第19話「グラウエル駐屯騎士団」
朝の空気はひんやりと肌をなでるように冷たく、
まだ太陽は石畳の隙間からうっすらと顔を覗かせる程度だった。
ギルドの裏手にある訓練場には、今日も誰より早く僕が立っていた。
人気のない訓練場には、霧がうっすらと漂っている。
遠くで馬車の車輪が軋む音と、誰かが小屋の扉を閉める乾いた音が聞こえた。
いつも通り、スレイルスピアを両手で握る。
足運び、そして突きの素振り。
バランスの取りづらい中継ぎの柄に神経を尖らせながら、
無心になって繰り返す動きの中に、昨日の記憶がふとよみがえる。
昨日、ギルドに戻ったときだった。
同じような年頃の冒険者が、ゴブリンの襲撃に遭って片腕を失い、
担架で運ばれていくのを見た。
僕はただ、それを見ていることしかできなかった。
(……怖かった)
正直にそう思う。
でも、だからこそ逃げたくないと思った。
その思いだけが、今の僕を支えてくれている。
「恐れは影。影があるかぎり、光は確かにそこにある」
昨日の夜、眠る前に浮かんだ言葉を口の中で繰り返してみる。
誰に教わったわけでもない。
けれど、自分を支えるには十分な“呪文”だった。
僕はもう一度、スレイルスピアを構え直す。
突き。
足を滑らせるように前へ出し、同時に体重をのせる。
突き。
肩の力を抜き、槍先に意識を集中させる。
何度も、何度も繰り返す。
次第に、足の動きと体の重心移動が自然に連動していく感覚が芽生えてきた。
(……今日は、ちょっとだけ動きやすいかもしれない)
小さな手応え。
それはまるで、夜明け前に差し込む最初の光のように淡い。
けれどその一筋が、今日という一日を照らしてくれる気がした。
昨日よりも、ほんの少しだけ遠くまで届くような気がした。
朝靄の中、僕は黙々と素振りを続けていた。
汗で濡れたシャツを軽く絞りながら、僕は訓練場をあとにした。
朝の鍛錬を終えた身体には、心地よい疲労が残っている。
そのままギルドの食堂へ足を向けると、まだ人もまばらな時間帯だった。
「おはよう、アルフ。いつもより早いね」
厨房の奥から、ドーラさんが顔を出す。
くしゃっとした三角巾にエプロン姿の中年女性――
見た目はどこにでもいそうな、少し厳しめの“ギルド母さん”といった雰囲気だ。
「トーニャパン、ひとつください」
そう言ってカウンターに腰掛けると、ドーラさんがじろりと僕を見てきた。
「あんた、また一個だけ?
そんなんじゃ風に飛ばされるよ。
見なさいよその腕。ちゃんと食べな」
ぎくりとする。
確かに今朝の鍛錬で筋肉が張ってはいたけれど、見た目はまだまだ細身。
「……じゃ、じゃあ二個で」
「そうこなくっちゃ」
ドーラさんは満足げに笑いながら、温かいトーニャパンを二つ皿に乗せて出してくれた。
外はかりっと香ばしく、中には焼いたラヴィラウサの肉と香草入りのソースがたっぷり――
朝に食べるとたまらなく美味い。
(……朝からこれ2個は贅沢だけど、確かに元気出るな)
かぶりついた瞬間、あふれる肉汁と香草の香りに、思わず口元が緩んだ。
小さく息をつくように笑みが漏れる。
胃袋だけでなく、心まで温まるような味だった。
食べ終えて食器を返そうとしたとき、受付のミーナさんがこちらに気づいて手を振ってくれた。
「アルフさん、ちょっといいですか?」
カウンターへ近づくと、彼女は何やら封筒と依頼票を手に持っていた。
「ガルドさんからの推薦で、こちらの依頼が届いています」
そう言って手渡されたのは、硬質な羊皮紙に騎士団の封印が押された、
やや厚みのある依頼票だった。
《依頼:グラウエル駐屯騎士団 訓練場整備支援》
内容を読み進めるにつれ、僕は眉をひそめた。
訓練施設の整備、器具運搬、清掃、資材管理など。
一言でいえば、“訓練場の雑用”。
「これ……僕にですか?」
「はい。内容は地味ですが、推薦付きですし、冒険者としての真面目さが評価されたんだと思います」
ミーナさんはそう言って柔らかく微笑んだ。
「それに、この依頼……実は“観察”も兼ねているそうです」
「観察……?」
「詳細は、現地に行けばわかるとのことです。
依頼主は、騎士団の訓練担当官ですが……ガルドさんの伝言として、
『きっと得るものはある』と」
少し意味深な言葉だった。
地味な雑用かもしれない。
でも、ガルドさんがわざわざ推薦してくれるということは――
(……それなりの“試し”なんだろうな)
腹の底にまだ残っているパンの温もりが、ほんの少し背中を押してくれた気がした。
「わかりました。引き受けます」
僕は小さく頷き、再び革袋の紐を締めた。
今日もまた、一歩前へ――。
グラウエル駐屯地の門をくぐると、朝の日差しが石造りの建物群を斜めに照らしていた。
衛兵に依頼票を見せると、慣れた様子で頷かれ、そのまま訓練場の裏手へ案内される。
「この先にいる者に声をかけてください。……気をつけて」
最後に妙な忠告をされたのが少し気になったが、僕は素直にうなずいて指定された場所へ向かう。
そこは、人気のない屋根付きの資材置き場だった。
積まれた訓練器具や藁人形の向こうから、ふらりと一人の男が現れる。
薄汚れたコートに皺くちゃのズボン、足元は踵のすり減った革靴。
白髪混じりのボサボサ髪に、赤ら顔。
そして、片手には小さな酒瓶。
「……おぬしが、今日の雑用坊主か?」
どこかしら間延びした口調で、男はそう言った。
「はい。ギルドから派遣されました、アルフ・ブライトンです」
「ほぅ……思ったより素直そうじゃの」
ふらふらと近づいてきた男は、僕の前で足を止め、じろじろと全身を眺め回す。
(……この人、本当に騎士団の関係者?)
