第0話 プロローグ
目が覚めた瞬間、石造りの天井が視界に入った。
薄い藁布団の感触と、染みついた乾いた埃の匂い──グラウエル孤児院の朝は、今日で最後だ。
16歳の誕生日を迎えた今日、僕──アルフ・ブライトンは、この場所を出て独り立ちしなければならない。
……こうして淡々と受け止めてはいるけれど、内心では不安と緊張で胃がきゅうっとなっている。
気楽な顔を装ってるけど、正直、怖い。
けれど、そんなことをいちいち顔に出していたら、僕みたいな小心者は、この世界じゃ生きていけない。
ここは異世界『リーナス』。
この世界に来たのは、14歳のとき。
いや、正確には“目覚めた”のがその頃だ。
二年前──前世の記憶が、唐突に押し寄せてきた。
現代日本でブラック企業に潰され、孤独と疲労の中で死んだ、あの冴えない男が、僕の中にいた。
だけど、やり直せるかもしれない。この異世界でなら。
今度こそ、自分の人生をちゃんと生きてみせる。
……まあ、その割には装備も資金も貧弱すぎて笑えるけど。
コネ? ない。
特別な力? もちろんない。
チートスキル? 夢のまた夢。
あるのは、ほんの少しの現代知識と、場当たり的な慎重さ、それと……このしぶとい生命力くらいだ。
でも、決めたんだ。
冒険者になる。
まずは、ギルドに登録すること──それが僕の第一歩。
ぼろ布の袋を背負い、わずかに硬貨が触れ合う音を聞きながら、僕はゆっくりと孤児院の門をくぐった。
手に握られた200G入りの小袋は、僕の全財産。
そして、これからの“人生”のスタート資金だった。
グラウエルの街は、朝から人通りが多かった。
商人たちが活気よく声を張り上げ、冒険者風の男女が装備を鳴らして行き交う。
初めて歩く街路は広く感じられ、僕の歩幅は自然と小さくなる。
そんな中、冒険者ギルドの建物はすぐに見つかった。
石造りの頑丈そうな建物で、二階建て。
正面には大きな看板が掲げられ、扉の脇には依頼掲示板が設置されている。
扉を開けると、室内は意外と静かだった。
木製の床に、カウンター。
数人の冒険者が椅子に座り、掲示板を見上げたり雑談をしていた。
僕は一度深呼吸し、カウンターへと歩を進める。
「冒険者登録をお願いしたいんですが……」
対応してくれたのは、栗色のポニーテールをきっちり結った女性だった。
小さな眼鏡越しに僕を見つめ、淡く笑みを浮かべる。
「はい、登録ですね。お名前と年齢、それから……身分証明になるものはありますか?」
「アルフ・ブライトン、16歳です。身分証は……孤児院からの証明書があります」
そう言って紙切れを差し出すと、彼女──名札には“ミーナ”と書かれていた──は手際よく確認し、カウンター奥から書類を取り出した。
「Fランクからの登録になります。手数料はありませんが、明日からの活動に備えて本日の座学講習を受けていただく必要があります。よろしいですか?」
「はい、お願いします」
数分後、僕はギルドの奥にある教室のような部屋に通された。
そこには既に数名の若者たちが座っており、まばらな会話が交わされていた。
やがて現れたのは、大柄な男だった。
肩幅が広く、眼帯をしたその姿からは、ただ者ではない雰囲気が漂っていた。
「今日から冒険者を名乗るお前らに、まず一つだけ叩き込んでおく。──名誉も金も後回しだ。何より優先すべきは“生き残る”こと。それができなきゃ、何も始まらん」
その男──ガルド講師の第一声は、まさにこの世界の厳しさを物語っていた。
授業は実に現実的だった。
依頼の種類、報酬の目安、装備の管理、怪我の対処法、仲間との信頼。
一つひとつが、“理想”ではなく“現実”を生きるための知識だった。
「実際、俺の同期にもいた。初依頼で張り切って剣振り回して、準備不足でコボルトに喉を裂かれた若造がな。──お前らは、そうなるなよ」
笑えない話に、教室が一瞬静まり返る。
冗談じゃない、本当に死ぬのか……。
僕は一言も発さなかった。
ただひたすらに、聞き逃すまいとメモを取り、耳を澄ませていた。
ペン先が手汗で滑りそうになるのを、何度もこっそり拭った。
ガルド講師の視線が、何度かこちらに向けられていたことには、気づかないふりをした。
気づかなかった、ではなく──たぶん気づいていたけど、見返す余裕なんてなかったのだ。
講習が終わると、ギルドから簡単なパンフレットと登録証、それから所持金で買える範囲の装備リストを渡された。
街の武具店を何軒か覗いたが──値段を見ただけで、すぐに出る羽目になった。
鉄製の短剣が120G。盾が180G。回復薬ですら50Gから。
