恩恵(ギフト)1
この物語は、フィクションであり、実在の人物、団体、事件等とは、一切、関係ありません。
「治癒」
カルンが魔法を唱えると、目の前にしおれていた植物が生気を取り戻し、花が咲いた。
「わあ、すごい。」
「回復魔法は、こういうふうに使うこともできるんだよ。」
「お兄ちゃん、治癒士なの?」
「ううん。植物探索者だよ。」
カルンの故郷は山の中にあった。ホーメリットと呼ばれていた。その村では、人々は皆、植物採集をして生計を立てていた。
「この辺りに、カワラナデシコの花が咲いているって聞いて、やって来たんだけど……。」
「どんなお花なの?」
「ずっと変わらないで咲いている綺麗な花さ。」
カワラナデシコ。別名、変わらなでの花と呼ばれる。草原に群落を形成して咲き、それぞれの個体が順番に咲き続ける事から、その名が付く。全草と種子は薬草となり、市場に出回っているが、乱獲により、絶滅が危惧されている。
「それなら、あそこ。」
少女は山の麓を指差した。
「でも、あそこは野獣たちの住み家になってるの。」
「そうか。ありがとう。もう暗くなるから、君はお家に帰ると良い。ところで、君のお家はどこにあるの?」
「うん。わたしのお家はね、あっち。」
少女が指差したのは山とは反対方向の川沿いであった。
「その場所を思い浮かべてみて。」
「うん。」
「転移。」
「お兄ちゃん……?」
少女の傍らにカルンの姿はなかった。代わりにあったのは、川の近くにある少女の帰る家であった。
カワラナデシコの群落地は、カルナ村の山麓にあった。この辺りの群落地は、もう既に乱獲されていたが、ここだけは残っていた。それは、この山麓に、暴君山羊の群れが生息しているからであった。暴君山羊は、リーダーの雄を中心にして、数十頭前後の雌雄が群れを作り、夏と冬で草原を移動していた。縄張りを形成した群れは、非常に凶暴で、時に巨竜にも挑みかかり、追い立てることで知られていた。
「あった。」
カルンの目の前に、赤や白、ピンクといった色とりどりの小さな花が咲き乱れていた。それはカワラナデシコの群落であった。
「では、雌雄一対だけ拝借するか。」
その時である。岩陰からこちらを見ていた獣が、息を荒立てて、角を突き出しながら、カルンにめがけて突進した。暴君山羊である。その巨体は小柄なカルンの何倍もあった。
「何か用かな?」
じろりとカルンが振り返った。その目は怪しく赤い宝石のようであった。その目を見た途端、暴君山羊は脚を止めた。そして、身震いしながら、静かに逃げていった。
「さてと、採集できたし、帰ろうかな。」
「待て!」
カルンの前に突然、騎士が現れた。
「我が名は、エルナ=クリフォード。宮廷騎士団長である。」
エルナは細剣を抜いていた。
「まさか、暴君山羊の群れを退けてまで、絶滅危惧種を採集しに来るとは、見下げた性根だな。」
「あの、何か?」
「村の少女から話を聞いた。貴様も、その意志を善き行いに向ければ、救われるものを。」
「まあ、良いか。」
カルンは転移魔法を唱えた。
「逃げる気か!?」
エルナは瞬時に距離を縮めた。縮地である。
「二重爪。」
細剣による疾風の二連撃をエルナは放った。その攻撃は、カルンの転移魔法の発動を一瞬上回る速さであった。本来ならば、その二連撃により、転移魔法の発動を阻止できるはずである。本来ならば、そうなるはずであった。そして、それをエルナも予測していた。が、しかし、実際は、予測通りにはならず、カルンの転移魔法に巻き込まれて、エルナは消えた。
「ここは……!?」
「困ったな……。」
「貴様、なぜ、転移を発動できたのだ、私の二重爪は、確かに届いていたはずだ。」
辺りは一面の野原である。その所々には、珍しい草花が生えている。遠くに見える雑木林も、見た事もない形の木々や花実が成っている。
「主な理由は二つ。ひとつは、剣聖の技法、見切りと、賢者の技法、干渉拒絶。」
「見切りと干渉拒絶の技法?剣聖と賢者?嘘をつくな。」
「嘘をつくなと言われても、実際、そうなったからここにいるのでしょう?」
「くっ……。」
剣聖、賢者、そのいずれもが、伝説級の存在である。
「とりあえず、僕は仕事があるので。」
カルンは、その場にしゃがみ、腰から抜いたスコップで穴を掘ると、採集してきた雌雄一対のカワラナデシコの苗を、そこに植えた。
「保護。」
カルンが魔法を唱えると、カワラナデシコの苗は潤いを取り戻した。
「ここはどこなのだ?」
「僕の庭です。」
「貴様の庭?」
「僕の名前はカルン。植物探索者です。僕はここに、環境保護を基調とした理想の庭を作っています。」
「植物探索者のカルン……。」
「あなたは?」
「私はロードリア宮廷騎士団長エルナ=クリフォード。」
「じゃあ、帰りましょうか。エルナさん。」
「は?」
カルンはエルナの額に触れた。
「待て、転移魔法で、私を飛ばす気か。」
「そうでないと帰れませんが?」
「ここはどこの国にある?」
「旅人からは、ホーメリットの村と呼ばれています。」
「ホーメリットだと……?」
ホーメリットは伝説に謳われる地名である。かつての勇者が作った村だと言われている。勇者と、仲間の商人が、その希望を叶える為に各地から移民を集めてできたと聞いた。しかし、その場所は、人に知られる事はなく、今日では、理想郷の代名詞となっていた。
「ここが本当にホーメリットなのか?」
「僕の生まれ故郷です。」
カルンは歩み始めた。
「どこに行く?」
「植物たちを見て回るのです。あなたは、もう少し、ここにいると良い。帰ろうと思えばいつでも帰られるのですからね。」
「そうだな。」
案外、エルナは楽天家であった。
かつて、世界には魔王がいた。魔王とは魔物の王である。もとより、今日、世界に存在する生物の先祖を遡って行くと、それはひとつの原始生命体にたどり着く。それが今では、原始生命体から派生した種々様々な生命体で、世界は満ちている。魔物とは、その生命体の中で今日、最大規模の勢力を誇っている人間から見て、人間にとって害のある生物を指す人間の言葉である。それ故に、魔王という名称も、人間の勝手な呼び名ではあるのだが、人間に対して、敵意を露わにし、明確に敵対行為を企む者たちの指導者の中では、あえて、その魔王を名乗る存在もいた。その中の一人が、現自称魔王、ヴォーグである。
「ヴォーグ!」
「はい!」
「早くしろ!」
「はい。」
前代の魔王の頃は、魔物の歴史上で最大規模の勢力を持っていたとされる。それでも、その支配地域は、人間側の三分の一程でしかない。その時の魔物の指導者的存在が鬼の王であった。その鬼の王は、他の魔物たちを率いて、人間の土地を奪った。それらの土地争いには、人間と魔物、どちらもそれ相応の理由を持って自分の利益の正当性を述べ、そのどちらも、お互いに残虐行為を行っていたのだが、最終的に、敗北したのは魔物たちであった。
「鬼毒酒、一杯。」
「喜んで。」
辺境の地であるネノクニューズは、魔物、人間の区別なく、様々な理由で世界の道理と、道理の狭間にあって、まともに生きる道を持ち得ない者たちが墜ちていく場所のひとつである。
「おい、あいつら、またいるぜ。」
「よせ、無視しろ。」
鬼の血を引くヴォーグは、ネノクニューズの酒場で給仕をしている。
「……。」
「おい、給仕、何か言ったか?」
「えっ?」
「おまえ、今、何か因縁付けただろう?」
「何を理由にそんなこと……。」
