(9) 天才王子の現実
「そんなっおじさま!…いやっ助けて!助けて!お母様ぁ!!」
「嫌よ!嫌ぁ!!カイゼル様っ!おばさまぁ!」
「陛下!!わたくしの姪なのですよ!?そんなことが許されると思っているの?!」
何度立たせても嫌がるようにふにゃふにゃ座りこむ姉妹に騎士達が困っていましたが、女性騎士は容赦なく彼女達を引っぱり無理矢理立たせました。
見える場所にいた自分達の親や王妃に縋ろうと暴れたせいで元々緩く着ていた大きな襟ぐりから乳房がぽろりと出て悲鳴まであげていた。
今の社交界の流行りは『自然体』なのだそうで、公式で厳粛なパーティーでもきっちり着こなさないのが主流なのだそうです。
なので動いただけでポロリをしてしまうのですが、ダンスの時はどうするのでしょうね?
元々あの方々は豊満な胸をギリギリまで見せつけたい攻めたデザインが多く、娼婦も真っ青な胸周りだったのですがとうとうそれを越え、下着やコルセットを巻かないことが美しいということになっていました。
最新の格好をしているのはまだドゥーパント家とそのご友人達だけなので、きっちり着こなしているわたくしはまだ悪目立ちしていませんが王妃に連なる家ほど緩くだらしのないドレスなので見分けるのは簡単でした。
正直、あんなネグリジェのような姿がパーティー会場に溢れてしまったら招待状が来ても出たくないわね、と思いました。
連れ出すだけで大騒ぎになっているパーティーにもう帰ってもいいかしら、と溜め息を吐けば、ある意味で空気を読まない、もしくは正義感に溢れたカイゼルが割って入ってきました。
「待ってくれ!メイア!なぜ止めないんだ?彼女達はお前の親友だろう?昔はあんなに仲良くしていたじゃないか!
折角祝いに来てくれたのにドゥーパント公爵令嬢達を助けないなんて薄情じゃないのか?!」
「お、おいカイゼル!」
「お前自分が何を言っているのかわかっているのか?!」
ジュリアス様が隣に来てくれそこでホッとしたのも束の間、カイゼルの言葉に瞠目しメイアの代わりに第一、第二王子がぎょっとして口を挟んだ。
「え?何をそんなに驚いているのですか?二人とメイアは幼馴染みみたいなもの。いつも茶会を開いてはお互いの家を行き来していたじゃ」
「いつの話をしているんだ!!!」
第二王子が叫ぶと国王に諌められ、我に返った第二王子は申し訳なさそうにメイアに頭を下げた。そんな対応をされてはわたくしも答えなくてはなりませんね。
仕方なく一歩前へ出て扇子で口を隠したままカイゼルに体を向けた。
「……確かに昔ドゥーパント家の方にお誘いいただきまして母と一緒にお茶会にお伺いしたこともありましたが、今はそういったお付き合いはしておりません」
「え、そうなのか?」
「ええ。わたくしがあなた様と婚約したと報告を兼ねてのお茶会で『毒』を盛られましたの。
あれ以降ドゥーパント家の方々とお話しませんし、その時出されたお茶やカップを見ると吐き気や震えが止まらなくなるのです。
今も胸がムカムカして気分が悪くて仕方ありませんのよ?」
誰が毒殺しようとした相手と会いたいと思うのかしら。そんな方々と親友だと思われていたなんてとても不愉快だわ。
真実をメイアから聞かされたカイゼルの顔が強張った。毒殺未遂の件は聞かされていたと思っていたのに知らなかったらしい。
国王を見れば頭が痛そうに王妃を見たので情報が止められていたのだとわかった。
「ほ、本当、なのか?」
「はい。二つの毒を同時に摂取したお陰か、劣化して効果が薄れていたのかわかりませんが運良く後遺症もなく体は快癒しました。
殿下も知っての通りドゥーパンド公爵家は姉妹二人が第三王子殿下の婚約者候補でした。なのにわたくしがいきなり婚約者になったことでお二人はお怒りになり亡き者にしたいほど我慢ならなかったのでしょう。
わたくしの体調に問題がなかったのもありお互いの未来を考えてこの件は〝なかったこと〟になりましたの」
カイゼルの婚約者として決定した後に毒殺を試みた姉妹は『準王族』を手にかけたということになると思うのだけど、お気持ち程度の慰謝料と降爵したくらいで他にこれといった制裁はなかった。
そのせいで彼女達が深く反省することもこちらを恐れ敬うことも起こらなかった。
体は治っても命を狙われた恐怖は癒えていないのに。そう悲しげに目を伏せると友人達は同情の言葉と共に泣いてくれた。
姉妹揃って同じ婚約者候補になるなど前代未聞。お互いのためと言いながら配慮されたのはあちらの方。
わたくしは婚約者を降りる許可も出ず、命を狙った犯罪者の家を追いやることもできませんでした。
それだけであちらの思惑が透けて見えましたが王妃や国王が容認してしまってはどうにもなりません。
命拾いした姉妹達は自分達の後ろ盾を大いに活用しました。わたくしの目を気にすることなくカイゼルに近づき、公爵令嬢として振る舞い続けたのです。
今ならわたくしを潰すために仲良くしていたのだとわかりますが、さすがに毒を盛られるほど恨まれているとは思いませんでした。
