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きつね娘の幸せな嫁入り~きつねは食べても美味しくありませんよ!?~

作者: 結生まひろ

「おまえを、俺の嫁にする」

「――え?」


 まだ幼さが残るくりくりの黒い瞳をまっすぐ私に向けて、サラサラの黒髪を風に揺らしながら。

 晴れているのにぱらぱらと落ちてきた雨を気にも留めず、彼は言いました。


「おまえを俺の嫁にする」

「……」


 お互い、まだ名前も知らないのに。

 お嫁入りするということの意味すら、まだよくわかっていないのに。


 それでも月明かりを受けて輝いている彼の瞳があまりにも美しすぎて、私はこくりとただ静かに頷いていました。




 *




 私は、あやかしの母と人間の父から生まれました。


 母はきつねのあやかし――妖狐です。

 妖狐は強くて偉大なあやかしですが、母は人間との間に子供を産んだことで仲間から追い出されてしまいました。


 私には穢れた血が混ざっているそうです。

 人間は穢れているのでしょうか?


 父は優しい人でした。とても穢れているようには見えません。

 でも、父もあやかしと一緒になったことで、人間の町から追い出されてしまいました。


 妖狐は偉大なのに、どうやら恐れられてもいるようです。


 あやかしの中には悪さをする者もいて、そういうあやかしは〝祓い屋〟に退治されます。

 祓い屋は、特別な力を持っている人間がするお仕事です。


 退治されては困るので、どんなに意地悪をされても人間に悪さをしてはいけないと、母から教わりました。



 私たちは親子三人、山奥で暮らしていました。


 自分たちで野菜を育てて、父が猪や鳥を捕まえて、母が料理をしてくれました。

 父と母がいたので、全然寂しくありません。

 毎日三人で笑って、楽しく暮らしていました。


 私はとても幸せでした。



 でも、あるときから父に元気がなくなりました。

 ずっとお布団の中で寝ています。

 昼も夜も、ずっと。


「お父ちゃん、どうしたの? まだ眠いの?」

「ああ……遊んでやれなくてごめんな、木乃葉(このは)

「いいよ。今日の獲物は私が捕まえてくるから!」

「そうか、ありがとう……。木乃葉はいい子だなぁ」


 大きな手で、父は私の頭を撫でました。

 私は父に頭を撫でてもらうのが大好きです。


 父は最近、食欲もないようです。

 私が活きのいい獲物を捕ってきたら、たくさん食べてくれるでしょうか?


 そう思って狩りに出ました。

 でも、鳥は素早く飛んでしまうし、猪は私よりも大きくてとても捕まえられません。

 今日も、なんとか川で捕まえてきたお魚になりそうです。

 本当はお肉を食べさせてあげたいのですが……。


 母は、そんな父にいつも寄り添っていました。

 妖狐は強いので、力を父に分けてあげているそうです。

 母はすごいです。


 でも、そんな母も少し痩せてきました。

 力を分けてあげるのも、大変なのかもしれません。母が一瞬疲れた顔を見せた後、私の視線に気づいてにこりと微笑みました。


 ……無理をしていなければいいのですが。

 二人のために、私が頑張ります!




 ――先に亡くなったのは、母でした。


 妖狐は強いのに。

 母は父の病気を治すために力を注ぎすぎて、とても弱っていたのです。

 そんな身体で私たちのために狩りに行って、悪いあやかしと遭遇してしまいました。

 なんとかやっつけたのですが、致命傷を負って、亡くなってしまいました。

 私にも母の怪我を治せるくらい力があったら……。


「お母ちゃん……」


 私は泣きました。

 たくさんたくさん泣きました。


「ごめんな、木乃葉。おまえのことは、お父ちゃんが絶対守ってやるからな」


 父はそう言って、細くなった腕で私を抱きしめました。

 母が命をかけて父の病気を治したおかげで、父は布団から起き上がれるようになりました。



 でもそれから数日後、父も亡くなってしまいました。


 私にお肉を食べさせたいと言って狩りに出て、悪いあやかしに襲われてしまったのです。

 帰りが遅い父を探しに行くと、父は倒れていました。

 私もやられると思ったのですが、なぜか悪いあやかしは私を見ると焦ったように逃げていきました。


 私がちゃんと狩りができていれば……。

 私が一緒に行っていれば……。


 父と一緒に作った母のお墓の隣に父を埋めて、私はまたたくさん泣きました。



 それから独りぼっちになった私は、ある晩寂しさに堪えきれず、人里へ降りていきました。

 夏の暑い日のことです。

 太鼓や笛の音が聞こえます。

 たくさん人がいて、みんな楽しそうに踊っています。

 世界がキラキラ輝いて見えます。


「ふわぁ~……!」


 すごい、すごいです!!

 こんな世界があったなんて。


 どうやら人間たちがお祭りをしているようです。

 人間と妖狐の子供である私はお祭りに参加したことはありませんが、父から話を聞いたことがあります。

 賑やかで、とても楽しそうです。


「おい、おまえ。なにしてんだ」

「ひっ!」


 こっそりと、物陰からその様子を覗っていた私に、突然男の子が話しかけてきました。

 黒い髪に、黒い瞳。人間の男の子です。年齢は私より少し上でしょうか。

 でも、全然気配がしませんでした。この男の子、すごい人かもしれません……!


「おまえ、あやかしだな」

「……!!」

「待て。逃げるな」


 慌てて背中を向けたら、しっぽを掴まれました。

 私はまだ、きつねのしっぽも耳も隠すことができません。

 大人になれば完全に〝人化〟できるようになると母が言っていましたが、私はまだ九歳です。


「は、離してください……!」

「悪い。痛かったか? でも、逃げるなよ」

「……はい」


 そう言うと、男の子はしっぽを離してくれました。

 案外優しそうな男の子です。

 約束したので、私は逃げません。


「一人でなにしてるんだよ」

「えっと……」

「親は?」

「……いません。二人とも、亡くなりました……」

「え」


 しゅんとしてそう言った私に、男の子は眉を寄せました。


「……だからって、こんなところにいたら捕まるぞ」

「……!」

「だから、逃げるな」


 捕まってしまう……!