「理由なんか必要ねえ。」
無論、ヴォーグは一言も発していないし、何か特別なことを思った訳でもない。それでも、因縁を付けてくるこの侍と呼ばれる無頼漢は、その者の被害妄想と言えるのであるが、侍がヴォーグを好ましく思ってないのと同じく、ヴォーグも侍を好ましく思っていない。と言うよりも、ヴォーグも侍も、お互いに無関心であろうとはするのだが、何故か、どこかで、お互いの意思を刺激し、妄想を膨らまさせてしまう。
「ふざけるな!人間風情が!」
「おう!?やるか!?」
グラスが割れ、相手を威圧させる為の刃物が振りかざされた。
「おい、お前ら、止めろ!!」
「とりあえず、落ち着け!!」
その場に居合わせた人々は、騒ぎを起こすまいと必死の仲裁をして、ヴォーグと侍を取り押さえていた。
「ヴォーグ!!」
「はい。」
「お前、もう帰れ!!」
酒場の主人に言われたヴォーグは、客たちに両側を挟まれながら、外へ連れて行かれた。
「しばらく、来るな。」
酒場の扉は閉められてしまった。
「ごめんなさい。」
「は?」
「いや、すみません。」
ヴォーグに声を掛けてきたのは、旅人であった。
「この辺りに、オーガスタという植物を見たことはないですか?」
「オーガスタだって……?」
オーガスタは、鬼の大花と呼ばれる植物である。成長した物では、背丈が巨人程もあり、何十年に一度、頭頂に大きな丸い鮮やかな柄の花を咲かせることで知られる。かつては、ネノクニューズ周辺の辺境の土地で見られていたが、もともと、生育数も少なく、魔物と人間の争いが終わり、平和な時代が訪れた頃から、乱獲が目立ち、今では見ることはなくなった。
「鬼の大花なら、俺が子どもの頃から絶滅したって話だけどな。」
「いや、そういうはずでもないようなんですけれどね……。」
ヴォーグの目の前にいる旅人は不思議であった。それは人間ではあるのだが、どこか不自然な気配を感じ得なかった。
「おまえは旅人か?」
「植物探索者のカルンと言います。」
「は、狩人か。」
ヴォーグは失望した。狩人と言えば、このネノクニューズでも評判は良くない。その印象は一言で言えば、金目当てのよそ者である。彼らは、己の利益の主張はするが、その義務については黙殺していた。彼らは、自分たちの目的の為なら他人の利益は侵害するし、土地も荒らして行く。それらの行為は、世界の道理、すなわち、法には触れていない。世界のあちら側の者たちにとっては、それらは多少常識外れで、道徳には欠けているが、法的には正当な行為であり、罰せられることはない。世界の知識人たちにしても、自分たちの利益の観点からそれらは黙認されているし、ヴォーグたち、ネノクニューズ周辺の住人は、彼らにとって、本音では、不謹慎で不遜な害虫であり、その害虫に、まこと、害虫扱いされているのが、狩人であった。
「狩人に教えることなんてない。」
「はて?」
「何?」
「気になることが二つ。ひとつは、私は狩人ではなく、植物探索者だと言うこと。ふたつは、狩人に教えることなんてないと言うのは、教えるに値する何かを知っているということですか?」
「こいつ……。」
カルンの言う通りである。オーガスタ。別名、鬼の大花。それはその名の如く、かつて、鬼たちの住む土地が原産の植物であった。しかし、前代の魔王である鬼の王が勇者に伐たれて以来、鬼たちは故郷を離れざるを得なくなった。それが、今日のネノクニューズである。魔王の根拠地であったその土地にも、人間の手が加わりはしたが、魔物の血で汚れたその土地は、神の祝福を受けられない土地として忌み嫌われた。そして、やさぐれ者や無頼漢、行き場を失った有象無象たちの行き着く先になった。
「何か、知っているのであれば、教えてくれると助かります。」
「知らん。」
ヴォーグはその場から逃げようとした。目の前の相手と関わりを持ちたいと思わなかった。実を言うと、ヴォーグは、オーガスタのある場所を知っていた。それは、かつての魔王城。鬼ヶ城の跡地である。ほとんど絶滅寸前であったオーガスタは、そこにかろうじて数本が生えていた。
「貴様、まだいたか。」
先ほどの侍であった。酒場のすぐ近くで、カルンと出会ったヴォーグは、カルンから逃げる寸前で、酒場から出て来た侍に出会ってしまった。
「貴様、今宵こそは成敗してくれるわ。」
侍は剣を抜いた。侍の持つ剣は、片刃の湾刀であり、侍の故郷にある独特の鍛冶製法で作られていた。
「神刀無双流の太刀に浮かぶ錆と消えるが良い。」
「待って下さい。」
カルンであった。
「問答無用。邪魔物は斬るのみ。壱ノ段。」
神刀無双流は剛柔不二の剣である。その壱の段は、平たく言えば、一刀両断。二の太刀不用の剛剣であった。
「待ちなさい!」
カルンの剣聖技法、見切りが発動した。それと同時に、もうひとつの技法、無刀取りによって、剣もろとも侍の身体全体を制圧下に置いた。
「馬鹿な……!?」
カルンの徒手空拳と体捌きにより、剣の根元を押さえられ、体の自由も利かない状態にされた。それでも、侍は、自らの剣、すなわち、刀を離すことはなかった。
「ちっ!」
カルンは拳を離した。最早、侍は観念するかと思いきや、諦めることはなかった。
「弐ノ段、行くぞ!」
神刀無双流、弐ノ段は、疾風迅雷、疾手の剣。並みの者ならば、壱ノ段で一刀両断される。その壱ノ段を躱した者への追撃が弐ノ段であった。その太刀筋は、相手の受けにより千変万化する。この場合は、カルンの制圧下から侍の身体が解放されてすぐの袈裟斬りであった。しかし、それもただの袈裟斬りではなかった。右から撃ち込んだ太刀筋は、カルンに到達する頃には、左からの剣撃に変化していた。
「っと、危ない。」
その弐ノ段も、カルンには通用しなかった。見切りにより、直前で変化した太刀筋に惑わされることなく、侍の刀を避けた。
「参ノ段。」
神刀無双流、参ノ段は、百花繚乱の奇剣である。その技の手数は幾百に上る。この場合は、柔の技が発揮された。
「神刀無双流柔術、嶺嵐崩し。」
カルンの襟元を侍の左掌が襲った。襟元を捕まれたかと思うと、カルンの体は内部から崩された。重量を零にされたカルンの体は、そのまま、侍の身体全体から発せられた合力が左掌を伝わることによって、後方へと軽々と吹き飛ばされた。
「これで最期だ。肆ノ段。」
神刀無双流、肆ノ段。その剣は、必中必殺の刺突。この段まで到達できる者は、選り優れた剣士の中でも百に一人いるかいないかと言われる。それはまさしく剣聖であった。そして、その剣聖をも屠るのが死ノ段とも言われる剣である。いつの間にか、侍の身体は消えていた。そして、いつの間にか、後方へ飛ばされたカルンの眼前に居た。
「死ノ段。死突。」
眼前で照準を合わされて突き出される刺突。それは死突であり、照準を定められた者は避け逃げることは適わない。あるのは、ただ、眼前に居る死を待つのみであった。
「待てと言うのに!」
カルンの眼前に突き出された刀は、空中に弧を描いて、地面に落ちた。
「何が起きた……?」
それに一番驚いたのは侍であった。自らの身体技法により、歩足と太刀筋を消していたはずだった。しかし、それが、逆に、カルンの見えない動きによって、気が付くと、持っていた刀を弾かれて素手になっていた。
「くそっ……。」
刀を拾い上げると、侍は、人混みをかき分けていなくなった。それは、あれ程の戦闘からしても、予想外に呆気ない退場であった。
「何者だ、一体……。」
