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第9話「焦らず、けれど止まらずに」

 昨日、ガルドさんに「朝の訓練場を覗いてみろ」と言われてから、ずっと楽しみにしていた。


 せっかくのアドバイスだ。眠る前から、早朝の空気の中を歩く自分を想像して、少しわくわくしていたくらいだ。


 朝の空気は思った以上にひんやりとしていた。

 吐く息が白むほどではないけれど、肌を撫でる風が眠気を吹き飛ばしてくれる。


 まだ街全体が静まり返っている時間帯。僕はギルドの裏手にある訓練場へと向かっていた。


 宿を出るときはまだ暗かったが、訓練場の周辺にはすでに何人かの冒険者が姿を見せていた。

 それぞれが武器を手に、黙々と動きを確認したり、素振りを繰り返したりしている。


 その中で、僕の目を引いたのは一本の槍を構えた中年の男だった。

 決して若くはないが、構えに一切の無駄がない。

 足の運び、槍の振り方、すべてが流れるように美しい。


 あれが……“本物”の動きか。


 僕は訓練場の隅に腰を下ろし、無言でその動きを見つめた。


 長い槍を扱うには、距離感、間合い、そして一歩先を読む力が要ると昨日教わった。

 目の前の男の動きはまさにそれだった。最初の一撃で決めるつもりの、無駄のない集中力。


 木の棒を振り回していた自分とは、まるで違う。


 だけど、不思議と落ち込む気持ちはなかった。

「ああなりたい」と、ただ素直に思った。


 そのとき、槍の男がふとこちらに気づき、軽く顎をしゃくった。


「……槍に興味があるのか?」


 低く、けれどどこか親しみのある声。


 僕は慌てて立ち上がり、小さく頭を下げた。


「はい。まだ始めたばかりですが……見ていて、すごく、惹かれました」


 男は一瞬驚いたような顔をした後、ふっと笑った。


「なら、少し話していくか。俺はハルド。槍を握って二十年の、ただの物好きさ」


 その言葉に、僕の胸は自然と高鳴っていた。


 * * *


「それで、槍を始めたいってわけか?」


 訓練場の片隅、日の光が斜めに差し込む中、ハルドさんは槍を地面に立てかけながら僕に向き直った。


「はい。ただ、まだ木の棒を振ってる程度で……本格的に武器を持ったこともなくて」


「ふむ。まあ、誰だって最初は素人さ」


 そう言って、ハルドさんはにやりと笑った。


「槍ってのはな、長さがある分、力で振り回すもんじゃねぇ。大事なのは、間合いだ。つまり“ま・あい”ってやつだな」


 彼は足を引き、軽く槍を構える。

 ほんの一瞬で、空気の張り詰め方が変わったように感じた。


「相手との距離を常に把握して、その一歩手前で止める。先に動く“先の先”か、動き出した相手を捉える“後の先”か。どちらを選ぶかの判断も、槍の本質だ」


 言葉と動作が自然に連動している。

 まるで舞うような足運びで間合いを取り、槍の穂先が空を裂くように突き出される。


「それと、“槍先”に常に意識を乗せること。柄に意識が落ちると、ただの棒きれだ」


 僕は真剣に頷き、何度もその構えを目に焼きつけた。


「なるほど……意識を槍先に……」


「あと、覚えとけ。実戦じゃ、槍が使えねぇ場所もある。狭い通路や室内じゃ振るえねぇ。そういうときのために、短剣とかも鍛えとくといいぞ」


「ありがとうございます……すごく、勉強になります」


 僕が頭を下げると、ハルドさんは照れ臭そうに笑いながら槍を肩に担いだ。


 そのとき、訓練場の柵の向こうから、見覚えのある声が飛んできた。


「……おいおい。見て盗めって言ったのに、がっつり教えてもらってるじゃねぇか」


 振り向くと、ガルドさんが腕を組んでこちらを見ていた。


「ははっ、いやな、この坊主、真面目に話を聞くもんだから、ついな。こういうの、教えがいがあるってもんさ」


 ハルドさんが笑いながら言うと、ガルドさんも肩をすくめて苦笑した。


「まぁ……たしかにな」


 ベテラン二人のやり取りに、僕はなんだか嬉しくなって、小さく頭を下げた。


「ありがとうございます、ハルドさん、ガルドさん。……僕、もう少し頑張ってみたいです」


「おう、そうこなくっちゃな」


 ハルドさんの笑顔に背中を押されるように、僕は訓練場をあとにした。


 次は、自分の一日を始める番だ。


 * * *


 ギルドの掲示板に並ぶ依頼票の前で、僕はしばし足を止めた。


 訓練場でのやり取りを思い出す。

 ハルドさんの言葉、動き、そして槍先に込めた集中力。


 ああいう動きが、すぐにできるようになるわけじゃない。

 自分が今、どこに立っているのかはわかっているつもりだ。


 だからこそ、現実的な一歩を選ぼうと思った。


