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第30話「怒声のあとで、風が吹く」

 ネル村の依頼から戻った翌朝、アルフとリオンはギルドの掲示板を眺めていた。


「……あれ、これ」


 アルフが一枚の依頼票に目を留めた。ざらついた羊皮紙の端に、不自然なほど丁寧な筆致で自分の名前が記されていた。


《依頼者:ルーシェ・フェンデル(薬師ギルド)/薬草運搬・採取補助》


「ルーシェ……また、ずいぶんピンポイントで来たな」


「知り合い?」とリオンが訊ねる。


「うん。ちょっと、いろいろ強い人」


 その曖昧な説明にリオンが小首を傾げるが、アルフはそのまま受付に依頼票を持っていく。


 ミーナが内容を確認しながら、少し困ったように笑った。


「採取地が森の奥です。薬師ギルド側から、同行者の追加を強く希望されています。安全確保のために」


「なるほど」とアルフが頷く前に、リオンがすっと手を挙げた。


「行く。……薬草、ちょっと興味あるし」


「へえ、意外」


「なんで? 火傷したとき塗る薬草って何かとか、気にならない?」


 ふざけたように見せながら、その眼差しは意外と真剣だった。


 ふたりは署名を済ませ、石畳の通りを並んで歩き出す。途中、リオンがぽつりとこぼした。


「ルーシェさんって、どんな人?」


「……“歩く薬草図鑑に感情エラーがついてる”感じかな。説明が止まらない。あと、誰かが黙っても止まらない」


「……それ、つまりヤバい人では?」


「まあ、見れば分かる」


 薬師ギルドの扉を開けた瞬間、リオンの顔色が一段階白くなった。


「おはようございます! 本日は“セレスの群生地”での採取です。標準採取法第2式を用います。湿度は午前のうちがベスト、ただし光量が強すぎると葉焼けするので遮光布の使用を——あっ、包丁型採取器は後方の棚に整備済み、ですが未使用の記録紙が足りない場合は受付左奥の——」


 少女が一人、薬籠を引っ提げて、両手に採取器具と記録紙の束、肩から提げた草袋から乾いた茎をこぼしながら、何かの儀式でも始まりそうな勢いでこちらへ接近してくる。


 手も、足も、口も止まらない。


「……逃げていい?」


 リオンの問いに、アルフは無表情で首を横に振った。


「大丈夫。あと二十秒で酸欠になる」


 読みどおり、ルーシェは「……っ、はっ」と息継ぎをしたところでようやくふたりに気づいた。


「あっ……アルフさん! 本日はありがとうございます。そちらが同行の方で……?」


「リオン。よろしく」


 ルーシェは一瞬だけきょとんとした後、深々と頭を下げた。


「ごめんなさい、また……説明が止まらなくて」


「止まるんですか」


 思わず口をついて出たリオンの言葉に、アルフは吹き出す寸前で拳を握りしめて堪えた。


 そしてふと思った。


(始まる前から、疲れる予感しかしない)


