(7) 因縁の相手
「あら、やっと穴蔵から出てきたのね。メイア・ヘンダーソン」
「………ごきげんよう。ドゥーパント伯爵、センダース侯爵夫人」
溜め息を吐きたいのを我慢しながら下位貴族に対する挨拶をしてやるとドゥーパント伯爵である姉とセンダース侯爵夫人である妹がヒクリと顔を引きつらせた。
この方達とは顔見知りでわたくしよりもカイゼルと付き合いが長く婚約者候補でもあった。そのため婚約者になったわたくしを蛇蝎のごとく嫌い、貶めるための努力を惜しまなかった人達だ。
犬猿の仲だと知っている誰かが意図的に呼んだのでしょう。普通の神経ならこんなケンカを売るような真似などしませんし。
事情を知っている友人達はにこやかにメイアの側に立ち、堂々と見返すと二人の後ろにいる令嬢達が震え顔を背けた。
伯爵位以上しか参加できないパーティーに子爵位、男爵位の令嬢を連れてきたわね。勝手に連れてきたとしても王家の許可がなければ入れないはず。ほとほと呆れた方々ね。
「相変わらずマナーがなっていないわね。わたくしの後ろにも挨拶したらどうなの?それとも下位貴族は名前もわからないから挨拶できないということかしら?」
「メイア様。わたくしが結婚したのはつい先月でしたのよ?折角招待状を送ってあげたのに返事もなく欠席するなんて無礼じゃないかしら」
そうなの。それはおめでとう。あなたはそう言うけどうちに招待状なんて届いてなかったわよ。相変わらず平気で嘘をつくのね。
「王妃教育を受けたのなら王子妃としてお祝いの言葉くらい言うものではなくて?」
「やだお姉様。メイア様はカイゼル様に捨てられて傷物になってしまいましたのよ?結婚式に来れなかったのもお祝いの言葉が言えないのも幸せなわたくし達が妬ましくて悔しくて口にできないんですわ」
「あらそうだったの?ごめんなさいね気づかなくて!ウフフ!いつものように傲慢な態度で取り巻きを侍らせてるからカイゼル様に捨てられて名誉に傷がついていたなんて気づかなかったわ!ホホホ!」
「笑ったら悪いわよお姉様!フフフ!いくら本当のことだからってそんな皆さんに聞こえるように言わなくても!」
傷物、というところをわざと聞こえるように叫び周りは驚き振り返りました。爵位を落とされる前からでしたがまったく成長していないわね。この二人は。
悪知恵だけはついたようだけど、いつ止めようかしら。
わたくしの側にいた何人かは人を呼びに行ってくれてるようですし王家の入場もそろそろのはず。その前にジュリアス様が来てくれそうな気もしますが、事情を知る誰かが意図的に引き留めているかもしれません。
半年前までなら彼女達の言葉に傷ついたかもしれませんが今のわたくしが怯えるものなど何もありません。ましてや因縁と呼べる方々ですもの。丁寧にお相手して差し上げますわ。
「ほら、マカロン様も言ってやりなさいな。カイゼル様の婚約者に選ばれたくせに捨てられるなんて情けない。わたくしはカイゼル様の側近の令息二人から求愛されてるのよ!ってね」
二人が動き後ろから出てきたのは少しふくよかになった、そして疲れた顔の男爵令嬢だった。
その令嬢を見た時メイアの感情は激しく揺さぶられ強張りそうになったが必死に堪えた。それに勘づいた姉妹はニヤニヤと嗤い男爵令嬢を前に押し出した。
彼女はメイアを前にして引きつった笑みを浮かべながら許可もしていないのに挨拶をした。
この怒りに震えたわたくしに挨拶できたのは豪胆ではありますが、アニータ・マカロンは前々から無謀で無知な令嬢でした。
わたくしが殺意を抱くほど怒りに震えてるとは知らぬ顔で、嫌々対面させられたカイゼルの愛人のような態度でメイアの前に立った。
「メイア様?恋人の広場でお逢いした以来ですね?あれ?わからないかな。一年前くらいですよ?
アタシがカイゼルとデートしてた時にわざわざ待ち伏せして会いに来てたじゃないですか。あの聖堂ですよ!
あの後カイゼルの誕生日パーティーにも学園のお茶会にも来てなかったけどショックで寝込んでたんですか?ドレスを贈ってもらえなくて出られなかったんですか~?
あ!もしかしてアタシのせいで婚約破棄されちゃったんですか?だったらごめんなさ~い。アタシは友達だって思ってたんだけどぉカイゼルも周りも付き合ってるって思っててぇ」
「あらマカロン男爵令嬢。言葉が過ぎるわよ?男爵令嬢のあなたとカイゼル様が恋人に見えるなんて誰が言ったの?愛人の間違いでしょう?」
「そうよ。男爵令嬢でも仲良くしてもらえたのはサロンに出入りできたからよ。でなければ近づくことさえできなかったわ」
「それにあなたの恋人は側近の二人でしょう?」
「ヒッ!ご、ごめんなさぁ~い」
両側の二人に睨まれ男爵令嬢は震え上がった。だがそれも演技のようで二人に見えない角度で舌を出していた。こちらも相変わらず統制が取れていないようね。
「まあいいわ。やっと穴蔵から出てきたのだからまた一緒にお茶会をしましょうよ。昔みたいに三人でお話したいわ」
「そうね!そうしましょう!メイア様も勿論いいわよね?」
「……あなた方はいつまで公爵令嬢時代のままお話しになるのかしら」
「「は?」」
勝手に話を進める姉妹にメイアは隠しきれず嫌悪で眉を顰めた。よりにもよってあなた達とお茶会ですって?
