前編
あれ・・・・?
夢の中だとハッキリわかるまで、数秒を要して
その真っ白な空間は、立っている足元に影が落ちているだけで、先も壁も見えなかった。
夢の中ならしょうがないし、どうしようかなぁと考えて歩いてみると、何もなかった目先にふと人影が現れた。
え・・・あれって・・・
着物を着た後ろ姿だった。黒髪短髪で、私はお父さんかなと思って反射的に駆けだした。
背中がハッキリ目の前に見えたあたりで、それはお父さんじゃないとようやく気付く。
立ち止って呆然としていると、振り返ったその人は咲夜くんと美咲くんにとてもよく似ていた。
「あ・・・・・・・は・・・・白夜・・・さん?」
細い首に小さな顔、切れ長の瞳。
スッと伸びた綺麗な鼻と、ニコリとも動くことはなさそうな薄い唇。
真っ黒な・・・カラスの濡れ羽色っていうのかな・・・つやつやした美咲くんと同じ黒髪が、顎元まで伸びていた。
表情をわずかに隠した前髪と、青白い肌の色がこの世の者でないようで、思わず生唾を飲んだ。
彼は驚く私をしばし見つめて、瞳の奥の奥を見るように瞬きもしないでいた。
やがてゆっくりと彼の口が開かれて、今まで聞いたことない男性の声が耳に響いた。
「更夜の娘か・・・」
「は・・・・はい。」
白夜さんを本家で見たことは、一度か二度だった。
正月の祝いの席、もちろん声をかけることはなかったし、すぐに姿を消してしまう人だった。
何人もの人たちが、白夜さんの目の前に来て挨拶をしていたけれど、誰かと会話しているところも、お目にかかったことはない。
声を聴いたのは初めてだった。
「・・・・・こんなところまで来てしまうとはな・・・。」
何もない空間で白夜さんだけの声が広がって、私は少し呆れたその表情を何となく眺めていた。
「ここ・・・どこですか?」
私が思ったことをそのまま何気なしに尋ねると、白夜さんは綺麗なまつげを伏せて、その場に腰を下ろした。
「知らなくていい。教えるつもりもない。・・・・夢の中だと思っていればいい。・・・目覚める時になったら目覚めて帰れ。」
冷たいその物言いは、突き放しているようでそうじゃない気がした。
白夜さんは私が作り出した夢の中の人だ。それなら好き勝手に会話していいかもしれない。
私は同じく隣に腰を下ろして、お父さんに話すときと同じように問いかけた。
「ねぇ白夜さん・・・あのね、私最近咲夜くんと婚約したの。」
その表情が少しでも変化しないか期待したけど、彼は私に一瞥もくれない。
「・・・・・そうか。」
まるで興味なし・・・
「美咲くんはね?去年晶ちゃんと結婚したの。それで、今は晶ちゃんのお腹に赤ちゃんがいるんだよ。」
「・・・・ほう。」
相槌を打つ白夜さんの顔を覗き込んだ。
無気力というわけじゃなさそうだけど、何かこう・・・早く時間が過ぎないかなと待っているようにも感じる。
「咲夜くんと結婚したら・・・白夜さんは私の義理のお父さんだね。」
静かにそうこぼすと、彼は瞬きして黒い瞳をこちらに向けた。
「・・・何故死人にそんな話をする。」
「・・・・えっと・・・皆と家族になれるのが嬉しいから・・・共有したくて話したの・・・。」
白夜さんは小さくため息をついて、また真っ白な空間を真っすぐ見つめた。
「元より・・・御三家の当主は皆兄弟だった。身内が広がって一族が増えていっただけにすぎん。その中では、そう遠くない親族と子を持つ者も少なからずいた。当主同士の婚姻は認められていなかったが、既に没落した一族に掟など存在せず、他人と言える程遠くなった今ならそう問題でもない。何が嬉しいのかは知らんが、幸福だと思えることが自分自身や身近なところにあるならば、色んな人間が命を賭して・・・終わらせた甲斐あってのことだろう。」
「・・・・・うん、そうだね。」
白夜さんの言葉を噛みしめて聞きながら、私は以前美咲くんが話していた白夜さんの人物像について考えていた。
元来子供が好きだった人に思う、本当は優しい人なんじゃないだろうかと、美咲くんは言っていた。
咲夜くんは、冷たくて怖い人だという印象があったみたい。
お父さんは・・・人間的に欠如している感情があるように感じていた、と言ってた。
私が次に何を言葉にしようか考えあぐねていると、意外にも白夜さんが口火を切った。
「島咲家当主にも、代々能力を受け継ぐ者が少なからず存在した。」
「・・・・・・へ?」