持ち金200Gでは、防具と武器をそろえるどころか、片方すら満足に買えない。
(……笑えるくらい、手も足も出ないな)
ため息混じりに歩いていたとき、通りの端にぽつんと並ぶ露天のひとつが目に入った。
雑多な木製の武器らしきものが並ぶその中に、一本、やけに真っ直ぐな棒があった。
「……これ、いくらですか?」
「5G。そっちのは真っ直ぐだし、打撃用にも悪くないよ。軽いしな」
値段を聞いて、肩の力が抜けたのか、思わず苦笑いがこぼれた。
僕は木の棒を手に取り、数回軽く振ってみた。
……うん、思ってたよりしっかりしてる。
少なくとも丸腰よりはマシだ。
「じゃあ、それをください」
そうして、僕の“武器”が決まった。
夕暮れ時、街は橙色の光に染まり、商人たちの声も少しずつ静かになっていく。
僕は最安の雑魚寝宿にたどり着き、わずかな宿代を支払って、薄暗い一室に身を沈めた。
床板は軋み、隣の寝息が近い。
鼻につく湿気と埃の匂い。
僕は壁際に身体を寄せ、木の棒を抱えるようにして腰を下ろした。
(……これが、僕の冒険者生活の始まり、か)
情けない。惨めだ。
まさか“人生をやり直す”って言っておいて、初日に木の棒ひとつで喜んでるとは……。
でも、それでも──あの日、何も選べずに潰れていった前の自分よりは、少しだけマシな気がした。
自分にできることは限られている。
けれど、限られているからこそ、できることを少しずつ増やしていくしかない。
雑魚寝宿の一角、壁際の薄暗い場所に身体を寄せて、僕は干し肉の入った皿を見つめていた。
塩気の強いその肉と、ぬるい水だけが今夜の夕食だ。
噛むたびに、硬さが歯に伝わり、味気ないしょっぱさが口に広がる。
他の宿泊客たちはすでに横になっていたり、小声で話していたりする。
木製の床はところどころきしみ、寝返りのたびに誰かの布団が音を立てる。
灯りの油が尽きかけて、部屋の空気は少し煙たく、湿気と埃の匂いが鼻についた。
──でも、不思議と落ち着いていた。
僕はゆっくりと干し肉をかじりながら、明日からのことを考える。
ギルドの講習で聞いた“生き延びるための心得”。
危険な依頼は避ける。無理をしない。
でも、弱いままじゃ、選べる依頼すら限られる。
(……少しでも、強くならなきゃな)
食事を終え、誰にも気づかれないようにそっと宿の裏手に出た。
夜風に混じる微かな煙の匂い。
遠くで犬が吠え、どこかの酒場から笑い声が漏れている。
ひんやりとした空気が肌をなで、意識が澄んでいく。
月明かりの下、僕は昨日手に入れた木の棒を握り直す。
節の残る表面が手に馴染まず、指先が少しだけ痛い。
見よう見まねで構え、ゆっくりと振ってみる。
──スカッ。
風を切る感触もなければ、技術もない。
ただ振るだけの、素人の動き。
でも、それでも。
何もしないよりは、きっといい。
棒の先が闇を切るたびに、自分が“この世界で生きている”という感覚が、ほんの少しだけ強くなる。
ぎこちない動きでも、僕は繰り返した。
汗がにじみ、手のひらには棒の痕が薄く赤く浮かぶ。
痛い。でも、前の人生では味わえなかった種類の痛みだ。
自分にできることは限られている。
けれど、限られているからこそ、できることを少しずつ増やしていくしかない。
そうして、僕はその夜、何もないところから始める“自分の鍛錬”を、ひとり静かに重ねた。
※この作品はカクヨムで先行公開中です。
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◾初期ステータス
【基本情報】
名前:アルフ・ブライトン
年齢:16歳
性別:男
種族:人間
出身:地方の孤児院(初期資金200Gを渡される)
【基礎パラメーター】
筋力:10(熟練度 0/100)
敏捷:10(熟練度 0/100)
知力:10(熟練度 0/100)
感覚:12(熟練度 0/100)
精神:11(熟練度 0/100)
生命力:20(自然治癒型体質によるボーナス)
持久力:14(熟練度 0/100)
【ステータス特性】
HP:20
スタミナ:14
MP:なし(魔法適性ゼロのため)
【スキル】
なし(経験に応じて開花)
【装備】
布服
所持金:200G
【アイテム】
水袋(容量:1日分)
冒険者登録証(Fランク)
地図の断片(判読不能)
【称号】
見習い冒険者
【ステータス変化】
筋力熟練度:0 → 6
持久力熟練度:0 → 7
所持金:200G → 182G
装備変更:「布服」→「布服+木の棒」
アイテム取得/消費:木の棒+1、干し肉消費