第13話「小さな信頼と、大きな一歩」
リンゴの袋を片手に訓練場へ向かう僕の足取りは、今日も軽い。
街角の果物屋に近づくと、いつものように元気な声が飛んできた。
「今日も早いねぇ、兄ちゃん」
「ええ、おばあさんのおかげで、いい朝を迎えられそうです」
軽口を返しつつリンゴを受け取ると、僕はつい口を滑らせる。
「……ほら、早起きは三文の得って言いますし」
「ほう、三文。そりゃ重そうだ」
老婆は目を細め、笑いながら言った。
「……重さじゃなくて、お金の話なんですが……説明が難しいですね」
「ま、お得ってことなんだろ? なら、今朝は得した気分で行きな」
肩の力が少し抜けて、僕もつられて笑う。
礼を言って、僕はいつもの道を訓練場へと歩き出した。
* * *
ギルドの裏手にある訓練場では、すでに朝の霧が薄らいでいた。
木製の人形や丸太が並ぶ簡素な施設。けれど、僕にとっては心を落ち着ける場所だ。
いつものように木槍を手に取り、構えを確かめる。
突き、引き、構え直し。
足を運び、重心を低く保つ。
昨日よりも、もう一歩だけ、精度を上げるように。
「地味だけど、よくやってるな」
振り返ると、あの大柄な男──ハルドが腕を組んで立っていた。
「おはようございます、ハルドさん」
「おう。見てたぞ。地味な動きほど身になる。……駆け出しのうちは特にな」
ハルドはそう言って、自分の槍を軽く振って見せた。
「重心の安定ができていれば、武器が何だろうと“軸”ができる。軸があれば、威力も制圧も乗ってくる」
「……はい」
「視線と重心が一致してりゃ、攻撃も回避もぶれねぇ。俺も昔、それを理解するのにずいぶんかかった」
ハルドの言葉は、どれも重たく、まっすぐだった。
僕はもう一度、構えを正す。
地味な訓練の一つ一つが、未来の土台になる。
そう思えるのは、こんなふうに声をかけてくれる先輩がいるからだ。
* * *
朝の鍛錬を終えて訓練場を後にした僕は、そのままギルドへ向かった。
受付には見慣れた顔──ミーナさんが、帳簿を片手に立っていた。
「おはようございます、ミーナさん」
「おはようございます。今日もいい顔をされていますね、アルフさん」
そう言って微笑んだ彼女の表情には、どこか安心したような色が混じっていた。
「それで、ちょうどよかった。新しい依頼をご紹介したいのと……実は、Eランクへの昇格申請、無事に受理されたという連絡が今朝届いたんです」
「……本当ですか?」
思わず、声が漏れた。目に見える結果が出た。それだけのことなのに、胸の奥がじんわりと熱くなる。
「はい。正式な登録証は今日中には届くはずですから、楽しみにしていてくださいね」
「ありがとうございます」
「それと、今日の依頼ですが……ちょうどよいものが入っています。こちらです」
そう言って差し出されたのは、一枚の依頼書だった。
《依頼:薬草採取補助(指導同行型)》
依頼ランク:F
依頼主:薬師ギルド・見習い部(担当:ルーシェ・フェンデル)
目的:薬草「イムリ草」および「ハンデル苔」の採取と識別訓練
報酬:基本報酬70G+薬草2束持ち帰り可
「……ルーシェさんって、以前ご一緒したあの方ですよね?」
「はい。実は今回、ルーシェさんから“できればまたアルフさんにお願いしたい”とご指名がありまして。彼女、そういうことは滅多におっしゃらないんです。よほど信頼してくださっているのだと思います」
胸の奥が温かくなる。たった一度の依頼だったけれど、ちゃんと見ていてくれた人がいたのだ。
「ぜひ、引き受けさせてください」
「ふふ、そうおっしゃると思ってました。では、薬師ギルドでルーシェさんと合流して、現地に向かってくださいね」
