表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

54/55

第53話「孫と呼ばれたひよっこ」

 朝の空気はまだひんやりとしていて、石畳には露が残っていた。

 アルフは槍を背に負い、王国軍の駐屯所へと足を運ぶ。正門の前には槍を携えた兵士が二人。胸当てに陽光が反射し、まだ始まったばかりの一日を告げている。


「おや、坊主じゃないか」

 門番の一人がにやりと口角を上げた。

「朝っぱらから訓練に参加しに来たのか? 感心だな」


「いえ……ザイランさんに用があって」

 アルフが真面目に答えると、兵士は「あぁ」と納得したように頷く。


「なら訓練場の方にいるはずだ」

「……年寄りは朝が早いからな」

 からかうように囁くその声に、相棒の兵士まで肩を揺らした。


 アルフは少し気恥ずかしさを覚えながらも、軽く頭を下げる。

「ありがとうございます」


 門をくぐり抜けると、広い敷地に朝日が差し込み、兵舎の影が長く伸びていた。

 まだ胸の奥が落ち着かない。──今日こそ、師匠に聞きたいことがある。

 その思いを握りしめ、アルフは訓練場へと足を進めた。


 * * *


 訓練場に近づくと、砂塵を蹴立てて走る兵士たちの掛け声が響いてきた。木剣を振るう者、腕立て伏せで汗を流す者──朝日を浴びる訓練場は活気に満ちている。


 その端に、腕を組んで立つ老人の姿があった。

 鋭い眼差しと背筋の伸びた立ち姿。ザイランはすぐにアルフへ視線を寄越す。


「……少しはマシじゃが、歩き方からしてまだなってないのぉ」


「歩き方?」

 思わず問い返すアルフに、ザイランは鼻を鳴らした。


「軍人も冒険者も、死ぬほど歩くことになる。疲れず長く、そして腰も膝も潰さずに済む型、武芸といっしょじゃ……いちいち言われなにゃわからんか」


 アルフは言葉に詰まり、視線を落とした。せっかく聞きたいことがあって来たのに──。


 ザイランはわずかに顎をしゃくり、近くを走る兵士たちを示す。

「口を動かす暇があったら、足を動かせ」


「えっ……」

 返事をする間もなく、ザイランの眼光に押され、アルフは慌てて列に飛び込む。


 砂を蹴って走り出すと、兵士たちの掛け声が一層大きくなる。

「お、坊主か? お前も物好きだな!」

「隊列崩すなよ、ついてこい!」

「はぁっ、はぁっ……!」


 必死で食らいつきながら、アルフは心の中でぼやいた。

(聞きたいことがあるのに……どうして、こうなるんだ)


 息を切らせながらも足を動かす。汗が頬を伝い、朝の冷え込みを忘れさせるほど体は熱くなっていった。


 * * *


 走り込みを終え、訓練場の端で膝に手をつきながら息を整える。

 汗が滴り落ち、肺が焼けるように熱い。アルフはやっとの思いで呼吸を整え、ザイランへと近づいた。


「はぁ……はぁ……師匠……!」


「しゃきっとあるかんか! なんのために鍛えておるのじゃ」

 淡々と返すその声に、アルフは苦笑を浮かべるしかなかった。


 本題を切り出そうと口を開いた、その時。


「──師匠、ご無沙汰しております」


 張りのある声が訓練場に響いた。

 振り向くと、鮮やかな緋色の外套を翻す長身の男が歩いてくる。鋭い眼差しと銀のメッシュが混じる整えられた黒髪、腰には光を帯びた長剣。

 兵士たちがざわつき、自然と道を空けた。


「……シュラード」

 ザイランが小さく名を呼ぶ。


「王都で少し有名になった酒を手に入れましてね。お口に合えばと思い、お土産に」

 軽く笑いながら差し出す瓶を、ザイランは鼻を鳴らして受け取った。


「ふん……途中で出て行った奴に師匠呼ばわりされる謂れはないわ」

「相変わらずですね」

 シュラードは気にした様子もなく、どこか余裕を漂わせて笑った。


 その後、二人の会話は自然と王都の情勢に移る。

「……最近は中央も妙にきな臭いです。王都も物流が変わってきています」

「辺境は静かそうに見えて、風は確かに吹き込んでいるのぉ」

 意味深に言葉を交わす師と元弟子。アルフは言葉を挟めず、ただ二人を見ていた。


 やがて、シュラードの視線がこちらをとらえた。

「君は?」


 アルフが答えるより早く、ザイランが鼻を鳴らした。

「ひよっこすぎて弟子とは呼べぬ。孫みたいなもんじゃ」


「……孫……」

 アルフは肩に力が入り、思わず拳を握りしめた。嬉しいような、情けないような、複雑な感情が胸をかき乱す。


 シュラードは目を細め、じっとアルフを見た。

「なるほど。確かにまだ、漸く歩き始めたヒヨコのようだ」


(……やっぱりそう見えるのか)

 悔しさに胸が熱くなる。だが同時に、目の前の男の存在感に抗えないものを感じていた。


「師匠に気をかけてもらえるなんて運がいい。厳しいだろうが……頑張れよ」

「……はい」

 アルフは思わず返事をした。だが心の奥底では反発が芽を出していた。

(師匠の元を出て行ったアンタに言われたくない……!)


 そんなアルフの胸中を知ってか知らずか、シュラードは余裕の笑みを浮かべ、剣の柄に手を置いたまま歩み去っていった。


 * * *


 夜。ノネズミ亭の喧噪の中、木のテーブルに突っ伏すようにしてスープをすすっていたアルフは、ため息をついた。

 目の前には焼き上がった肉と黒パン。香ばしい匂いも、今は妙に味気なく感じる。


「らしくない顔してるな」

 隣に腰を下ろしたザックがジョッキを拭きながら、からかうように言った。


「……そんな顔してますか」

「一丁前に悩んだ顔してやがる」


 ザックは軽く笑い、磨き上げたジョッキを並べていく。


 アルフはパンをちぎりながら、胸の奥のざわつきを思い返す。

(……大先輩に励ましてもらっただけなのに。勝手に憤慨して、何をやってるんだ、僕は)


 師の元を出て行ったシュラードに嫉妬して。

 自分が「孫」と呼ばれた嬉しさを素直に受け取れなくて。

 ただ空回りして、情けなくなっているだけだった。


 視線を落とすアルフに、ザックが肩をすくめて言う。

「よくわからんがな。ま、よく働き、よく寝ることだ」


 不器用なようで、どこか的を射た言葉だった。

 アルフは思わず笑い、深く息を吐いた。


「……そうですね」

 スープを飲み干すと、ほんの少しだけ胸の重さが軽くなった気がした。


 酒場のざわめきは変わらない。

 だがアルフの胸には、まだ複雑なざわめきが残っていた。


 せっかく巡ってきた幸運な機会を、ただ感情に振り回されて無駄にしてしまった。

 ──次こそ、きちんと話を聞いてみたい。


 そう心に刻むと、酒場の喧噪は明日への一歩を促す鼓動のように響き始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