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第35話「苦悩だけでは破れぬ殻」

 朝のギルドは、まだ活気づく手前の静けさを纏っていた。

 早出の冒険者たちがぽつぽつと集まりはじめ、掲示板の前では数人が依頼票を吟味している。


 アルフは、そんな朝のざわめきの中に溶け込むようにして、いつものように掲示板の前に立った。


 その中で、一枚の依頼票がふと目に留まった。


 《依頼者:ネル村/畑を荒らす魔獣の駆除》


 報酬は120G。条件は「単独での対応可」──文字だけ見れば、ごくありふれた低報酬の依頼だった。


「……まだ、誰も受けてないのか」


 アルフは依頼票の端を指先でなぞる。

 ざらついた羊皮紙の感触が、なぜか妙に生々しく思えた。


 ふと、受付のミーナに視線を向けると、彼女はこちらに気づきはしたものの、微笑むこともなく淡々と答えた。


「それ、昨日から貼られてますけど……誰も受けてませんね。まあ、当然といえば当然かと」

「危険度は?」

「報告内容を見る限りでは、小型〜中型の魔獣が夜に畑を荒らす程度。人命に関わる被害は出ていません。でも……報酬が低すぎて、誰も動かないみたいです」


 ミーナの声は乾いていた。依頼そのものに対する興味も、期待も薄い──ただの“情報”として処理している、それだけの口調だった。


 アルフは小さく息を吸い、数秒だけ考えてから呟いた。


「……訓練も兼ねて、自分が行きます」


「えっ、ひとりで?」


「はい。リオンは今日別件の任務に出てるし、エリンも……来ていないみたいですし。それに、報酬がこれじゃ……誰かと組んでも揉めるだけですし」


 ミーナは書類棚から必要な伝票を取り出しながら、ぽつりと呟いた。


「まあ……そう言ってくれる人が、ひとりでもいてくれて助かります」


 アルフは軽く頷いた。


「じゃあ、手続きしますね。ネル村は東の街道を抜けて、馬車で半日ほどの距離です。今朝出れば、夕方には着くと思います」


 受理の印を押した依頼票が、カウンターに戻された。

 それを手に取った瞬間、アルフの脳裏にふと浮かんだのは、ザイランの声だった。


『判断は速くていい。ただし、動くなら最後までやりきれ』


 その声が脳裏に響いた瞬間、アルフはふっと口元を引き締めた。

 あの朝の訓練場の冷気が、どこか懐かしく思える。


 ひとりでの出発に、特別な感慨はなかった。

 ただ、少しだけ背筋を伸ばし、アルフは掲示板を後にした。


 * * *


 ネル村に到着したのは、陽が傾き始めた頃だった。

 街道沿いの小さな分岐を抜けた先、田畑に囲まれた静かな集落。

 秋の風に揺れる作物の匂いが鼻をかすめる。


 村の入り口に立つと、簡素な柵の影から一人の老人が顔を出した。


「……あんたが、ギルドから来た?」


「はい。アルフ・ブライトンといいます。畑の件で伺いました」


 老人は深くうなずき、背後に向かって手を振った。

 数人の男たちが現れ、鍬や鎌を手にしている。


「よく来てくれた。正直、もう誰も来てくれんかと思ってた」


「そんなにひどい被害なんですか?」


「直接人が襲われたわけじゃないが……夜になると、畑を荒らす獣が来るんだ。朝には畝が掘り返されて、作物も踏み荒らされてな」


 一人の若い村人が、不満げに声を上げる。


「今月だけで三度目です。次やられたら、冬を越せるかどうか……」


 アルフは黙って頷き、村人たちと共に畑の周囲を見て回った。

 踏み荒らされた跡は新しく、土に混じって獣毛がわずかに落ちている。


「毛の質からして、ウワバリネズミですね。泥と枯葉をまとったような体毛で、夜目に紛れやすい。中型で、集団で動く傾向がある魔獣です。数で押してくるぶん、囲まれると厄介です」


「そいつが群れて来てるのか……!」


 年配の男がうめいた。


「どう対応する?」


 村人の問いに、アルフは少し考えてから答えた。


「……罠を使って、できるだけ通り道を限定して誘導できれば理想ですが、僕も詳しいわけじゃありません。皆さんが使っている方法があれば、それを教えてもらえますか?」


 村人たちは顔を見合わせた後、何人かが頷いた。

「なら、昔やった“音鳴らし”と“引き縄”を試してみるか」

「こっちの溝沿いは通りやすい。誘導板を立てればいけるかもな」

「音鳴らしは、竹筒を吊るして風で鳴らすやつだな。狐避けによく使ってた」

「引き縄は足に絡めば驚いて逃げる。進路を分断できれば、それだけでも十分だ」


 アルフはそのやりとりに耳を傾けながら、補助役として動いた。

 竹を割る手を貸し、麻縄の結び方を教わりながら、地形の配置を確認していく。


 ただ作業をしながらも、胸の奥では小さなざわめきが消えていなかった。

(……準備はしている。でも、本当にこれで足りるのか?)

