建前と本音。
「気持ち悪い」
ついに口からこぼれてしまった言葉。
私はその一瞬であふれんばかりの後悔の念が湧いた。こんな言葉は思っても口にしてはいけない。短いながらも今日まで生きてきて学んだことを何も生かせていないじゃないか、と。とんだ無能が口を滑らせてしまった。
しかしどうだ。彼女は私の想像をとんでもなく突拍子のない空想に逆転させてしまう程に、私が想像しうる一般像からかけ離れた表情をしていた。
とても満ち足りた顔をしている。頬を紅潮させ目は潤み口はだらしなく半端に開き、とてもじゃないが悪感情を向けられた人のそれではないものだ。
私はそんな彼女を、初めて受け入れることが出来た。
「なんだ。そんな顔が出来たのか」
心からの言葉。彼女に対して二言目の本音。
彼女の表情ばかり見ているが、私はどうだろう。私はどんな顔をしているだろう。
自分がどんな顔をしているかある程度は理解しているつもりだ。今まではそうだった。今は、分からなかった。
私としては不細工で恰好のついた顔ならばうれしいものだが、所詮現実はそんな理想叶わないもの。
「は……」
「は?」
「初めて……君の本音を見れた気がする」
一体何を言うのかと期待してみれば、なんとまあつまらないものだった。しかしそれでもよかった。
今の私と彼女の間に必要なのは真実だけなのだから。
「それで? お望みの彼と私は同じだったか?」
敢えて彼女が求めているであろう言葉を紡ぐ。
彼女は不満気だった。そりゃあそうだ。せっかく本音を出した相手が再び下らない定型文を口にしたのだから。しかし定型文も時には必要なものだ。私はそれを知っている。
今の私と彼女の間に必要なのは真実だけ。しかしいかなる真実も毒となる今、定型文で上辺で語るのは仕方のない逃げだ。
「……全く違う。そう言えないのがとても苦しい」
彼女も理解していた。だから彼女も定型文で語る。
しかし真実もある。
苦しい、という言葉は定型文ですらない、真っ赤な嘘。彼女の言葉に確かにある真実は、『全く違うとは言えない』の方だろう。
その真実は私としては恐怖を増幅させる言葉だ。
彼女はどうしたいのだろうか。このまま定型文を続ければいつかは彼女が最も欲するものは手に入るだろう。それでいいだろう。しかし彼女の様子を見るに、私と本音の会話をしたいように思える。
彼女は手に入れることが叶わなくてもよいのだろうか。不可解だ。
「……あなたが欲しいものはなんだ?」
不可解なものを不可解なまま終わらせるのは気味が悪い。
しかし彼女は顎に手を当て首をかしげる。
自分でもそれが分からないとでも言うつもりだろうか、彼女は。その言葉は私には受け入れ難いものだ。答えが欲しい。
「分からない」
しかし返ってきた言葉は私が一番欲しくなかった言葉。自分の感情くらい明確であってほしい。
なのに私は少し満足してしまった。自分に呆れてしまう。
本音でそんなことを言われたせいか。
「ちょっと出て行ってくれ」
そう言うと彼女は少しだけ嬉しそうな顔をして外に出て行った。
気持ち悪い。気持ち悪い。定型文が、真実が。
本音が気持ち悪いなんて、とんだ笑い事だ。自分すら受け入れられなくなってしまうなんて。
上辺だけのものでも、心の底からのものでも、それでも私は苦しむのか。気持ちの悪さを感じてしまうのか。
「私なら、どうだった?」
記憶を失う前の私は、私と同じだったか?
良く分からないと思います。私も良く分かりません。
『彼女』は母親想定で書きましたが恋人でも成り立つと思います。
破綻するほど説明してないので。あと量もないので。