3・ラムネのビー玉回収不可能理論
あの日はクリスマスまであと1、2週間ほどの時期。まだ中学二年生だった俺と、小学校五年生の妹。ヒナタと、流星群が見えるという話から外に出たんだ。誰から聞いたんだったか、とにかく楽しみだった。流星群が見える日の前日からお母さんたちに伝えとくくらいには。
「うわぁ…。お兄ちゃん見て。すごいよ。」
「あぁすごいな。」
残念ながら、空は星どころか夜空すら見ることは許してくれなくて。
雲が出しゃばってきていた。
「清々しいほどの曇り空だ。」
「むしろここまで星1つ見えない方が圧巻だね。」
「逆にな。」
結局、流星群を見ることはできなかったけど、俺たち兄弟は家の近くの公園のベンチに座って、晴れるはずのない夜空を眺めていた。
「あーあ。いっぱいお願い事あったのにな。」
「貪欲だとむしろ叶わない気がするけど。1つに絞れよ。」
「なら焼肉食べたい。」
「生類憐みの令の天敵だなヒナタは。」
「あ、それ授業でやったよ。」
ヒナタは俺ほどじゃなかったが、頭が良かった。同じ血を通えてるからかもしれない。いや、まぁ。俺には及ばないけど。
「明日は晴れるかな。」
「明日は流星群が来ないだろ。」
「わかんないじゃん。」
ヒナタはベンチから勢いよく立ち上がって、両手を後ろでぎゅっと握り、振り返る。
「明日も付き合ってよ!お兄ちゃん!」
街灯に照らされたヒナタの笑顔は、暗闇を照らせるくらい輝いて、微笑ましかった。
・・・
キーンコーンカーンコーン
授業の終わりが俺の目を開く。どうやら授業中に寝ていたようだ。
懐かしい夢を見た。……アイツのせいかもしれない。
「おー起きたな飛ケ谷。俺らが自主中に堂々寝やがって。」
「ぐっ……ふぅ。すまん。昨日夜遅くまで起きてて。」
「ふぅん。何かしたのか?もしや昨日の後輩ちゃんと…」
(そう、高野をできる限り1人にしたくなくて、花火終わってからも居座ってたんだ。)
「な訳ないだろ。すぐ解散したわ。…勉強してたんだよ。頭が怠けるからな。」
クルマには嘘がつける。…やっぱ、高野にだけだ。俺が嘘をつけないのは。
「相変わらず真面目なもんだ。んじゃ俺は購買でパン買ってくるわ。」
「おう。」
うちの中学は給食がない。代わりに購買が用意されていて、俺のようにお弁当を持って来てる生徒も少なくはない。というかそっちの方が大半だ。俺のクラスも、何人かが仲良し組が集まって食べているのが見えた。前の席の女子なんか、わざわざクラスの反対側まで移動して食べている。そりゃ、一人で食う飯は寂しいが。
(慣れれば気楽なもんだ。すぐ食い終われるし。)
鞄から紫色の弁当袋を出し、中からプラスチックの弁当容器を取る。開けばそれは宝石箱…とは言えないが、それでもありがたい。毎朝、お母さんが作ってくれるお弁当。食えればなんでもいいというリクエストから、簡単な冷凍食品で構成されている。最近の冷凍食品は美味しいから、何も文句はない。むしろ感謝しかない。朝早くから、平日は毎日作ってくれてるんだから。
「いただきます。」
故に、いただきますは5割食品へ、5割お母さんへ。直接伝えられないのが残念だ。
「あーいいな。私もお弁当食べたいです。からあげまである!」
「なんだお前帰れ。」
「酷い!?良いじゃないっすか。私ぼっちなんですよ。」
気付けば一つ前の席に高野が現れていた。野生のモンスターかコイツ。
高野は許可なく俺の席に自身のお昼ご飯を置く。
(…コンビニのおにぎり二つか。)
「昼それだけか?」
「え?あぁ、そうです。ダイエットです。」
「そうかい。」
「てことでからあげください。」
「ダイエットの意味知らんのかお前は。」
今、高野の家には両親がいない。一人であの広い部屋に住んでいるらしい。…そして多分、というか確実に高野に料理スキルはない。皆無だろう。