 草と理屈にまみれた少女、距離感と空気の読解に難ありな魔術師、そして調整役を押しつけられがちな自分。


 この依頼、静かに終わるはずがない。


* * *


 朝日が斜めに差し込む森の入り口で、三人は一息ついていた。


 アルフは地図を広げて進路を確認しつつ、ちらと横を見る。ルーシェは薬籠を地面に置いて、土を指先でつまみ、匂いを嗅ぎ、風を読むように呟いていた。


「……腐葉土の香りが残ってる。昨日あたり雨だったのかも。悪くない」


 リオンはその様子を、少し離れた場所から眺めていた。名前も用途も分からない草の話が、空気のように飛び交っている。


「……これ、全部覚えろってわけじゃないよな?」


 ぼそりと漏れた声に、アルフが小さく笑う。


「たぶん、“覚える気があると嬉しい”くらいだろうな」


「……どっちにしても、僕にはハードル高い」


 歩き始めると、山道はすぐに傾斜を増した。根の張る足場、湿った土、崩れかけの獣道。リオンの靴底が何度も石を滑らせた。


「この辺りの標高なら、セレスの葉は北東斜面の苔帯近くです。葉脈が浮いていれば薬効が高いので、そうでなければ採らずに……」


 ルーシェの足は止まらない。しゃがみ、立ち、急に駆け出し、また止まる。


「ちょ、ちょっと待って……!」


 息を切らしながらついていくリオン。アルフはその少し後ろで、淡々と訳す。


「“筋が透けてる葉っぱだけ採れ”って意味らしい」


「……先にそれ言ってくれよ……」


 それでもリオンは、メモを開き、必死に書きつける。


 しばらくして、ようやく目的地にたどり着いた。斜面の下、木々の根元に広がる青緑の葉。


「……いた。これ、完璧です」


 ルーシェが一転して、静かに微笑んだ。

 目元は冷静なのに、声が熱を帯びている。完全に“ゾーン”に入っていた。


「色、厚み、湿度……どれも理想的。よくぞここまで……」


 独り言とも賛美ともつかない声で葉をなぞる姿に、リオンは一歩引き気味に目を瞬かせる。


 採取作業が始まった。

 アルフとリオンも手袋をはめて作業に加わるが──リオンの動きがぎこちない。角度、力加減、保管紙の扱い……すべてが不器用。


「リオンさん、それ……逆です。薬効が変質してしまうかも……あ、いえ、こちらこそ説明不足でした。もう一度お伝えしますね」


 ルーシェはあくまで冷静だったが、リオンの表情はみるみる硬くなっていく。


「……僕、こういうの、向いてないかも」


 ぽつりと落ちた言葉に、ルーシェが手を止めた。


 アルフは、隣で自然に葉を切り取りながら言った。


「向いてるかどうかなんてさ、葉っぱが教えてくれるもんじゃないだろ」


 リオンがちらと横目でアルフを見る。


「僕だって今でも包み方間違えるし。ルーシェに怒鳴られないだけありがたい」


「……ほんとに?」


「まさか。昔、あの倍のスピードで怒鳴られたよ」


 リオンが小さく笑った。


 その刹那、枝を踏む音がした。


 森の奥。暗がり。木陰に、灰色の動き。


 牙猪子だ。しかも、一体じゃない。次の瞬間には、後方からも足音が広がった。


「来るぞ──下がれ」


 アルフが素早く棒を構え、ルーシェの前へ出る。


 ルーシェも即座に後退し、薬籠を死守するように身を伏せた。


 リオンの魔力が、無意識に集中する。


 だが──指先が止まる。


(やっていいのか? でも、あの距離はもう……)

(アルフも前に出てる。回り込まれたら、まずい)

(躊躇ってる暇は──)


