第52話「暁の渡り手の名」
まだ空気に冷えが残る早朝、訓練場の砂地に槍の風切り音が響いていた。
アルフは独り、踏み込みと突きを繰り返す。夜明けの光が穂先を照らし、砂に影を刻む。
(……踏み込みのタイミングがまだ浅い)
肩で息を吐いた瞬間、背後から低い声が飛んできた。
「相変わらず真面目だな」
集中を断ち切られ、アルフは振り返る。そこにはギルド職員のガルドが立っていた。
「ガルドさん。……おはようございます」
「おう。大分動きがらしくなってきたな」
ガルドは腕を組み、砂地を見渡した。かつて冒険者だった逞しい体つきは健在で、ただ立っているだけで存在感がある。
「ありがとうございます。ガルドさんも早いですね」
「ちょっと処理する仕事があってな。昨日から少しざわついてるだろう」
「……はい。Aランクの冒険者パーティーが来てると聞きました」
「そうだ。王都からの大商会の商隊を護衛するため来ている。辺境伯への品らしいから護衛も豪華だな。もう見たか?」
「いえ……まだ見てないです」
ガルドはにやりと口角を上げ、低く言った。
「“暁の渡り手”ってパーティの連中だ。そのリーダーが──Aランクのシュラードって男だ」
アルフは思わず槍を握り直した。
「Aランク……」
「そうだ。うちのギルドにはいない格だ」
ガルドは顎髭を撫で、にやりと口角を上げる。
「気になるなら、お前の師匠に聞け。ザイランなら詳しいはずだ──教えてくれるかは別だがな」
ザイランの名が出たことで、アルフの胸にシュラードへの興味が急速に膨らんでいった。
* * *
訓練を終えたアルフは汗を拭い、ギルドの食堂へと足を運んだ。
朝の食堂は既に賑やかで、木のテーブルに冒険者たちが腰掛け、パンやスープの香りが立ちこめている。
「お、来た! アルフ、こっち、こっち!」
リオンが手を挙げた。既にパンをかじりながら、どこか落ち着かない様子で周囲を見回している。
「おはよう」
エリンは淡々とした声で短く告げると、マグを手に口をつけた。
アルフは席につき、湯気を立てるスープをひと口すすった。温かさが体の芯に染みていく。
「……昨日からギルドがざわついてるの、やっぱりAランクのせいみたいだな」
アルフが切り出すと、リオンの目がぱっと輝いた。
「暁の渡り手だろ? 朝から冒険者たちがその話ばっかりしてる。リーダーのシュラードって人は魔法剣士なんだって!」
声をひそめるどころか、むしろ興奮気味に語る。
「武術だけじゃなくて魔法も自在に使えるんだぞ。動きながら詠唱して、同時に剣を振るうとか……普通は無理だよ」
「……リオンらしい反応だね」
エリンは片眉をわずかに上げ、淡々と呟いた。
「Aランクともなれば、格そのものが違う。噂だけで驚いていても仕方がない」
「でも、実際すごいだろ?」
リオンはパンを握りしめ、なおも熱弁を続ける。
「詠唱を簡略化して正確に魔力を操れるなんて……僕には到底真似できない」
アルフはスープを口に運びながら、二人のやりとりを聞いていた。
ザイランの元を去った弟子──Aランクの魔法剣士シュラード。
その名を思い浮かべるほどに、アルフの胸の奥はざわついていった。
「……どのような高みか、いずれ見てみたい」
エリンがそう言い切ると、テーブルに一瞬だけ静けさが戻った。
アルフは槍の柄を思わず握り直しながら、自分の胸に芽生えた好奇心を抑えきれずにいた。
* * *
昼前、三人は街の外れにある倉庫跡地へとやってきた。
古びた木材の壁は半ば崩れ、屋根の瓦は地面に散乱している。解体作業を終えた職人たちが、分別や片付けを手伝い。
冒険というより雑用に近い。けれど半日で終わって、報酬もそこそこなら悪くない。
「なるほど……確かに人手が要りそうだな」
アルフは槍を壁に立てかけ、腕をまくった。
「うーん、こういう労働苦手なんだけどなぁ」
リオンが気合いの抜けた声で嘆く。いつもの柔らかな口調よりも張りがあるのは、筋肉仕事を前にした緊張か。