正直、最初の印象は“ただの酔っ払い”。
けれど、その目だけが異様に鋭く、僕の呼吸や姿勢のわずかな揺らぎさえ観察しているような気がした。
「名前は? いや、もう言ったか。ま、いい」
酒瓶を口に運びながら、彼は訓練場の隅にある物資の山を顎で示した。
「まずはあれを全部、器具棚に戻せ。整頓は種類ごとにな」
それから掃除、破損チェック、器具の補修、記録帳の整理――
まるで息をつく暇もないほど、次々と雑務が命じられていった。
文句も言わず、僕は言われた通りに一つひとつの作業をこなしていく。
(なんでこんなに細かいんだ……いや、でも)
不思議と、嫌な気分ではなかった。
鍛錬で身につけた「丁寧に積み重ねる」感覚が、ここでも活きている気がしたからだ。
そしてふとした時、視線を感じる。
振り返ると、さっきの男――いや、特別軍事顧問ザイランが、資材棚の陰からこちらをじっと見ていた。
酒瓶は手にしたままだったが、その目はまったく酔っていなかった。
(……見てる。やっぱり、試されてるんだ)
そう確信したとき、妙な緊張感が背筋を走る。
けれど同時に、胸の奥に火が灯るような感覚もあった。
与えられた仕事を終えた頃、ザイランがゆっくりと近づいてきた。
そして無言のまま、訓練用の槍を一本、僕の前へ放り投げる。
「ほれ、構えてみろ」
短く、それだけを言って、彼は腕を組んだ。
僕はスレイルスピアを地面に立て直し、静かに構えを取った。
ザイランはじっと僕の動きを見つめている。
何も言わないまま、じっと。
しばらくの沈黙ののち、彼は短くうなった。
「……坊主、明日から朝五時にここに来ること」
それだけ告げて、返答も聞かずにくるりと背を向ける。
唖然として見送る僕の背後から、近くにいた騎士団員の小声が聞こえた。
「……ご愁傷様」
何人かが、同じように小さく首を振っていた。
(……この人、いったい何者なんだ)
そんな疑問を抱きながらも、胸の奥でざらついた興奮がまだ静まらなかった。
グラウエル駐屯地を後にする頃には、日がだいぶ高くなっていた。
空は澄み渡り、肌を焼くような陽射しが石畳を照り返している。
けれど、不思議と身体の重さは感じなかった。
むしろ、朝の鍛錬よりも濃密な時間を過ごしたせいか、心の中は妙にすっきりとしていた。
ザイラン――あの男の名前は、帰り際に門兵がぽろりと漏らしたことで知った。
かつて、“鬼人槍”の異名で名を馳せた元騎士。
けれど今の姿からは、その名にふさわしい気配はほとんど感じられなかった。
(でも……あの目だけは、嘘じゃない)
言葉少なに、黙ってこちらを見ていたあの視線。
槍を構えた瞬間、僕の何かを見透かしていたような、あの目。
ザイランが何を見て、何を判断したのかはわからない。
けれど確かに、僕はあの人に“見られた”。
自分でも気づかない何かを、あの眼差しは見つけようとしていた。
そして明日から、僕はまた早朝の訓練場に立つことになる。
今度はザイランという名の“試練”と向き合うために。
(……逃げたくない)
胸の奥で、静かにそう思った。
怖さはある。
でも、それ以上に、得たいものがある。
あの鋭い視線の奥にあるものを、少しでも近くで知りたいと思った。
ギルドへ戻る石畳の道を歩きながら、僕はひとつ深呼吸をした。
その吐息は、少し熱を帯びていた。
これはきっと、恐れじゃない。
希望だ。
歩いていくうちに、いつか少しは近づける――
そんな気がした。
※この作品はカクヨムで先行公開中です
新しい出会いによるアルフの成長をこれからも応援よろしくお願いします!
【第19話 成長記録】
筋力:10(熟練度:96 → 99)(+3)
→ 訓練場での反復素振り、重い器具の持ち運び・整備作業
敏捷:10(熟練度:85 → 88)(+3)
→ 足運びと重心移動の連携、雑務中の立ち回り・機敏な動作
知力:10(熟練度:72 → 75)(+3)
→ ザイランの意図や態度の読解、行動の中での自己観察による思考深化
感覚:12(熟練度:89 → 92)(+3)
→ 視線の気配に対する鋭敏な察知、作業における手先感覚の研ぎ澄まし
精神:12(熟練度:40 → 46)(+6)
→ 恐怖体験から立ち直り、試練に踏み出す決意
持久力:15(熟練度:42 → 47)(+5)
→ 早朝訓練+依頼作業の連続遂行
【収支報告】
現在所持金:582G
内訳:
・前回終了時点:577G
・朝食(トーニャパン×2):−4G
・依頼報酬:+100G
・昼食:依頼中の支給で無料
・夕食:−8G(ノネズミ亭)
・宿泊費:−10G
【アイテム取得/消費】
・なし
【装備・スキル変化】
武器:スレイルスピア
スキル:開花直前