 そう思って後ろを向いたら、もう一度しっぽを掴まれました。


「しっぽを掴むのはやめてください! きつねはしっぽが命なんです!」


 男の子の手からしっぽを奪い返して、大切なしっぽを両手でぎゅっと抱き、守ります。

 きつねのしっぽはいつでも美しく保つのよと、母が言っていました。

 だからしっぽの手入れは毎日欠かしません。つやつやのふさふさを保つことが、立派な妖狐への第一歩なのです!

 それなのに二度も掴むなんて、ひどいです!


「ふーん。じゃあ逃げるなよ」

「……わかりました」


 確かに、逃げないと約束したのに逃げようとした私も悪かったです。

 人間に悪さをしたら大変なことになるので、本当は関わりたくないのですが……。

 この男の子も独りぼっちなのでしょうか?

 ご両親は一緒ではないのでしょうか?


「……あ、雨」


 大切なしっぽを抱えながら、じろじろと男の子を見つめていたら、鼻の頭にぽつりと雨が当たりました。

 空は晴れているのに、天気雨でしょうか。


「あのさ」


 そんなことを気に留めていない様子で、男の子は言いました。


「おまえを、俺の嫁にする」




 *




 それから、七年が経ちました。


 私は十六歳になりました。

 今では、頑張ればしっぽも耳も隠すことができるようになったので、時々人里に降りてお祭りに参加したり、〝飴〟という甘いお菓子を買ってきたりします。飴はキラキラしていてすごく可愛いのに舐めると甘くて美味しくて、大好きです!


 もちろんつやつやふさふさのしっぽは今でも美しく保っています!


 あのときの男の子――吏一(りいち)は十八歳になりました。

 吏一はお母さんが亡くなって、義理のお母さんやお兄さんに意地悪をされていたそうです。

 吏一のお母さんは、お父さんの正式な奥さんじゃなかったみたいです。


 吏一は「自分に家族はいない」と言ったので、あの後私のうちに招待しました。

 吏一も独りぼっちで寂しかったのですね。

 いきなり「嫁にする」なんて言われて驚いてしまいましたが、あれは恥ずかしがり屋な吏一の精一杯の強がりだったのでしょう!

 大丈夫です。私にはわかりますよ。

〝寂しいから一緒にいたい〟

 とは言えなかったのでしょうね!


 それからは二人で仲良く暮らしています。

 二人で一緒に畑を耕して、野菜を育てています。

 洗濯物も、一緒に洗って、一緒に干します。

 お掃除は私のほうが得意ですが、吏一はお風呂を沸かすのが上手です!




「――目を回せ~目を回せ~……!」

「……」

「眠くなれ~眠くなれ~……!」

「…………」


〝バタン――!〟


「やった!」


 やった! やりました! 今日は猪を捕まえることができました!!


 私は、今ではすっかり上手に狩りができるようになりました。

 獲物と対峙したら、目を合わせて指をくるくると回します。

 そして〝目を回して眠れ〟と念を送ると、獲物はそのまま大人しく倒れます。

 これは妖狐が使える妖術です!


 兎や鳥、ときには猪だって捕まえられるようになったのです!

 きっと父と母もあの世から見ていて、「木乃葉はすごいなぁ」と言ってくれているはずです!


「ただ今戻りました! 見てください、今日は猪を捕まえましたよ! お味噌で煮込んで猪鍋にしましょう!」

「おお……、すごいな」


 眠らせた猪をずりずりと引きずって、家まで持って帰ります。


「しかしそんな小さな身体でよく運んでくるよな。呼んでくれたら手伝うと、いつも言ってるのに」

「大丈夫です! 私はこう見えて、力持ちなので!」


 私が狩りをしている間に、吏一がお米を炊いてくれています。

 そして私が狩ってきた獲物を、吏一が料理してくれます。吏一は料理が上手です!



「――さぁ木乃葉、飯の用意ができたぞ」

「わぁ! 美味しそうですね!」


 私の目の前では、先ほど捕まえてきたばかりの猪がお鍋の中でぐつぐつぐつぐつ音を立てて煮えています。

 畑で取れた野菜もちゃんと、一緒にお鍋の中で煮えています。

 母はよく、「野菜も食べるのよ」と言っていました。

 吏一と一緒に育てた野菜は美味しいです!


 いい匂いを嗅いだだけで、お腹が〝ぐぅ~〟と鳴ります。

 じゅるりとよだれをすすって、器を持ちます。


「はふはふ……う~ん、美味しい~!」

「……ふっ」

「……なんですか、その顔は」

「いや、おまえも美味そうだなと思って」

「……!! またそんなことを……! きつねは食べても美味しくありませんよ!?」

「どうかな? それは食べてみないとわからないだろ?」

「……!!」


 七年前より大きく、たくましく。立派な大人の男性に成長した吏一は、今でも私のふわふわのしっぽを狙っています。

 だから慌ててしっぽを両手で抱きしめて、私は吏一を威嚇しました。

 吏一は男の人なので、私よりも腕が太いです。背も高くて、肩もがっしりしています。

 緩んでいる着物の襟元からは、分厚い胸板が見えます。いつも畑仕事や重いお米を運んでいるので、力持ちです。

 でも、私は妖狐の娘です! 本気を出せば、吏一よりも強いんです……!!