夜の闇の中、神乃は木賃宿の筵に転がっていた。日の国の侍であった神乃五郎左衛門宣時は、故郷を追われて、この辺境の土地、ネノクニューズに堕ちてきた。日の国では、革命により、新しい国家政府ができていた。それにより、旧来の支配階層である侍は、刀と名を奪われることになった。
「(神刀無双流は、神より授かりし秘剣。それを肆ノ段まで防ぐなど……。)」
多くの侍たちが反乱によって殺された。生き残った者たちは、名と刀を捨てて、新政府に従属した。それでも、神乃は意固地であった。革命戦争では、神刀無双流師範として、剣を振るった。神乃は、先代の師から神刀無双流皆伝目録を授かった唯一の弟子であり、その太刀筋は古人にも劣らぬ程であると評されていた。ただ、頑固で、初志貫徹を掲げる神乃は、新しい世の中に馴染むことができなかった。その為、師が止めるのも聞かず、革命戦争から反乱闘争へと戦場を駆け抜け、あげくのはてに妻子を捨てて、国を落ちることになってしまった。放浪の末に行き着いたネノクニューズで、神乃は破落戸や無法者の用心棒や喧嘩の助っ人として、神刀無双流の剣を振るった。しかし、本来、流祖が百日間、祠に籠もって、神より授かり得た神刀無双流の剣を、次代に伝えることもままならず、汚れ仕事をして、生計の糧にせざるを得ない自分に腹を立て、嫌悪していた。
「(それにしても、あの小僧よ……。)」
そうした中で、見掛けたヴォーグと呼ばれる小僧を見つけた。初めて、見た時は、何とも思わなかった。しかし、何度か見掛ける内に、嫌気が差してきた。そして、何故か、奴を見ると、自分の中で、モヤモヤとした気持ちの悪さがこみ上げてくるようになった。それは、すなわち、己の性により、故郷を追われ、家族を捨て、責任から逃げた神乃自身の姿を、ヴォーグに見ていたに過ぎないのであるが、そのことに、神乃自身が気付くことはない。
ところ変わり、カルンである。植物探索者を称するカルンは、紛う方なく、オーガスタを求めて、ネノクニューズにやってきていた。
「絶滅したとされる鬼の大花と呼ばれる植物が、ネノクニューズ周辺に残っているらしい。」
そのような話をエルナから聞き、いても立ってもいられず、転移魔法で、ネノクニューズにやってきたのだった。
「カルン、何をしていた。」
「エルナさん。どうやら、この方が、何か知っているみたいですよ。」
転移魔法に無理矢理くっ付いて、エルナもやってきていた。
「うん?貴殿には魔物の血が流れているな。」
「何……。」
エルナはヴォーグを一目見て分かった。それと言うのも、鬼は人間と形が似ているとは言え、注意深く観察すれば、その違いは分かる。しかし、魔王が倒されて以来、魔物の数は減り、人間たちがその姿を目にすることも少ない。それ故、エルナも、鬼という種族のことについての情報を網羅している訳ではなく、ただ、漠然と、ヴォーグに人間と異なる部分を見つけ、それをかつて見た魔物と人間の混血である混魔人の姿と同一視したのである。
「この俺が混魔人だと、そんなことがあるか汚らわしい!」
「違うのか?」
「俺は純粋な鬼の一族だ。」
「鬼だと……。」
エルナの顔色が変わったと思いきや、その片手を帯剣していた細剣に掛けた。それもそのはずで、鬼と言えば、前代魔王の系譜であり、人間の敵である。人間にとって、混魔人が蔑視の対象であるならば、純粋な魔物、特に鬼は敵視の対象であった。
「そんなことはどうでも良いです。」
カルンはめずらしく苛立っているようであった。
「あなたが鬼の一族ならば、オーガスタのことを知っているというのも頷けます。」
一瞬、ヴォーグを見たカルンの瞳が赤く輝いているように見えた。その光は、冷たく怖ろしげであった。
「一体、何なんだよ、お前たちは……。」
今日、一日の出来事に、ほとほと疲れたヴォーグであった。
巨人は、魔物の一派であり、その中には、隻眼や野人などがいる。いずれも、力強く、頑健な者たちである。しかし、その中で、特に、凶暴極まりない者が蛮人である。蛮人は、集団で行動していた。普段は、個々ばらばらに、狩猟採集生活を送っているが、時に、徒党を組み、群れを成して、人間の町や他の生物を侵害することがあった。時に起こるそれらの侵略行為には理由も目的もなかった。巷では、蛮人の生物的本能、快楽、戦闘訓練、狩りの練習等、様々な説があったが、原因がそのどれであれ、その内容は変わらなかった。
「何だ、また、喧嘩か?」
ネノクニューズの酒場の主人が、遠くでする喧騒に気が付いた。
「親父!大変だ、巨人だ。」
「巨人だと?」
「あれは、伝説に聞く、蛮人の侵攻だ!あんたもすぐ逃げろ。」
慌ただしくやって来た常連客の一人は、それだけ言って、走って行った。
「グゴオ!!ガア。」
蛮人は人間の大人の三倍の背丈がある。それとは別に、身体能力は人間と比べるべくもなかった。百を超える蛮人の侵攻により、ネノクニューズは、瞬く間に、壊滅した。蛮人の群れの中には、隻眼や野人も混じっている。それらの中で知能のある者は、蛮人のようにただ暴力を振るうだけでなく、略奪や放火、誘拐を成す者もいた。
「白銀の翼撃!」
エルナである。細剣から放たれた魔力を帯びた衝撃波が横一線に巨人を薙ぎ倒していた。しかし、それらの攻撃は、相手を怯ませはするが、致命傷を与えるには至らない。特に、蛮人には、かすり傷程度にしかならなかった。
「伝説に聞く蛮人の侵攻に出くわすとは、何たる偶然か。」
エルナはカルンとともに、ヴォーグを連れて宿屋に向かう途中だった。そこで騒ぎを聞きつけ、蛮人の侵攻に出くわした。
「エルナさんは、これが、偶然だと思いますか?」
カルンである。
「どういう意味だ?」
「いえ。」
「それより、カルン。何故、貴様は、先ほどから何もしないのか?」
「と言いますと?」
「貴様の力ならば、蛮人共を退けるのも容易いことなのではないかということだ。」
「あいにく、むやみやたらと生き物を殺すことはしたくないので。」
「そのようなことを言っている場合か?こちらの身が保たぬぞ。」
「逃げましょう。」
「転移か。」
カルンは、転移魔法の発動を始めた。二人の傍らにはヴォーグが、話に付いていけないままに立っている。
「おい、町の人たちはどうなる?」
「そのようなことを気にすることはありません。私たちは、救世主ではないのです。」
「ふざけるな。逃げるならば、お前たちだけにしろ。」
ヴォーグは、混乱の中へ消えた。
木賃宿で神乃は戦っていた。
「何だ、こいつらは。」
「巨人ですよ。旦那。」
「それは、見れば分かる。」
木賃宿には、逃げ遅れた人たちがいた。その中で、神乃が刀を振るって巨人を追い払っていた。
「おい。刀を洗う、水を寄こせ。あとは、代わりに槍を持って来い。」
「へい。」
木賃宿の主は納屋に駆けた。この辺りには、まだ、蛮人の姿はなく、いるのは隻眼や野人であった。
「グゴオ!」
「新手か。」
蛮人だった。神乃は、主が持って来た槍を手にした。
「今までの奴らとは異なるようだな。」
一目見て、相手の力量を測った。
「神刀無双流槍術、草紙錐。」
無形の構えからの片手突きである。間合いに入った瞬間に、相手の急所を抉る。神乃の一突きに、蛮人は瞬殺された。
「一人一人では、対したことはないか。」
それでも、いつまで武器が保つか分からない。早急にこの場から避難する必要がある。
「おい。主、宿の中にいる客は何人だ。」