* * *
薬師ギルドの建物は、ギルド本部から少し離れた通りにある。
木製の看板には薬瓶と葉っぱの意匠が描かれており、建物全体も草木の香りが漂う静かな雰囲気だった。
「……来ました、アルフさん。遅くはなかったですね」
入口で出迎えてくれたのは、三つ編みに眼鏡の少女──ルーシェだった。
「おはようございます、ルーシェさん」
「本日の採取対象は、北東側の丘陵地帯に分布する“イムリ草”と“ハンデル苔”です。現地での識別方法と採取の手順は、移動中に説明します。準備は大丈夫ですね?」
「はい、問題ありません」
早口でやや固い口調。けれど前回よりも、少しだけ言葉の角が取れていた。
目元にはかすかに安心したような笑みも浮かんでいる。
「……では、行きましょう。今日は天気も安定していますし、効率よく終えられるはずです」
ルーシェの手には、小ぶりな薬籠と野外用のスケッチ帳が抱えられていた。
歩調を合わせて並びながら、僕たちは目的地へと向かった。
* * *
目的地に近づくにつれ、草木の様子が変わっていく。
湿り気を帯びた土の匂い。木々の根元には苔がびっしりと張りつき、空気はひんやりとしていた。
「このあたりが、ハンデル苔の生育圏です」
ルーシェがしゃがみ込み、岩陰を指さす。
「ハンデル苔は湿った石の表面に張りついて育ちます。特徴は、この鮮やかな緑色と、薄い膜のような質感。止血効果が高く、水分を含ませると薬効が増します」
彼女は指先で苔を丁寧にめくり、その断面を見せてくれる。
「無理に剥がすと傷むので、こうしてヘラで下から持ち上げて採ります。はい、どうぞ」
渡された道具を手に、僕も試してみる。
石の角度を確認し、苔の端を少しずつ──焦らず、慎重に。
思ったよりも繊細な作業だ。雑に扱えば、それだけで薬効が落ちる。
(こういう丁寧さ、ちゃんと覚えておかないと)
「……うまいです。前回より手際がいいですね」
「ありがとうございます」
褒められると、なんだか照れくさい。
その後も、彼女の指導のもとで薬草を採取していく。
「こちらが、イムリ草です。縁が赤みがかっていて、葉は楕円形。解熱作用があり、発熱による幻覚や吐き気を抑えるのに効果があります」
(イムリ草……これは、前に体調を崩したとき飲まされた薬の中に入ってたやつかな。なんだか見覚えがある気がする)
「似たような葉って、ほかにもありますよね?」
「ええ、ラシェ草などが。見分けるポイントは葉の裏。ラシェ草には赤い斑点があって、微毒があります。煎じると腹痛や嘔吐を起こすので要注意です」
ルーシェの講義はやや早口ながら、熱意と内容の確かさに引き込まれる。
(知ってる人が話すと、薬草ってこんなに奥深いんだな……)
僕は教えられた通りに、一枚一枚、葉を確認しながら丁寧に採取していった。
──そのときだった。
道の脇にある低木の根元に、何か妙な違和感を感じた。
地面に、わずかな不自然な凹み。
そしてそこから、細い金属線が伸びているのが見えた。
空気がピンと張り詰める。
僕は息を潜め、足を止めた。
「……罠です」
咄嗟に声を発し、ルーシェの腕を軽く引く。
彼女が踏み込む寸前だった。
「これは……狩猟用の、踏み板式ですね。放置されてるなんて……」
静かに膝をつく。
周囲の音が遠のき、自分の呼吸と草の揺れる音だけが耳に残る。
僕は慎重に金属線をたどり、罠の構造を確認する。
板を押し戻し、針金をそっと外しながら、ゆっくりと作動機構を解除した。
──カチリ。
小さな音と共に、罠は沈黙した。
