第32話「鋼の鴉とヒヨコ」
昨日買った防具は、まだ身体に馴染んでいないけど、革の擦れる音も悪くない。 重さにも少しずつ慣れてきたし、何より──見た目がちょっとだけ、冒険者っぽい。
そんなことを思いながら、僕は今日もいつものように、ギルドの扉を押した。
扉をくぐった瞬間、聞き慣れない緊張を帯びた声が耳に届いた。
「……今回は、信頼していただけると助かります」
ミーナさんの声だった。
普段の穏やかな受付口調とは違う。聞いたことのない張りつめた空気が、カウンターの前に立つ男から放たれている。
灰色の長髪。鋼のような体躯。背には長く堅牢な槍。
鋼の鴉──そのリーダー、ラッド。
足が止まった。
「……ちょうどいいところに来たわ、アルフさん」
「え? あ、はい……おはようございます」
軽く呼び止められただけで、空気が変わるのを感じた。
「本日、ひとつお願いしたい依頼があります。臨時のポーターとして、討伐依頼に同行していただけますか?」
「……ぼくが、ですか?」
聞き返した声が、少し裏返った。臨時ポーター? そんな話は、ひと言も聞いていない。
「この方は、指示に忠実で、とても真面目な方です。私が責任をもって、ご紹介いたします」
ミーナさんの声は静かだった。けれどその視線は、どこか試すように感じられた。
ラッドが僕を一瞥した。その目に、感情はない。ただ、判断している。
ほんの数秒──何も言わずに、じっと僕を見つめた。
「……こいつが?」
「戦闘には関わりません。荷物の運搬と補助のみですので、ご安心いただけるかと」
「……本当に大丈夫なんだろうな」
それが誰に向けられた言葉だったのか、僕には分からなかった。
でも、逃げられる空気じゃない。
それでも、逃げたくなかった。
「……よろしくお願いします」
絞り出すように、それだけ言った。
「責任については、私が預からせていただきます」
ミーナさんの言葉に、ラッドは小さくうなずき、踵を返した。
その背中に、言葉はいらなかった。
“現場の人間”──そう思わせるだけの重さがあった。
喉の奥に、鉛の玉が沈んだような感覚が残る。
鋼の鴉。
この街でも名の知れた実力者たち。
その背に、僕が並び立てるはずもない。
けれど──
与えられた役目を果たすだけなら、きっと。
戦うんじゃない。邪魔をしない。ただ、運ぶ。
それだけ。それだけのはずなのに。
……でも、それだけで済むんだろうか。
胸の奥に、妙な冷たさが残っていた。
* * *
集合場所は、ギルドの裏手にある荷馬車置き場だった。
朝靄の中、まだ湿り気を帯びた石畳の上に、四人の人影が並んでいる。
鋼の鴉。
僕が歩み寄った瞬間、弓を背負った女性──セリナがわずかにこちらを振り返った。
その視線だけで、ラッドが僕に目を向ける。
それだけで、通じているようだった。
「……時間通りか。出るぞ」
ダナが手綱を引いて馬車を動かし始める。僕もそれに倣って乗り込む。
出発の合図はなかった。すべては既に、決まっていることのようだった。
移動中、誰も余計なことは話さなかった。
何度か、セリナとグレスが目配せだけで座り位置を調整していた。
ラッドがわずかに顎を動かすだけで、ダナの視線が進路を読み替えた。
これが──“連携”なのか。
言葉もいらないのか。
僕は座席の端で、荷袋を膝の上に置きながら、じっと目の前の背中を見ていた。
道のりはそう遠くないはずなのに、風が妙に重たく感じた。
* * *
森に入ってからも、鋼の鴉は無言だった。
足音を殺すように進みながらも、それぞれの位置取りと視線の動きが、ごく自然に整っている。
僕は、荷袋を両手で抱えながら、その背をただ追った。
草木のざわめき、枝葉の揺れ、鳥の飛び立つ音。耳に届くすべてがやけに鮮明で、皮膚に張りつくようだった。
その直前、ラッドが一言だけ低く言った。
「この先、何が起きても動くな。……余計な真似は、命取りだ」
突如──前を歩いていたラッドが、手をひと振り。
全員が一斉に動きを止めた。
風が止んでいた。
それが、異常だとすぐにわかった。
ざらついた空気が、喉の奥を通って肺を満たす。
ただの風ではない。
その向こうに、“何か”がいる。
ダナがわずかに前へ出る。
セリナが弓を構え、グレスが低く詠唱を始める。
それらの動きはまるでリハーサルのようで、誰も一言も発さない。
そして。
茂みが割れ、黒い影が飛び出した。
まず目に飛び込んできたのは、刃のように尖った前脚だった。
黒曜石のように鈍く光る外殻。むき出しの牙。血走った赤い双眼。
その全てが一瞬で跳躍し、地を抉るように着地する。
黒牙獣──。
跳躍と同時に、風圧が地面をえぐり、土煙が舞った。
咆哮と共に空気が震え、体の奥にまで届く振動が、肺の中の空気を押し出していく。
