第17話「ハーブティーと、照れくさい午後」
今日は、なんだか――自分が“少しだけ変われる”気がした。
そんな予感を胸に、アルフは石畳の街路を歩いていた。
空はうっすらと曇りがちだったが、風は穏やかで湿り気もない。
朝靄の残る通りに、パンの焼ける香ばしい匂いと、果物の甘い香りが混じって漂ってくる。
ギルドの訓練場へ向かういつもの道。
曲がり角の先には、見慣れた果物売りの屋台があった。
「おや、今朝も早いねぇ。立派な槍を持って、すっかり冒険者だね」
皺だらけの手で大きなりんごを持ち上げながら、老婆が笑う。
アルフは背中のスレイルスピアを見下ろし、思わず頬をかいた。
「ええ、まあ……なんとか形には、なってきた気がします」
「ほう、それなら祝いに一本、おまけして──とはいかないけど、今日はちょっと甘めのが入ってるよ」
「じゃあ……それ、一つください」
銅貨を渡し、赤く艶やかに輝くりんごを受け取る。
軽く服の裾で磨いてから、かぷりと一口かじると、口の中に爽やかな甘味が広がった。
「うん、美味しい……」
アルフが思わず漏らすと、老婆はにんまりと笑う。
「そりゃあよかった。……でもね、槍の似合う若者には、もう一本くらい似合いそうだと思わないかい?」
「……一本で十分なんですけど……いや、うん、分かりました。じゃあ、こっちの黄色いやつもひとつ」
まんまと乗せられたことに内心で苦笑しながら、アルフは二つ目の果物を鞄にしまった。
だが不思議と、それすらも楽しい出来事に思えた。
「立派な未来ある若者がいるだけで、朝の通りが少し明るくなるんだよ」
老婆の言葉に、アルフは小さく頭を下げ、再び歩き出す。
──今日は、もう少しだけ、この槍を“自分の武器”に近づけたいな。
* * *
訓練場の地面には、昨夜の露がまだうっすらと残っていた。
アルフはスレイルスピアを両手に持ち、深く息を吐く。
間合いを意識した足運びの鍛錬――それが今日のテーマだ。
突く、引く、回り込む、後退する。
相手の動きを想定しながら、自分の位置を保ち続けること。
それが、槍を扱う上での基本であり、命を守る技術だ。
(……ここだ。いや、半歩遅い)
自分で自分の動きにダメ出しをしながら、一つひとつを確かめていく。
地味で、見た目には冴えない鍛錬。
けれど、その繰り返しの先にしか、あの“本物”の手応えはない。
(なんだろう……今の動き、前よりもしっくりくる)
わずかな感覚の変化に、アルフはまだ気づいていなかった。
あともう少し。
それは確かに近くにあるのに、指先からすり抜けていく。
もどかしさと、それでも止めたくない意地が交錯する中、アルフは黙々と動きを繰り返した。
汗が額から首筋を伝い、服にじわりと染み込んでいく。
それでも足は止まらない。
──今日はもう一歩、前に進めた気がする。
* * *
訓練を終えたアルフは、ギルドで依頼掲示板の前に立った。
「……本当は、もう少し攻めた依頼に行きたい気もするけど……」
昨日の幻獣との遭遇を思い出し、今日は堅実なFランク依頼を選ぶことにした。
目に留まったのは――
《薬品倉庫の整理とラベル貼り補助》
町外れの「エルド薬房」。
棚卸しや瓶のラベル貼りに加え、薬草箱や器具の移動もあるとのこと。
体力はいるが、危険は少ない。
「……これにしよう」
受付に提出すると、受付嬢が頷いた。
「店主のエルダさんは少し厳しい方ですが、丁寧なお仕事をされますよ」
「分かりました。行ってきます」
アルフはギルドを出て、薬房へ向かった。
* * *
エルド薬房は、町の外れにあった。
扉を叩こうとしたとき、軒先の裏から声が飛んできた。
「アルフお兄ちゃん?」
薬草の束を抱えた少女が、驚いた顔で立っていた。
「リリシア……?」
孤児院にいるはずの少女だった。
「どうしてここに?」
「今ここでお手伝いしてるの。来年には十六になるし、自立の準備しなくちゃって……」
リリシアは恥ずかしそうに笑う。
「そっか。えらいな」
「えへへ……ありがとう」
そこへ現れたのは、きっちりとした身なりの年配女性――店主のエルダだ。