「朝飯、どうしてんだ。」
「コンビニでパンです。からあげください。」
「そうか。やらん。」
「けちー。」
高野が朝、一人で部屋で食事をしているのを勝手に想像し、勝手に同情する。無責任だな俺は、何もできないくせに。
ぱさぱさとコンビニおにぎりの封を開け、頬張りながら口を膨らませる。ややこしいやつ。
「で、次は何します?」
(夏っぽいことの話か。)
「何の話だ。」
「わかってるくせにー。夏っぽい事、まだまだやりますよ。私今度はお祭りやりたいです。夏祭り!」
「無理だろ。時期が時期なんだから。」
「主催、私!」
「もっと無理だろ。」
「もっとってなんですか!全く…。」
高野は飲み込んだおにぎりを補充する。
「あむっ。…でも金魚すくいとかー、射的とか。ごっくん。やりたいです。」
「ワカサギ釣りならできるんじゃね。射的も…猟師になれば。」
「漁師?金魚は海にはいないっすよ、先輩。」
「もういい高野とは会話しねぇ。」
「えぇそんな!私イカ焼きもかき氷も、ラムネだって飲みたいんです!」
(…かき氷か。うちに機械があったが、言わんほうが正解だろう。)
高野をうちに呼びたくない。その一心から提案は避けた。のだが。一瞬、どうやら俺の表情は何か思いついたような顔をしてしまったらしい。高野がにまっと、俺の顔を覗いてきた。
「……あるんすね?」
「ない。」
「イカ焼き機はないでしょうし…かき氷機、あるんですね!」
「はぁ……。」
(まだ誤魔化せる。こいつが家に来るのだけは避けたい。)
「あぁそうだよ。ある。うちにはかき氷機あるよ。」
「ふふん、勝ったっすね。」
「何と戦ってたんだお前は。」
もうだめだな。俺はダメダメだ。高野の言いなりになってしまう。そこに一切の嫌悪感がない事に、気づいている。
「じゃあ早速今日…!」
「ダメだ。明日、土曜だよな。明日ならいいぞ。」
「なんでですか?」
「俺にも用事があるんだよ。そこまで急がなくても良いだろ別に。」
「夏は待ってくれないんすよ、先輩。」
「もうとっくに追い抜かれてんだろ。」
今日は母さんが家にいるだろうが、明日は両親が二人とも仕事だ。できれば、高野をお母さんたちに会わせたくない。この時期の親って言うのは、女子を家に連れればめんどくさい反応すること間違いないからな。
「はいはい、わかりましたよ。今日も雫ちゃんは夜を一人で過ごしますよーだ。」
「昨日もだろ。」
「んや昨日は楽しかったです!コンビニまでついて来てくれて、寝るすぐ前まで居てくれて!」
「……そんな奴知らん。」
「照れなくていいんすよ~。」
(帰るタイミングを逃しただけ、それだけだ。)
ふと見ると、高野はすでにおにぎり二つを食べ終わっていた。
「食ったなら教室戻れ。明日スマホで連絡するから。」
「昨日交換しましたもんね、メアド。…でもそっか。今日一人か。」
(その顔、ずるだぞ。)
基本やわらかい、人懐っこい笑顔を向け続ける高野が突然見せる寂しそうな、暗い表情。口角は上がっているが、むしろそこが痛々しくて見て居られなくなる。
「……からあげやるよ。」
「マジっすか。じゃあお言葉に甘えて。あーん。」
「しねぇわ、おら箸。」
箸の持ち手を高野の方に向けたが、俺はすぐにひっこめた。
「あ。」
「どうしたんですか?」
「……やっぱやらん。」
「はは~ん。間接キス…。せんぱ~い。男に二言ですか?」
「……はよ食え。」
「わーい。」
しぶしぶ箸を渡すと、高野は何も気にせず、俺の箸を使って唐揚げを口の中に一口で放り投げた。
「うま。」
「冷凍だけどな。おら、食ったなら帰れ。友達作れ。」
「うい!」
今度こそ、高野は元気に手のひらをおでこ辺りに当て敬礼してから、おにぎりのゴミを持って帰って行った。
(あいつ、あれだけで大丈夫なのか?)
