(17) いい加減気づいてほしい
「陛下のご命令とあれば従わざるを得ませんが、娘は今やインサルスティマ王国国王の弟君であらせられるインジュード公爵の妻です。
もし本当に王妃様とお茶会を要望されるのならインジュード公爵にお伺いください」
「あ……えと、インジュード公爵?その、夫人を王妃に渡してくれまいか?」
一定の理解を示した父はジュリアス様に引き継ぐと国王の顔が彼に向いた。
上目遣いでジュリアス様を見上げる国王はまるで捨てられた老犬だ。余を助けてくれ、と言っているようにすら見える。為政者としてその表情はいかがなものだろうか。
まあ相手は国王なのだから本来なら配慮されるべきなのでしょうが、ジュリアス様は口だけ笑みを作り目は細く貫くような鋭さでじっと国王を見つめていました。
騎士団団長に向けていたものよりも数倍強い威圧のようです。普通は対抗して笑みを返したりするものなのですが耐性のない国王は震え上がりました。
「ひぃ!ヘヘヘヘンダーソン侯爵!!そなたが父親なのだ!そなたから夫人に伺ってくれないか?!その方が角が立たなくていいと思うのだ!」
わたくしが答えればよろしいのですか?まだいい?ではお父様、お願いいたします。
「国王陛下。失礼を承知で申し上げますが、娘メイアは王妃様の娘でも親戚でもカイゼル殿下の婚約者でもありません。ましてやヘルパーやカウンセラーでもありません。
王妃様の不満やヒステリーがご自分に向くのが嫌だからと使用人でもない娘に押しつけるのはいかがなものでしょうか」
「うぐっ…」
「しかも娘は陛下から友好国インサルスティマ王国との橋渡しという大任を仰せつかり、インサルスティマ王国の王弟で公爵のインジュード様に嫁いだ身。
そんな御方に王妃様の憂さ晴らしのためだけに生け贄になれなどと、到底承服できません。
陛下の臣下ではありますが一人の親でもありますので。娘にこれ以上無体を強いることはできません」
「いや、だが王妃はインジュード夫人のことを気に入っていて……」
はぁ、とヘンダーソン侯爵が溜め息を吐いた。それは仕方ない、という承諾の溜め息に国王は見えた。
「王妃様が娘に執着しているのはご自分が思い描いていた予想に反しカイゼル殿下が娘を婚約者に選んだことが発端です。
傘下でもない侯爵程度の娘と結婚してもカイゼル殿下は幸せにはなれないと『今も』信じているからです。
そのお考えに則り王妃様は娘がカイゼル殿下の婚約者でなくなるようにいろんな手を使いました。
王妃様が解消できないということは娘のメイアではどうにもできないとわかっていたのにもかかわらずです」
「あ、うぅ……」
「王妃教育から戻ると娘はいつも部屋に閉じこもり一人で泣いておりました。食事も喉を通らなかった時期もあります。
『自分は生きている価値があるのだろうか?』と妻に問いかけ、そして我に返り誰も責めていないのにありえない怯え方で床に頭を擦り付け謝ったこともあります。
そんな教育など一度たりともしたことがなかったというのにです。
日に日に表情がなくなり学園の最終学年には文字通り人形のようになんの感情もない笑みしか作れなくなりました。カイゼル殿下は勿論気づいておられましたよね?」
いきなり振られたカイゼルは目を泳がせ頷くことしかできなかった。が、顔は全く理解しているようには見えない。
「ええ、あの頃は特に娘の体調が芳しくなく学園も休みがちでしたからね」と言われて更に混乱したような顔をしていた。
それを感情を隠した笑みで眺めた父は国王を見遣った。
「折角ここまで回復し結婚できた娘を、陛下はあの頃のように王妃様の奴隷になれと、そう仰られるのですか?」
場がシン、と静まり返った。その場にいる者達の目が王妃に向く。注目されることが好きな王妃だったが突き刺さる視線に挙動不審に目を泳がせ扇子で顔を隠した。
その隣にいるカイゼルは自分が見られているわけでもないのにそわそわと愛想笑いを浮かべたが頬が引きつり歪な笑みしか浮かべられなかった。
王妃の気性を知っていても侯爵家でカイゼルの婚約者にそんなことをしていたのだと知らない者もいたのだろう。
困惑を浮かべる者もいれば娘を持つ親は嫌悪を滲ませる者もいた。
貴族として王族が降下することは誉れ高いことだ。喜んでしかるべきで不服を申し立てるなどあってはならない。
だからヘンダーソン侯爵の今の言葉は不敬であり罰せられて当然の暴言だったが、誰も責めなかった。
これが自分の子供だったら、と子持ちの貴族が思った。
これが自分の親姉妹だったら、と王宮に勤めている貴族が思った。
王家には逆らえない。王妃の言葉は絶対だ。
だがこれでは結婚をする前にメイアの心が死んでしまう。青白い顔でカイゼルもそう考えた。
「あれを好意として娘を気に入っていると言うのなら陛下と私には認識の齟齬があるのでしょう。
やっと心から微笑むことができ、心を通わせられるインジュード様と出会えて幸せになれると娘も喜んでおりましたが……陛下が望まれるのでしたら仕方ありますまい。
娘はインジュード公爵の妻であると同時にヘンダーソン侯爵家の娘でもあります。そしてヘンダーソン侯爵家はダスパラード王国に属します。
