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第12話「ぬめり越えて、一歩前へ」

 朝靄の街を一人歩きながら、僕はリンゴを一つ袋に入れてもらった。


 街角の朝市に立つ果物屋のお婆さんは、いつも通りの柔らかな笑顔で声をかけてくる。


「最近はいつも早いんだねぇ」


 僕は「ええ、ちょっと鍛錬を日課にしようと思って」と頭を掻きながら返した。


 冒険者として依頼をこなすようになってから十二日目。

 いつの間にか、こうして朝に果物を買ってから訓練場に向かうのが習慣になりつつある。


 前世ではコンビニ飯ばかりだった僕が、まさか“朝の果物”を日課にするとは──人生、分からないものだ。


 ギルドの裏手にある訓練場には、まだ朝の霧が薄く漂っている。

 人気は少なく、聞こえるのは小鳥の鳴き声と、僕の足音だけ。


 壁際の一角で、僕は木の棒を握り、ゆっくりと構えた。

 順足、逆足、引き足……昨日の感覚を思い出しながら、一歩ずつ確かめるように足を運ぶ。


(滑るように、重心を落として……)


 自分で言うのもなんだけど、なかなか様になってきたんじゃないだろうか。

 そんなことを思っていたら、視界の端に目を引く動きが映った。


 訓練場の中央で、一際存在感を放つ男がいた。

 背は高く、厚い胸板。黒い外套の裾を翻しながら、彼は長剣を構えている。


 剣が振るわれるたびに、空気が鳴った。

 切っ先は鋭く、ひと振りごとに地面の霧が裂けていくようだった。

 無駄のない動き、鋼のような視線──鍛え抜かれた者だけが持つ迫力。


(……すごい)


 ただの“カッコいい”では片づけられない凄みがそこにはあった。

 見よう見まねで素振りをしている自分と比べて、まるで物語の中の英雄のようだ。


 ふと、足元を見る。

 手にしているのは木の棒。相変わらず壁に向かって地味に足を運んでいるだけの僕。


(……いや、ダメだダメだ。浮気はダメだ……浮気は……)


 僕は苦笑しながら首を振り、再び壁に向き直った。

 剣の魅力に心が揺れたことを反省しつつ、地味な足運びの鍛錬を続ける。


 僕には僕の歩幅がある。

 派手さはないけれど、一歩ずつ着実に前に進む。そんな訓練の積み重ねが、きっと力になると信じている。


 * * *


 朝の鍛錬を終え、僕はギルドの正面入口へと回り込んだ。

 まだ人通りは少ないが、受付カウンターにはすでに何人かの冒険者たちが列を作っている。


 その後ろに並びながら、今日の依頼はどんなものがあるだろうかと掲示板に目をやっていると、ミーナさんが僕に気づいて手を振ってくれた。


「アルフさん、おはようございます。ちょっといいですか?」


 列を外れてカウンターに近づくと、ミーナさんは控えめに声を落として話しかけてきた。


「最近、Fランクの依頼を着実にこなしておられますよね。どの依頼主からも評判が良いですし、もうそろそろEランクに昇格できるはずです」


「えっ、本当ですか?」


 驚きとともに思わず声が漏れた。ランク昇格なんて、まだまだ先のことだと思っていた。


「はい。普通は、みなさん何日かに一度しか依頼を受けないですし、途中でトラブルになったり、連絡なしで放棄してしまう方も珍しくないんです。でもアルフさんは、ほぼ毎日欠かさず、きちんと報告もされていて……正直、異例のペースですよ」


 異例。自分では意識していなかったが、周囲と比べてみると、確かに頑張っている方なのかもしれない。


「でも……昇格すると、Fランクの依頼って受けられなくなるんでしょうか?」


 僕の不安を察したのか、ミーナさんは柔らかく笑った。


「いいえ。もちろんEランク以上の依頼も受けられるようになりますが、無理のない範囲で、Fランクの依頼を継続して受けていただいて構いません。むしろ、堅実な方には続けてほしいくらいです」