 何も言わずとも、自分に問う声だけが静かに鳴っていた。


 準備の合間、少し離れた場所で若者二人が言い合っている声が聞こえた。


「……なあ、本当にこれでいいのかよ? あんな若い冒険者たった1人で」

「他に来なかったんだ。仕方ないだろ」

「だけど、怪我人が出たらどうするんだよ……!」


 アルフは声をかけずに、そのまま黙々と作業を続けた。

 村人たちの不安は理解できたし、責任の重さも感じていた。


 夜が迫る。

 空は鈍い藍色に染まり、畑の周囲に沈黙が落ちる。

 村人たちは納屋や柵の影に身を潜め、アルフは槍を手に、見張り台代わりの木箱の上に立っていた。


 風が止み、虫の声も遠のく。

 緊張が、肌をひりつかせるようだった。


 * * *


 静寂を破ったのは、風のない夜に似つかわしくない、わずかな草の擦れる音だった。


 アルフの耳が、無意識にその異変を拾う。

 すぐさま視線を巡らせる。畑の外れ、溝沿いの影がわずかに揺れた。


 ──来た。


 アルフは槍を構え、ゆっくりと木箱から地面へ降りた。地を蹴る音を極力殺しながら、茂みの手前に身を寄せる。


 ぬ、と現れたのは、泥と枯葉にまみれた灰茶色の塊。

 体長は大型犬ほど。丸まった背に太い前足。鼻先をひくつかせながら、足元を警戒するように歩を進める──ウワバリネズミ。


 その背後から、さらに二体、三体。

 狭い畑道をぞろりと這い出すように、次々と姿を現していく。


 息を呑んだ。


 予想より数が多い。

 十……いや、十五体以上。


 アルフは見張り台の影に身を戻すと、小声で笛を吹いた。村人との打ち合わせで決めていた合図だ。


 次の瞬間──

 ガシャリ、と仕掛けた竹の音鳴らしが一斉に作動した。

 不意の音に驚いた魔獣たちがざわめき、数体が足を止める。

 そこを狙いすましたように、溝沿いに張られた引き縄が複数の個体の足に絡まり、進路が分断される。


 よし、とアルフが一歩踏み出した、そのとき。


「うわっ──!」


 遠く、柵の方角から若者の叫びが響いた。

 縄の位置に足を取られたのか、見張り役の村人がバランスを崩して立ち位置を外した瞬間だった。

 その場にいた魔獣の一体が、声の方向へと振り返ると、迷わず突進した。


 アルフは咄嗟に走り出した。


 距離はあった。間に合わないかもしれない。けれど、迷いはなかった。


 草を踏み分け、槍を前に構え──


 間一髪。


 魔獣の側面を槍の柄で強く打つ。

 重い衝撃が腕を通じて返ってきた。


 ネズミの体が弾かれ、わずかに軌道を逸れる。その先にいた若者が、転倒しながらも間一髪で難を逃れる。


 ふと、地面に伏せた若者がこちらを振り返った。

 恐怖に見開かれたその目が、一瞬だけ、アルフと交錯する。


「逃げて!」


 叫びと同時に、アルフは再び構えを取り直した。


 しかし、斜面の影からもう一体が現れる。

 対応が遅れた。


 次の瞬間、肉が裂けるような鈍い音とともに、若者の悲鳴が夜に響き渡った。


 ──防げなかった。


 アルフは一瞬、息が詰まった。

 だが、崩れる暇はなかった。

 魔獣たちはまだ周囲に残っている。


 振り返ると、他の村人たちも立ち上がり、農具を構えて応戦の構えを取っている。


 アルフは歯を食いしばり、再び駆け出した。


 ──まだ、終わっていない。


 * * *


 戦いが終わったのは、夜が完全に明ける少し前だった。

 まだ薄暗い空の下、焦げた草の匂いと魔獣の血のにおいが、湿った土に染み込んでいた。


 村人たちは無言で後片付けに追われていた。

 罠の残骸を外し、崩れた柵を直し、傷ついた仲間を支え合う。

 誰も声を荒げることなく、ただ静かに、確かに動いていた。


 アルフは村の広場の片隅に腰を下ろし、静かに呼吸を整えていた。

 スレイルスピアの柄には、乾いた血と泥がこびりついている。

 その手触りを確かめるように、彼はしばらく黙って握り続けていた。


 少しして、村長が近づいてくる。


「……改めて、ありがとう。おかげで、村は守られた」


 その言葉に、アルフは小さく頷いた。


「すみません……ひとり、怪我を負わせてしまいました。完全な結果じゃなかった」


 村長はそれを遮るように首を振った。


「命を落とさなかっただけで、十分だ。あれだけの数を、一人で相手にしてくれた。それだけで、十分すぎるよ」


 言葉は優しかったが、アルフの胸に刺さった痛みは消えなかった。


 視線の先では、包帯を巻かれた若者が、仲間に支えられて腰を下ろしていた。

 腕は吊られていたが、表情に怒りや後悔はなかった。ただ、少し照れたような笑みを浮かべて、仲間の肩にもたれていた。


 その隣で、もう一人の村人がぽつりと呟いた。