「ひい、ふう、みい、四人です。」
「俺達も入れて六人か……。」
神乃は主が持って来た柄杓と水桶を使って、刀を洗った。
「ねえ。お侍様。」
「何だ?」
少女だった。その娘も、また、木賃宿に取り残された一人である。
「さっき、鬼のお兄ちゃんが、向こうに走って行ったよ。」
「鬼?」
「うん。酒場の前で喧嘩してた人。その人たちも一緒だった。」
「なるほどな。」
神乃は合点がいった。いつも見ているあの小僧。どこか風体が人間と異なると見ていた。それが鬼と言われればそうであろう。そして、あの強者もまた、奴らの仲間とすれば、人間とは異なる者に相違ない。
「それで、あの強さよ。」
それは、奴が頭だつ者であることを示している。そこに、この巨人共の襲撃である。奴らがこの襲撃に絡んでいる、もしくは、その首謀者であることは想像に難くない。そうしている時、不意に、巨人たちの気配が消えた。辺りは、静かな闇を取り戻した。
「今だ、皆、走れ。」
木賃宿に取り残された者、皆が町の外に向かって逃げた。
「旦那、行きましょう。」
「俺は首魁を討つ。」
神乃は、宿の主に槍を返すと、暗闇の中、町の中心に向かって走った。
「不意討ち、卑怯なりとは言わせぬぞ。」
町の中心部、忘れ去られた過去の遺物である枯れた噴水遺構の近くで、神乃は戦っていた。相手は、カルンではなく、エルナだった。
「天使の福音。」
エルナは聖なる魔法で、己の強化を図った。透明な白煙が足下から昇った。
「足が速くなったか。」
「減らず口を聞くな。二重爪!」
「遅いわ!」
速度を高めたエルナの縮地を、神乃は視るのではなく、空気の流れを読むことで、相手より一歩早く動いた。
「空間と時間は違うぞ。壱ノ段!」
神乃の刀は、エルナを一刀の下に伏す形であった。
「同じですよ。歪力。」
カルンだった。右手を伸ばし拳を握ると、それに吊られて、エルナと神乃の体が、ぐっと引き寄せられた。そして、今度は、カルンが右手を広げるのと同時に、二人の体も引き離され、吹き飛んだ。
「化け物め……。」
空の噴水を挟んで、神乃は地面に腰を着いていた。
「こんな所にいたんですか、エルナさん。」
「カルン、今のは何をした?」
「時空変換の一種ですよ。」
「そうではない。私を助けたのか?」
「そうです。」
「そうか……。 礼を言う。」
「ところで、また、あなたですか……。」
カルンは、神乃を凝視していた。
「鬼の首魁。」
「鬼……とはどういう意味ですか?」
カルンは右手を伸ばした。そして、神乃に向けた掌をゆっくりと下に降ろした。
「ぐっ……。」
未知の力が神乃の体を襲う。それは、重力である。普段の数倍ある重力が神乃の体を地面に押さえつけた。
「重力。その体、どこまで保ちますかね。」
カルンの瞳が怪しく光る。それは、狂気の輝きのようであった。
「ぐおっ……。」
カルンの操る重力は、次第に重くなり、周囲を呑み込んでいく。その影響を受けた枯れた噴水の遺跡も、形を崩して行った。
「止めろ。カルン。死んでしまうぞ。」
エルナの呼びかけにカルンは無反応だった。
「止めろ!」
「は……。」
そのような状態のカルンを止めたのは、ヴォーグの一声だった。その呼びかけに応じて、カルンは正気を取り戻した。そして、操る重力を弱めた。
「許してやってくれ。」
「あなたがそう言うのであれば、そうしましょう。」
ふっと、辺りが軽くなった気がした。神乃は既に、ぼろぼろの体になっていて、動けそうもなかった。
「二人とも、あれを見ろ。」
エルナが指さしたのは噴水であった。カルンの操る重力により、ぼろぼろに崩れ落ちていた。しかし、その崩れたモニュメントの中から、地下に通じる階段が現れた。
「もしかしたら、町の外に通じる抜け穴ではないのか。」
エルナは、その抜け穴を使って、逃げ遅れた人たちを安全な場所に避難できるのではないかと思った。一行がそうこうしている間も、ネノクニューズの町は、蛮人による暴力の渦中にあった。
「これは抜け穴ではないですよ。」
「どうして分かる?」
地下への階段を下りようとしたエルナをカルンが止めた。
「私も、まさかこんな所にあるとは思いませんでした。とにかく、ここは、私やあなたたちが足を踏み入れるのには、まだ早い。」
「どうした、カルン……。」
さっきのことと言い、カルンの様子はおかしかった。
「とりあえず、この入り口は塞ぎます。閉鎖。」
多重結界である。
「それと、ヴォーグさん。」
「何だよ?」
「約束は守って下さい。」
「分かっている。」
「必ずですよ。」
話を終えて、カルンは、右手を夜空に掲げた。
「約束とは何だ?」
「俺がオーガスタの場所を教える代わりに、この町を救ってくれと言うことだよ。」
エルナとヴォーグが話している間も、カルンは、右手を広げて、天にかざしていた。
「救う訳ではありません。転送。」
光の渦が巻き起こり、光の筋が四方へ舞った。幾百とあるその光線は、ネノクニューズのあらゆる所にいる巨人たちを包み込み、遠い彼方へと転送した。
「終わりました。」
町は静かになった。
「さあ、案内して下さい。」
あくまで、カルンの職業は植物探索者であった。
「もう、驚かないな。」
そう呟いたのは、エルナであり、ヴォーグだった。
「正真正銘、オーガスタ。別名、鬼の大花です。」
無論、鬼ヶ城跡には誰もいなかった。あるのは、ただ、崩れた瓦礫と巨大なオーガスタであった。
「ところで、あれは……。」
「俺の父上と母上の墓だ。」
オーガスタの傍らに、崩れた石が積み上げられていた。
「鬼王と鬼妃の墓か……。」
「何か言ったか?」
「独り言です。さて、行きますか。」
カルンは天に右手をかざした。
「転送。」
辺りを光が包み込んだ。そして、気が付いた時には、そこにいた者たちは、オーガスタとともに、ホーメリットにあるカルンの庭に転送していた。
「ここは、どこだ……?」
「あなたには、悪いことをしました。」
神乃であった。彼もまた、カルンの庭に連れて来られた者の一人であった。
「自動治癒は掛けておきました。二、三日休まれて行くと良い。下手なことはしないと思っています。」
「見くびられたものだな。」
神乃は、もう歩ける程にはなっていた。それは、神乃の基礎体力、故の治癒力ではあったが、それでも、刀を杖にして、ようやく立っていた。そして、そのまま、ゆっくりと歩き、消えた。
「いいのか?」
「放っておきましょう。」
一行の中には、ヴォーグもいた。
「何か気になることでも?」
「いや……。何でもない。」
ホーメリットの村で、エルナは教会の宿舎に泊まっていた。その一室に、ヴォーグも泊まることになった。
「何をしているのです?」
「草木を見ていたんだよ。」
夜、満月が出ていた。空は、満天の星空であった。ホーメリットのカルンの庭には、宵闇を涼みながら、ヴォーグが歩いていた。そして、辺りにいるカルンの姿に気が付いた。
「ここにあるのは、珍しい草木ばかりだな。」
「そうですか。」
ヴォーグの語り掛ける言葉には、大した興味も覚えず、カルンはせっせと庭仕事をしていた。
「あんたは変わった人だな。」
「どうしてです?」
庭仕事をしながら、カルンは相づちを打ってはいるが、それは、ただ、話を合わせているだけである。
「強いくせに、何もしない。」
「庭仕事をしているだけですよ。」
「それが、変わっている。」