「高津家当主であった俺は、読心術に近い能力が。あまり知られていなかったが、由影には先見の明・・・物事の行く末が視える力があった。能力は人によってその強さや持続力に大きく差が出る。より強力でかつ、長い年月使用出来る者は、脳に大きな負担を強いるため短命であった。更夜が身体的に異常をきたさず、生きていられるのはその能力を一度しか使わず、本人も自覚がなく発動出来ないからだ。」
私はその時初めて恐怖心を抱いた。
「更夜がその力を使ったのは少し前・・・まだ本家にいた頃で、引っ越す前だったんだろう。夢の中であいつはカギを手に入れた。・・・・俺は島咲家当主の中で史実に記録があったその能力を、『夢の体現者』と呼ぶことにした。」
目の前にいるこの人は、私の夢の中で作り出された都合のいい存在じゃない・・・
白夜さんはまた静かに私に視線を返して、ゆっくり瞬きをした。
「怖がらずともいずれ目覚められる。帰りたいと思っていればな。美咲も咲夜も・・・更夜も、こうして俺に会ってしまったことがあったのだ。お前が同じ能力を受け継いでいるかは定かでないがな。」
「・・・その・・・・夢の体現者って・・・どういう力?」
音も空気の流れも感じない二人しかいないそこで、自分の呼吸の乱れだけが露になった。
「夢の中で手にした物・・・物体を現実に持ち帰ることが出来る。その大小はどれ程か知らんが、更夜は俺が自室に置いてあった鍵を現実に持ち帰った。」
「・・・・でもそれって・・・美咲くんの予知夢の能力に近いんだね・・・」
「・・・言ったろう、一族の中には近しい血縁者と子を残したものもいると。能力が似るということは歴代で多々起こりうることだった。その因果関係はハッキリしているわけではないが、そんなことはどうでもいい。」
「え・・・?」
白夜さんは静かにゆっくりと立ち上がった。
「問題があるとすれば、無事に目覚められなければ死ぬということだ。」
「えっ・・・・・私が?」
驚いて白夜さんを見上げると、私を見下ろして立ち尽くしているので、何となく同じように立ち上がった。
「ここはお前が能力を行使して現れた空間ではないが、早く目を覚ました方がいい。」
「・・・あの・・・白夜さんは私の夢の中の人じゃなくて、本人なの?」
彼はまた私をじっと見据えて、何度かゆっくり瞬きをした。
目の前にいるその人は、特に幽霊っていう感じで透き通ってるわけでもないし、存在感のあるあの頃の白夜さんに見える。
「死人である俺が、余計な情報を与えるわけにはいかない。夢の中だと思えば目覚めやすくなる。・・・現実に戻って更夜に能力の話を聞いたとしても、あやつはお前に真実を話すことはないだろう。だから詮索することは無意味だ。俺のように人の本心が直接聞こえるなら、何を聞いても解るやもしれんがな。」
白夜さんは私が気になっていることを先回りして答えて見せた。
「余計なことだろうが、更夜が話さないことは、知る必要がないこと、もしくは自身の子供に教えたくないことだ。親の気心がわからない年でもないだろうし、必死に隠そうとしているなら詮索してやるな。そんなことせずとも、身内として関係性が成り立っていて問題ないなら、掘り返すことは何もない。」
「・・・知らない方がいいこともあるってこと?」
白夜さんは小さくため息をついて付け加えた。
「お前が心配せずとも、更夜は過去の所業に苦しめられてなどいない。未だ思うことがあったとしても、それを振り返って悔やむことが如何に愚かか、もう理解しているだろう。」
「・・・白夜さんは、お父さんのことよく知ってるの?それとも心が読めるからわかるの?」
「余計な問答は終いだ。」
白夜さんはそう言うと、私の肩にそっと手を置いて、背中を丸めて私の耳元に顔を寄せた。
「・・・何も教えてやれない代わりに、半日だけ俺の能力を分け与えてやろう。」
「え・・・?」
「安心しろ、脳への負担はない。・・・誰に何を聞いても真実がわかるだろう。だがそれを使うかどうかは自分次第だ。」
白夜さんのその言葉を皮切りに、目の前はぼやけていった。
うっすら瞼を開けると、いつもと変わらない自室の天井が広がった。
通常ならぼやっと夢の内容を覚えているけど、今日はついさっきあった出来事のように鮮明に記憶に残っていた。
不思議な感覚・・・ぐっすり眠れた感じなのに、会話してたことはしっかり覚えてる。
けど・・・
時計を確認すると朝の9時だ。
今日は土曜日。最近は毎週末咲夜くんのうちにお泊りに行っていたけど、今週は違った。
咲夜くんは気遣って、たまには親子水入らずで週末を過ごしたらどう?と言ってくれた。
