第21話「地獄の一日、誇りの一滴」
空がまだ藍色のまま、冷えた空気が肌を刺す。
昨日までと、どこか空気が違っていた。
まだ夜が明けきらぬ訓練場。その石畳の上に、僕──アルフ・ブライトンは一人立っていた。
肌寒さに肩をすくめる間もなく、ザイランがぬうっと現れ、手にした木箱を足元に置いた。
「飲めい。朝の儀式じゃ」
言葉はそれだけだった。
箱の中には、木製のカップが五つ。白く濁った、粉っぽい液体が注がれている。
僕はその一つを恐る恐る手に取り、ひとくち含む。
……まずい。とにかく、まずい。
苦くて、粉っぽくて、ぬるい。しかも舌にざらつきが残る。喉の奥で粘りついて、胃の底にまとわりつくようだった。
反射的に口を押さえた。胃が反発して、吐き出しかけた。──これ、毒じゃないのか?
だがザイランは、無表情のまま淡々と言った。
「毒じゃ、ない。文句は後で聞いてやる。まず、飲み干さんか」
わけもわからぬまま、僕は残りを一気に流し込む。胃が重くなる感覚とともに、今日の修行が始まった。
ザイランは無言で一本の木棒を投げ渡す。
それを受け止めた僕に、短く告げた。
「技など教えん。じゃが、死ににくい身体にはしてやるわ」
それが、始まりの合図だった。
静寂の中で、ただ一つだけ確かなことがあった──今日から、僕は“壊される側”になるということだ。
* * *
最初の課題は、“鈴くぐり”だった。
夜明けの薄明かりの中、古びた訓練所の一角に張り巡らされた縄。その至るところに小さな鈴が吊るされている。
ザイランは目隠しを僕に手渡すと、当然のように言い放った。
「くぐり抜けてみい。音を鳴らしたら、敵に殺されたと思え」
背中には砂を詰めた革袋を括りつけられ、両腕には小石入りの重し。
見ることもできず、体も鈍く。──まるで意地悪な試練だ。
案の定、最初の一歩から鈴がちりんと鳴る。続けざまに、肩、腰、膝が引っかかっては金属音が鳴った。
ザイランは石像のように微動だにせず、ただ射抜くような視線をこちらに向けていた。
何度も何度も、同じ縄をくぐる。
音を鳴らすたびに息を詰め、汗を流し、服は土埃にまみれていった。顔にまとわりついた髪が鬱陶しく、視界のない目隠しがさらに焦りを煽る。
汗が耳に入り、鈴の音が一瞬遠くなる。それだけで心がぐらついた。
集中して、耳を澄ます。
呼吸の音、心臓の音、鈴の位置、重りの軋み──すべてが頼りだ。
三度目の挑戦で、ようやく“半分までは無音”に成功。
四度目、ついに一度も鳴らさず通り抜けた。
ゴール地点で息を吐いた僕に、ザイランは近づいてきて言った。
「ふむ。明日は荷を倍にするぞい」
褒め言葉は、ひとつもなかった。
けれど、その無骨な一言が、妙に誇らしく感じた。
* * *
鈴くぐりの訓練が終わってしばらく休憩をとった後、ザイランがぼそりと告げた。
「午後は別のもんをやる。山道へついてこい」
こうして始まったのが、“水壺運び”だった。
両手に水の詰まった壺を一つずつ持たされ、山道を往復する。
片道三十分、でこぼこ道、足場は不安定。壺を落とすな、水をこぼすな、それが条件。
「水は命じゃ。落としたら、死ぬと思え」
ザイランはそれだけ言い残して、どこかへ消えた。
最初の往路で、さっそく転倒。
膝をすりむき、壺の水が半分近く飛び出した。
戻ると、ザイランが無言で新しい壺を出す。
「もっぺんじゃ」
往復ごとに重さが骨に響き、腕がちぎれそうになる。
藪の向こうから突然飛び出してきた犬に吠えられ、反射で身体が跳ねる。
握った壺がぐらりと揺れ、心臓まで落ちかけた。
段差でつまずき、息が切れる。それでも、心は不思議と折れなかった。
三度目の挑戦、体のどこかが先に反応した。
──水をこぼさずに歩くには、どう動けばいい?