「私はそうは思いません。強いからこそ、何もしません。それは自分の弱さを知っているからです。世の中に比べたら、私など、特に弱い。か弱い。風が吹けば折れる葦のように。」
「それでも、あんたは、世界を変えられる力を持っていると、俺は思うよ。」
「興味はないですね。私は、世界から離れた場所にいます。それでも、時折、世界に関わり、貢献したくなる。間接的ではあるが、ささやかながら、私は、こうして、草木を育てることで、世界とつながっている。私は、そう思っています。」
「変わり者だな。」
「それでも良いです。それに……。」
「それに……?」
いつのまにか、カルンは手を止めていた。そこで、ヴォーグに語り掛ける言葉を失っていた。それは、言おうか言うまいか、カルンの迷いであった。
「あなたは、私が強いと言いました。それは、おそらく、私の能力を見てのことだと思います。しかし、これは、与えられたものであり、本来は、私の力ではありません。」
「恩恵?」
「神の恩恵。」
「(神の恩恵……。)」
ヴォーグとカルンの会話を聞いていた者が、もう一人いた。神乃である。彼は、庭のグラウンドカバーの上に寝転がりながら、満月を見ていた。そこに、ヴォーグとカルンの会話が聞こえてきたのだった。
「(すると、奴は神ということか……。)」
神乃の流儀である神刀無双流も、神からの神託により伝えられたと聞く。しかし、カルンの能力は、そういうものとは異なった異能であった。
「神の恩恵か。それならば納得いく。」
「お前は、それが何なのか分かるのか。」
「無礼だぞ。エルナと呼べ。私も貴様のことはヴォーグと呼ぶ。それならば対等であろう。」
「そういうならな。」
ヴォーグが教会に帰ると、入り口にエルナが立っていた。そして、何とはなしに、先ほどカルンから聞いたことを、彼女に尋ねてみた。
「神の恩恵とは、勇者に与えられたもの。」
「勇者……。」
勇者。その響きに、ヴォーグは良い印象を持ってはいない。
「ヴォーグも、鬼の一族ならば、知っているだろう。先代魔王である鬼王のことは。」
「当たり前だ。」
鬼王は、魔王を名乗り、人間と敵対した。そして、勇者に討たれた。ヴォーグは、その鬼王の子であった。彼の母は、鬼妃であり、鬼族の王と妃の子ではあるのだが、そのことを、当の本人であるヴォーグは知らなかった。ただ、彼が知っているのは、自分は鬼の一族であり、その鬼族の王と同胞は、争いの末に、勇者たち人間に討たれたということだけであった。
「魔王を討つ過程において、人々に神託が下された。この世の四人の人間に、神の力の一部を分け与えたと。その力の名は、英雄、剣聖、賢者、格闘王。その英雄の力を持つ者こそが勇者であり、彼は、他の三人の仲間を求めて旅に出た末に、魔王を倒し、世界に平和をもたらした。それが、人間の間に伝えられる伝説。」
「それが、カルンに宿っているのか?」
「うむ……。」
エルナはふと考え込んだ。カルンの能力は常人離れしている。それは、この目で見て確認している。そして、その一部が、剣聖と賢者の技法であることも、カルンの口から聞いた。しかし、本来、神のものであるそれらの能力が、何故、カルンのもとにあるのかが分からない。
「魔王を倒したという勇者は、今、どこにいる?」
「昔の話だ。もう半世紀以上前の過去の偉人だよ。」
魔物と人間の寿命を比べると、自然に見ても、魔物の方が長い。それに、病や餓えに対する耐性も魔物の方が高い。そうして考えると、人間の寿命は魔物の三分の一から半分程と考えられている。
「人間たちの伝説は分かった。では聞くが、魔王を討った後、勇者はどうなった?」
「それは伝えられていない。」
「何故だ?」
「知らぬ。」
教会の壁を一陣の風が揺らした。
「禁忌だからだろう。」
「あんたは……。」
「神乃と呼ぶがいい。悪いが、俺も、ここの屋根を借りさせてもらうよ。」
教会の礼拝堂の長椅子に神乃は横たわった。
「神乃。禁忌とはどういうことか?」
「そのままだよ。エルナと言ったか?俺の生まれた国は、あんたの所とは習俗が異なる。こんな建物もないし、この建物で敬われる神もいない。無論、別の神はいるがな。」
「そんなことは聞いていない。」
「まあ待て。勇者の伝説というのも、この大陸に渡って来るまで、俺は知らなかった。所詮、他の者から見れば、その程度のものだと言うことだ。俺の国でも、そうだがな、神話、伝説などと言ったものは、語られる側が作った、奴らにとって都合の良いものでしかない。都合の悪いものは、語られないだけさ。」
神乃の生まれた日の国では、革命戦争が起きた。そして、侍は駆逐され、新政府の都合の良いことだけが、流布されていた。
「そっちは鬼の小僧。ヴォーグと言ったか。お前たちからしたら、人間の伝説など、でまかせばかりではないか。」
「……。」
ヴォーグは答えなかった。神乃の言葉には、憎しみの感情がこもっていた。ヴォーグは、それに賛同したくなかった。
「魔王を倒した後、勇者は、この村で暮らしたのですよ。」
教会の扉が開いて、カルンが入って来た。
「まだ、寝ていなかったのですか。」
「今、寝るところだ。」
神乃は目を閉じた。
「カルンは、知っているのか?」
「この村に語られる昔話ですよ。」
カルンは、礼拝堂の隅で、集めていた草木の種を紙の上に広げていた。
「その話を教えてくれ。」
ヴォーグであった。
「聞いてどうするのですか?」
ヴォーグを気に掛けながらも、カルンが、気にしていたのは、神乃である。
「知りたいんだ。」
「……。これも運命なのか、それとも、意図的なものなのか。」
種を片付け終えたカルンは、長椅子に座った。
「このホーメリットの村は、勇者が作ろうとした理想郷です。彼は、ある商人に頼んで、密かに、この村を建て、移民を探しました。」
ヴォーグは静かに、話を聞いていた。エルナも、同じだった。そして、神乃もまた、カルンの話を聞いていた。
「使命を終えた勇者は、仲間と別れ、この村で暮らすことを決意しました。彼の傍らには、影が二つありました。それは、鬼妃とその子でした。」
「鬼妃とその子だと?」
思わずエルナは叫んでいた。
「信じるかどうかは、置いておきましょう。続けますよ。」
「ああ。」
エルナはカルンの声に従った。それは、彼女も、また、この夜の物語に興味を抱いている証であった。
「魔王である鬼王を討つ過程で、彼は鬼妃と出会いました。最初は、勇者の命を狙う鬼妃が、正体を隠して、勇者に近づいていたのですが、その正体を知り、鬼王を倒した後も、勇者は、鬼妃とその子である鬼王の子を殺すことはできませんでした。それ以上に、彼は自分のしたことに罪悪感を抱いていました。そして、二人を連れて、世間から逃げるようにホーメリットにやってきたのでした。村人たちは、そんな彼等を等しく迎え、共に暮らしたのです。そのことによって、勇者であった彼も、人並みで、一時の幸せを得たようでした。」
「カルンは、その鬼王と鬼妃の子なのだな。」
「違いますよ。それはあなたですよ。」
ヴォーグの質問にカルンが答えた。
「俺が鬼王の子だと?」
「気付いていなかったのですか?あなたは、幼い頃、この村に暮らしていたはずです。」
心当たりはあった。ホーメリットに来てから、何か不思議な感覚を、ヴォーグは感じていた。
「それにしては弱いな。」
神乃は目を閉じながら答えた。
「全てを思い出せば、力も思い出すと思いますよ。」