「くくく……、相変わらず面白い反応!」

「からかうのはやめてください!」


 そうすると吏一はとても楽しそうに笑います。吏一の笑顔は大好きですが、食べられるのは困ります。


 吏一は私のしっぽが大好きです。

 つやつやのふさふさで自慢のしっぽなので、当然ですが!


 吏一はあのとき私を嫁にすると言いましたが、実際には吏一が私の家にやってきたので、吏一がお婿さんになったみたいです。

 でも祝言は挙げていませんし、私のことを「美味そうだ」と言って、隙を見ては食べようとしてきます。油断なりません!


 吏一は優秀な祓い屋の家に生まれた子供でした。

 吏一もその力を受け継いでいるので、もしあのまま都で暮らしていたら、今頃立派にお仕事をしていたかもしれません。


 でも吏一は実のお父さんや義理のお母さんからひどい目に遭っていたから……本当は逃げてきたんだって、今ではわかります。

 だから吏一のことは私が守ってあげようと思います!


「そういえば、最近都に悪いあやかしが出て人々を襲っているそうですよ」

「……へぇ」

「この間町に降りたときに団子屋のおじいさんに聞いたのですが、なんでも正規の祓い屋ではない誰かが、こっそりあやかしを退治しているそうです!」

「……そうなのか」

「誰でしょうね? こっそり倒さず、堂々とすればいいのに」

「……」

「もしかして、私のようないいあやかしが祓い屋のふりをして人助けをしているのでしょうか!」

「そんないい奴じゃないと思うぞ」

「え?」

「きっとこっそり倒して裏で金をもらってるんだろう。面倒事は避けて、気まぐれで仕事をする、適当な奴だよ」

「……」


 そう言った吏一は、私と目を合わせてくれませんでした。

 ……そうか、祓い屋の話はしたくなかったですよね。気がつかなくて、ごめんなさい。


「ていうかおまえ、また一人で団子を食いに行ったのか」

「はっ……! だ、大丈夫です! ちゃんと耳もしっぽも隠しましたし……! それに、団子屋のおじいさんは優しい人なので!!」

「ふーん」

「……吏一も食べたかったですか?」

「別に……そんなことより、片付かないから早く食っちまえよ」

「はい! お団子も美味しいですが、吏一の料理も大好きです!!」

「……そうだろう?」

「その目は……、私のことも美味しく料理しようと企んでます?」

「はは、ばれたか」

「……!! やっぱり!!」




 ◇◇◇




 俺は祓い屋の父と、その愛人から生まれた子供。

 父は、代々あやかしを祓える特別な力を持った家の当主。

 だが父には正妻がいた。

 母はこの家に仕える使用人だったのだが、父に気に入られ、俺が生まれた。

 正妻は俺と母をこの家に住むことを許したが、嫌がらせは止まらなかった。


「この泥棒猫! おまえたちに食べさせる米はないよ!」

「お願いです……私の分はいらないので、どうか吏一には……この子にだけは、食事をくださいませんか……?」

「知らないよ!! そこの残飯でも漁ってな!」

「……っ」


 俺たちはろくな食事も、ろくな寝床も与えられなかった。着る物はいつも異母兄のお下がりだった。

 それでも母は正妻に頭を下げて、なんとか俺の分だけの食事(といっても捨てられるような残飯ばかりだが)は確保してくれた。


「ごめんねぇ、吏一。おまえにこんな思いをさせて……」

「母さんは悪くないだろ? そのうち俺が立派な祓い屋になって、母さんを楽させてやるよ」

「……ありがとう、おまえは本当に優しい子だね」


 母はいつも俺に謝っていた。

 母さんは悪くない。母さんがこんな扱いを受けているのに黙っている父を、俺は嫌いだった。

 父は俺を跡継ぎにする気がないから、祓い屋の仕事のことは何も教えてくれなかった。

 それでも俺は、独学で祓い屋について調べ、学んだ。

 力の扱い方。あやかしの祓い方。

 いつか優秀な祓い屋になって、父をあっと言わせてやる。そして母にいい暮らしをさせてやるんだ――。

 そう、胸に誓った。


 しかし、その夢が叶う前に母は亡くなった。

 ろくな食事ができず、身体は弱っていた。

 それなのに、病気になっても医者に診てもらえず、薬すらもらえず、亡くなった。

 母は最期まで俺に「ごめんね」と言っていた。

 謝りたいのは俺のほうだった。

 俺がもっと強く、力があれば、母を守ることができたのに……!!


 母が亡くなって、始めての夏が来た。

 祭りが始まり、町に太鼓と笛の音が響いた。

 昔、俺も一度だけ母と行ったことがある。


 金もないし、一人で行ったところで何も楽しくないのに、俺の足はふらりとその場に向かっていた。


「――君、どうしたんだい?」


 だがそこで、大人の男に話しかけられた。

 振り向くと、そいつはきつねの面を付けて立っていた。


「一人かい?」

「……」

「よし、これをあげよう」


 誰だか知らないが、そう言って男はきつねの面を外して俺の頭に付けた。


「ははは! よく似合ってるよ」

「……いらねぇよ」

「本当はうちの娘に買ったんだが、君にあげる」

「……いいのかよ」

「いいんだ。娘には必要ない……いいや、娘には飴を買ってやるから」

「……」


 男は時折咳をしていた。

 咳のしかたが母と似ていて、もしかしたらこの人も病気なのかもしれないと、思った。


「おじさん、見ない顔だけど、誰?」

「ああ、これは失礼。おじさんはあの山に住んでるから、町には滅多に来られないんだ」

「……ふーん」


 あの山に住んでる……?