私は何となくお父さんに話したい事を考えながら、ゆっくり階段を降りてリビングへと向かった。
「おはよ~」
ガチャリと扉を開けると、ダイニングテーブルに頬杖をつきながらスマホを眺めているお父さんが目に入った。
「おはよう。」
お父さんは短く挨拶を返してゆっくり立ち上がる。
私はぐ~っと背伸びして、いつもなら着替えてから降りるのにパジャマ姿のままだったことにふと気づいた。
「スープ温め直すな。」
先に朝食を拵えてくれていたみたいで、お父さんは鍋の前に立つ。
「ありがとう・・・」
冷蔵庫からお水を取って一口飲む。
夢の中の白夜さんをふと思い返した。
お父さんは・・・一緒に当主として働いてた二人が亡くなって、どんな気持ちだったんだろう。
本家で起こった出来事で、聞いちゃいけないことなんて山ほどあるだろうから、特に何も尋ねることは今までなかったけど、お父さんとこのうちに引っ越してきてもう・・・2年くらいになる。
親子二人だけで暮らしてきた年数としてはとても短いし、それまでお父さんが当主として生きてきた日々を、私は何も知らないでいる。
もちろん私が小さい頃も、一緒に暮らす以前もおばあちゃんとおじいちゃんと暮らす私の家に、毎週末帰って来てはくれていたけど・・・
思春期真っ盛りだった私は、ろくにお父さんと話すことはなかった。
淡々とスープを注ぐお父さんをじっと眺めていると、不思議そうに視線を返してくれた。
そのグレーの綺麗な瞳の色は、会ったことない曾おじいちゃんからの遺伝だ。
「・・・どうした?」
「ううん・・・。今週末は泊りに行かないんだけどさ、もしかしてお父さん・・・私が咲夜くんちに泊りに行ってる時は、小百合さんをうちに泊めたりしてた?」
「・・・いや・・・先月一度だけ休みだったようだから呼んだことはあったけど、毎週泊めていたわけじゃないな。」
「そうなんだ・・・。」
食パンをトースターに押し込みつついると、お父さんは残っていたサラダもお皿に入れてくれた。
「今週末は・・・咲夜くんバイトなのか?」
「ん~~そうなのかな?もしかしたらそうなのかも。たまには親子水入らずで週末過ごしたらいいんじゃないかなって言ってくれたの。」
私が正直にそう言うと、お父さんは苦笑いをこぼしてスープとサラダをテーブルへ持って行った。
「咲夜くんにそんな気を遣われてるのか・・・」
「・・・私がいけないんだよ~?だってね、私今年で高3でしょ?あのね・・・来年大学生になる頃に、咲夜くんちに引っ越して同棲したいなって考えてるの。」
「へぇ・・・そうなのか。」
今日初めて話したことだけど、お父さんは特に驚きもせず自分のコーヒーの準備を始める。
「だったらさ・・・ここでお父さんと二人暮らしするのは、後丸1年だけってことになるじゃん。」
「そう・・・だな。」
トースターがじーーっと音を立てて食パンをこんがりしている間、無表情のまま沈黙を落とすお父さんに、そっと寄り添ってぎゅっと腕を掴んだ。
「寂し~い~?」
少し伸びた後ろ髪を束ねたお父さんの顔を、覗き込みながら言った。
お父さんはふっと眉を下げて本当に寂しそうに笑う。
「そうだな・・・寂しいよ。」
白夜さんは能力を分け与えると言ってくれた。
お父さんから他の声が聞こえないなら、本心ってことかな。
ちょっと困らせるようなこと聞いちゃおうかな・・・
「ねぇねぇ、私と小百合さんだったらどっちが大事?」
お父さんは無表情のままじっとまた見つめ返した。
すると・・・
(何だその質問・・・・)
あれ・・・お父さん話してないのに声聞こえた!
本当に心の声が聞こえてるんだ・・・。
不思議な感覚に陥りながらも、何故か若干楽しくなってる自分もいた。
(どういう意図なんだ・・・)
あぁ、お父さん困ってる・・・ふふ
「どっちも大事だ。」
「そうなの?迷いなく私って言ってくれるのかなぁって思った。」
「そうなのか?」
「だってお父さんまぁまぁ親ばかだもん。これからは小百合さんが一番じゃなきゃダメでしょ!って言おうと思ったの。」
「・・・なんだそりゃ・・・。優劣をつける意味ないだろ・・・」
「ふふ、まぁでもそうだね。あ・・・そういえばね・・・」
夢の話はしていいのかな・・・。
焼きあがったパンをお皿に乗せながら悩んだけど、お父さんは信じそうだし・・・何だったら心配するかも・・・
「なんだ?」
「あ~・・・ううん、何でもない。」
一先ずは内緒でいいかも。余計な心配事増やしちゃうだけかもだし。
お父さんは少し不審がっていたけど、特に心の声は聞こえることなく済んだ。