「ふん。それより聞きたいのは、お前は何故、そんなことを知っているのかと言うことだろう。カルン。貴様の語ることは、到底、ありふれた昔話には聞こえない。あえて、言うならば、思い出話のようだ。」
「思い出話ですか……。少し、違いますが。まあ、ささやかな幸せを感じていた勇者でしたが、それも、長くは続きませんでした。」
「ほう。何故だ?」
「鬼妃と子のことを聞いた人間たちがやって来たからです。」
辺りは静かだった。いつのまにか風も止んでいた。
「彼らは国王の命令を受けていました。魔王の眷属を生かしてはおけないと。その騒ぎの最中、鬼妃は子を連れて、ホーメリットを去りました。それは、彼女が勇者や人間に呆れたのかもしれないし、勇者やホーメリットの村人たちに迷惑をかけたくなかったのかもしれません。今となっては知れませんでしたが、ネノクニューズで鬼妃の墓を見るにあたり、やはり、後者だったのだと分かりました。」
「俺の父母の墓か。」
「ええ。あの墓は、ヴォーグ、あなたが建てたのでしょう?」
「父の墓は母上と共に、母上の墓は俺が建てた。遺言に従ってな。」
「あの墓の形と埋葬方法は、この村の物と同じですね。少なくとも、鬼妃はこのホーメリットの村のことを忘れた訳ではなかったようです。」
カルンの表情は明るく見えた。
「さあ、昔話は、このくらいにして、今日は眠ることにしましょう。」
「そうだな。どうやら、私も疲れたようだ。」
エルナは、部屋に向かった。伝説が身近に迫ってきたようだった。そして、それが真実ならば、その中の人々も、自分と同じ一人の人間であったと思わざるを得なかった。
夢を見ていた。夢の中で、私は牢獄に囚われているようであった。覚めることのない夢。夢という別世界から抜け出せず、久遠に彷徨い続けていた。
ネノクニューズでの一件の後も、カルンは、各地に転移しては、植物採集に励んでいた。一方、エルナは、ロードリア王国に帰った。ヴォーグと神乃は、未だホーメリットに居候していた。
「でやあ!!」
「腰が引けている。」
「痛っ!」
「今ので死んだぞ。」
いつのまにか、ヴォーグと神乃は、打ち解けていた。今では、ヴォーグが神乃に剣の扱い方を教えてもらっていた。
「そこ、ユメノカケハシが咲いているので踏まないで下さい。」
「おい。カルン。お前が相手をしろ。こんな小僧では、腕が落ちる。」
「私の力は、あくまで恩恵です。自分の努力で鍛え上げた腕前とは、異なります。」
「それでも良い。ならば、他に良い相手はおらぬか。」
「本来、あなたの剣術は一挙手一投足が技。戦いの休止によって、腕前が落ちるもののようには思いません。」
「ほう。よく見えている。しかし、技と勝負は違うのだ。技を極めたからといって、勝負に勝てるとは限らない。勝負というものは、また、技の優劣とは別の次元に存在するのだ。勝負には、やはり、勝負の勘が必要なのだ。」
「どうして、そう勝負に拘るのですか?」
「知らぬ。俺の血であろう。」
「……。 まったく。」
そう言うと、カルンは右手を神乃に翳した。
「待て、俺も、行くぞ。」
「……。」
一瞬、怪訝そうな顔をしたカルンであったが、ヴォーグの胸中に何かを感じたのであろうか。左手を翳し、ヴォーグに魔法をかけた。
「十階までですかね。」
神乃とヴォーグを光が包み、空間を移動させた。
「どこだ、ここは?」
二人が着いたのはダンジョンのようであった。
「これは、あの噴水の入り口じゃないか?」
外から漏れる日光の入り口は、結界で閉ざされていた。それは、ネノクニューズの枯れ噴水の抜け穴で、カルンが施した結界であった。二人は、それを飛び越して、抜け穴の入り口内部の階段の所に転移されていた。
「ふん。迷宮か。十階とは、言わず、最深部まで行ってやろう。足を引っ張るなよ。」
「よし。」
ダンジョン地下一階は、それほど広くはなかった。中の壁は、ネノクニューズの煉瓦積みの建物と同じである。所々、地上への通風口があり、そこから日が漏れていた。
「蝙蝠ばかりだな。」
地下二階へ続く階段を見つけると、ヴォーグと神乃は先へ進んだ。
「エルナ。報告を頼みますよ。」
ロードリア王国宮廷騎士団長のエルナは、故国で政務に取り掛かっていた。ロードリアは神聖国家である。教皇から神聖権を与えられた国王一家が王制を敷いている。その近衛騎士隊である宮廷騎士団の団長がエルナだった。彼女は王国領内を巡察し、事件調査や治安維持といった仕事をこなしている。
「蛮人の侵攻がネノクニューズで起きたことは知っているな。」
「はい。」
第十三世ロードリア国王シルヴィア=ロードリアである。彼女は、現皇太子、ルイス=ロードリアの母である。
「魔王在世時には、蛮人の侵攻がよく見られた。今回のことは、魔王復活の現れかも知れぬ。」
「はい。」
「我が国としても、調査官をネノクニューズに派遣した所だ。商人たちの話では、彼の町は壊滅状態だと言う。」
国王の話は長く、とりとめのない断片的な情報ばかりだった。しかし、その端々に、エルナは、何か意図的な物語を感じた。それは、人々の伝聞により生まれたものなのであろうが、誇張や類推的表現のほかには、はたまた妄想的なものまで入っていた。当時、その場所にいた当事者としては、それらのことに異論を唱えたいが、そのことが知れると、カルンやホーメリットのことも知られてしまう恐れがあった。
「魔物は、人間の脅威である。」
「はい。」
国家の頭である国王までが、曖昧な伝聞を信じているのでは、何とも情けない話だとエルナは思った。
「魔物を放遂せよ。」
国王との謁見から、直ちにロードリア王国領内に魔物追討の命令が下った。それまでは、少なくともその存在を黙認されていた魔物の生活が人間によって侵害され始めた。そもそも、魔物の区別は曖昧で、この場合は、多種族の追討と追放を意味していた。人間に仇なす害獣は追討し、知恵のある種族は王国領内から追放されていった。
「村長、この村にいる魔物は、これで全てだな。」
「はい。偽りはございません。あ、そう言えば……。」
「どうした?」
「ここから西にある山の麓に狂戦士がいるらしいのですが……。」
「狂戦士?」
「はい。そもそも、人間なのか野獣なのか正体も知れぬそうで、時折、旅人が襲われて殺されることもあるという噂です。」
「それは調査せねばなるまい。」
その後、西の山麓へ調査に向かった王国兵一分隊二十人は、近くの森で鏖殺されているのを旅商人に発見された。
「今、何階だ?」
「十五階。」
「そうか。」
ネノクニューズのダンジョンの地下では、ヴォーグと神乃が怪物と戦闘中だった。地下三階辺りから野獣の類が現れ始め、十階を超えた所から、様相が一変した。そこには、野獣とも言えない生物が住み家としていた。
「一体、こいつらはどこから現れるのだ?」
「神乃。一体、どこまでいくつもりだ。」
猿の体に蛇がくっ付いたような怪物を斬った所で、神乃は一息ついた。
「その前に、小僧、お前は、どうやって戻るつもりか?」
「あっ……。」
今まで来た道を戻ろうとしても、もはや、引き返せないほどの迷路になっていた。
「カルンの野郎、戻ったら、一斬り食らわせてやらねばなるまいな。」
「馬鹿なこと言うなよ。」
その時、辺りを光が包み込むと、ヴォーグと神乃の二人は、ホーメリットに戻って来ていた。空は、もう日が暮れる所だった。
「時間切れです。何階まで行けましたか?」
二人の目の前には、カルンが変わらずに庭仕事をしていた。
