第18話「己を知る者」
朝から空は一面の雲に覆われていた。
ぼんやりとした灰色の空を見上げながら、僕はため息をつく。
(……どんよりしてんな。気分まで引っ張られそうだ)
太陽の光は見えず、街全体が寝ぼけているみたいだ。
こんな日は、頭も体も動きが悪い。
石畳の隅には、小さな水たまりがいくつか残っていた。
踏まないように避けながら、果物売りの屋台へ向かう。
リンゴを一つ買い、冷たい表面を指先で転がしながら歩く。
かぷりとかじると、強い酸味が口いっぱいに広がった。
(……酸っぱい。でも、悪くない)
酸っぱさが眠気を吹き飛ばす。
スレイルスピアを背に、湿った空気を抜けて歩く。
どこか曖昧な、昼になる前の迷いみたいな冷たさ。
自然と、足は訓練場を目指していた。
体は少し重い。昨日の疲れか、天気のせいか……どっちもだろう。
でも、ここで休んだら──
(僕、絶対言い訳するようになる)
言い訳がクセになったら、それで終わりだ。
この鈍さの中で動けるかどうか。それが、本当の勝負だ。
胸の奥で、小さな炎がじりじりと灯る。
地味な訓練を繰り返す。それだけだ。
だけど、それが今の僕にできる唯一の“強くなる方法”。
(……行こう)
灰色の空を仰ぎ、僕はまた歩き出した。
* * *
訓練場には、すでに何人かの冒険者がいた。
僕はいつもの隅でスレイルスピアを振る。
槍の重みにも、ようやく慣れてきた。
でも、ちょっと油断すれば、足のバランスも、槍の軌道も崩れる。
だから、今日も集中して、淡々と。
──そのとき。
「……あんた、いつも熱心に鍛錬してるな」
声に振り向くと、そこにはナダルさんがいた。
無骨な鎧を着けたDランクの冒険者。僕が知る限り、腕の立つ男だ。
「地味な訓練ばっかだろ。俺の弟分どもなんて見向きもしねぇ。
昨日も食堂で、大声で夢ばっか語ってやがったよ」
昨日の光景が脳裏に浮かぶ。
ギルド食堂で見かけた、あの三人組。
剣士と、弓使いと、年下の魔導士。
──彼ら、か。
「……僕には、スキルも装備もろくにないんで」
思わず言い訳みたいに口にする。
「だから、鍛えるしかない。僕には、それしかないんです」
ナダルさんは一瞬目を細め、それから低く言った。
「……そういうの、俺は好きだな」
「え?」
「己をちゃんと知ってて、やるべきことに真っすぐ向き合える。
それ、立派なスキルだよ」
からかうでも、慰めるでもない。
重みのある言葉だった。
胸の奥が、じんわりと熱を帯びる。
「ありがとうございます」
僕は深く頭を下げた。
もしかしたら──この人も僕と同じで、何か足りないものを抱えながら、戦ってきたのかもしれない。
* * *
訓練を終えてギルドに戻る途中、妙なざわめきが耳に届いた。
普段は静かなはずの時間帯なのに、人の声が騒がしい。
扉を開けた瞬間、その空気に呑まれた。
「ナダルさん! ナダルさん、いますか!?」
必死な叫び。
カウンター前には人だかり。
中央には、血の匂いと、担架。
その上で、うめき声を漏らす青年。
昨日、食堂で見た剣士だ。
──ゼル。
蒼白な顔。左腕は包帯で巻かれ、肩から先が……なかった。
「ゼル!? おい、しっかりしろ!」
ナダルさんが飛び込む。
「なんで……なんで、こんなことに……!」
仲間の声が震える。
「高ランクの依頼を……無理して……
野営中、ゴブリンの群れに……ゼルが庇って……」
ナダルさんの拳が、ぎりりと震える。
「俺が……止めてやれたら……!」
僕は、一歩も動けなかった。
頭の中で、さっきの光景が何度もリピートされる。
腕を失ったゼル。ナダルさんの顔。
胸が詰まり、喉が渇く。
そして、浮かんだ。
(……よかった。僕じゃなくて……)
その瞬間、背筋に冷たいものが走った。
(なに考えてんだ、僕は……)
吐き気が込み上げる。
でも、否定できない。
それは、確かに“僕の本音”だった。
他人の不幸に、安心している。
生き残った自分に、安堵してしまっている。
最低だ。
でも、それが僕だ。
耳を塞ぎたいのに、ナダルさんの叫びが離れない。
冒険者って──こういう現実なんだ。
命を懸けるって、こういうことなんだ。
……怖い。
腕を失ったら、僕はどうなる?