 僕が手に取ったのは、「納屋のネズミ追い出し」依頼だった。


 穀物倉庫に住みついたネズミたちを追い払う、非殺傷型の対応依頼。

 報酬は75Gと、穀物のお土産つき。

 簡単そうに見えて、素早い動きと粘り強さが求められる仕事だ。


「このくらいが……今の僕にはちょうどいいかもな」


 苦笑いしながら依頼票を持って受付に向かう。


 依頼主の倉庫主・デリンは、想像していた以上に賑やかな人物だった。


「おう来たな! 冒険者くん、あんた若いのにえらい真面目そうな顔してるじゃねぇか。ネズミはよぉ、ほんとに憎たらしいんだ、うちの大事な麦をカジるわ糞はするわ……!」


 ぐいぐいと熱量をぶつけてくるが、穀物に対する情熱は本物だ。

 僕は丁寧に頭を下げて、早速作業に取りかかることにした。


 納屋の中は、乾いた藁の匂いと埃っぽい空気に満ちていた。


 物音を立てないように歩き回っていると、棚の隙間からぴょこっと小さな影が飛び出す。


(いた……!)


 とっさに昨日習った「間合い」を意識して、棒を横に構える。

 次に飛び出す方向を“先の先”で読もうとするが――


「……無理があるか」


 ネズミの動きは予測不能で、棚の下に潜ったかと思えば、袋の山を駆け上り、僕の背後から飛び出してきたりする。


 一匹目を見失い、二匹目を追いかけようとして足を滑らせ、藁に頭を突っ込む。

 三匹目は、まるで僕の動きを嘲笑うかのように、僕の目の前でくるりと方向転換して逃げていった。


(やっぱり動物って、槍の相手とは勝手が違うな……)


 あわてて棒を振り回した結果、袋のひとつを倒してしまい、僕は穀物の中に半分埋もれてしまった。


「うぐっ……」


 口に入った粉の苦さに顔をしかめながらも、なんとかネズミの通路を見つけ出し、出口へと誘導。

 棚の板で進路を塞ぎながら、じりじりと外へと追い出していく。


 時間はかかったが、どうにか作業は完了した。


「いやぁ、見事だったよ冒険者くん! おかげで今夜は麦が安眠できる!」


 デリンさんは饒舌に礼を述べながら、たっぷり詰まった穀物袋をひとつ渡してくれた。


 僕は手を合わせてお礼を言い、ギルドへと戻る道すがら、ひとりつぶやいた。


「……やっぱり、教わったからって、すぐには上手くならないな」


 けれど、その口元には、自然と笑みが浮かんでいた。


 * * *


 ギルドで報酬を受け取った後、僕はいつもの宿へと戻った。


 夕食は、スープと黒パン、そしてデリンさんからもらった穀物を使った温かい粥だった。

 いつもよりほんの少しだけ豪華で、身体に染みわたるような味がした。


 食後、裏庭に出て木の棒を手に取る。


 朝、ハルドさんに教えてもらった動きを思い出しながら、静かに素振りを始めた。

 意識を槍先に乗せる。

 無駄に力を入れず、足の位置を確かめて、一呼吸ごとに構える。


 何度も何度も、同じ動きを繰り返す。


 傍から見ればただ棒を振っているだけかもしれない。

 でも、僕にとっては――確かな一歩だ。


 素振りを終えて部屋に戻り、テーブルに置いていた革袋を開く。

 報酬が少しずつ貯まってきているのを確認して、思わず小さく頷いた。


(もう少しで……ちゃんとした武器が買える)


 焦らず、けれど止まらずに。

 今は、そうやって歩いていく。


 そう思いながら、僕は灯りを落とし、静かに目を閉じた。


※この作品はカクヨムで先行公開中です。

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【第9話 成長記録】

- 筋力熟練度:59 → 62(+3)

 → 納屋での長時間移動・棒の使用・穀物袋の取扱いによる負荷

- 敏捷熟練度:38 → 45(+7)

 → ネズミの素早い動きに対応した反応訓練、足運びの修正

- 知力熟練度:27 → 32(+5)

 → ハルドからの教え吸収、訓練場観察と自己評価

- 感覚熟練度:41 → 47(+6)

 → ネズミの気配察知、物音への反応、藁や袋の中のわずかな変化への適応

- 精神熟練度:80 → 87(+7)

 → 訓練後の“できなさ”を受け入れる自己肯定、

- 持久力熟練度:89 → 94(+5)

 → 早朝から夜までの連続活動、粘りのある作業持続、素振り反復継続


【収支報告】

現在所持金:603G

 内訳:報酬75G/朝食 -2G/夕食 -3G/宿泊費 -10G


【アイテム取得/消費】

・穀物袋(納屋依頼の報酬/夕食として粥に一部消費)


【装備・スキル変化】

武器:木の棒(継続使用)

スキル:未開花

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