「助かりました。私、一人だったら気づかずに踏んでいたと思います……」
ルーシェが、胸に手を当てて息をつく。
魔物がいなくても、危険はある。
そして、今回それを“防げた”のは、偶然なんかじゃない。
(……気づけた。この感覚は、ちゃんと積み重ねてきたものだ)
僕は少しだけ、自分に誇りを感じていた。
* * *
薬草の採取と罠解除を終えた僕たちは、予定より少し早くギルドへ戻ることができた。
薬師ギルドの前で別れ際、ルーシェは小さく一礼した。
「今回も、ありがとうございました。とても助かりました」
「いえ、こちらこそ。薬草のこと、前よりずっと分かってきた気がします」
「また機会があれば……その、ぜひお願いしたいです」
視線を逸らしながらも、はっきりとそう言ってくれたルーシェに、僕は素直に頷いた。
「はい。僕もまたご一緒できたら嬉しいです」
小さな信頼の積み重ねが、またひとつ増えた気がして、心が温かくなる。
* * *
ギルドに戻ると、受付にはミーナさんの姿はなく、代わりにガルドさんが立っていた。
「おう、帰ったか。ご苦労だったな」
「ただいま戻りました。依頼、無事完了です」
簡潔に報告を済ませると、ガルドさんは少し無精ひげを撫でながら、ニヤリと笑った。
「そういや、ちょうどさっき届いたぞ。ほら」
彼が差し出したのは──見慣れたFランクとは違う、銀色の縁取りが施された小さなカード。
「Eランク……!」
「おめでとう。これで見習い卒業ってとこだな。とはいえ、ようやくスタートラインに立ったって感じだが」
ぽん、と肩を叩かれた。
それだけなのに、胸の奥がじんわりと熱くなる。
「今の調子でいい。無理はするな。地に足つけて、ひとつずつ積み重ねろ」
ガルドさんの声は低くて少ないけど、どの言葉にも芯があった。
「はい。ありがとうございます」
僕は深く頭を下げて、その言葉を噛みしめた。
* * *
ノネズミ亭に戻り、いつもの席で簡単な夕食をとったあと、部屋に戻った僕は布団にごろんと寝転がった。
片手には、今日受け取ったばかりの冒険者登録証──Eランクのカードがある。
「……ふふっ」
思わず笑みがこぼれる。
何度もくるくると裏返しては眺め、もう覚えたはずの名前と等級を確認してしまう。
「明日は……武器屋でも見てみようかな」
いつか“本当に自分に合った武器”と出会えるかもしれない。
そんな予感に、胸が高鳴る。
でも今夜は、このちょっとした達成感と一緒に、もう少しだけニヤニヤしてから眠ろうと思う。
※この作品はカクヨムで先行公開中です。
ついにEランクになったアルフ!
みなさまの応援のおかげです。ご愛読ありがとうございます。
【第13話 成長記録】
- 筋力熟練度:77 → 81(+4)
→ 薬草採取の補助作業、急な体勢変更による筋力使用増加
- 敏捷熟練度:60 → 66(+6)
→ 採取作業での繊細な手の動きと足運び、罠発見時の動作により向上
- 知力熟練度:46 → 53(+7)
→ 薬草識別と罠の構造理解、判断対応による知的負荷
- 感覚熟練度:61 → 68(+7)
→ 違和感への察知と現場の観察能力向上
- 精神熟練度:0 → 5(+5)
→ 他者からの信頼と依頼者対応での安定した精神力
- 持久力熟練度:14 → 21(+7)
→ 丘陵地での移動と長時間作業による体力消耗
【収支報告】
現在所持金:834G
内訳:前回785G/報酬+70G/朝食:−2G/夕食:−9G/宿泊:−10G
【アイテム取得/消費】
・薬草2束(報酬扱い、消費未)
【装備・スキル変化】
武器:木の棒
スキル:なし(罠察知・識別の感覚強化が進行中)