 もしかして、妖狐の女と一緒になったっていう……。


 その話は以前祓い屋やあやかしについて調べていたときに知った。

 噂は本当だったのか。


 それじゃあ娘って、妖狐との――。


「娘は、可愛いか?」

「ああ! そりゃあもちろん! 世界一可愛いよ!」

「……」


 あやかしと結ばれたこの人は、町から追い出されて辛い思いをしているのだと思っていた。

 だが、娘を想ってにっこりと笑ったその顔は、まさに世界で一番幸せそうに見えた。

 こんな父親のもとに生まれたのなら、その娘も幸せなんだろうな……。


「ゴホッ、ゴホッ」

「大丈夫か?」

「大したことはない。それじゃあ、おじさんは先に帰るよ」

「ああ……」

「君も気をつけて帰るんだよ」

「……」


 ゴホゴホと咳をしている後ろ姿を見送って、俺はきつねの面を付けて帰った。


 だが。


「なんだよそれ! 面白ぇ~! 俺に寄越せ!」

「やめろ!!」


 家に帰ってすぐ、二つ年上の異母兄に、そのお面は奪われた。


「俺がもらったんだ! 返せ!!」

「はあ? 誰にもらったって言うんだよ。どうせ盗んできたんだろう?」

「違う!!」

「うるせぇな。そんなことより、風呂掃除は済んだのかよ?」

「……っ!」


 どかりと蹴飛ばされ、身体が地面に叩き付けられる。

 満足に食事ができていなかった俺は、たった二つしか変わらない兄と体格差があったせいで、力では敵わなかった。


(かわや)の掃除もしっかり頼んだぞ。それまで飯は抜きだ」


 ははははは――!


 とても家族とは呼べないこんな奴らと一緒にいるくらいなら、俺も山の中で暮らそうか――。

 さっきの人なら、もしかしたら俺を受け入れてくれるかもしれない……。


 そんなことを考えながら、一年が経った。

 俺は十一歳になっていた。


 またあの人に会えるかもしれないと、去年と同じ日の同じ時間に祭りに出かけて、俺はきつねの耳としっぽを生やした女の子に出会った。




 *




 木乃葉は両親を亡くしてとても落ち込んでいたが、明るい女の子だった。

 俺を自分の家に連れて行き、両親と育てたのだと畑の野菜を自慢げに見せ、一晩中話を聞かされた。

 木乃葉の話を聞いているのは、楽しかった。

 橙色の瞳をキラキラと輝かせながら、寂しさを紛らわせるように両親の話をしていた。

 そして俺にも、人間のことをあれこれ聞いてきた。

 やっぱり大きくて丸い目を輝かせながら、興味津々に俺の話を聞いてくれる木乃葉は、素直に可愛かった。



「木乃葉、櫛を買ってきたぞ」

「わぁ! 綺麗!」


 最初の頃は野菜を売って、必要最低限のものだけを買い、細々と暮らしていた。

 それでも俺にとってはこれまでの暮らしより百倍いい生活ができていたが、最近俺は、こっそり祓い屋の仕事をしている。

 と言っても、正規の依頼を受けているわけではない。

 正式に祓い屋として登録されていない俺は、祓い屋を名乗れない。

 だが、祓い屋を雇うには大金が必要だ。

 世の中にはそんな大金を払えずに、あやかしの被害に遭っている者もたくさんいる。

 だから都に降りてその情報を仕入れ、〝影の祓い屋〟として裏家業を始めた。


 別に、人助けのためではない。

 木乃葉に美味いもの食わせてやったり、綺麗な着物を着せてやりたいという、我欲を満たすためだった。


「ありがとうございます! 大切に使います!」

「ああ……え?」


 木乃葉は赤い櫛を受け取ると、嬉しそうに笑ってしっぽを梳かした。


「それは髪を梳く物で――」

「わぁ! 見てください! しっぽがつやつやになりました!!」

「……まぁいいか。そうだな」

「? なんですか? ……あっ! さては、そうやって油断させて私のしっぽを狙っているんですね!?」

「……ふっ」

「今笑いました!?」


 確かに木乃葉のつやつやでふさふさのしっぽは可愛いが、初めて会ったときに二回も掴んでしまったことを根に持っているようで、未だに警戒されている。


 頭を撫でられるのは喜ぶくせに、しっぽには触れさせてくれない。

 しっぽと同じ、綺麗な黄金色の髪と、ふわふわの耳。

 そこも撫でていてとても気持ちよく、可愛いと思うのだが……、あの立派なしっぽにももう一度、今度は優しく触れてみたい。


 だがじっと見ていたら、「狙っているのですね!?」と言われたから、ふざけて「美味そうだと思って」なんて言ってみた。そうしたらそれ以来、俺が木乃葉を喰おうとしていると、すっかり勘違いされている。


 面白いから、誤解は解いていないが。



 今、俺は幸せだ。

 俺は少しずつ大人に近づいている。

 もっと大人になって、しっかり力を付けたら、木乃葉にもう一度求婚(プロポーズ)しようと思う。


 今度は子供のままごとのような言葉ではなく、一人の大人の男として。

 この先も一生木乃葉と暮らしたい、家族になりたいと、ちゃんと伝えよう。




 ◇◇◇




 吏一がまだここに来たばかりの頃、こんなことがありました――。



「おまえだな。憎ききつねの娘!」


 畑で実った野菜を収穫しようとしていたら、知らない男の人がやってきて言いました。


「おまえの母親に……俺の息子はたぶらかされて死んだんだ!!」

「……」


 この人は、私の父の父……なのでしょうか。


「えっと、お母ちゃんは病気になったお父ちゃんを助けるために命を削って……」

「嘘をつけ!! 俺の息子は妖狐に精気を吸い取られて病気になったんだろ!!」

「…………」


 男の人……私のおじいちゃんにあたる人は、今にも泣きそうな顔で怒鳴りました。


 そうなのでしょうか? 母は、父の精気を吸い取ったのでしょうか?

