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第42話「泥と笑いと、次なる影」

 朝の空気は、ひんやりと澄んでいた。


 ギルドの裏手にある訓練場はまだ人影もまばらで、早朝の淡い光が地面の砂を静かに照らしている。その中で、ひとり、アルフは槍を振っていた。


「……間合い、左、左、右」


 独り言のように呟きながら、足を滑らせて踏み出す。砂を蹴る音と、槍の柄が空気を切る風音だけが響いていた。


 昨日の戦いが、まだ体に残っている。


 視界を覆う霧、迫る影──そして、交差する声と意志。それらが今も脳裏にこびりついて離れない。けれど、同時に──


(……悪く、なかった)


 そう思える自分がいた。誰かと息を合わせ、背中を預けて戦うこと。その重みと、確かな感触。


「ふっ……」


 吐息とともに一歩踏み込んだ時だった。後方で、砂を踏む音がした。


 振り返ると、そこには弓を背負ったエリンの姿があった。口元に何の感情も浮かべていない。けれど、その手はすでに弓を構えていた。


「……少し、合わせましょう」


 それだけ言って、エリンは短く頷いた。


 アルフも無言で構えを整える。呼吸を合わせる必要はなかった。不思議と、視線の交錯だけで合図は通じた。


 槍の踏み込みに合わせ、矢が弦にかかる。間合いの調整、動線の意識──言葉のないやり取りが、音もなく続いていく。


 まるで、昨日の続きを静かに確認しているかのようだった。


「……いい感じじゃん、ふたりして」


 気の抜けた声が、場の空気を壊すように響いた。


 砂煙をまといながら現れたのは、寝癖の名残を見事に跳ね上げたリオンだった。寝巻きの裾を中途半端に直しながら、半分あくび混じりの顔をしている。


「仲間外れかと思って拗ねて帰ろうかと思ったよ……」

「寝坊したくせに被害者っぽくいうの?」


 アルフが呆れ顔で返すと、リオンはむぅっと頬を膨らませる。


「昨日の疲れがまだ残ってただけだって……ってかアルフ、それより早朝から汗と埃が半端ないよ...」


「リオンの寝癖のほうが魔力乱してそうだけど?」


「失礼な。これは自然魔力との共鳴現象だよ。……多分」


 そのやり取りに、エリンの肩がわずかに揺れた。笑ったのかもしれない。が、誰も確かめようとはしなかった。


 静かな朝に、三人の声と足音が広がっていく。


 今日も、三人でひとつの依頼を受ける。それが、もう“当たり前”のようになってきていた──


 * * *


 ギルドの掲示板に並ぶ依頼票の中で、一枚の札がひらりと揺れた。リオンがそれを抜き取って読み上げる。


『農場被害・牙猪ハーヴェスト・ボアの討伐:場所は南東のロンド農場』


 リオンが札をひらひらと掲げながら、小さくうなった。

「報酬、ひとり110G……だってさ。うーん、朝から猪って、朝食に出てきてほしいくらいだよね」


「牙猪って、あの突進してくるやつだよね?」アルフが隣で確認する。依頼票を覗き込むと、簡潔な説明文が添えられていた。


 ──近隣の畑にて、中型魔獣ハーヴェスト・ボアの目撃情報多数。被害拡大中につき早急な対応を希望──


「猪くらいなら、僕の魔法でひと捻りのはず?」

 リオンが少しだけ得意げに胸を張ると、後ろから静かな声が降ってきた。


「……突進、受けきれるの?」

 エリンが無表情でそう呟く。手にはすでに弓が握られていた。


「うっ……いや、だから止めるっていうか、その……足場を滑らせて……あれ?」

 リオンの言葉がだんだんしぼんでいく。


「油断すると即死だよ」アルフが苦笑まじりに言う。「特にリオン、魔法の詠唱中に狙われたら危ない」


 リオンはむくれたように唇を尖らせる。「なんか最近、二人とも僕に厳しくない?」


「……寝癖のことは忘れてあげる」エリンがぽつりと返し、リオンがぎくりと肩をすくめた。


 そんな軽口を交わしながら、三人は依頼受付へと向かう。カウンターに立つミーナが、彼らの顔を見るなり、どこか安心したように頷いた。


「農場の方々、だいぶ困ってるようです。報酬の交渉も頑張ってみたんですが……」


「これだけ出れば十分です」アルフが即答する。


「お引き受けありがとうございます。それでは、お気をつけて」

