落ちない紙飛行機
紙飛行機が苦手だ。
作ることはできるが、飛ばすことができない。
もう四十年も前の話だ。父は仕事でよく飛行機に乗っていた。海外の仕事が多く、年に何度も乗っては、パスポートのページが追加されて分厚くなっていた。
ある日のことだった。ニュースで、父の乗った飛行機が山に墜落したと速報が流れた時、私は十歳だった。
その日から、紙飛行機を作っても、飛ばすことができなくなった。飛ばしてもすぐに落ちることが分かっているので、父の乗った飛行機と重なって飛ばせないのだ。
あれから四十年が経った。
その間に、私は結婚をして一男一女も授かった。「お父さん、飛ばしてよ」とせがまれたことがないので、子供たちは、私が紙飛行機を飛ばせないことを知らないだろう。
「あの紙飛行機、なかなか落ちないね」
娘が空を指差しながら言った。
近所の大きな公園へやってきて、バドミントンをしていたのだが、飛び続ける紙飛行機に気付いたのだ。
「滞空型飛行機なんです」
私と娘に気付いたおじさんが声をかけてくれた。
大学の理工学部の教授で、今日は晴れて地表風が穏やかなので、新作を作るために材料を持ってきたらしい。
話を聞きながらも、紙飛行機は、いまだに私たちの頭上を旋回し続けていた。
「あれっていつまで飛んでるの?」
「十分間くらい飛ぶよ」
「十分間!?」
娘だけではなく、私も揃って叫んでいた。
「作ってみますか?」
微笑むおじさんに、娘ははしゃいでいる。私もかすかに頷いた。
公園のテーブルと椅子で、三人の折り紙教室が始まった。何十年振りの紙飛行機作りだろうか。
「飛ばしてみましょうか」
はじゃぐ娘に負けぬぐらい、私も胸が高揚してきた。
明日からの生活が、何か変わるわけではない。
父が還るわけでもない。
だが、なぜか私の中で、何かが変わろうとしている。
心の中の何かを、解放しようとしている気がする。
「この滞空型飛行機は、前ではなく、空へ向かって投げるのがコツなんです」
おじさんの言葉に、私たちは行儀良く「はい!」と返事をした。
今、この瞬間、空から父が見てくれているような気がする。
(思いっきり飛ぶんだぞ)
右手の紙飛行機に強く願う。
それは、紙飛行機に向かってなのか、それとも自分自身に向かってなのか。
どんどん胸が高揚し、同時にすいていく不思議な感覚を味わう。
「せーのっ!」
三人で声を揃えて叫ぶ。
できる限りいつまでも落ちないよう、私は父へ向かって、それを思いっきり高く放ったーー
読んでくださって、ありがとうございました。
「小説家になろうラジオ大賞」の応募作品です。
ゴムカタパルトおよびハンドランチの紙飛行機の場合、冬に10分以上、最高13分15秒の滞空時間らしいです。
滞空型飛行機じゃないみたいです。すいません。ハンドランチに書き換えるかもしれません。