 ……違います。そんなことしていないと、私には言い切れます。


「違います……」

「返せ! せがれを返せ!! この化け狐め!!」

「……ちがい、ます…………」


 私はたくさんの人間を知っているわけではありません。

 父はとても優しい人間でした。

 でも、父の町の人たちは、母と一緒になった父を追い出しました。

 この人は、父を追い出した人です。


 母は、人間に悪さをしてはだめだと言いました。

 だから私は、人間と関わらないように生きています。

 でも、吏一は独りぼっちの私と一緒にいてくれます。しっぽを狙われていますが、意地悪はされないし、こんなふうに怒鳴ったりもしません。


「おまえの毛皮を剥いで売ってやる」

「……!」


 この人も、私のしっぽを狙っているのでしょうか?

 父はとても優しい人だったのに。父の父は……私のおじいちゃんは、怖い人のようです。


 私は大切なしっぽを両手で抱きしめて、ぶるぶる震えながら後ずさりました。


 どんなに意地悪をされても、人間に悪さをしてはいけません。妖狐の力を使ってはいけません。

 でもこのままでは、私はしっぽの皮をべりべり剥がされて、食べられてしまうのでしょうか……?


「い、嫌です……!」

「――俺の妻に何か用ですか?」

「吏一……!」

「ああ? なんだ、ガキじゃねぇか」


 しっぽを抱いてぶるぶると震えている私のもとに、吏一がやってきました。


「ガキのきつねが、ガキをたぶらかしているのか」

「違います……!」

「俺はたぶらかされてなんかいない。自分の意思でここに来たんだ」


 吏一は大人のその人にも、怯まずにはっきり言いました。


「おまえもそのうち俺のせがれのようにこの女狐に精気を吸われて死ぬんだ!!」

「私はそんなことしません……!!」

「おっさん。自分で息子を追い出しておきながら、今更なんだよ?」

「……っ!」

「あんたの息子はたぶん、幸せだったよ」

「なんだと……!? なぜおまえにそれがわかる!!」

「そんなのこいつを見てたらわかるよ。こいつの父親は娘に惜しみない愛情を注ぎ、妻にも愛され、幸せな生涯を終えた。後悔はしていない。どっかの誰かさんと違ってな」

「……っ!!」


 私の前に出てそう言った吏一の言葉に、男の人は何も言い返さずぷるぷると震えていました。


「あんたの息子が愛した娘を悪く言うのは、やめろよ」

「…………っ」


 最後に、静かに吏一がそう言うと、男の人(おじいちゃん)は私をきっと睨んでから、ただただ涙を流しました。


「うっ、うっ……俺は、間違っていたのか……?」


 がくりと膝を折り泣き崩れてしまったおじいちゃんは、父を追い出してしまったことをずっと後悔していたんだと思います。

 おじいちゃんも、悲しかったのですね?


「……!」

「木乃葉……」


 そんなおじいちゃんを私はそっと抱きしめて、頭をなでなでしてあげました。

 私が泣いたとき、父もよくこうしてくれました。

 父は、優しい人でした。


 吏一には、父の気持ちがわかったのかもしれません。

 吏一もとても優しい人です。言葉遣いはちょっと乱暴だし、私のしっぽを狙っていますが……。




 *




 私は毎晩、吏一からもらった櫛でしっぽを梳かし、お手入れしてから寝ます。

 吏一がくれたこの赤い櫛は、桃色と白のお花が描かれていて、とても可愛いです。

 それにこの櫛で梳かすと、しっぽはつやっつやのふっさふさになります。

 これはとてもいい櫛なんだと思います!


「よし! 今日も完璧です!」

「……」


(あ……、吏一がまた私のしっぽを狙っていますね……?)


 私がしっぽを梳かしているのを、吏一が布団に転がりながらじっと見ています。

 私たちはいつも同じ部屋で、隣に布団を敷いて寝ています。

 父と母とも三人一緒の部屋で川の字になって寝ていましたし、吏一がこの家に来たときからずっとそうなので、今でもそうしています。

 おかげで、独りぼっちで寂しい夜は一度もありません。


「おまえのしっぽはつやつやでふわふわだな」

「そうでしょう! 毎日お手入れを欠かしていませんからね!」

「俺も触っていい?」

「それはだめです……!」

「掴んだりしないから。優しく、少し撫でるだけ」

「……そう言って私を油断させる気ですね!?」


 つやつやになったしっぽを撫でていたら、吏一が手を伸ばしてきました。私は慌ててしっぽを抱きしめて守ります。


「はぁ……信用ねぇな」

「……吏一のことは信用しています!」

「じゃあ、少しくらいいいだろう?」

「…………だめです」

「けち」


 なんと言われても、しっぽだけは渡しません。きつねはしっぽが命なのです!