もっと栄養あるのを食った方が良い。ダイエットとか言ってたが、成長期に過度なダイエットは危険だ。身長が伸びなくもなるし、そもそも不健康へ一直線だ。冬に身体を崩せば拗らせることもある。第一、アイツは家で一人。風邪でも引けば…。
(って、俺は母親かよ。)
頭を振って、弁当を包み片付けた。高野が満足すればそれでお終いなんだから。あいつがどう生きようが関係ない。
(…今度忠告しとくか。)
関係はない、が風邪を引けばどうせ俺が行くことになるんだと思うと億劫だ。伝えておこう。
時計を見れば、いつもの二倍は食べるのに時間がかかっていた。けど満腹感は、二倍以上だった、なんて。
・・・
土曜日のお昼過ぎ、俺は駅に呼び出されていた。
「あ、先輩!私服だ。」
「制服で来るかよ。高野も私服じゃねぇか。」
高野は少し薄めなパステルカラーのニットを着て、上着としてダウンジャケットを羽織っていた。白い洒落た鞄を肩にかけ、足全体を隠すプリーツスカートの下、はしゃいでジャンプして見えた相変わらず暖かそうなタイツ。赤いマフラーを巻き、もこもこのついたショートブーツ。防寒対策は日ごろから欠かさないようだ。
「ど、どうでしょうか。可愛いですかね……?」
「なんで自信なさげなんだ。……普通に似合ってるよ。」
「!……えへへ。あざっす!」
高野は照れたような笑顔を見せる。昨日見た夢を、思い出しかけて潰した。
「可愛らしさと男らしさが渋滞してんぞ。…で、うち行くんだよな。」
「あ、その前にやりたいことがあります。ラムネ瓶探したいんです!」
「……ないだろ。」
高野が言いたいのはあのビー玉が入ったラムネ瓶のことだろう。今の時期にしゅわしゅわ冷たいラムネがあるとは思えない。
「わかんないじゃないっすか!」
「わかるわ。冬なんだから。サイダーで我慢しろ。」
「ヤーです、ヤ!」
「カンフーでもやんのかよ。冬にラムネはない。諦めろ。」
「なんでわかるんですか、探すだけならいいじゃないっすか!」
「はぁ……。」
(探すんならできる限り最小限の数、デカい店に行くか。外に何度も出せば寒いだろうし。)
「わかった。何軒かありそうな店回るか。」
「先輩ならそう言ってくれるってわかってましたよ、もう!ではラムネ探しへ、行きましょう!」
「あると良いがな。」
「ありますって。きっと。私今、ごううううんなんですから!」
「う、多くね。鐘かなんかなのか高野は。」
それから俺は鐘と共に三つほど、店を周った。結果はまぁ、想像通り。砂漠でセーターを探すようなもんだ。あるはずがない。
気付けば15時になっていた。
「うぅ……ない。」
「だろうな。もう帰ろうぜ。かき氷食うんだろ。」
「へい…。」
わかりやすく凹んでるな…。途中たい焼き食ってたくせに。まだもう二、三店は思いついていたのだが、そろそろ高野が寒そうだった。それに少し息を切らしてる。体力もないようだ。
「はぁ……ラムネ。」
「うっさい。」
「だってラムネは夏の風物詩じゃないですか!!」
「ちょっと違う気がする。」
「うぅ~………そっすね。」
「……。」
珍しく認めるほどには元気をなくしていた。こういう時、俺は相手を慰める方法を一つしか知らない。兄として、知っていた方法一つしか。
「はっ、くしゅん!うう…。さむ。」
「手、繋ぐか。寒いなら。」
「…!…うい。」
右手を差し出せば、冷えた左手が乗っかかった。
「先輩あったかいっすね。」
「お前が冷たいんだ。」
「ふふっ、こんな優しいお兄ちゃんがいて。妹さんは幸せで……。」
(…。)
「……すいません。」
そういった意味で口にしたんじゃない事はわかってる。高野はそういうやつじゃない。自然と、思わず言ってしまったんだ。
高野は悪くない。
「いや、別に。」
「でも、あんまりしていい話じゃないですよね。ごめんなさい。」
(その通りだ。もうあの子のことは、思い出さない方が良い。話を変えよう。)
「……飛ケ谷ヒナタ。可愛いやつだったよ。」
「ヒナタちゃん、ですか。」
「あぁ。」
俺は、高野雫に隠し事ができない。
「事故、とか。」
「……そんなとこだ。」
ヒナタは下校中、飲酒運転のトラックに轢かれあっけなく帰ってこなくなってしまった。今でもまだ、どこかを下校してる途中なんじゃないかと、思っている自分がいる。
「先輩の妹なんて、幸せだったでしょうね。」
「ふん、嫌味か?」