 その言葉に、胸の中の小さな不安がすっと溶けた。


 無理をしなくてもいい。地道なやり方のままでも、ちゃんと前に進めるのだ。


「それで、今日はどんな依頼がありますか?」


 気持ちを切り替え、ミーナさんが提示してくれた依頼票を確認する。


『街外れの共同井戸の周囲に現れた野良スライムの駆除(Fランク)』


「またスライムですか……」


 思わず苦笑いが漏れる。以前にも一度挑んだあの依頼。正直、ぬめり掃除の大変さが脳裏をよぎる。


「ちょうど今、スライムの繁殖期らしくて。今朝も何件か苦情が来ているんです」


「わかりました。僕が引き受けます」


 そう答えると、ミーナさんは引き出しから一枚の札と、小さな木札の付いた袋を取り出した。


「それと、今回の依頼では木槍の貸し出しが可能です。以前と同じく、ギルド備品の初心者用ですが、必要でしたら現地で使ってください」


「木槍……あ、はい、お願いします」


 僕は自然と笑みを浮かべていた。


(木とはいえ、槍は槍だ)


 ずっしりと重みのある武器ではないけれど、それでも“槍”と名のつくものを手にして戦うのは、どこか胸が高鳴る。

 昨日までの鍛錬が、ほんの少しだけ現実に近づくような感覚だった。


 再挑戦にはちょうどいい機会だ。

 あのときより、今の僕はどれだけ成長しているか。


 そんな僕の内心を読み取ったかのように、ミーナさんが言った。


「大丈夫だと思いますけど、慢心は禁物ですよ?」


 ぴしりと釘を刺され、僕は苦笑いで返すしかなかった。


 * * *


 街外れの共同井戸は、簡素な木柵に囲まれた小さな広場の中心にあった。

 まだ朝の気配が色濃く残る中、僕は貸し出された小型の木槍を手に現地へと足を運んだ。


 地面にはすでに薄くぬめりが広がっていて、空気もほんのり酸味を帯びている。

(やっぱり……いたな)


 井戸の影から、ぷるんとした半透明の物体がひょっこりと顔を出した。

 小型のスライム。以前と同じくらいの大きさだけど、動きがやや素早いように感じる。


 僕は深呼吸し、木槍を構えた。

 前よりも落ち着いて、足運びを意識して──間合いを測る。


 一歩、踏み出す。

 滑るように、重心をぶらさずに。

 槍先がスライムの中心を捉える。


 ぷしゅ、と静かな音とともにスライムが弾けた。


 ── 一匹目、討伐完了。


 手応えがある。前は焦って無駄に突いたり、距離を詰めすぎて足を滑らせたりしていたけど、今は違う。

 それに、やっぱり──木とはいえ、これは“槍”だ。

 普段使っている木の棒よりも明らかに握りやすく、長さと重さのバランスがしっくりくる。

 柄の中心がしっかりしていて、突き出したときの安定感が全然違った。


(二つ三つと突きを繰り返すうちに、道具に自分の動きが乗っていく感じがする……!)


 二匹、三匹、四匹と、確実に仕留めていく。

 足の運びも乱れず、槍先の意識も抜けない。

 気がつけば、予定の五匹を超えて七匹目に突きを放っていた。


 ぷるぷると震えながら後退する最後のスライム。


「あと一歩……っ」


 間合いを保ちつつ、落ち着いて突き出す。

 今朝の鍛錬が活きている。そんな実感が、胸の奥で小さく芽生えていた。


 だが──戦いはそこで終わりではなかった。


 辺りに広がるぬめり。そう、問題はこっちだった。


 スライム駆除の後始末。井戸の周囲に撒き散らされた、あのヌルヌルの正体不明物質を丁寧に拭き取らなければならない。


(そうだった……これが本番だった)