 ミーナの見送りを受けて、三人はギルドを後にした。


 * * *


 ロンド農場へ向かう道すがら、草の匂いが風に乗って流れてくる。朝の陽射しがまばらな木々の隙間から差し込んで、まだ涼しい土の上に三人の影を落としていた。


「しかし、牙猪ってどんな動きするの?」リオンが問いかける。


「走り始めたら一直線。視界が狭くて止まれないらしい」アルフが答える。「でも、泥の多い場所では足を取られやすいって、以前誰かが言ってたな……」


「……泥?」エリンが歩きながら反応する。「硬化魔法で、足場を限定できるかも」


「え、僕?」

 リオンが眉を上げる。「なるほど、それなら猪の突進を誘導して──」


「エリンが正面を射て、僕が側面を崩す」

 アルフが地面に棒で簡単な陣形図を描いてみせる。三人の立ち位置を示した円が、風で少し崩れていく。


「……完璧じゃなくても、合わせてみよう」

 エリンがそれを見て、静かに言った。


 道はゆるやかな傾斜を抜け、先には小さく煙の上がる農場が見え始めていた。


 * * *


 畑は、荒れていた。

 壊れた柵の向こう、無残に踏み荒らされた畝に、まだ掘り返された野菜が泥まみれで転がっている。


「……ひどいね」

 アルフが眉をしかめ、畑を見渡す。


「作物っていうより、地面が怒ってる感じだね……」

 リオンが干し草の山に足を取られながら言う。


「……何周も暴れた跡がある」

 エリンが矢筒に手を添えながら低く呟いた。


 鋭い蹄の跡が縦横無尽に刻まれ、地面はまるで耕されたかのようだった。


「いた……!」


 リオンの指差す先で、黒く艶めく巨体が動いた。牙猪──全長二メートルを超える異形の猪が、鼻を鳴らしながら畝を掘り返している。


「ブモォォオッ!!」


 突如、牙猪が三人に気づき、咆哮とともに泥を蹴り上げた。目を見開いたまま、真っ直ぐ突っ込んでくる。


「来たっ……!」


 アルフが叫び、咄嗟に前へと出る。槍を構えて踏み込み、間合いを見極めようとした──が、想像以上の加速。


「っ……!」


 重みと勢いに押され、アルフは干し草の山へと派手に吹き飛ばされた。


「アルフ!?」


 リオンが反射的に詠唱を始めたが──


「っつ、待って……! まだ言葉が──うわぁ!?」


 言葉が乱れて魔力が暴発した。足元の泥が爆ぜる。水飛沫が弧を描き、ちょうど立ち上がろうとしていたアルフに、泥水のシャワーが降り注いだ。


「うわっ……冷たっ!」


「ご、ごめん!」


 慌てるリオンの背後で、もう一つの音がした。


「ヒュッ──!」


 風を裂く鋭い音。矢が牙猪の前足すれすれに突き刺さり、巨体がわずかに進路を外す。エリンが、すでに距離を取っていた。


「……集中して」


 短く、冷静な声。それだけで空気が締まる。


 アルフは干し草から転がるように抜け出し、泥を振り払いながら立ち上がった。


「よし、やるぞ──!」


 牙猪が再び向きを変え、頭を下げて突進の構えを見せる。土煙が巻き上がり、地響きが足元を叩く。


「リオン、足場、頼む!」

「わかった!」


 リオンが両手を突き出す。呪文のリズムが整い、地面の泥が一部だけぎゅっと締まり、滑らなくなる。


「左に誘導する、エリン!」


 アルフが泥の中を駆け、牙猪の側面へと回り込む。突進を逸らすように槍の柄で頭部を殴りつけた。


「ブモォッ!!」


 牙猪が怒りの唸り声を上げて暴れる。が、その足元はすでに固められており、踏み出しが鈍る。


 そこに──


「……今」


 エリンの矢が放たれる。一直線に飛んだそれは、牙猪の肩口に深々と突き刺さった。


「倒れてくれ!」


 アルフが反動をつけて、槍を低く突き上げる。泥に沈んだ牙猪の脚を狙い、力強く貫いた。


「ブォ……モ……!」


 牙猪が、最後の呻きを漏らして崩れ落ちる。


 泥が跳ね、土煙が風に流れていく。静寂が、ようやく訪れた。


「……」


 三人、全員が泥まみれのまま、肩で息をつく。


 リオンが、ようやく口を開いた。


「……なんかもう、泥と疲労感で魔法のこと忘れそう」


「それは困る」アルフが苦笑しながら答える。


「……怪我、誰もなくて良かった」


 エリンが、矢を収めながらぼそりと呟いた。その声には、わずかな安堵がにじんでいた。


