(29) 君がいい
見つめた先には元婚約者がいる。見るだけで全身の毛が逆立ち、ぞわりとした感覚に襲われた。
彼の顔にはもう傲慢だった面影はない。初めて挨拶した時の愛らしさもない。情けない男の末路だ。
情はあったのだ。あの頃はまだ。
だからつらく苦しい王妃教育も耐えてきた。
恋ではなかったけれどカイゼルの望む『愛』は確かにあったのだ。
あんなにひどい扱いをされていたのにわたくしはカイゼルと結婚した先の生活を夢想していた。王妃から離れられれば、ドゥーパント姉妹達を遠ざけられればカイゼルは目を覚ましてくれる。
わたくしを見てくれる。共に歩んでくれると。
だけど頑張れば頑張るほどカイゼルとの距離が遠くなり、彼のことが信用できなくなって、わたくしは諦めてしまった。
その先にあったのは彼の裏切り。
そしてわたくしの友人を奪い、わたくしを追い詰めた。
それがどれほど悲しかったことか、心が引き裂かれるほどつらいことか、憎んだことか、彼は知らない。
カイゼルはここまで来てもわたくしの気持ちなどわからないのだ。いや、絶対に理解しあえないほどわたくし達の心の距離が離れてしまった。
「メイ……」
「足も折られたくなければそれ以上呼ばないでください」
「……っ」
殺意を持って睨みつけるとカイゼルは声を呑み込んだ。
「反省している?わたくしのために頑張ってきた?
この一年わたくしのためにどんなに誠意を尽くして頑張ってきたとしても、未だに婚約者でもないただの友人で肉体関係はある男爵令嬢を愛称呼びしている時点で興醒めだわ」
彼の顔は悲しみと困惑に満ちている。
わたくしが燃やし続けた怒りを向けられてわからない、という顔をしている。腹立たしい限りだ。
どうせなら男爵令嬢と恋に堕ちてしまえば良かったのに。
どうせならドゥーパント姉妹の方が自分に相応しいと優先しわたくしを差別すれば良かったのに。
王妃のようにわたくしを嫌ってくれればわたくしも『もしかしたら』なんて微かな希望も抱かずにすんだのに。
王子だから、もしかしたらと期待したわたくしが愚かだったのよ。
無意識でこんなにもわたくしや周りの人達を差別し傷つけてきたのに、まだ悪意などない顔で被害者面をしているのだもの。
今ならこんな中途半端な子供との婚約なんて速攻終わらせるのに。気づけなかったなんて人生最大の汚点だわ。
だからもう、大切なものを間違えたりしないわ。
「わたくしの友人よりも嘘つきの自分の友人を優先したくせに、友人と言いながら未婚の令嬢に手をつけたくせに、自分はまだ無関係、無罪だと思っているの?
誘惑に負けて手を出したのはあなたなのに、上位の言葉に下位は逆らえないのに、わたくしの友人達を逃げ場がないほど追い詰めたのはあなたなのに!!責任逃れなんて男として、人として最低だわ!」
そんなつもりはなかったとカイゼルは否定したが、責任逃れしようとした上に裏切ったメイアにすり寄ろうとした態度を嫌悪した。「生涯あなたを軽蔑するわ」と切り捨てたらカイゼルは絶望した顔で崩れ落ちた。
「国王よ。よくもまあここまで教育を放置できたものだ」
「……か、返す言葉もありません」
「ヘンダーソン侯爵から第三王子らの蛮行を陳情された時にちゃんと手を打っておけばここまで酷い有り様にならなかったものを。
王妃もだが国王も随分と我が子に甘いのだな。……まったく反吐が出る」
にこやかにジュリアス様に貶されて国王は汗しか流せない。そこへ父ヘンダーソン侯爵が爆弾を投下した。
「ああそうでした。国王陛下。私事ですが本日をもって我がヘンダーソン侯爵家はダスパラード王国から独立させていただくことになりました」
「は?」
「婚約解消時に交わした『カイゼル殿下と再婚約をしなくてもいい』の他にも『カイゼル殿下が再婚約を迫ったり、ヘンダーソン侯爵家を乗っ取るような発言や圧力をかけてきた場合、家存続のため強行手段を取ることを許可する』とありましたのでこれに則り、独立いたしました。
領地も元々我が先祖が代々守ってきた場所ですし、娘の一件で王家から我が領地に一切の関与をしないと一筆いただいております。
私めがいなくなったところで問題ないと受け取りまして事後連絡と相成りました」
「ああっ!!」
国王はすっかり忘れていたようだ。