陛下が本当に求められるなら臣下の我が家に拒否はできません。どうぞよしなにお使いください」
「そ、そうかそうか!そう言ってくれるか!うむうむ。勿論わかっておるぞ!なに、心配はいらない。インジュード夫人を王妃は立派にもてなすだろう。な?王妃よ」
「……………陛下がお望みでしたら」
「ほら王妃も快く頷いてくれたぞ!これで安心だ!インジュード夫人も楽しんでくるといい。インジュード公爵もそれでよいな?」
悔しそうに顔をしかめ、苦渋の決断をした父に対して国王は機嫌よく大きく頷いた。
説明した父の言葉など何一つ伝わっていなかったような口振りに王妃側の貴族ですら眉をひそめ怪訝な顔で国王を見ている。
国王からすれば不機嫌な態度でインサルスティマ王国にケンカを売り続ける王妃を早く部屋から追い出し楽になりたいのだろう。
その浅慮な考えにメイアは扇子の下で溜め息を吐いた。
「よいわけないだろう?戯れ言が過ぎるぞ国王よ」
ニコニコと伺ったがジュリアス様に拒否され驚いた顔をした。彼の顔にはなぜそんなことを言われたのかわからない、と書いてあった。
国王の立場もあり自分が言った言葉が覆ることはなかった彼は、もし微妙な空気が流れても少し言い換えただけで自分の意見が通っていた。
王妃のことだってそうだ。自分は愛でたい時に愛でてそれ以外はすべて他人任せ。
我が儘なところも贅沢なところも実は気性が激しいところもすべて愛しい、ではなく見たいところしか見ない。嫌な部分は極力見ないようにして関係を保ってきた。
王妃もその辺は弁えていてなるべく国王の前で出さないようにしているがカイゼルの次の婚約者が見つからなくてストレスが増えており、そのため国王にも被害が出ていた。
そんな夫婦関係の危機にやってきたメイアを自分の救世主だと喜び王妃に差し出そうとした。
メイアを渡せば一時的でも王妃の不満はメイアに向けられ、自分は王妃の小言から解放される。
カイゼルに新たな婚約者ができないのも、自分だけ勝手に幸せな結婚をしているのも、すべて気に食わないであろう王妃は全力でメイアにぶつかるだろう。
ストレス解消のサンドバッグとなんら変わらない扱いなのだが国王は自分の方が可愛かった。
その国王の残念なところは王妃が再びメイアを暗殺するかもしれないとこちらが警戒していることと、王妃が今まで何をしてきたかすべて知っているヘンダーソン侯爵と夫となったジュリアス様がいることを失念していたことだ。
ジュリアス様が手を上げると騎士達が素早く動き国王達に剣を向けた。
「インジュード公爵?!こ、こここれはどういうことだ?!我々は友好を結んだはずではなかったのか?!」
「その書類にまだサインを書いていないし、その前にそこの王妃とその姪達が我らの友好とやらを壊したからここにいるんじゃなかったのかな?」
「………あ、」
王妃の不機嫌な顔に気を取られてやはり失念していた国王はメイアの隣にいるジュリアス様を見て大口を開け顔を真っ青にさせた。
「何をどう解釈したらメイアとそこの豚との茶会が成立するんだ?君の耳は飾りか?聞こえぬ耳なら削ぎ落としてやるぞ?
さっきも言ったはずだ。貴国は自国有利に進めるためにメイアを脅し、服従させ操作しようとしているのかと。だがそれは『違う』と国王は言った。
だというのに今度は否定したその口でメイアを人質に出せとヘンダーソン侯爵に命令してきた。これはどういうことかな?」
「それは、その……」
「もし王妃のご機嫌取りのためだけにメイアを差し出せというのなら私は全権限を使ってそれを拒絶しよう。
我が妻を貶し、インサルスティマ王国を田舎小国と揶揄した女だ。そんな馬鹿げた豚をメイアと同じテーブルにつかせるなどあってはならない。
同じ部屋の空気を吸わせることすらメイアの体調が悪くなると事前に言っていたのに貴様らはそこでも甘えていたからな。ここまでしなければ理解できないのなら剣を向けるしかあるまい」
ジュリアス様に言葉のナイフを突きつけられた国王は真っ青な顔で平謝りした。ジュリアス様、言葉が大分乱暴になっております。
「見せられたものも侵入した賊の裁きでもなく、インサルスティマ王国への謝罪でもなく、ダスパラード王国やそこの豚に都合のいい裁定だった。まさに『くだらない茶番』だったよ。
さっきも言ったが下っ端貴族に罰を与えて満足するのは勝手だが、真犯人達の罪を彼らに擦り付けることがインサルスティマ王国の総意だと決めつけられては困る。
インサルスティマ王国は我が国を貶した王妃とドゥーパント伯爵家姉妹、インジュード公爵夫人の名誉を汚した者達への制裁を望む。これは事前に我々に話をつけなかった貴国の責任だ」
大々的にジュリアス様が告げることでダスパラード王国は王妃とドゥーパント姉妹達を公に罰しなければならなくなりました。
なんのために別室を用意したのかわからなくなりましたね。
ですがそれも仕方ないことでしょう。王妃は反省もせずインサルスティマ王国を好き勝手に罵っていたのですから。
わたくし達は『国賓だ』と再三申し上げてきましたのに。
あの方は王妃教育や淑女教育を施されたはずなのに何を勉強されていたのかしらね。教師だった方々に同情しますわ。
読んでいただきありがとうございます。