「……リオンさんには、鍛えるためにも丁度良い。」
エリンは淡々と呟き、土埃を払ってから崩れた瓦を一つひとつ拾い集め始める。
「うっ......」
自分より細身のエリンがキビキビと働き出す姿に気まずくなるリオン。
「僕らも頑張るぞ。未来の魔道剣士さん」
「アルフまで! ひどいっ」
三人は木材を抱え、石片を集め、汗を流しながら働いた。街中とはいえ、埃にまみれる重労働だ。
梁を担ぎながら、リオンが息を吐いた。
「……力仕事って苦手なんだよね。魔法使いって力仕事と正反対でしょ」
そして、ふと目を輝かせる。
「でも魔法剣士は違う。剣で戦いながら同時に魔法詠唱をするんだ。まるで脳が二つあるみたいなものだよ」
「そんなにすごいことなの?」
「そう! 普通、魔術師は立ち止まって詠唱するだろ? でも魔法剣士は違う。詠唱を簡略化して、動きながら魔力を操るんだ……」
瓦を抱えていたエリンが、ちらりと横目をよこす。
「……だからこそ、Aランクになれる」
「そういうこと!」
リオンは額の汗を拭いながら、目を輝かせる。
「僕も魔法を動きながら発動する訓練はしてるけど……数歩動くだけで精度が崩れる。ましてや戦闘の最中なんて、とてもじゃないけど」
「……リオンらしい苦労だな」
アルフは思わず笑った。自分の槍術とは全く違う難しさがあるのだと、少し新鮮な気持ちで聞いていた。
瓦礫の山が少しずつ片付き、三人の額にも同じように汗が光っていた。
* * *
日が傾き始める頃、瓦礫の山はようやく片付けを終えた。埃と汗にまみれた三人は、木槌や縄を置いた職人たちからねぎらいの声をかけられる。
「助かったよ。やっぱり人手があると違うな」
「ありがとうな、若いのに根気がある」
リオンはへとへとになりながらも、どこか誇らしげに胸を張った。
「……絶対、明日腕が動かないやつだ」
「鍛錬と思えば安いもんだろ」
アルフが苦笑し、エリンは涼しい顔で肩にかけた弓を整える。
「……こういう地道な仕事も嫌いじゃないです」
街道を歩く帰り道、夕陽が瓦屋根を赤く染める。
リオンは瓦礫を運んだ疲労で腕を回しながら、まだ名残惜しそうに語った。
「でもさ、魔法剣士って本当にすごいよな……動きながら魔法なんて、どうやって制御してるんだろう」
「リオン、今日は十分語ったろ」
呆れたように答えながらもアルフは心の奥で引っかかる感覚を抱えていた。
(──師匠の元を去った弟子、シュラード……どんな人なんだろう)
ギルドの前に戻ると、木製の看板の下に行列ができ、冒険者たちの声がざわついている。
受付に報告を済ませた三人も、その熱気を肌で感じた。
「……なんだか落ち着かないな」
リオンが小声で言うと、隣でエリンも視線を巡らせる。
「……噂のAランクの影響」
酒場の奥へと向かう人波の中で、聞こえてくる囁き。
「見た目から雰囲気が違ったな……」
「装備もすごかったな? ただの剣士じゃない、魔法を併用する魔法剣士だぞ。大陸でも指折りだ」
その名が囁かれるたびに、アルフの胸の奥のざわめきは抑えきれず膨らんでいった。
(明日……師匠に話を聞いてみよう)
夕闇に沈むギルドのホール。ざわめきは収まらず、彼らの小さな日常に、確かに大きな影が差し始めていた。
いつも本作品をご愛読いただき、ありがとうございます!
前回まで各話の最後に「アルフの成長記録」を掲載してきましたが、読者の方から「本人が数値を確認できるわけではないので物語上は不要では?」というありがたいご指摘をいただきました。
確かにその通りだと私も感じましたので、今後は成長記録は裏で管理し、本文末への掲載は控えることにいたします。
物語としては変わらず、アルフたちの成長を描写の中で反映していけるよう励んでまいります。
気になる点がありましたら、ぜひ引き続きコメントでご指摘いただければ幸いです。
これからもアルフたちの歩みを一緒に見守っていただけることを、心から願っております。