「婚約解消した後も第三王子が侯爵家当主になると乗っ取りを発言を繰り返していたというのに忘れていたのか?それともそれが当たり前すぎて聞き逃していたのか?」
「あっ……あああ!」
「幼子の戯言でもないし彼は王位継承権もある王子だ。お優しい国王は正統な後継者を押し退けて第三王子にヘンダーソン侯爵家を与えるつもりだったのだろう?義父上。そうならなくて本当に良かったですね」
「ええ。独立すれば娘や家を差し出せと言われても抗議できますからね。リスクはありますがそれを差し引いても王家からの強要は看過できないものが多すぎました」
「それはそうでしょう。この国の法律では嫡女にも当主になれる権限があります。メイアは正統な後継者だ。その彼女を差し置いて何も知らぬ無知の他人を据えろだのと言うのは独裁と同じだ。なぁ国王よ。
しかも王家はヘンダーソン侯爵家の次期当主を婚約者という人質にして、当主を辞退しろと王妃自らが虐待していた。独立するには十分な理由になる。
家を乗っ取られる貴族の恐怖など玉座に座る国王にはわからないかもしれないが……あ、そんなことないか。王妃は姪達を使って王位簒奪も手伝っていたな」
毒殺未遂という大きな瑕疵があるのにどうしてそんな馬鹿げたことが叶うと考えられたのやら、とジュリアス様が嘲笑った。
「いくら臣下とはいえ、ここまで侮辱されてもまだ忠誠を誓ってもらえるほど君達は何かしてきたのか?思いつかないなら独立されても仕方ないだろうな」
「そんな…っ…」
「ああ、愚かなことをしでかす前に口にしておくがヘンダーソン侯爵家に圧力をかけても無駄だぞ。今日付でヘンダーソン侯爵領はインサルスティマ王国の傘下に入った。
命が惜しくないのならケンカを売ってみるがいい」
そちらに問題が起きないように義父上はちゃんと根回ししていたのに君はなにひとつ気づかなかったんだ。大人しく受け止めることだ。とジュリアス様がしめるとわたくしの肩を抱いた。
見つからないように、水面下で、が抜けているがこれだけのことをしてきたのにヘンダーソン侯爵家にろくな謝罪をしてこなかったのだから仕方ないだろう。
王子のカイゼルの婚約者を続けられるのだから慰謝料は安くていいし、ドゥーパント家を降爵させたのだからこれ以上の謝罪はいらないだろうという態度をずっと示してきたのだ。
その後のことなどなにひとつ考えずに。父が譲らない構えで書面を交わすのも無理なかった。
よりにもよってヘンダーソン侯爵家をいつでも乗っ取れると見下していたのが愚策でしたわね。心が離れても仕方ないことでしょう。
そろそろ退場することにすることにしようということになりメイア達はさっさとカイゼル達から背を向けた。
そこで兄王子二人が帰る準備が整うまでの警護を兼ねて話し相手の申し込みがありそれを承諾した。
「ま、待て!そこは余が行くべきでは」
「父上は休んでいてください。帰りまでの接待ですから私達でもできますよ」
「だ、だが……」
「ああそうだ国王。君に大事なことを言い忘れていたよ」
第一王子は被せぎみに国王の言葉を遮り、ジュリアス様は悪戯っぽく笑った。
「ピンデッド侯爵家とチェスター伯爵家も独立したぞ」
「は?」
「あとそこに連なる領地も遠い王家より利益があるってことでインサルスティマ王国の属国になった。
ヘンダーソン侯爵領と合わせればダスパラード王国の半分くらい我がインサルスティマ王国に属することになったわけだが……。
王家すら厳選された二国を繋ぐ私達の結婚式に無断で介入し横恋慕を公言し侮辱した非常識な第三王子からの謝罪が未だにないのだ。
ということはダスパラード王国はこの程度の事後連絡くらい日常茶飯事ということだろう?」
「はあぁあぁぁ?!?!き、聞いておりませんぞ!!そんなこと余以外に決められるはず」
そこまで言って国王は第一王子を見た。
「三家他申請された貴族すべて独立条件を満たしていましたよ。書類も議会を通し問題なく承認されています。
父上は王妃殿下のヒステリーと無駄遣いに耐えられなくて愛妾がいる別邸に逃げていましたが。私が国王代理としてほとんどの仕事をしていますし何も問題ありませんよね?」
にっこりと第一王子殿下が国王に微笑んだ。
「はぁ?そんなわけ……」
「陳情書が来た時、議会の前に私や兄上、宰相も書類に目を通し議会に参加なさるよう申しあげていましたよ?