「十五階。」
「まずまずですね。」
カルンはヴォーグを見上げていた。
「何がまずまずか。ふざけやがって。」
「腕試しをしたいと言ったのは、あなたですよ。神乃殿。」
「屁理屈はいい。あれは何だ、一体、どこまで続く?」
「最深部は九十九階ですかね。」
「九十九階だと?」
「その先に、もうひとつ空間があります。」
「何の空間だ?」
「神の座する場所。」
「また、神か。では、さしずめ、あそこは神の迷宮と言う所か。」
「仰る通りですよ。」
日が暮れた。カルンは腰を上げた。
「戻りましょう。」
「ふん。」
不愉快そうではあったが、神乃も、それ以上は問わなかった。そして、ヴォーグも、何も質問することはなかった。
ロードリア王国領内の中央、ガイア山脈の外れにサフランの村がある。その人口二百人程の村に、ロードリア王国兵一個小隊百名が駐屯していた。
「兵団、整いました。」
「では、行くぞ。」
軽装の弓、槍兵で構成された分隊二十人、計五分隊と、宮廷騎士団から五名の騎士がこの村に派遣された理由は、先日、発生した王国兵一個分隊鏖殺事件であった。
「団長。狂戦士の正体は何でしょうか。」
「うむ。」
五名の騎士隊の内、隊長はエルナだった。彼女は国王の勅命により、この事件の調査に来ていた。
「正体が何であれ気を付けることだ。」
「はい。」
間もなく一行は、西の山麓に到着した。
「あれは、人影?」
森の傍らに人影が見えた。それは、異邦の仮面を被っていた。
「戦闘用意。気を抜くな。相手は何をしてくるか分からぬぞ。」
エルナの一声が響いた。仮面の人影こそが、王国兵を鏖殺した犯人、狂戦士であることに間違いはなかった。それと言うのも、異邦の仮面を被った人影は、左手に長い白刃の剣を提げていたからだった。
「弓隊、射よ。」
既に、狂戦士は射程に入っていた。各分隊から十人ずつ、計五十名の弓兵が、一斉に矢を連ね放った。
「消えた……?」
視界から狂戦士が消えた。と思うと、辺りに悲鳴が轟いた。
「汝等の血に依りて、我が太刀を染めよ。」
弓兵の血が舞った。
「応戦せよ!」
突如、一行の真ん中に現れた狂戦士は、左手に持った刃物を振りかざし、兵士たちを襲った。
「どけ!狩爪。」
騎士の一人が剣撃技を放つ。それは、まさしく、敵を貫いたはずであった。しかし、倒れたのは狂戦士ではなく、騎士の方だった。
「ソフィア!?」
エルナが飛び出した。ソフィアに息はあった。
「太刀染めよ。」
二人を襲う白刃は綺麗だった。それは、既に、何人もの兵士を血塗れにしたはずである。しかし、それにもかかわらず、狂戦士の太刀は、曇りひとつなく、澄んでいた。
「火球。」
どこからともなく飛んで来た火の玉が狂戦士の身を焼いた。
「ど真ん中、命中。」
「ヴォーグ!なぜ、ここに?」
「ちょうど、植物採集にな。」
「すると、彼も……。」
一瞬、乱戦の場が静寂に包まれた。ヴォーグの後ろから現れたのは、神乃とカルンだった。
「神乃殿。少しだけ耐えていて下さい。」
「ふん。お前が戻って来る頃には、やつはこの世にはおるまい。」
カルンの転移魔法が一帯を包んだ。そして、傷付いた兵士や遺体となった者たちを、サフラン村まで、転送させた。
「自動治癒。」
カルンの魔法により、ソフィアの傷が塞がり始める。
「安静にして下さい。あとは、修復。」
狂戦士に斬られて息を失っていた者が微かに息を吹き返していた。
「応急措置。一応、間に合いましたが、予断は許さないので、後は頼みます。」
「待て、私も連れて行け。」
「面倒は見切れません。それに、彼らはどうするのですか?」
「ルークス。」
エルナが呼んだのは騎士の一人だった。
「町の者に事情を説明して、皆の救護に当たれ。詳しいことは後で話す。カルン。良いだろう。」
「仕方ない。二人が心配なので、急ぎます。転移。」
光がエルナとカルンを包んだ。
「やっと来たか……。」
「どうですか?」
「貴様からもらった護符がなかったら、腕を持って行かれた所だ。」
「それならば良かったです。あれは、一度切りしか効果がないので。」
「ふっ……。生憎、俺が敵う相手ではないわ。」
「死ななかっただけ十分です。」
カルンが左手を伸ばした。
「重力。」
空間が歪み、狂戦士がいる辺り一帯を捻じ曲げた。その間に、カルンは右手で神乃とヴォーグ、エルナに保護の魔法を掛けた。
「奴は何者だ、人ではない。」
「神の使徒。本来ならば、迷宮の地下九十階にいます。」
「未だ、三十階止まりの我等が敵う相手ではないな。」
「かつて、勇者一行の剣聖と格闘王、二人が致命傷を負いながら倒した相手です。常人の敵う者ではないのですよ。」
カルンの重力は、狂戦士を押し潰そうとしていた。
「そろそろ押し返されます。離れて下さい。」
「ところで、奴の持っている刀は、村雨丸ではないか?」
「それは、知りません。行きますよ。」
空間が弾け飛び、地面が舞ったかと思った。
「汝の血に依りて、我が太刀を染めよ。」
狂戦士の抵抗により、カルンの魔力が返された。
「消えた……。」
狂戦士に、歩幅や間合いという概念はない。転移魔法とも異なる。
「次元移動……ですか?」
この世界を構成する次元を低次から高次、あるいは、その逆に移動している。それは、まさに、存在の消失と出現を表していた。
「あのような攻撃、どうやって避けるのか。」
「勘かね。」
保護魔法に守られて、エルナと神乃、ヴォーグは行方を見守っていた。
「剣撃は見切りで、ぎりぎり避けられますね。」
狂戦士の攻撃の瞬間を捉えて、カルンは拳打を放つが、その打撃は、狂戦士には通じていないようだった。
「太刀染めよ。」
「ならば……。」
攻撃の隙をついて、腕を掴み投げる。しかし、掴んだ腕は、狂戦士の消失とともに消えてしまう。
「あれ……?」
「我が太刀を染めよ。」
カルンの態勢が崩れた。代わりに、狂戦士の太刀が、カルンの首筋を斬った。
「死んで…… ない?」
ヴォーグは呆気にとられた。確かに相手の太刀がカルンの首を断ち切ったかに見えた。
「二重身。」
それは分身だった。カルンは、離れた場所にいたが、それも束の間で、次元を超えて移動した狂戦士が、すぐさまそこに現れた。
「太刀染めよ。」
「影法師。」
それも囮であった。
「業火。」
エルナたちから離れた位置に陽動させられた狂戦士を、激しい炎が襲った。それは、辺り一帯、天までも焦がす灼熱の炎だった。
「道具展開。」
カルンの右手に剣が出現した。
「あれは、勇者の剣!?」
エルナの声が震えた。かつて、魔王を討ち滅ぼしたとされる勇者が使っていた剣。それは、幻石で製作されたと伝わる。勇者の行方が知れなくなるのと共に、世界から存在が消えたとされていた。王立図書館の図録で見た独特の姿は見紛うことがなかった。
「やはり、カルンの言っていたことは、真実だったのか……。」
カルンが勇者の剣を持っている以上、以前にカルンが語った勇者の伝説もエルナは信用するしかなかった。
「我が太刀染めよ。」
「破邪顕正。」
勇者の放つ剣技は、神から授かった独特のものだという。それは、魔力を帯びた魔法剣とも異なる。
「神技が有効か。」
カルンの剣技により、狂戦士の仮面の端が欠けた。それは、重力や業火を受けても欠けることがなかった。
「ぐ、アあ、……。」
仮面が欠けたことが、きっかけとなったのか、狂戦士の様子が歪んで見えた。
「あ、ア、……。あ、アアア!!!」
