第36話「慎重に、未熟な足で踏み締めて」
朝焼けが石畳をほのかに染める頃、グラウエルの通りはまだ静けさを保っていた。
アルフは肩に軽く包みを担ぎ、皮装備の胸元を無意識に整えながら、ギルド裏手の訓練場へと向かっていた。
まだ誰の気配もない早朝の路地。だが、いつもの角を曲がった先、果物を並べた小さな屋台が目に入る。
「……あれ、もう開いてるんだ」
木箱に並べられたリンゴと梨。肩にショールを羽織った老婆が、丁寧に布で実を磨いていた。
気づいた老婆が顔を上げ、アルフの姿を見とめるなり、にやりと笑った。
「ほう、あんた。最近すっかり見かけんと思ったら──」
目を細めながら、彼の服装をじろりと眺める。
「その装備、よう似合ってるけど……こんな爽やかな朝に顔が固いねぇ。鉄でも噛んで出てきたのかい?」
アルフは思わず立ち止まり、苦笑いを浮かべた。
「いえ……ただ、ちょっと寝起きの顔が抜けきらなくて」
「まったく、若いのに勿体ないねぇ。似合ってるのに、心が晴れてないと装備も泣くよ? ……今日のあんたが向かうのは訓練場か、それとも心の裏通りかね」
言葉の軽さにまぎれて、どこか本質を突く老婆の調子に、アルフは一瞬言葉を失う。
だがそのまま、気まずさをごまかすように屋台に近づいた。
「……じゃあ、いつもの、ひとつください。リンゴで」
「まいどあり。今朝のは陽があたってて甘いよ。……ほら、あんたの顔にも光を入れてやんな」
茶目っ気のある笑顔とともに差し出された赤い実を受け取り、アルフは礼を言って歩き出す。
歩きながらリンゴをひとつかじると、酸味と甘味が口に広がった。
──新しい朝が、古い痛みの上に降っていた。
* * *
ギルド裏手の訓練場には、まだ誰の姿もなかった。
アルフはいつもの一角に立ち、静かにスレイルスピアを握る。
革装備の感触はまだ少し硬い。動けば馴染む、と思っていたが、わずかな引っかかりが気になる。
構えを取り、呼吸を整え、間合いを測るように足を動かす。
突き。引き。回避。構え直し──
昨日の村でのことが、繰り返し脳裏に浮かぶ。
魔獣の角に吹き飛ばされた男の姿。
うずくまる村人たちの表情。
応急処置の最中、喉が詰まって何も言えなかった自分。
(……あのとき、僕がもう少し早く動けていたら──)
苦く、鋭く、胸を刺す記憶。
(また誰かを傷つけたら──その瞬間が、いちばん怖い)
再び構えを取り直し、今度は重心を意識して突きを繰り出す。
汗がにじみ、肩に革がすれる。
──と、その瞬間。
ふと、背後にぞわりとした違和感が走った。
振り返っても、誰もいない。周囲に気配も見当たらない。
(……気のせい、か?)
だが確かに、何かに“見られていた”ような感覚だけが、肌の上に残っていた。
そして──視線を逸らした瞬間、空気がふっと緩んだ。
空はすでに薄く明るくなり始めている。
アルフは汗を拭い、呼吸を整えると、再び槍を構えた。
足の運びは、まだ少し固い。
だが──それでも、前へ。
* * *
訓練を終え、汗を拭ったアルフがギルドの正面玄関へと回り込んだとき、見慣れた人影が壁にもたれかかっているのが目に入った。
「おはよう、アルフ。今日は早かったね」
リオンだった。薄い灰色のローブを羽織り、いつもの気だるげな口調とは裏腹に、目だけはどこか楽しげに輝いていた。
「訓練の帰り? よかった、間に合った」
「おはよう、リオン。何か用……って顔だな」
「うん、また一緒に依頼でも行こうかなって。ちょうどアルフも空いてそうだったし」
リオンは軽く笑いながら言った。アルフも自然と口元を緩める。
「……そうだな。タイミングも悪くない。何か面白そうなの、あるかな」
ふたりは肩を並べて、ギルド内部の掲示板へと歩を進める。朝の早い時間帯ということもあり、依頼票の前はまだ人が少なかった。
「これは?」
リオンが一枚の依頼票を指差す。
《依頼内容:薬草採取者の護衛》 《依頼主:セルダム薬師ギルド》 《依頼地:町外れの北林区域》 《報酬:250G》
「護衛系のEランク依頼か。日帰りで終わりそうだし、悪くないな」
「薬草……またルーシェさんが担当だったりして」
リオンがぼそりとつぶやいたのに、アルフは苦笑する。
「その可能性もあるな。……受付に持っていこう」
