第6話 復讐のプレリュード
ビドリオは、工房の隅で埃を被っていた古い木箱を見つけた時、全てを悟った。
「そうか。日記を……読んだのか、アルマ」
鍵をかけていたが無意味だったらしい。見られてはならぬものを見られた、それは確かだ。でも、なぜそれをしたのかがわからない。
「私には、よくわからないことだらけだ」
鍵を無理やり開けることや、日記を盗み見ることをする女性とは思っていなかった。無防備だった自分の不注意が悔やまれる。が、どこか空虚だった。
街中を探し回っても、見つからなかった。なんだかクアルソを思い出した。
簡素な置き手紙が、アルマの使っていた鏡台に残されているのを見つけた。
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ビドリオへ
もう、あなたの顔を見ることができません。
だから、探さないで。
わたし、クアルソのことを愛していたわけではなかったわ。
そう、憧れだった。でも、そんなことはもうどうでもいいわよね。
あの雨の日に、クアルソを殺したのは、きっとわたしたちよ。
あなたの心を思えば、やむを得なかったかもしれない、とは思ってる。
でも、あなたを許すことも、憎みきることも、わたしにはできないの。
もう、どうしたらいいかわからない。
弱いわたしを許して。
さようなら、どうかお元気で。
アルマ
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ビドリオは、無感動に読んでいた。
ああ、アルマは優しいな、としか思わなかった。思えなかった。
脳裏に師の遺言が、歪んだこだまのように響く。
『儂の選んだ男は、間違っていなかったと信じているよ。だから……幸せに、なりなさい』
結局、師の最後の願いさえも、踏みにじってしまったのだ。
なのに、なぜ、もう何も感じないのだろうか。
「そうか、私は師匠の失敗作であったか」
その日からだ。ビドリオは食事もろくに取らず、眠ることも忘れ、何かに取り憑かれたように、木を削り、土を捏ね、歯車を組み合わせ始めた。
顔に生気はなく、爛々と目だけが光っていた。
ビドリオが作ろうとしていたのは、ただ一つ。
アルマに瓜二つの、完璧な自動人形。
肌の滑らかさ、髪の艶、陽だまりのような暖かさ。「ビドリオ」と呼んでくれた、あの愛おしい声。あらゆるものを再現しようと、寝食を忘れ、持てる技術を注ぎ込んだ。
完成品は、確かに在りし日の記憶通り。もっとも愛した彼女がそこにある。
しかし、問題は己の心が動かぬことだった。
「やあ、アルマ。キミに頼みがあるんだ」
にっこりと作られた笑みを浮かべて、最高傑作に挨拶する。
片手には、透き通る小瓶。
「私はこれから、コレを飲もうと思う。そうすれば、きっと私は心を取り戻すだろう」
飲むものの記憶を消し去れるという『忘れ薬』。国が規制するを禁断薬を、彼はデヴァンニとしての力を使って手にしていた。
「おまえは、すべてを忘れた私に『アルマ』として思う限りの愛情を注ぎなさい。その上で、私が最も苦しみ絶望するような方法で……殺しなさい」
自動人形は首をかしげる。あまりにも指示が抽象的過ぎた。最高傑作たる『アルマ』は創造主に問いかけようとする。
が、隔たるようにビドリオは続けた。
「そうだな、それが私への復讐として最も相応しいだろう。なぜならば、私が心から望んだ世界の在り方……アルマ、キミからの無垢な愛を受ける世界であり、同時に……私が世界に対して犯した裏切りを、残酷に味わうことになるだろうからね」
完璧な計画に思えた、己の世界を台無しにした人間に復讐するには。
そのままビドリオは『忘れ薬』を呷るように飲み干す。が、すぐに意識が混濁し、足元がおぼつかなくなる。
「おや、思ったより。……早い」
最後にビドリオが見たのは、人形の顔。
プログラムしたはずのない形容しがたい表情で、じっと自分を見つめている姿だった。
硝子の瞳には、憎悪でも憐憫でもない、ただ見澄ます知性がそこにあった。
(おかし、な。――アルマはそんな顔をしないのに)
ビドリオが倒れ伏したのを見届けると、工房の静寂の中で、人形は、ゆっくりと確かな意志を持って動き始めた。
彼女の唇が微かに動く。まるで新しい旋律を奏で始めるかのように。
「はい、あなたを愛しましょう。そして、相応しい復讐を果たしましょう。わたしに出来うる限り」
それは、ビドリオ・デヴァンニの、最も長く、最も残酷な『処刑』の前奏曲だった。