足の置き方、上体のバランス、呼吸のリズム。
それらすべてが、槍の間合いと“似ていた”。
壺が揺れないようにするために、膝の使い方、腰の落とし方、背中の角度。
気を抜くと揺れる。急げば溢れる。止まれば崩れる。
四度目。帰り道で石に足を取られ、壺のひとつに細かなヒビが入った。
水がじわりとにじむ。
焦りを押さえ、全身の感覚を総動員して歩ききる。
ようやく壺を無事に持ち帰った。
ザイランは焚き火の前で酒をすすっていたが、ちらりとこちらに目をやり、ひとこと。
「ふん。まあ、死なんかっただけマシじゃな。……次は目隠しでもつけてみるかのぅ」
ただ壺を運んだだけなのに、達成感があった。
身体のどこかに、確かに“通った”感覚があった。
この疲労の中に、小さな誇りが混ざっていた。
* * *
宿への帰り道、石畳の角を曲がったところで、ふいに懐かしい声がした。
「おやおや、そんな時間まで頑張っておったのかい」
顔を上げると、ランタンを片手にした老婆クラリッサがいた。隣には、あの依頼で知り合ったレオンが、元気よく尻尾を振っている。
「レオン……クラリッサさん」
声に出しただけで、肩の力がふっと抜けた。レオンは僕の足元に駆け寄ると、鼻をすり寄せてから、ぺろりと一舐めしてくる。
「まあまあ、汗の匂いが気になるようね。……ふふ、、いい顔になったわね」
クラリッサの言葉は、短くて、優しかった。
……その一言が、今日一日で一番沁みた。
「ありがとうございます。……おやすみなさい」
「アレフくんも風邪ひかないようにね」
レオンが小さく鳴いて見送ってくれる。
それが嬉しくて、僕は小さく手を振って歩き出した。
その夜、宿の裏庭で僕は棒を振っていた。
……と、その前に、ふと思い出してしまった。
「……あ、今日、依頼ひとつもこなしてない」
その現実に気づいた瞬間、身体の芯の充実感が一瞬だけ揺らぐ。
「ってことは……収入ゼロ……」
天を仰ぎ、ため息ひとつ。
ま、いいか。今日は“自分への投資日”ってことで。
そして、もう一度棒を握り直す。
ザイランから渡された木棒は、もうすっかり手に馴染んでいた。
腕が痛い。腰も足も、軋んでいる。
でも、身体の内側に“芯”のようなものが通った感覚があった。
ひと振り。
風を切る音が、夜気の中に鳴った。
何度も何度も素振りを繰り返すうちに、ふと気づく。
昨日までとは違う。足の踏み込み、体のひねり、軌道の修正。
全てが“ズレていない”──そんな実感。
「……少しずつ、ほんとに少しずつだけど……強くなれてるのかもしれない」
声に出してみると、少し照れくさくて、でも、悪くなかった。
そのころ、訓練場の離れにある納屋の屋根で、ザイランはひとり酒を煽っていた。
空を見上げ、ぼそりとつぶやく。
「……明日からは“罠”でも張ってみるかの」
静かな夜に、その声は風に紛れて消えていった。
地獄の鍛錬は、まだ序の口だった。
【装備・スキル変化】
武器:スレイルスピア(継続使用)
スキル:未開花
※この作品はカクヨムで先行公開中です。
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【第21話 成長記録】
筋力:11(熟練度:10 → 19)(+9)
→ 水壺運搬、鈴くぐりでの全身バランス保持、素振りの継続により下半身と体幹への負荷が蓄積
敏捷:10(熟練度:91 → 95)(+4)
→ 狭い通路のくぐり抜け、転倒を避ける姿勢制御、水壺保持時の姿勢修正など反射的動作の精度向上
知力:10(熟練度:78 → 80)(+2)
→ 水の揺れを抑える歩行術や身体操作の理屈、ケアと成長の相関理解、反復訓練の最適化意識
感覚:13(熟練度:95 → 100)→14(熟練度:6)(+11)
→ 目隠し訓練・重り・鈴の音・水量感覚に集中した結果、感覚統制が臨界を突破。繰越はなし
精神:12(熟練度:53 → 64)(+11)
→ 認められない訓練を受け入れ、痛み・屈辱・無言の圧力に耐える意志、無報酬で取り組んだ鍛錬の覚悟
持久力:15(熟練度:54 → 62)(+8)
→ 早朝から深夜までの長時間行動、水壺運搬や素振り訓練による疲労蓄積への抵抗力上昇
【収支報告】
現在所持金:630G(変動なし)
内訳:
・前回終了時点:649G
・依頼報酬:なし
・朝食:−3G(ザックの準備品を持参)
・昼食:訓練中支給 or 不明(無料処理)
・夕食:−8G(ノネズミ亭)
・宿泊費:−10G
【アイテム取得/消費】
・なし