 三人の視線が、静かに交差した。言葉はなくても──次の一歩に向けて、何かが確かに重なっていた。


 * * *


「……ふぅ。ほんと、よく倒れたね、あれ」


 リオンが肩を回しながら、足元の泥を気にするように見下ろした。


 牙猪の巨体は、すでに動かない。その傍ら、三人は泥まみれになりながらも、どこか達成感をにじませていた。


「アルフは泥浴びが本当に好きだね……?」


 リオンの冗談に、アルフは肩をすくめた。


「そう言うと思ったよ」


 その顔も、鎧も、まさに泥の芸術品だった。


「……干し草。新しい装飾?」


 エリンが袖の端で自分の額をぬぐいながら、ちらとアルフに視線を投げる。


「たしかにこれでギルドに戻るのは気が引けるね...」


 アルフが苦笑するのと、リオンがくくっと笑うのは、ほぼ同時だった。


 そのやり取りを聞いてか、近づいてきた農場主の初老の男性が、目を丸くしながら言った。


「お、おお……見事なもんだ。あんたら、いいチームだな。柵は壊れちまったが、これで安心できる。ありがとな!」


「よかったです。報酬分の仕事はできたかなっと」


 アルフが丁寧に頭を下げると、農場主は照れたように笑い、干し肉の詰め合わせを手渡してきた。


「ついでだ、裏の井戸でその泥流してけ! その姿じゃ恥ずかしいだろ」


「……ありがたいです」


 苦笑を浮かべながら、三人はそれぞれ井戸へと向かった。


 * * *


 ギルドのカウンターに戻った頃には、日がすっかり昇っていた。


 アルフは報告書を提出し、ミーナの前で姿勢を正す。リオンは背後で、まだ袖の泥を落とすのに夢中だ。


「お疲れ様です、農場からも連絡が来てます。やっと一息つける、と言ってましたよ」


 ミーナの声は明るかったが、すぐにその表情が引き締まる。


「それと、もう一件。王国の駐屯騎士団から、正式な依頼が入りました。前回の盗賊の件について──討伐部隊が編成され、あなたたち三名に“案内役”としての協力要請が来ています」


「案内……」


 アルフが小さく繰り返した瞬間、カウンター周辺の空気がわずかに変わった。


「正確には、“現地の地理に詳しい冒険者”としての随行。希望者ではなく、指名です」


「……なるほど。だから、僕たちに」


 リオンが隣でぽつりと呟く。エリンは無言のまま、視線だけでミーナを見据えていた。


 ミーナは深く頷き、続ける。


「出発は、二日後。詳細は明日、改めて通達される予定です。……それまで、できるだけ休息を取ってください」


「はい」


 静かに答えながら、アルフは仲間の方へと目を向ける。


 戦いが、また一段階、変わろうとしていた。


 駐屯騎士団──つい最近まで通っていたのに、とても懐かしく感じる。


 “依頼”から、“戦場”へ──でも、ひとりじゃない。


 泥の匂いがまだ残るその背中に、次の緊張が音もなく追いつこうとしていた。




【第42話 成長記録】

筋力:11(熟練度:76 → 79)【+3】

→ 自己鍛錬および依頼での戦闘により増。

敏捷:11(熟練度:58 → 60)【+2】

→ 自己鍛錬および戦闘における経験で反応力向上。

知力:11(熟練度:22 → 24)【+2】

→ 戦術設計(側面誘導・足場連動)を現地で即応して実践。

感覚:14(熟練度:88 → 92)【+3】

→エリンとの鍛錬、 突進予測と陣形管理、周囲感知で増。

精神:13(熟練度:59 → 62)【+3】

→ 想定外の被弾後も冷静に指示を出し、仲間との協調を維持。

持久力:16(熟練度:46 → 50)【+4】

→ 自己鍛錬および泥中での連続戦闘の経験で向上。


【収支報告】

所持金:1,735G

内訳:

・前回終了時点:1,647G

・依頼報酬(牙猪討伐):+110G

・朝食:−4G

・夕食(ノネズミ亭):−8G

・宿泊費:−10G


【アイテム取得/消費】

取得:干し肉(農場主より提供)

消費:なし


【装備・スキル変化】

武器: スレイルスピア

防具: 軽革製防具

スキル:《間合制御》

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