ですが父上は愛妾とちちくりあうのに忙しくて『よきにはからえ』と言って丸投げしてきたではありませんか」
「え?!……」
そうだったか?!と国王の目が泳いだ。王妃からの憎しみと殺意に満ちた睨みに肩を揺らしてどちらに集中したらいいのかわからなくなっている。
そんな国王を第一王子はなんでもない顔で笑った。
「そう言ってやるな。父上は王妃殿下の策略でご自分がパイプカットされたことも気づかず、愛妾の腹の中にいる子供を自分の子供だと信じて守り抜こうとされているのだ。
腹を痛めた我が子が選んだ侯爵家の婚約者を簡単に亡き者にしようとする王妃殿下の魔の手からどうやって守るかを常日頃考えていたら政務なんて手がつかないさ」
「それはそうですね。私達の妻や婚約者との関係を何度も破滅させようとしてくる王妃殿下ですものね。父上もさぞや心配でしょう。
仕事を肩代わりしてくれる兄上や義姉上達がいてよかったですね。王妃殿下は最初から役立たずでしたが、最近は父上不在でもちゃんと回るようになりましたよ」
なんだと?!どういうことだ?!と叫びたかったが第一王子と第二王子の冷ややかな笑みに国王は口をつぐんだ。
まるでお前などいなくてもいいという意味に取れなくもない言葉に声も出ないみたいだ。
「カイゼルらがしでかした追加事項だけでも業腹だというのに私の妃を王妃殿下に与えて遊ばせていたとは初耳でした。後でじっくりと話し合いましょうね、国王陛下」
「どうせなら退位して愛妾と離宮で過ごされてはどうですか?老後の生活を少しでもマシにしたいのなら」
第一王子、第二王子の言葉に国王は息子達までもが自分の味方ではなくなったのだと知り驚愕した。
開いた口を閉じられず固まる国王、泣き喚く王妃、頭を掻きむしる元公爵令息、父親に縋りつくがすげなく突き放される元騎士令息、そして項垂れるカイゼルという光景が目に入った。
ダスパラード王国はこれからが大変でしょうね。
本当は各々独立宣言してダスパラード王国を牽制するのが目的でしたが第一、第二王子から内々にお話をもらいインサルスティマ王国の属国として一時的に預かる形になりました。
処罰される者は最低限にしたいということと、彼らも王妃やその後ろにいるブランツ公爵が疎ましく貴族の腐敗をどうにかしたいと考えていたので急遽手を取り合った形です。
インサルスティマ王国の権限を一部有しているジュリアス様だからこそ成せる技でした。
そう思っていただけなのにカイゼルは虚ろな目をこちらに向けるとさも助けてくれと涙目で訴えてきた。
だからなにもかも遅いというのに。
まだわたくしが救ってくれると思っているのかしら?お気楽ね。
ま、わたくしには関係ないけど。と王宮専属のマナー講師に絶賛された淑女の礼を披露した。
「この度はわたくし達インジュード公爵家のために祝賀パーティーを開いてくださり誠にありがとうございました。
この国でのわたくしは爵位も継げないような愚鈍で教養もなく、第三王子殿下の婚約者としてもまったくお役にたてないほど何もできませんでしたが、ジュリアス様はそんなわたくしでも良いと手を取ってくださいました。
ジュリアス様と出逢えたこと、かつ結婚できたことはわたくしにとって一番の幸せです。
結果的にわたくしが望まなくてもあなたとの婚約は白紙になっていましたが、婚約の解消を許してくださりありがとうございました。心より御礼申し上げます」
毅然とした態度でメイアはカイゼルに背を向けると背筋を伸ばししっかりとした足取りで部屋を出て行った。
さようなら、第三王子殿下。
護衛騎士に囲まれながらジュリアス様にエスコートしてもらっていたメイアは少しして大きく息を吐いた。
今頃になって恐怖で震えが止まらなくなり、フラりとバランスを崩すとジュリアス様に腰を引かれた。