依頼票を手にしてカウンターへ向かうと、受付にはミーナが立っていた。
ふたりに気づいた彼女は、ほんのり笑みを浮かべて迎える。
「おはようございます、アルフさん、リオンさん。今日はおふたりで依頼ですね?」
「はい。これ、受けたいと思って」
アルフが依頼票を差し出すと、ミーナは確認しながらペンを取り出す。
「薬師ギルドからの依頼ですね。護衛対象は採取担当の若手薬師です。ルートも安全ですが、一部獣道に近いところがあるのでご注意ください」
「了解しました」
ミーナが何かを思い起こしたように少し眉を上げた。
「そういえば……昨日、エリンさんにアルフさんのことで声をかけられましたよ。今朝なら訓練場にいるかも、とお伝えしておいたんですけど」
アルフは一瞬だけ視線を落としたあと、そっと首を振った。
「今朝は……見かけなかったな」
何気ないやりとりの中に、どこか魚の小骨のように引っかかるものがあった。 だが、それを口にすることはなかった。
「受注手続きは完了です。薬師ギルドで担当者と合流してくださいね」
ミーナの言葉に、ふたりは礼を言ってギルドをあとにした。
その背中に、ほんの少しだけ、さっきの“違和感”が揺らめいていた。
* * *
薬師ギルドの建物は、ギルド本部から少し離れた通りにある。薬草や乾いた土の匂いが漂い、木の看板には草を束ねた意匠が描かれている。
アルフとリオンが入口の扉を押すと、鈴の音とともに内部の空気が流れ込んできた。
「受付、あっちかな」
リオンがあたりを見回しながら言ったそのとき、足音も軽やかに一人の少女が廊下を横切る。
「……アルフさん!」
三つ編みに眼鏡の少女──ルーシェ・フェンデルだった。
「リオンさんも、こんにちは。本日は依頼でこちらに? ……もしかして、薬学の勉強にいらしたんですか?」
「いや、今日は依頼の方で。たまたま」
「そうですか。担当は私ではないのですが──あ、そうだ。少しだけお待ちいただけますか」
ルーシェはそう言って、手に持っていた帳簿と資料束をまとめて小走りに奥へと消えていく。その背中はどこか、わずかに弾んで見えた。
アルフとリオンが受付近くのベンチに腰を下ろして数分。再び姿を現したルーシェは、今度は手に小ぶりな革張りのノートを抱えていた。
「お待たせしました……リオンさん、約束の品です」
「……え?」
ぽかんとするリオンの手に、ルーシェはそのノートをそっと押し付けた。
「薬草の識別法や応用例を、なるべく簡潔にまとめたものです。あのとき言ったでしょう? “今度お渡しします”と」
「あ、うん……確かに言われたような……」
リオンが困惑したままノートを受け取る横で、アルフがそっと目を細めた。
「中身のご感想、また後日で構いません。強制ではありませんが、読んでくださいね」
ルーシェは丁寧に頭を下げ、再び帳簿の束を抱えて踵を返す。
「それでは、私はこれで。……本日の採取任務、湿度と足元に注意して、どうか安全に」
彼女が去ったあとの静けさの中、ノートを手にしたままのリオンがぽつりと呟いた。
「……感想って……ほぼ強制じゃん」
言葉を失った様子のリオンに、アルフは肩をすくめて笑う。
「頑張れ。期待されてるみたいでうらやましい。」
「思ってないだろ。なんで僕なんだ……」
そうぼやくリオンだったが、ノートはしっかりと鞄の中へしまわれていた。
ほどなくして、依頼の担当者と思しき中年の薬師が現れ、ふたりに軽く会釈をする。
「お待たせしました。準備ができましたので、採取地へ向かいましょう。よろしくお願いします」
アルフとリオンも立ち上がり、それぞれ装備を確認しながら後を追う。
静かなやり取りと、わずかな余韻を残して、三人は薬師ギルドをあとにした。
* * *
北林の入り口は、町から小一時間ほど歩いた先にあった。薬師ギルドの担当者は年配の男性で、淡々と進行を確認した後は必要以上の会話を交わさず、黙々と足を進めていた。
採取場所までは特に危険もなく、道中は穏やかだった。
しかし、アルフはどこか落ち着かない気配をまとっていた。
リオンはそんな様子に気づき、足元の草を避けながらちらりと声をかけた。
「……うん? なんか今日、やけに慎重というか……大丈夫?」
「うん、大丈夫。念のため、ね」
アルフは短く答えたが、その表情はどこか硬いままだった。