 肘をついて横を向いている吏一に、私は座ったままぎゅっとしっぽを抱いて「うう~」と威嚇します。


「いいよ。わかったから、そんなに警戒するな」

「……はい」


 そうしたら、吏一は諦めたようにごろりと上を向きました。

 それを見て、私はほっと胸を撫で下ろします。


「おやすみなさい、吏一」

「おやすみ、木乃葉」


 灯りを消して、布団に横になって、目を閉じるとき。

 吏一は私の頭を優しく撫でてくれます。

 このときの吏一はとても優しいです。

 だから本当は、吏一なら私のしっぽを触ってもいいかなと……ちょっぴり考えています。




 *




 吏一と生活するようになって何年も経った、ある年の冬。

 その年は例年より早く冬が来ました。

 毎日雪が降ったり、吹雪いたりしています。

 冬支度が間に合わなくて、食料が尽きてきました。

 なので、吏一が何度も町まで降りて、食料を買ってきてくれています。


「ゴホッ、ゴホッ」

「大丈夫ですか?」

「ああ、大したことはない」

「でも吏一、すごく熱いです……」


 でもそのせいで、吏一が風邪を引いてしまいました。


「私がお医者さんを呼んできます!!」

「いいって……この雪だし、危ないだろう?」

「でも……っ」


 父もそうでした。

 最初は咳をすることが増えて、「ただの風邪だから大丈夫」と言っていたのに、そのうちずっと寝ているようになって、だんだん食欲もなくなって……。


「ゴホッ、ゴホッ!」

「吏一……!!」

「だから、大丈夫だって。そんなに心配そうな顔をするな。移るといけないから、おまえは向こうの部屋に行ってろ」

「……今日は別々に寝るんですか?」

「ああ」


 吏一は辛そうに息をしながらそう言いました。

 でも。


「吏一、寒いんですね!?」


 身体は熱いのに。

 吏一は小さく震えています。

 顔色もすごく悪いです。


「……私のしっぽを、貸してあげます……!!」

「え?」

「私のしっぽは、とてもあたたかいのです!」

「……でも、おまえ」

「吏一は今弱っているので、何もできませんよね? だから、大丈夫です。特別です!」


 妖狐のしっぽには、特別な力があります。

 妖気もしっぽに蓄えています。

 だからしっぽは大切にしなければならないのです。

 でも、今は特別です!


 私はしっぽに力を集中させて、ぼんっと大きくしました。


「さぁどうぞ。あたたまってください!」

「……ああ。木乃葉のしっぽは、すごく気持ちがいいな」

「当然です!」


 吏一の布団に私もころりと横になり、大きくしたしっぽで吏一の身体を包みます。

 吏一は嬉しそうに私のもふもふのしっぽに触れて、優しく撫でてくれました。


 母が死にました……父も死にました……。

 大好きな人はみんな、私を置いて死んでしまうのでしょうか……。

 そんなの嫌です。吏一は絶対私が助けます!


 だから私は、一晩中心の中でお願いしました。


〝吏一が早くよくなりますように……吏一の風邪が早く治りますように……〟


「……大丈夫だよ、木乃葉。俺はおまえを置いて死んだりしないから」

「はい……約束です。絶対ですよ?」

「ああ、約束だ」


 そんな私の心の中を読み取ったのか、吏一はそう言って微笑むと、私の頭を優しく撫でました。

 熱を持って赤くなった吏一の顔が、目の前にあります。

 吏一が辛そうで、私はとても心配です。


 吏一……お願い。早く元気になって。



 ――翌朝、吏一の風邪はすっかりよくなっていました。


「木乃葉のおかげだな」

「吏一も、私のために町まで行って食料を買ってきてくれましたので……!」


 吏一はそのせいで風邪を引いてしまったので、看病をするのは当然のことです!

 でも、こんなに早く治ったのはもしかして、妖狐の力のおかげでしょうか?

 私は、風邪くらいなら簡単に治せるようになったのでしょうか?

 すごいです……!!

 立派な妖狐に、また一歩近づきましたよね?

 お父ちゃん、お母ちゃん。見ていますか? 見ていますよね!

 きっと、父と母も「木乃葉はすごい」と言ってくれているはずです!




「さぁ、今日もつやつやです!」


 その日の夜。いつものように櫛でしっぽを梳かしていたら、いつものようにこっちを見ていた吏一が言いました。


「木乃葉、ちょっとこっちへ来い」

「?」


 布団の上にあぐらをかいて座っている吏一は、もうすっかり調子がよさそうです。


「なんですか? ……もしかして、しっぽを狙っています……!?」

「しっぽには触らないから」

「……」


 本当でしょうか?

 おずおずと、私は吏一に近づきました。


「櫛を貸して?」

「はい」


 握っていた櫛を渡すと、吏一は私に後ろを向かせました。

 やっぱりしっぽを……!!


 そう思いましたが、吏一が櫛を通したのは私の髪の毛でした。


「……? 何をしているのですか?」

「これの本来の使い方」

「……はぁ」

「しっぽの手入れをするのもいいが、髪も手入れしてやらないと。せっかくこんなに長くて綺麗な髪なんだから」

「……」


 綺麗? 私の髪がですか?

 確かに、私の髪は吏一より長いです。母も髪を伸ばしていたので、母の真似をして、私は髪を伸ばしています。


「木乃葉の髪は、細いのにしっかりしているんだな」

「妖狐ですからね!」

「それ、関係あるのか?」


 後ろで、吏一が笑っています。背中を向けているので顔は見えませんが、楽しそうです。

 それに、私も気持ちいいです。

 吏一の手は大きくてごつごつしていますが、繊細な手つきで優しく髪を梳かしてくれています。

 そういえば、いつも頭を撫でるときもそうですね。

 吏一の手が時々耳に当たります。私は吏一の手が好きなのかもしれません。


「……んん」

「はは、眠くなってきたか?」

「気持ちよくて……」

「そろそろ寝るか」

「はい」


 うとうとしてしまった私に、吏一が言いました。


「――ありがとう、木乃葉」

「……? はい」


 少し低い、吏一の声が静かに私の耳元で聞こえます。


「もう一回、しっぽを触ってもいいか?」

「それはだめです!!」




 *




 吏一と二人で楽しく暮らしていたある晩、旅人がうちに助けを求めて駆け込んできました。


「ば、化物だ……! あやかしが出た! 助けてくれ……!!」


 人間に妖狐だとばれないよう、私は咄嗟に耳としっぽを隠した〝人の姿〟で吏一と一緒に外へ出ました。


 旅人さんの後ろには、黒い邪気をまとった、四つ足の獣の姿をした悪いあやかしがいました。

 父を襲ったあのあやかしでしょうか。あのときよりも大きくなっている気がします。

 でも、私は妖狐の娘です。妖狐は強く、偉大なあやかしです。


「吏一、ここは私が――」

「俺の仕事だ。下がってろ」

「え――?」


 だから私が二人を守らなければ! そう思って前に出ましたが、吏一は悪いあやかしに立ち向かうと、ぶつぶつと何かを唱え始めました。

 そして指で空に何かを刻むと、それが紋章になって現れ、目の前のあやかし目がけて飛んでいきました。


〝ギャァァァァァ――〟


 邪気に塗れたあやかしは耳に響くようなおぞましい悲鳴を上げ、苦しんでいます。


 すごいです……。吏一は一体何をしたのでしょう?