 達成感に満ちた心が、すぅっと冷めていく。

 僕は改めて足元を見下ろした。


 ぬめりは想像以上に広範囲に及んでいて、日差しが差し込めばテラテラと鈍く光りそうな粘液が、石畳の隙間にまで染み込んでいる。

 井戸の縁、桶の持ち手、そして僕の靴の裏にも──ぬるり、とした感触が残っていた。


 戦いの熱がまだ身体に残っているというのに、現実は無慈悲だった。


 僕は無言で項垂れる。

 井戸の静けさと、かすかな風の音だけが辺りを包み込む。

 顔を上げたとき、どこからかカラスの鳴き声が聞こえた。

 なぜか、それが妙に沁みた。


 思わず天を仰ぐ。

 どこかで聞いたような名言が脳裏をよぎる。

「戦いの後が、真の地獄だ」──そんな気分だった。


 * * *


 ギルドへ戻ったのは、午前の終わり頃だった。

 受付にはまだミーナさんがいて、僕が姿を見せると、すぐに気づいて微笑んでくれた。


「おかえりなさい、アルフさん。井戸、どうでしたか?」


「……ぬめりが、想像以上に手強かったです」


 そう答えると、ミーナさんは小さく吹き出した。


「やっぱり、そうでしたか。でも、しっかり駆除してくださって助かりました」


 僕は依頼完了の報告書を提出し、貸し出されていた木槍を返却する。

 報酬と一緒に、スライムゼリーが小さな布袋に入って手渡された。


「アルフさん、今回の依頼をもって、貢献度が規定値に達しました。私の方からEランク昇格の申請を出しておきますね」


「えっ……」


 その言葉に、思わず固まってしまう。


「もちろん、審査もありますが、Eランクへの昇進審査は各支部に任されているので遅くても2〜3日で結果は出ると思いますよ」


「ありがとうございます……本当に」


 言葉に詰まりそうになりながら、頭を下げた。

 まだ実感は湧かないけれど、少しずつでも前に進んでいる──それだけは、確かに思えた。


 夕方。

 ノネズミ亭に戻った僕は、いつものように木製の椅子に腰を下ろし、宿の食堂で夕食を頼んだ。


「……今日は、肉、多めでお願いできますか? ちょっとだけ祝い事で」


 無愛想な宿主・ザックは、ちらりと僕を見ただけで、無言のまま厨房へ引っ込んでいった。


 しばらくして運ばれてきた皿の上には、いつもより確かに分厚い肉片がのっていた。

 その量に、なんだか嬉しくなって、思わず笑みがこぼれる。


 今日は、よく頑張った。


 手を拭きながら、ふと今日の依頼で使った木槍の感触が指先に蘇る。

 普段の木の棒とは違い、あの槍には確かな重みと芯があった。

 振るたびに動きが乗りやすく、狙いが定まりやすい。戦いの最中、手にしっくりと馴染んでくれたあの感触──


(やっぱり、僕も……ちゃんとした、自分だけの槍が欲しい)


 そんな思いが胸の奥から自然と湧き上がってきた。


 そしてもし、無事にEランクになれたら──そのときは、自分だけの武器を買おう。


 木のスプーンを手に取り、僕は静かに祝福の夕食を口に運んだ。

 少しだけ、未来が楽しみに思えた。


※この作品はカクヨムで先行公開中です。

アルフもついにEランクに昇進できそうです。応援ありがとうございます。



【第12話 成長記録】

- 筋力熟練度:73 → 77(+4)

 → スライム討伐における連続突き動作と掃除作業による筋持久力の発動

- 敏捷熟練度:55 → 60(+5)

 → 木槍を用いた正確な突き操作と足運びの応用、姿勢維持と掃除の連続動作

- 知力熟練度:40 → 46(+6)

 → 木槍の使用感からの道具評価、井戸の汚染範囲と清掃手順の計画的処理

- 感覚熟練度:55 → 61(+6)

 → スライムの動きと位置感知、槍先のコントロール、ぬめりの広がりへの感応力

- 精神熟練度:99 → 100(+1)※1up → 精神:11→12(熟練度0/100)

 → 雑務の継続と昇格通知への対応、心の安定と達成感の統合

- 持久力熟練度:7 → 14(+7)

 → 早朝の訓練+戦闘+清掃+移動というフル稼働による体力再蓄積の進行


【収支報告】

現在所持金:785G

 内訳: 前回720G/依頼報酬+85G/朝食:-2G/夕食(肉多め):-8G/宿泊費:-10G


【アイテム取得/消費】

・スライムゼリー(報酬として受領)


【装備・スキル変化】

武器:木の棒

スキル:未開花

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