「お二人とも学園を卒業されデビュタントも済まされましたよね?そしてご結婚もして立派な大人になられたのにまだ学生気分でいらっしゃるの?あなた達はもう公爵令嬢ではないのですよ」
一字一句丁寧に言葉にすれば姉妹は顔を真っ赤にして怒りを表した。
「あなたこそ傷物の侯爵令嬢のくせにその態度はなんなの?!従順にしてればわたくし達の友達を紹介してあげてもいいと思っていたのに!」
「そうよ!そうよ!わたくし達のお友達はまだ未婚で年が近い令息ばかりよ?!
釣書が来ないあなたの行き先なんて何度も結婚してる怪しげな家の後妻か化物のような強面で自分の父親よりも年上の貴族くらいしかいないわ!お母様がそう仰っていたもの!」
「そんな家に嫁ぎたくなければわたくし達に頭を深く下げ乞い願いなさい!!」
頭が熱くなった姉妹はここがどこかも忘れて叫んだ。周りの貴族達は顔を真っ青にさせている。公爵夫人が伯爵侯爵夫人相手に深々と頭を下げろ、ですって。
学生までなら通じたでしょうけど、自分達の本来の立場を失念しているわ。扇子を開き口を隠して溜め息を吐くと姉妹はバカにされたという顔で更に怒った。
「あ、あなた方は何を仰ってるのですか?」
「さっきから聞いていれば聞くに耐えないことばかり。伯爵、侯爵夫人が偉そうにメイア様に口答えするなどそれこそマナーがなっていないのではなくて?」
「はあ?あ、あなた達こそ勝手に口を出さないでいただける?これはヘンダーソン侯爵令嬢とわたくし達ドゥーパント家の話よ」
「あなた達こそ身分が低いくせに……というか、わたくし達の旦那様に捨てられた可哀想な令嬢達じゃない!お姉様!あの方はお姉様の旦那様になった方の元婚約者ではなくて?!」
「その隣にいるのはあなたの旦那様に婚約破棄された可哀想な元婚約者じゃない!
やだメイアったら!負け犬の集まりを作っていたの?フフフっ負け犬同士ならさぞや居心地がいいでしょうねぇ?」
「傷物でも公式パーティーに出なくてはならないなんて本当お可哀想。ホホホ!」
折角擁護してくださった友人達が自分達の夫の元婚約者とわかると鬼の首を取ったようにはしゃぎこき下ろした。
震える友人に姉妹は喜んでいるようですが会場の温度が下がっていることには気づかないようです。
「…確かにわたし達に瑕疵がつきましたがすでに婚約、成婚しておりますわ」
「あらあら。そんな見栄を張らなくてもよろしいのよ?嫁いだ家は針のむしろみたいに居たたまれないのではなくて?
それとも夫となった方から体罰でも受けているのかしら?そうなると身も心にも傷がついてしまうわね!ホホホ!」
「生憎普通のお相手ですわ。多少年の差や爵位が変わりましたが元婚約者様の家よりはとても幸せだと自負しておりますの」
「は?」
「わたくしもですわ。むしろドゥーパント伯爵夫人に引き取っていただけてお礼を申し上げたいくらいでしたの」
「サロンメンバーの方々は見た目はよろしいのに素行がとても……ええ、口にせずとも社交界では皆様が知っていますわね。
ご縁がなくなって良かったとしみじみ思っておりましたわ」
「中でもメイア様は一番の幸せを掴みましたわね。あんな素敵な方と添い遂げられるなんて!!」
「結婚式でご挨拶させていただきましたが以前の方が霞んでしまわれるほどの美貌と美声。わたくし達に対してとても紳士的でお優しいのにメイア様を見つめる視線の甘さといったら!」
「わたくし、メイア様を見つめるあの視線だけで卒倒してしまいますわ」
「それだけではありませんわ!甘く蕩けるような視線にメイア様を呼ぶお声がとても麗しくて甘いの!あんな声で囁かれたらわたくしなんてきっと天に召されてしまうわ!」
「「「嗚呼!メイア様がお羨ましい!」」」
困惑している姉妹を余所に友人達が彼女達の思い込みを正すように褒めそやした。
結婚式は国王の許可は取ったが友人と家族親族の限られた者達だけしか知らないし招待していない。ジュリアス様が呼んだ参列者はいない。
なので挙式を姉妹達が事前に知ることはなかった。
「は?どういうこと??え?メイア、あなた結婚したの?」
「うっそ!傷物のくせに結婚なんてできたの ?あ、わかったわ!わたくし達に隠してたってことはよっぽど恥ずかしい相手なのね!」
「隣国の冷酷非道で人の血を飲むのが好きな化物貴族が見栄のために我が国で式を挙げたとおばさまが嘆いていたけど、もしかしてあなたその化物貴族と結婚したの?」
「やだ!カイゼル様に捨てられたからってそこまでする?そんなことをしてもカイゼル様は捨てたあなたなんかと再び婚約なんてしない……」
どうしても自分達が上でありたい姉妹は聞いた言葉を曲解して嘲笑おうとした。しかしそれは王家入場の合図で消された。
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