「よく頑張ったね。恐ろしい相手を前にしても怯まず投げ出さず最後まで立ち向かった君はとても素敵だったよ」
「ジュリアス様……」
体重をかけるようにしなだれかかってしまい慌てて離れようとしたがハンカチで額やこめかみを押さえられ汗をかいているのだと知った。
どうやら少し顔色が悪いらしい。ジュリアス様の要請で第一王子と第二王子が指示を出し使用人達が慌ただしく離れていく。
部屋に入るとすぐにソファに座らせられ濡れたハンカチが額の上に載せられた。
冷たい飲み物が来ると毒見が終わったグラスをジュリアス様が持ち甲斐甲斐しく抱え込んでメイアに飲ませた。
口移しでないだけマシだが膝の上に乗せられて飲む水は冷たくてもぬるく感じた。
「こんなわたくしで、本当によろしいのですか?」
カイゼルの前で宣言したことは嘘ではないが、些か傲慢だった気もしなくもない。幻滅したのでは?はしたないことをしてしまったのでは?と恐る恐るジュリアス様を見上げた。
揺れる瞳にジュリアス様はフッと優しく微笑むとグラスを従者に渡しメイアの両手を取った。
「少しは気が晴れたかい?それとも彼らをもっと追いつめてやろうか?」
「……いいえ。恐らく第三王子殿下もやっと理解してくれたでしょうからあとは周りの方々にお任せしますわ。
気が晴れたかどうか、は………実はよくわかりません。元側近達が家族に見捨てられてざまぁみろとは思いましたが」
「うん」
「晴れたというよりはやっと肩の荷がおりたような、張りつめていたものがプスン、と抜けていったような気持ちです」
気分爽快にはなれないが彼らにしてやりたかったことは概ねできた。それによりこれからわたくし達が受けた以上の不幸が待っているのも察している。
本当にこれで良かったのか、彼らを懲らしめたことで無関係な人達にも被害が及んでいるのでは?と問いかける自分がいるけどその不安を呑み込んだ。
それを抱え責任を取るのがわたくしのこれからするべきことなのでしょう。
その意思を固めた目で見上げるとジュリアス様は嬉しそうに目を細めた。
「私は君だから良いんだ。メイアの代わりもメイア以上の女性もいない。私にはメイアしか見えない。
もし地獄に落ちることがあっても私達は一緒だ。それだけ君を愛しているのだと知っていてほしい」
「ジュリアス様…」
「勿論無理にとは言わないが、私は諦めが悪く少々愛が重い人間だからね。気持ちを伝えるためにまた部屋中を花畑にしてしまうかもしれない」
「!……フフッ気持ちは嬉しいのですが……できればお控えください。邸の花瓶がなくなってしまって食器や桶まで使うことになったので」
見た目は圧巻だが挿している土台は目もあてられなかったのだ。侍女達と苦笑したのは言うまでもない。
「先程の愛の言葉はとても素晴らしかったよ。メイアがそこまで真摯に私を愛してくれていたなんて夢のようだ。
私達は夫婦になれたんだ。これからはもっと心の内に抱えた喜びも楽しさも不満も悲しみも怒りも私に見せてくれ。メイアをもっと知りたいんだ。
そしてお願いだ。必要以上に我慢をしないでくれ。一人で頑張らずに私と共に困難を乗り越えよう。私はここにいるのだから。二人で一緒に幸せになろう」
「ジュリアス様……」
「これからもこの手を離さずに私と共に歩んでくれるかい?」
まるで結婚式の誓いの言葉を再度繰り返すようなやりとりに鼻がつんと痛くなった。
「はい!もちろんです」
人として劣る部分も暗い部分もすべて受け止めてくれると言うジュリアス様に目を潤ませたメイアは、今日一番の笑顔でにこやかに微笑み誓いのキスを交わした。
読んでいただきありがとうございました。
本編はこれにて終わりです。お付き合いくださり感謝です。