アルフの足が、勝手に後ずさった。だが、その場は離れなかった。
ラッドの槍が、地面を滑るような角度で走り、グライアスの肩口をなぞる。
続けてダナの盾が正面から受け止め、軋んだ音を立てる。
セリナの矢が木々の隙間を鋭く抜け、咆哮の余韻を割くように魔獣の側頭部へ突き刺さる。
グレスの魔法が地面を這い、獣の脚元に絡みつくように光を放った。
爆音。砂煙。跳ねる咆哮。だが彼らは揺れなかった。
突進を受けても、咆哮を浴びても、戦列は乱れない。
ただ、僕の心臓だけが──喉元までせり上がり、今にもこぼれそうな音を立てていた。
そのときだった。
黒い巨体が、大きく向きを変え、こちらに顔を向けた。
目が合った、と思った瞬間。
咆哮が、真っ直ぐに僕に向かって放たれた。
音ではない。
衝撃だった。
鼓膜の奥が破れるように痛み、視界の端が白く焼けた。
胃の裏がぎゅっと掴まれたように縮こまり、息が漏れた。
全身がすくみ、膝が震え、喉が鳴る。
けれど──僕の足は、一歩も動かなかった。
動けなかった、ではない。
……動かなかったのだ。
やがて、咆哮が止み、空気が静けさを取り戻していく。
グライアスの咆哮が止み、四肢が崩れるように地面に沈んでいく。
レイヴンズの誰もが、余計な言葉を発することなく、その場を確認していた。
セリナが一瞬だけ、こちらに目を向けた。
視線が合った気がしたが──彼女は、何も言わなかった。
ただ、矢筒の確認に戻っていく。
静かだった。
あまりにも、静かだった。
* * *
素材の解体と運搬作業は、戦闘の熱が嘘のように淡々と進んだ。
グライアスの外殻を切り分けるラッドの手元には、一分の迷いもない。
ダナが血の滲んだ部位を洗い流し、セリナが矢を抜き取りながら破損の有無を確かめる。
グレスは黙々と、魔法で冷却処理を施していた。
僕も、言われたとおりに動いた。
袋を差し出し、刃の届かない位置に立ち、手を止めずに作業をこなした。
戦場の余韻はそこにはなかった。
代わりにあったのは、淡々とした、しかし確実に“仕事”として成立した動きの連鎖。
「はい、次」
ダナが短く声をかけ、僕は素早く次の袋を差し出す。
無言のうちに役割は交わされ、作業は滑らかに進んだ。
しばらくして、すべての処理が終わり、荷物が馬車に積み込まれた。
誰かが「終わった」と言うこともなく、自然と全員が集合する。
その中で、グレスがふと呟いた。
「……あいつ、意外と……やるじゃねぇか」
その声に、返事はなかった。だが、否定する者もいなかった。
「目線を切らさず、ずっと正面を見てた。あれは──なかなか、できない」
ダナがちらとこちらを見て、ひとつ頷いた。
「言われたことしかやらない、って、逆に貴重なのよ」
セリナは鼻で笑っただけだったが、視線はどこか和らいでいた。
「まだ油断すんなよ。……ヒヨコくん」
ラッドは荷台の確認を終えると、こちらにだけ顔を向け、低く短く言った。
「……そのままでいい」
僕はうまく返事ができなかった。
ただ、こくりとうなずくしかなかった。
何もしていない──そう思っていた。
けれど今は、少しだけ違う。
僕は確かに、動かなかった。
それが正解だったのか、いまだに分からない。
けれど。
あの背中は、今も脳裏に焼き付いている。
──あんなふうには、まだなれない。
でも、なりたいと思った。
いつかきっと。
※この作品はカクヨムで先行公開中です。
貴重なお時間にこの作品を読んでくださり、ありがとうございます。
【第32話 成長記録】
筋力:11(熟練度:43 → 46)(+3)
→ 本文記載はないが、早朝鍛錬による効果。
敏捷:11(熟練度:33 → 36)(+3)
→ 早朝鍛錬および依頼時の反復作業による成長。
知力:11(熟練度:1 → 2)(+1)
→ “動かない”判断を貫いた点や、補助作業を確実にこなす思考の安定性が見られたため、微増。
感覚:14(熟練度:57 → 60)(+3)
→ グライアスの接近・咆哮による圧に対し、感覚的に危険を読み取った描写により、空間認識と危機察知が強化。
精神:13(熟練度:13 → 18)(+5)
→ 恐怖下での沈黙維持・行動制止・戦場での冷静な対応により、精神的耐性が明確に成長。
持久力:16(熟練度:3 → 9)(+6)
→ 早朝鍛錬・長距離の随行・緊張感の持続・黙々とした補助作業によって体力への緩やかな消耗が蓄積。
【収支報告】
現在所持金:652G
内訳:
・前回終了時点:493G
・依頼報酬:+180G
・朝食(ギルド食堂):−3G
・夕食(ノネズミ亭):−8G
・宿泊費:−10G
【アイテム取得/消費】
・取得:なし
・消費:なし
【装備・スキル変化】
武器:スレイルスピア
防具:軽革製防具
スキル:《間合制御》