 もしかして、吏一は祓い屋の力を使ったのでしょうか?


 やがて、吏一が放った紋章に囚われていた悪いあやかしはパラパラと朽ち、消えていきました。


「吏一、今のって……!」

「ありがとうございます!! あなたは祓い屋ですね!? こんなところにあなたのような方がいたなんて……! ぜひ礼をさせてください!!」


 その人は、泣きながら吏一にお礼を言いました。

 なんとかっていう偉い人の家人だそうで、主に言ってたんまりと礼を払うと言いました。


「結構です。このことはどうか、ご内密に」


 けれど、吏一はただ一言静かにそう言いました。

 こんなに怖い顔をしている吏一を見るのは久しぶりです。

 お父さんの話をしてくれたとき以来です。


「しかし……! あなたは噂になっている〝影の祓い屋〟ですよね!? 正体はわからないと言われていましたが、こっそり祓い屋の仕事をしてくれていたのはあなただったのですよね!?」

「……」


 影の祓い屋?

 吏一は、こっそりそんなことをしていたのですか?

 だから時々町に降りて、お米や飴、ときには私に着物を買ってくれたのでしょうか。


 でも本当は、町に戻ってちゃんと祓い屋のお仕事がしたいのでは……?


 旅人さんには今夜はうちに泊まってもらうことにして、翌朝見送りました。

 吏一のことは内緒にしてもらうと約束をして。



 でもそれから数日後、吏一の父だという人がうちにやってきました。

 この間の旅人さんもいます。


「吏一、まさかおまえが影の祓い屋だったとは……。どうかうちに帰ってきてほしい」


 吏一のお父さんは言いました。

 どうやら、祓い屋の跡を継ぐ予定だった吏一の異母兄は、祓い屋としての力がとても弱いそうです。

 二十歳になってもあやかしを祓うことができず跡継ぎに困っており、〝影の祓い屋〟を探していたそうです。


 旅人さんは、吏一のお父さんの家の家人だったようです。

 吏一のことを内緒にするという約束は守ってくれなかったのですね。


「俺を人として扱っていなかったあんたが、今更俺になんの用だ」

「だから、そのことなら謝る。妻もおまえにきつく当たりすぎたと反省している。だからどうか、戻ってきてくれないか」

「今更無理だ」

「そんな……吏一、おまえは俺の息子だろう!?」

「俺はあんたのことなんて家族と思っていない」

「……吏一」

「帰ってくれ。母さんが病気になっても助けてくれなかったあんたの顔は、見たくもない」

「…………」


 吏一はとてもきつく、はっきりと言い切りました。

 吏一のお父さんは絶望の色を顔に浮べて唇を噛んでいます。


 私はどうすることもできず、その様子をそっと見守っていました。


 でも――。


「! 危ない!!」

「!?」


 そのとき、後ろから悪いあやかしが二人に襲いかかりました。

 この間吏一が祓った化物の仲間だと思います。


「ひ……っ!」

「うわ!?」


 吏一のお父さんは祓い屋なのに、突然のことで何もできずに転んでしまいました。


「吏一、た、助けて……!!」

「っ!」


 突然すぎて、吏一も呪文を唱えている暇はありません。

 このままでは吏一のお父さんが危ないです。


 ……私は、偉大な妖狐です――!


「木乃葉……!!」


 そう覚悟を決めたときには、身体が勝手に動いていました。

 前に出た私を見て吏一が慌てたように名前を呼びました。

 でも、大丈夫です。私がみんなを助けます!


〝吏一のお父さんを傷つけないで!!〟


 心の中で強くそう唱えて手を前に出したら、悪いあやかしは一瞬空を仰いで〝ギャッ!!〟と短く叫んだ後、パラパラと消えていなくなりました。


 できた……できました!

 身体からとても大きな力が溢れ出たのを感じます。

 私は昔、母に聞いたことがあります。妖狐はとても強くて偉大なあやかしです。その誇りを忘れてはいけないのです。

 願いを心の中で強く唱えれば、それが叶えられるのです。

 悪いあやかしを倒すことも、美しい人間に化けることも、病気を治すことも――。


 妖狐にはできるのです。


「な……、な……、妖狐……!?」


 吏一のお父さんと旅人さんは尻餅をついたまま口をあんぐりと開けて私を見ています。

 吏一も目を大きく開いて、驚いたように私を見ています。

 私がこんなに強くてすごくて頼りになるのを知って、びっくりしているのでしょう!


「なんて美しいんだ……これが、妖狐様……」

「え?」


 美しい?

