふっ、ひゅっ…。ふぅ。疲れちゃいます。ほんと、うっ…げぇっ…ヤになります。」
「ぐっ…。」
(見てられねぇ…。)
でも、俺は医者じゃない。なにもできない。
「咳も止まらないんです。薬、いっぱい飲まなきゃなんです。薬で、お腹いっぱいになるん…んぐっ…です。」
(手洗った時、俺を先に行かせた理由。)
雫は咳を、涙を飲みこむように、答えてくれた。
「拡張型心筋症。……それが、私の病気です。」
聞いたこともない名前の病気だった。ただ、心臓に関わる何かではあるんじゃないか。天才を自負していたくせに、それしか憶測を立てられないのが、悔しかった。
「重症なのか。」
「病気自体は、そんな。未知の病とかそんなんじゃないんですけど。心臓の筋肉が弱くなる病気のことで。延命とか、はっ…はっ…はぁっ…ふぅっ。…普通できるっぽいんすけど。私の場合、それもあんまりで。心臓移植も…合わないみたいで。ハートキャッチできない体質みたいです。なは……けほっ……はは。」
乾いた笑いを空気に放り投げながら笑えない冗談を混ぜる。今でもそうやって言えるのが、雫らしさだ。
(雫……お前は…。)
どうしても、こんなとき。人間は聞いてしまう。聞かなきゃいけないルールはないのに、むしろ聞けば後悔する事はわかりきってるというのに。何もできない焦りから、多くの情報を得て回らない頭から。
一番最初に浮かび上がる質問。
それは。
「………先輩と出会ってから、一週間切ってます。」
「ふざっ……けるなよ。おまえ……。」
『余命』