事情を聞くと、アルフをじろりと見て小さく頷いた。
「今日の依頼人かい。じゃあ、始めるよ」
薬草倉庫での作業が始まった。
薬草箱の整理、瓶のラベル貼り、重い器具の移動……想像以上に体力と集中力を使う仕事だ。
「わっ……この箱、重い!」
リリシアがバランスを崩し、瓶が揺れる。
「危ない!」
アルフが支え、なんとか事なきを得た。
「あ……ありがとう、助かった……」
「任せて。こっちは僕がやるよ」
「うん……ありがとう」
何度目かの往復のあと、リリシアがぽつりと言う。
「お兄ちゃん、なんか……前より逞しくなったね」
「え?」
「線が細かったのに、今は……冒険者さんって感じ」
頬が赤くなるのを見て、アルフは視線を逸らした。
「そ、そうかな……?」
「でも、安心するよ。一緒に作業してて」
胸の奥に、じんわり温かいものが広がる。
倉庫には薬草の香りと、二人の小さな笑い声がやわらかく漂っていた。
* * *
作業を終えると、エルダは二人を休憩室に招き、湯気の立つハーブティーを差し出した。
「うちの自家製だよ。リラックス効果は抜群」
ひと口飲むと、柔らかな甘みと清涼感が口いっぱいに広がった。
「すごく飲みやすいです」
「でしょう? 薬だけじゃなく、気持ちも和らげなきゃね」
テーブル越しに、リリシアが尋ねる。
「ねえ、お兄ちゃん。最近どんな依頼してるの?」
「昨日は幻獣に遭遇したよ」
「えぇ!? 幻獣って、あの本に載ってるやつ!?」
「大物じゃないけど、危なかった。でも仲間がいて助かった」
「一緒にいた人って、強い冒険者なの?」
「強いっていうより……頼りになるんだ。不思議と安心できる」
アルフの言葉に、リリシアが微笑む。
その様子を見て、エルダが口を開いた。
「あんたたち、まるで夫婦みたいだね」
同時に顔を真っ赤にする二人。
「ち、ちがいます!」
「そそそ、そんな関係じゃ……!」
「ふふ、若いものはからかい甲斐があるね」
エルダが笑い、部屋の空気が和んだ。
* * *
報告を終えてギルドを出た後、ノネズミ亭に戻ったアルフは、夕食を頼んだ。
スープを飲んでいると、厨房から低い声が飛ぶ。
「……そろそろ、うちなんかよりマシな宿に移ればどうだ?」
アルフは箸を止め、顔を上げた。
「Eランクにもなって、安宿じゃさまにならねぇだろ」
心配なのか、からかいなのか。
でも、その言い方にどこか照れたような響きがあって、アルフは小さく笑った。
「まだここがちょうどいいです。ザックさんの飯、好きなんで」
「ふんっ」
ザックはそれだけ言って奥に引っ込む。
アルフはスープをすすりながら、にやけた。
(……なんだかんだで、今日はいい日だったな)
※この作品はカクヨムで先行公開中です
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【第17話 成長記録】
筋力:10(熟練度:92 → 94)(+2)
→ 倉庫作業での箱の往復運搬、訓練時の踏み込み強化
敏捷:10(熟練度:80 → 83)(+3)
→ 槍の間合い訓練での移動操作、踏み込みと退避の足運び
知力:10(熟練度:65 → 69)(+4)
→ 薬品整理・ラベル分類の情報処理、エルダとの対話による知識蓄積
感覚:12(熟練度:84 → 87)(+3)
→ 槍訓練時の接地感・空気の切断感の把握、重心の調整
精神:12(熟練度:27 → 32)(+5)
→ 自分の変化を受け入れる肯定感、仲間との思い出の回想と未来展望
持久力:15(熟練度:35 → 38)(+3)
→ 朝からの訓練・倉庫作業・街歩き・報告までを通した活動持続力
【収支報告】
現在所持金:596G
内訳:
・前回終了時点:567G
・依頼報酬:+50G(Fランク作業系依頼)
・朝食:果物2つ購入 −3G
・昼食:薬房での招待(無料)
・夕食(ノネズミ亭):−8G
・宿泊費:−10G
【アイテム取得/消費】
・なし
【装備・スキル変化】
武器:スレイルスピア
スキル:未開花