 焦燥と決断が一瞬で交差する。


 次の瞬間、炎が閃いた。


* * *


 火線は鋭く、牙猪子の一体を焼き払い、その背後の二体を怯ませるには十分だった。焦げた毛皮の匂いが一気にあたりに広がる。


 リオンの指先は、まだ微かに震えていた。


 ──やってしまった。


 その瞬間、森の静寂が戻る。だが、それは安堵の静けさではなかった。


「……っ、何をしてるの、あなた」


 静かに、けれど鋭く、ルーシェの声が響いた。


 振り返ったリオンに向けて、彼女はゆっくりと近づいてくる。


「火を……この場所で火を使うなんて、正気とは思えない」


 その声は静かだった。しかし、その分だけ、言葉は突き刺さるように冷たく重かった。


「薬草は、燃えれば終わりなの。枯れても、刈りすぎても、まだ回復の手段はある。でも、焼けたら──もう二度と戻らない」


 ルーシェの瞳には、はっきりと怒りがあった。しかしそれ以上に、“恐れ”があった。


 アルフが一歩、ルーシェとリオンの間に入る。


「落ち着け、ルーシェ。魔獣が来た以上、あれは必要だった。みんなの危険をリオンが守っただけだ」


「守る方法はいくらでもあった!」


 ルーシェが叫ぶ。その声に、鳥たちが一斉に飛び立つ。


「……火じゃなくても、あの程度なら足を払って逃げる手だってあった。茂みに誘導して、アルフが回り込んで仕留める方法だって……」


 リオンは何も言えなかった。


 目の前のルーシェは、ただ怒っているだけじゃなかった。何か、ずっと奥にあるもの──焼け焦げた草と一緒に忘れられない何かを見ていた。


 ルーシェの拳が震えていた。


「……火で、大事なものを失ったことがある人間にとって、それは脅威でしかないのよ」


 それだけ言って、ルーシェは薬籠を抱えて背を向けた。


 アルフは、ルーシェを追うことなくリオンの横に立った。


「……リオンは、間違ってなかったよ、たぶん。ただ、もう少し──違う選択肢を思い出す余裕があれば、もっと良かったかもね」


 リオンは俯いたまま、うなずく。


 地面には、焦げた牙猪子の亡骸と、焼け跡に縁を焦がされた薬草。


 風が吹く。


 その香りには、土の匂いと、灰の匂いが混じっていた。


* * *


 下山の道は、登りよりも静かだった。


 リオンは、歩きながら何度も小さく息を吐いた。

 ルーシェは何も言わず、ただ前を向いて歩いていた。

 アルフはふたりの間を歩き、いつものように空気を読んで、何も言わなかった。


 空気は張り詰めていたが、沈黙は敵ではなかった。

 それぞれが、それぞれの中で、少しずつ何かを整理していた。


 街の輪郭が見え始める頃、ルーシェがぽつりと呟いた。


「……リオンさん」


 リオンが顔を上げる。


「さっきは、怒ってごめんなさい。わたし、薬草のことになると周りが見えなくなるの。たぶん、自分でも自覚してるのに止められない」


 リオンは少し間を置いてから、首を横に振った。


「……僕の判断が、軽かったんです。結果的に守れたけど、それで全部許されるわけじゃない。怖がらせて、ごめんなさい」


 ふたりは、ぎこちなく頭を下げ合う。


 アルフはそれを見て、ひとつ息をついた。


 グラウエルの街に戻り、ギルドへ報告を終えたあと、ルーシェはリオンにだけ声をかけた。


「……ちゃんと、守ってくれてありがとう」


 リオンは驚いて目を見開き、すぐに視線を逸らした。


「い、いえ……その、当然のことを……」


 その隣で、アルフが軽く笑いを漏らす。


 ルーシェもふっと口元を緩めると、薬籠を肩にかけなおしながら小さく告げた。


「……今度、薬草の本、貸してあげます」


「……えっ、読むんですか、それ……」


「読ませます」


 そんなやり取りが続くなか、リオンはふとアルフの方を振り返る。


「アルフ。……ありがとう。いろいろ、助けてもらった」


「なに言ってんのさ。僕も、勉強になったよ」


「……うん。また、頑張ります」


 リオンはそれに返すように、かすかに笑った。


 森の奥での炎と怒声──それは確かにぶつかり合いだった。

 けれどその跡に残ったのは、焦げ跡だけではなく、芽吹きの気配だった。


 風が通る。

 今度は、灰の匂いはなかった。



※この作品はカクヨムで先行公開中です

ご愛読ありがとうございます!皆様のコメントおまちしております。



【第30話 成長記録】

筋力:11(熟練度:40 → 41)(+1)

 → 山道での登坂・降下や斜面での薬草採取中、荷物の扱いや体重の支えなど身体負荷が継続してかかったため、微増。

敏捷:11(熟練度:27 → 30)(+3)

 → 傾斜地での移動・バランス制御、戦闘時の瞬時の対応や仲間への補助位置取りなど、精度の高い運動が行われた。

知力:10(熟練度:97 → 99)(+2)

 → 状況に応じた判断・抑制・交渉の選択、薬草に関する会話・知識の理解と内省を通じて思考の深度が強化。

感覚:14(熟練度:54 → 57)(+3)

 → 魔獣出現の気配察知、薬草の品質感知、空気の変化への反応など複数の場面で環境感知能力を発揮。

精神:13(熟練度:6 → 11)(+5)

 → 衝突の仲裁、仲間への言葉の選び方、沈黙の中の空気を読んだ行動選択など、心理的緩衝材としての役割が顕在化。

持久力:15(熟練度:95 → 98)(+3)

 → 山中での行動、緊張を伴う護衛・対峙・収集作業などを通じて持続的に体力を消耗・維持した。


【収支報告】

現在所持金:955G

 内訳:

 ・前回終了時点:829G

 ・依頼報酬:+150G

 ・朝食(ギルド食堂):−4G

 ・昼食(果物):−2G

 ・夕食(ノネズミ亭):−8G

 ・宿泊費:−10G


【アイテム取得/消費】

・取得:なし

・消費:なし


【装備・スキル変化】

武器:スレイルスピア

スキル:《間合制御》

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