「……よかった。生きてて、本当によかった」


 それでも、アルフにはわかっていた。  ──あれから彼と一度も目が合わなかったことをこちらを。

 目が合わなかった──じゃない。合わせようとしなかった。

 自分が。彼が。あるいは──どちらも。

 それが「感謝」か「怒り」かは、アルフにも、まだ分からなかった。


 * * *


 昼過ぎ、アルフはギルドに戻った。


 受付で報告を終えると、ミーナが手元の帳簿から顔を上げる。


「……報酬は120G。受け取りました、でいいですね?」


「はい。怪我人がひとり。命は無事でした」


「そうですか……お疲れさまでした」


 受領印を押す手を止めずにミーナは答えたが、彼女のまつ毛が一瞬だけ伏せられたのを、アルフは見逃さなかった。


「どうして、受けたんですか? あの依頼」


 問いは唐突だったが、責める口調ではなかった。


 アルフは答えを探すように、一瞬だけ天井を仰いだ。


「……訓練になると思ったんです。いまの自分にとって、ちょうどいいって」


「で、実際は?」


「……ちょっと、痛かったです」


 ミーナは、わずかに笑った。


「それなら、ちゃんと訓練になったんですね」


 彼女の手から渡された報酬袋は、重かった。


 * * *


 昼下がりのノネズミ亭は、まだ客足もまばらで、外の陽射しがゆるやかにカウンター越しに差し込んでいた。


 アルフはカウンター席に腰を下ろすと、椅子の背に重みを預け、深く息を吐いた。

 目の下にはうっすらと隈が浮かび、瞼は重く、まばたきのたびに意識が落ちかける。


 ザックが帳簿をめくる手を止め、ちらと視線を寄こした。


「……またひどい顔してるな。寝てねぇのか?」


「ええ、昨夜は……そのままで」


 声まで掠れていた。アルフはグラスの水に口をつけたが、喉を通る感覚さえ鈍く思える。


「群れが出て、ひとり怪我を。命は助かりました」


 ザックはしばらく無言で、グラスの底を見つめていたが、やがてぽつりと呟いた。


「──なら、いい」


 アルフは反応せず、ただ目を閉じた。


「生きてりゃ、痛みも思い出も抱えられる。……抱えたまま、次に進める」


 ザックは酒瓶を手に取り、片方のグラスへゆっくりと注ぎ足した。


「当たり前だ。うちが似合ってるうちはまだヒヨコだ。──まぁ、精進するしかないな」


 その言葉に、アルフは微かに笑った──それが限界だった。


 グラスに手を伸ばそうとしたが、指先に力が入らない。視界の端がゆらぎ、足元から静かに世界が傾いていく。ほんの一拍遅れて、深く机に突っ伏す。


「……少しだけ、休ませてください」


「……好きに倒れてろ」


 ザックはそう言って帳簿を閉じ、奥の棚から薄い毛布を取り出して静かにかけた。


 ノネズミ亭の灯は、陽が落ちかけた窓辺で、ほのかに揺れていた。




※ご愛読ありがとうございます!皆様のコメントおまちしております。



【第35話 成長記録】

筋力:11(熟練度:55 → 59)(+4)

 → 長距離移動・魔獣との直接交戦・連戦による槍撃動作の連続負荷が発生。

敏捷:11(熟練度:42 → 45)(+3)

 → 突進対応や追撃回避、地形を活かした動きによる即時反応力の向上。

知力:11(熟練度:7 → 10)(+3)

 → 村人との連携構築、誘導策・罠の運用判断力が総合的に成長。

感覚:14(熟練度:66 → 70)(+4)

 → 足音・影の察知、魔獣の接近察知、戦況把握による感知能力の発揮。

精神:13(熟練度:27 → 33)(+6)

 → 孤独な対応・怪我人の発生・結果を受け止める覚悟により内面的強化が顕著。

持久力:16(熟練度:20 → 26)(+6)

 → 準備段階から夜戦・連続戦闘・帰還まで一貫して身体的負荷が高かった。


【収支報告】

現在所持金: 986G

内訳:

・前回終了時点:888G

・依頼報酬(ネル村・畑荒らし魔獣駆除):+120G

・朝食(ギルド食堂):−4G

・夕食(ノネズミ亭):−8G

・宿泊費:−10G


【アイテム取得/消費】

取得:なし

消費:なし


【装備・スキル変化】

武器:スレイルスピア

防具:軽革製防具

スキル:《間合制御》

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― 新着の感想 ―
ここまで読んで、カクヨムでも確認してみて気になった事が一つ。 コメント確認しても指摘している方がいなかったので。 毎話最後に熟練度が書かれていますが、ステータスオープンしてる様ではないですが、何のため…
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