 吏一のお父さんがぽつりと呟いた言葉に私は首を傾げます。


「……木乃葉、おまえ」

「あっ!」


 そして吏一の視線に、吏一のお父さんは自慢のつやつやふさふさのしっぽを見てそう言ったのだと思い、慌ててしっぽをぎゅっと抱きしめました。


 そして、耳としっぽを隠します。

 私はもう人間の姿に化けることができるのに、力が溢れてしまったせいで、本来の姿になっていたみたいです。


 ふぅ。危ない危ない、吏一のお父さんにまでしっぽを狙われるところでした。


「いつもの木乃葉に戻った……」

「?」


 吏一はそう呟きましたが、いつもの私ではありません。だって吏一の前ではいつも、耳としっぽはそのままにしているので。


「吏一。おまえ、妖狐様と一緒にいたのか……?」

「そうだ」

「一体どうしてだ。妖狐様に精気を吸われてしまうぞ……!?」

「木乃葉はそんなことしない」

「しかし、見ただろう!? 今はそのような可愛らしい娘の姿をしているが、先ほどのあの妖艶な姿を……! おまえは騙されているんだ!!」


 妖艶……? 私がでしょうか? 私が、そんな姿を?


「黙れ。それ以上木乃葉を侮辱するなら、あなたであっても容赦しない」

「……っ」


 かつて見たことがないほど怖い顔で、吏一はお父さんに向かってそう言いました。

 とても怒っているようです。


「もう二度とここへは来ないでください」

「…………」


 そしてぴしり、とそう言い切ると、今度こそ家の中へと入っていきました。

 私もお父さんと旅人さんにぺこりと頭を下げて吏一のあとを追います。


 気の毒だとは思いますが、お父さんは吏一にひどい仕打ちをしていた過去があります。

 今になってとても後悔しているようですが、もう遅いのです。


 でも……。



「――本当にいいんですか?」

「なにが?」


 お父さんたちが帰った後、私は吏一に尋ねました。


「本当の家族がいて、必要とされているのなら……帰ったほうがいいんじゃないでしょうか。吏一にはとても素晴らしい力がありますし。もしかして、私が独りぼっちになってしまうことを気にして……」

「俺の家族はおまえだけだ」

「……え?」

「違うのか?」


 そう言って、吏一はとても優しい顔で笑いながら、私の頭を撫でました。

 私は吏一のあたたかい手で頭を撫でてもらうのが大好きです。


「七年前、俺はおまえを嫁にすると言っただろう?」

「そうですね。祝言は挙げていませんが、私は吏一のお嫁さんです!」

「……俺は、このまま祓い屋の仕事を続けようと思う」

「え!」

「家を出ているし、あの父親には頼りたくないから、このまま裏家業としてになるが。だが、困っている人を少ない報酬で助けてやることができたらいいと思わないか?」

「とても素敵だと思います! 私も手伝います!」

「木乃葉も?」

「はい! 私と同じような悲しい思いをする人がこれ以上増えてほしくないですから」


 父も母も、悪いあやかしに襲われて亡くなってしまいました。

 悪いあやかしがいるから、私のようないいあやかしまで恐れられてしまうのです。


 だから私も張り切ってそう言ったら、吏一は「そうだな」と言って微笑んでくれます。


「それで……家業が軌道に乗ったら、俺と――」

「私、吏一になら食べられたって構いませんよ!」

「…………は?」

「妖狐の私を食べたら、今よりもっともっと強い力が手に入るかもしれないですし」


 吏一が強くなって、悪いあやかしを退治してくれるなら。私を食べたいのなら。それもいいかもしれません。

 私は吏一からとても素敵な時間をもらいましたから。

 吏一にお礼ができるのなら、なんだってします!


「ははっ、そうかもな。……それじゃあ、ありがたくいただこうかな」

「……でも、できれば痛くしないでほしいです」

「もちろん、優しくいただくよ」


 私の頭を撫でていた吏一の手が、ゆっくりと頰に降りてきます。

 そして、なぜだかじっと私の目を見つめてきます。

 ……吏一は本当に大きくなりましたね。今ではすっかり立派な大人の男性です。……ちょっぴり、かっこよく見えます。

 じっと私の目を見ている吏一の顔がゆっくり近づいてきて、私の心臓はドキドキいいました。

 やっぱり食べられると思うと少し怖くて、緊張しているのだと思います。


「……お味は、何味がいいでしょう?」

「ん?」

「お味噌でことこと煮込まれるのでしょうか……それとも、お醤油? あっ、お砂糖も入れますか?」

「ははっ、そうだな――」


 だから、ぷるぷると震える目で吏一を見つめ返して、聞きます。

 どうせ食べられるなら、美味しく召し上がってほしいです……!


 あれ? でも吏一は私のしっぽを狙っているはずなのに、どうしてそんなに目を見つめてくるのでしょう?

 まさか、いきなり顔からがぶっといく気ではありませんよね……?


「木乃葉はそのままでいいから、全部俺に任せて」

「……?」


 吏一は料理が得意だから、でしょうか。


 そう言って意味深に微笑んだ吏一の言葉の本当の意味を知るのは、もう少し先のお話です。




お読みくださいまして、ありがとうございます!

和風ファンタジーでヒロインがもふもふって需要あるのだろうか……?と思いながらも楽しく書きました!


面白かったよ!私もしっぽ狙ってます!しっぽにもふりたい……!

などと思っていただけましたら、ぜひぜひブックマーク、評価☆☆☆☆☆をぽちっとしてもらえると嬉しいです(´;ω;`)

読者様お一人お一人の反応が励みになっております……!!


優しくほの甘い世界観の和風ファンタジーあやかしものが書きたくて。

時間ができたら、祓い屋吏一との話を描いた長編にしたいと思っております。

よろしければブックマークやお気に入り登録をしていただけると本当に本当に嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
泣いた 素晴らしいと思う
[良い点]  優しく一生懸命な木乃葉がとても可愛いです。彼女を通し亡くなった両親が深い愛情を注いでいたのか伝わり温かい気持ちを貰うことができました。吏一もその温もりに惹かれたのでしょうか。  子供の頃…
[良い点] 木之葉も吏一も可愛くてにやにやさせていただきました!
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