順調だと思ってた。少しずつ成長してると信じてた。
でも今、その足元が崩れた。
僕は、まだ何も覚悟してなかった。
* * *
訓練場に戻った僕は、ぼんやり立ち尽くしていた。
「顔色、悪いな」
低い声に振り向くと、ハルドさんがいた。
「……あ、いえ、大丈夫です」
声が震えた。
ハルドさんは黙って隣に立ち、ぽつりと呟く。
「見ちまったか。ああいうのを」
僕は頷く。
そして、言葉がこぼれた。
「怖かったです。もし自分だったらって……
それに、自分じゃなくてよかったって……思っちゃって……そんな自分が嫌で」
ハルドさんは、静かに聞いてくれていた。
やがて、口を開く。
「冒険者は、誰でもなれる。でも、誰もが続けられるわけじゃない」
その声は、淡々としていて、どこか優しかった。
「敵と戦うときと同じだ。自分の心とも、適切な“間合い”を取れ。
思い込みすぎても、無頓着すぎてもダメだ」
「……難しいですね」
「難しいさ。俺もまだ自信なんかねぇ」
そう言って、ハルドさんは少し笑った。
「だから、鍛錬するんだよ。体だけじゃない。心の間合いを測るためにな」
僕は、深く頷いた。
だから今日は、依頼を受けない。
この出来事を、忘れないために。
僕は槍を構えた。
スレイルスピアは、いつもと同じ重さだった。
でも、握る手は、ほんの少し強くなっていた気がする。
(怖い。それでも、この仕事が好きだ)
なら、強くなるしかない。
心も、体も。
* * *
夜。
粗末な寝台に横たわり、天井を見つめながら考える。
「自分じゃなくてよかった」と思った僕は、情けない。
でも、それが僕だ。
だから、逃げずに受け止めよう。
そして、また明日も訓練場に立つ。
僕はまだ弱い。
でもきっと、強くなれる。
少しずつでいい。必ず。
※この作品はカクヨムで先行公開中です
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【第18話 成長記録】
筋力:10(熟練度:94 → 96)(+2)
→槍の素振りを継続、日課をこなしたことによる筋肉操作の安定化
敏捷:10(熟練度:83 → 85)(+2)
→ 槍訓練での足運び精度が向上、動作の微調整を丁寧に繰り返した結果
知力:10(熟練度:69 → 72)(+3)
→ ナダルやハルドの言葉を理解・思考強化
感覚:12(熟練度:87 → 89)(+2)
→ 心の揺らぎの自覚、訓練での接地感覚の意識向上による反応性強化
精神:12(熟練度:32 → 40)(+8)
→ 弱さを受容して前に進もうとした心理的飛躍
持久力:15(熟練度:38 → 42)(+4)
→ 体調不良や精神疲労を抱えながらも訓練をやり遂げた持続力
【収支報告】
現在所持金:577G
内訳:
・前回終了時点:596G
・朝食:−1G
・夕食:−8G
・宿泊費:−10G
※依頼は未遂行のため報酬なし
【アイテム取得/消費】
なし
【装備・スキル変化】
武器:スレイルスピア(継続使用)
スキル:未開花