その後、周囲に目立った魔獣の気配こそなかったが、アルフは獣道に差し掛かるたびに前へ出て、少し過剰なほど周囲を確認していた。
リオンは特に止めなかった。ただ、その背中を見ながら思う。
(あれは──なにかを、引きずってるんだな)
声には出さなかった。出せなかった。けれど、その“過剰な慎重さ”がどこから来ているのか、リオンなりに察していた。
採取は順調に終わった。薬師も「必要量は確保できました」と静かに頷き、三人は町への帰路についた。
夕方の風が草の間を通り抜け、道の端に生える白い花をわずかに揺らす。
「……なあ、アルフ」
沈黙のなか、リオンがぽつりと口を開いた。
「もしかしてさ──アルフも、ルーシェさんの本、借りたかった?」
「……え?」
一瞬、何を言っているのか分からなかった。
けれど、すぐにリオンが何気なくそう思ったことを察して、アルフは肩の力を抜いて笑った。
「いや……違うよ。さすがに、あの熱量にはついていけない」
「そっか。じゃあ、ちょっと安心」
「安心……?」
「うん。……今日さ、なんとなく元気なかったし。あれかなって思って」
リオンの言葉は、冗談に見せかけていた。
でも、目は真面目だった。
アルフは小さく息を吐いて、視線を空へ向けた。
「昨日の村で、魔獣の角を防げなかった男の人がいてさ。……目の前で倒れて。応急処置はできたけど、あれは──俺が遅れたせいだったかもしれない」
リオンは黙って聞いていた。
「今日も、気づいたら何度も周囲を見てた。……たぶん、また同じことが起きるんじゃないかって思ってたんだ」
「……そっか」
しばらく沈黙が落ちる。
草を踏む音と、風の音だけが静かに流れていく。
「でもさ」
リオンが口を開いた。
「未熟なのは、みんな同じだと思うよ。僕なんて、あのノート読みきれるかどうかも怪しいし」
「……それは別の話な気もするけど」
「いいから聞いて。僕もまだまだ足りてないし、情けないことも多いけど──こうして誰かと一緒に動いて、失敗して、少しずつ進めるなら、悪くないなって思ってる」
リオンの言葉は、軽く笑うように紡がれた。
けれど、その奥にはちゃんとした“芯”があった。
アルフもまた、それを感じ取っていた。
「……そうだな。たぶん、悩んでる時間があるなら、前に進まないといけないんだろうな」
「うん。ま、慎重なのは悪くないけどね。でも──全部自分で抱えようとしたら、身がもたないよ」
「……気をつけるよ」
並んで歩くふたりの間に、ふっと風が吹いた。
その音は、どこか軽やかだった。
町の屋根が見えてくる。
明かりが灯り始めた街の入口に向かって、アルフとリオンはゆっくりと歩を進めた。
※ご愛読ありがとうございます!皆様のコメントおまちしております。
【第36話 成長記録】
筋力:11(熟練度:59 → 62)(+3)
→ 訓練における基本動作の反復、および防具着用状態での移動継続により、わずかながら負荷を積み重ねた。
敏捷:11(熟練度:45 → 47)(+2)
→ 防具に不慣れな状態での動作修正や慎重な間合い調整、獣道での警戒行動によって機動制御力が向上。
知力:11(熟練度:10 → 12)(+2)
→ 前日の戦闘経験を踏まえた判断の慎重さ、危機回避のための予測・観察行動により、思考の深みが増した。
感覚:14(熟練度:70 → 73)(+3)
→ 視線や気配への反応、周囲の空気や違和感の察知力、潜在的な“視られている感覚”への反応力の研ぎ澄ましが顕著。
精神:13(熟練度:33 → 39)(+6)
→ 前日の出来事を抱えながら慎重に行動する内省的な姿勢と、それに伴う自己調整・克服努力が精神耐性として強化。
持久力:16(熟練度:26 → 30)(+4)
→ 朝の訓練と日中の護衛依頼を通じて、一日を通した中負荷行動が継続し、持続力が向上。
【収支報告】
現在所持金:1,083G
内訳:
・前回終了時点:986G
・依頼報酬(薬草採取者の護衛):+120G
・朝食(リンゴ屋台):−2G
・朝食(ギルド食堂):−3G
・夕食(ノネズミ亭):−8G
・宿泊費:−10G
【アイテム取得/消費】
取得: なし
消費: なし
【装備・スキル変化】
武器: スレイルスピア
防具: 軽革製防具
スキル:《間合制御》