「飛ケ谷先輩!」
「!!」
高野が珍しい呼び方をしてきたので、思わず気圧される。
「他人がとやかく言う事じゃないでしょうが、先輩にとってヒナタちゃんは大切な存在だったんでしょう。それだけ想っていたんでしょ。」
「なんで、そう思う。」
「ヒナタちゃんのこと話すとき、先輩優しそうな顔しますもん。」
「…。」
「そんなに想われて、幸せじゃないはずないですよ。」
高野はじっと、両目を合わせて真面目な顔で言った。いつもとのギャップに、思わず口を閉め切ってしまう。
多分初めて、高野は苗字を呼んでくれた。
「…出過ぎた事言いました。行きましょう…かき氷、食べたいです。」
「わかってる。」
強引に話を変えてくれたのが、ありがたかった。
返すべき言葉が、胸の中に飽和し詰まって、出てこなかったから。
・・・
俺の家はそこまで放れてはいない。十分も歩けばつく距離にあった。家の前の車の台数、すでに嫌な予感はしている。
「あらおかえりリンちゃん!遊びに行ったんじゃ…あれま女の子!?」
「ただいま何故いる母。」
「今日はもうお仕事終わったのよ。で、あなたは?」
「先輩の彼女の高野雫です。」
「俺と同じ学校に通ってるだけの後輩だ。かき氷食いたいんだと。」
絶対余計な事言うだろうと思ったから急いで訂正したが時すでに遅し。お母さんのにやけ面は収まらない。
だぁもう、思春期ってなんなんだよぉ…。
「あぁだから出しておいてたのね。何してるんだと不思議だったわ。」
「先輩!用意してくれてたんですね。」
「男に二言はないんだよ。早く入れ、寒いだろ。」
「おじゃまします!」
高野は元気よく挨拶をしてから、靴を脱ぎ、揃えていく。礼儀はあるんだな…。
キッチンに入り、朝出しておいたかき氷機の箱から物を取り出す。
「楽しみっすね、かき氷。」
「俺は別に。」
「すねくれものですね。」
「ひねくれだろ。脛渡す気はねぇわ。」
「かき氷のシロップ、あったかしら。」
「てかなんで母さんもいるんだよ。」
「良いじゃない別に。ねぇ、雫ちゃん?」
「もちです。…ところで先輩のお母さん。ラムネってありませんか。」
「ラムネ?瓶ラムネのこと?」
(なんでうちにあると思ったんだ。)
「あるわよ。」
(は?)
「は?」
思わず思いそのまま言葉に乗せてしまった。灯台下暗しとは正にこのことか。
「マジっすか!?」
「あるある。夏に買ったラムネがなんだかんだ残ってたはずだわ。賞味期限が心配ね…。」
母さんは冷蔵庫を漁り出した。骨折り損かよ…。
「あった!シロップも。賞味期限も大丈夫ね。」
「先輩の家は宝箱っすか?」
「宝がラムネとシロップなのはお前くらいだよ。おら、さっさとやろうぜかき氷。」
「お母さんも食べたいわ。」
「わかったわかった作っとくから。」
氷はさっきコンビニで買ってきていた。溶けないように最後に買おうと、高野と決めていたのだ。買ってきた氷をセットし、削る。
「できたです先輩!」
「だな。食うか。」
椅子に座り、ダイニングテーブルにかき氷を置く。
イチゴのシロップをかけて、スプーンを持ち、口に含んだ。じゅっとイチゴの風味を届け、消えていく。暖房の効いた部屋で冷たいかき氷を食べるなんて。贅沢とも言えない、変な体験だ。
「んー…キーンとします。夏って感じです。」
「冬だ。」
「んもう…。先輩、かき氷食べたらラムネ一緒に飲みましょう。外で。」
「死ぬ気か?中で良いだろ。」
「何言ってんすか先輩。せっかく見つけた奇跡のラムネっすよ?清々しく、堂々と外で飲むべきです。」
「清々しく堂々と風邪引け。」
高野は宣言通り、かき氷を食べ終わってすぐに奇跡のラムネを外へと持ち出した。ついでに俺の事も持ち出された。
晴れてはいたが、それでも真冬の屋外で冷たいラムネを飲むのは少々体が堪える。
「……中で飲めばよかった。」
「そう言っただろが。」
なんとか飲み切ったラムネ二本、雪の中にぶっさしてお互いぼーっと眺めた。高野は気づけば、すぐ隣にいて肩を寄り添わせてきていた。
「先輩。」
「なんだ。」
「私、ラムネのビー玉って回収不可能理論、あると思うんです。」
「じゃどうやって入れたんだよ。」
「妖精さんが。」
「頭の病気が陽性反応だな。病院行こう。」
「先輩私のこと馬鹿にしすぎです!……ふっ、あはは!」
「ははっ。」
笑いあった雪景色、何故か夏の匂いがした。