『血が近いから多分わたくし達は選ばれないわ。それなら友達のあなたがカイゼル様の婚約者になってほしいの』
というもっともらしくしおらしい言葉を鵜呑みにしてしまったのがよくなかったのかしらね。
そんなことがあってドゥーパント姉妹が学園にいるだけでも心労を感じていたのに、わたくしよりも姉妹を手元に置いたカイゼルに失望しました。
フタを開けてみればカイゼルは事情をなにひとつ知らなかっただけでしたが、そうだとしても『親友』らしいわたくし達が彼が主催するサロンで揃わないことに疑問を持つべきでした。
まあ、今の今までカイゼルは姉妹の毒殺未遂を知った上で王妃に言われるがまま彼女達を優先していたのだと思っていたので、それよりは幾分かマシな現実なのかもしれませんが。
どちらにせよわたくしという人間は第三王子にとっても国にとっても侯爵位を持つ飾り程度でしかなかったのだとしみじみ思い知らされました。
カイゼルも王家もわたくしの味方でないのなら、わたくしがヘンダーソン侯爵家を守らなくてはなりません。そのためにどう対抗するか両親と相談し耐えてきました。
婚約解消できた時は歓喜して母や侍女と喜びを分かち合ったくらいです。
不遇なわたくしとは反対に王妃に愛されカイゼルに優先されてきたドゥーパント姉妹を見ると乱れた格好のまま俯き動かない。
一応悪いことをしたと思っているのかしら?それともただのポーズなのか悩ましいところね。
「毒殺未遂の件は王家も巻き込んでそこそこ大騒ぎになった事件でしたが、第三王子殿下だけが知らないままだったのは驚きましたわ。
ですが……そうですわね。毒殺未遂は『なかったこと』になっておりますし、知れば第三王子殿下が傷つくからわたくしからは絶対に話すなと陛下や王妃殿下から厳命されたと父から聞いていました。
なので第三王子殿下が知らないのも無理からぬことでしょう」
王妃にとってドゥーパント姉妹は姪。親戚可愛さにわざとカイゼルに伝えなかったのでしょう。毒殺されそうになったのはわたくしなのにカイゼルの心を考慮されるのは理解不能でしたが。
彼曰くわたくしを好いていたそうですから『カイゼルを守るために思い余って婚約者のメイアを毒殺しようとした』なんて知ったら怒らないとも限りません。そちらを危惧したのでしょう。
だとしてもこの数年間まったく何も知らないまま過ごせてこれたなんてそちらの方がありえないと思いますけど。
少なくとも未遂事件をそれとなく聞かされている令息達はフリーであるはずの姉妹に近づかないようにしていました。
それを不思議がることなく、婚約者候補から落ちた姉妹と距離を置くでもなく、変わらず親しくしてきたのはカイゼル本人でした。
なんなら率先してあの姉妹を贔屓している姿を公で見せていたために周りの空気も徐々に変わっていきました。
姉妹は自分達の方が婚約者だと言わんばかりにカイゼルに侍り、カイゼルもわたくしに許可をとることも伺い聞くこともなく彼女達が侍ることを許しサロンにも頻繁に招待しました。
そのうち『メイア・ヘンダーソンは生きているのだからなんの問題もなかった。お互い水に流したのだろう。貴族間ではよくあることだ』と認識され、学園生活最後の方は、
『そもそも本当に毒を飲まされたのか?あんな優しいドゥーパント姉妹がそんなことをするはずがない。ヘンダーソンの狂言じゃないのか?』、
『ドゥーパント姉妹はこんなにも悲しんでいるのになぜ毒を盛られたのだと嘘をついたヘンダーソン嬢が未だに謝らず平然としているのか理解できない』、
『ヘンダーソンは心が狭くプライドが高い。これではカイゼル殿下が可哀想だ。彼にはもっと素晴らしい令嬢が必要だ。例えばドゥーパント姉妹やアニーのような美しい令嬢が……』
などとサロンメンバーを中心に揶揄されていました。
そんな状況をわたくしが不快に思わないわけはなく、遠回しにカイゼルに伝えようとしても彼は、
『サロンメンバーとは国や領地などの政治の話しかしてないぞ。…はぁ。そんなに羨ましいならメイアも政治に興味を持つべきだ。俺のサロンには令嬢達もいるがどの話にもちゃんとついてきているぞ?
俺と高度な話ができないからと言って俺が作ったサロンや将来俺を支えてくれる有望な友人達を悪く言わないでくれ』
と、とても呆れた顔で宣い取り合ってくれませんでした。
その頃のサロンでは、
『ドゥーパント姉妹が言っていることはすべて本当で、ヘンダーソンが言っていることはすべて嘘。あんな高慢ちきに侯爵位など勿体ないわ。今すぐ爵位をカイゼル様に譲渡し貴族をやめるべきよ』
と陰口を叩かれていたというのに。
わたくしの耳にまでそんな言葉が届くのにサロンのホストであるカイゼルが何も知らないなんて思えず、むしろ面白がって悪口を広げさせているのではないか?と疑心暗鬼にもなりました。
その頃のわたくしは心が荒み、毎日とんでもなく不快な気持ちに支配され、言い知れない気持ち悪さに嘔吐を繰り返していました。
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