辺りの様子が一変した。狂戦士がその太刀を地面に突き立てると、その先端から黒い光が溢れ出して、空間を呑み込んで行った。
「ここは?」
エルナたち、もろとも、呑み込んだ空間は、暗い澱んだ沼の水面に、彼等を立たせていた。そして、狂戦士とカルンのいる所は、島となり、そこに立つ櫟の大樹の下に、二人を相対させていた。
「今、この時こそ、立ち初めよ。」
仮面の欠けた狂戦士が太刀を振った。その先端からは、赤黒い血が水のように流れていた。
「血染め。」
切っ先から流れた血が無数の帯となり、カルンに襲いかかる。
「聖者の盾。」
カルンは、左手で障壁を作り、それを防いでいた。しかし、その間にも、狂戦士はカルンの背後に移動していた。
「でいや!!」
カルンの後ろ回し蹴りが狂戦士の頬面を蹴った。
「沈め!!不倶戴天。」
勇者に備わる力、英雄。その能力たる神技のひとつ、不倶戴天。どのような地上の輪廻も断ち切ると言われるその太刀筋は、勇者の剣に宿る幻石を金剛に輝かせて、相手を討った。その勢いは、島の地面を削り、沼の水面を波立たせた。
「お、お、オ、オオォォ!!!」
鈴の音がした気がした。暗い沼の水は、怨念となり、狂戦士に纏い付いていた。それは、彼の仮面を汚れた泥水で覆い、醜い姿に変えていた。
「我が力、命尽きる共、この世に潜む荒起ちを、今ここに治めよ。」
それは怨念の固まりであった。それまで綺麗に輝いていた白刃の太刀も、どす黒く歪んでいた。
「これで最後か……。」
溢れ出す負の感情が、辺りに充満していた。それは、カルンを含めた四人の心身を、この空間に転移してから、ずっと蝕み続けていた。
「太刀染めよ。立ち初めよ。荒起ち治めよ。」
どくん……。
心臓の鼓動が一鳴りして、カルンの意識が遠のいた。
「夢……?」
母の声がした。しかし、その声はすぐに聞こえなくなった。あるのは、ただ喧騒と人間の騒ぎ声だけだった。
「殺せ。」
「生かしておいては災いとなる。」
「魔王の血は根絶やしにしろ。」
所々、聞こえてくる鳴き声は、意味を持っているようだった。それは、赤子の体を蝕み、心を呑み込んでいた。
「目を覚ませ!!」
新しく声が聞こえ、夢から覚めた。
「現今一滴。」
勇者の光が辺りを照らした。それは希望の灯火であった。そして、気が付いた時には、カルンたち四人は、元の山麓の森の外れに立っていた。そして、目の前には、兎が一匹、倒れていた。
狂戦士との戦いの後、カルンは倒れたまま気を失っていた。そして、目を覚まさぬまま、かれこれ一週間になる。
その間、エルナとヴォーグ、神乃は、ホーメリットに帰る術がなく、ロードリア王国の宮廷騎士団の宿舎に厄介になっていた。
「命に別条はないようです。呪いに掛かった様子もありません。」
宿舎の一室、ヴォーグと神乃が泊まっている部屋では、ベッドの上にカルンが寝ていた。その傍らには、エルナが宮廷治癒師を連れて、カルンの病状を見舞っていた。
「このまま気を失ったままなのか?」
「それは分かりません。何より、事の原因が分かりませんのでは、何とも……。」
治癒師は困惑の表情であった。これまで、並大抵の治癒魔法は試してみた。しかし、患者には、これと言った変化もなかった。
「これと同じ病人を見たことがある。」
そう口にしたのは神乃だった。
「正確には、これと同じように、生きたまま眠る病だ。」
「そのような病、何という名でしょうか?」
治癒師は神乃の方を向き直った。
「名など知らぬ。ただ俺たちは、眠り病と呼んでいた。」
「そのような病は聞いたことがないですな。一体、どこで見掛けられたのです?」
「俺の故郷である日の国でだ。眠り病は、俺がまだ幼い時に、一時期だけ流行った。それからは、あまり見ないがな。」
「はて……。」
宮廷治癒師たる者は、病にも通じている専門家である。
「待てよ。そういえば、何かの文献で見たことがあるな。」
治癒師はエルナに断りを入れて、一度、退室した。
「神乃。お前の国では、その病になった者をどうしていたのか?」
「ある者は体が朽ちて死に、ある者は老いることなく眠り続けた果てに、どうしようもなくなり殺される。」
「治った者はいないのか?」
なおも、エルナは神乃に尋ねた。元来、エルナはこの神乃という男を信用していないし、苦手でもあった。
「治った者か……。いたのかも知れぬが、少なくとも、俺は聞いたことがない。」
「……。」
沈黙が部屋の中に充ちた時、扉を開けて治癒師が戻って来た。
「ありました。これです。不死の病。」
治癒師が持って来た古文献の書物には、不死の病についてのことが書かれていた。それは、『砂土の記録』という名前の旅の風土記であった。
「この中には、その病は、生きたまま死ぬことなく、眠り続ける。それには、どんな薬草も治癒も看病も役に立たない。土地の者は、この病は世界の果てに到達した者が罹る病であるという。と書かれています。」
「それは良い。が、書かれているのがそれだけならば、我等にとって意味はない。」
エルナの表情は厳しかった。結局、治癒師も、それ以上のことは何も言わず、帰って行った。
「おい、エルナ。今の奴は、信用できるのか?」
神乃が腰を上げた。
「ギュスターヴのことか?奴は、宮廷附きの治癒師で、国王陛下も信頼なさっておいでだ。私もよく世話になった。」
「何か隠している。」
「ギュスターヴがか?」
「用心することだな。」
そのまま、神乃は部屋を出て行こうとした。
「モーガンの爺さんなら、何か知らないかな?」
去ろうとする神乃に向かって、ヴォーグが叫んだ。
「物識りモーガンか。しかし、まだあの町にとどまっているだろうか?」
「あの爺さんは、町を捨てることはない。」
神乃は立ち止まった。何かを考えている様子である。
「ヴォーグ、誰のことだ?」
「ネノクニューズにいる学者崩れの爺さんのことだ。」
「その者ならば、何か知っていると?王立図書館の書物にも書かれていない病のことを場末の学者風情が知っているとは思えないが……。」
「今のことなら知らないが、過去のことで、あの爺さんより、詳しい者を俺は知らない。」
「ならば、手紙を送ってみるか……。」
エルナも立ち上がろうとしたが、神乃が止めた。
「待て。俺に考えがある。」
ロードリア王国は神聖国家である。その王権は神の意志を受けた法皇によって承認されている。神に名はなく神とだけ呼ばれていた。
「エルナ騎士団長が異端者を匿っていると言うのか?」
「は。これを御覧下さい。」
宮廷治癒師の一人であるギュスターヴは、国王への謁見も可能である。この時、彼が第十三世ロードリア国王のシルヴィアに見せたのは、その昔、世界を旅した商人モンテッソが記した『砂土の記録』であった。
「不死の病は、世界の果てに到達した者が罹る病。それは神の意志に背いた者への罰である。このように書かれております。」
「その病人が宮廷騎士団の宿舎にいると?」
「確かに、この目で。他にも胡乱げな者二名。その内一名は混魔人かと。」
国王の傍らには大臣もいた。
「陛下。エルナ・クリフォード騎士団長からは、何の報告もありません。これは由々しき問題かと存じます。」
「うむ。すぐにエルナを呼べ。衛兵は彼等を勾留するように伝えよ。」
「は。」
宮廷内に不穏な空気が流れ始めた。
「どうした、ラルフ副団長。」
「勅命にございます。エルナ団長。国王陛下の御前に参られますよう願います。」
「この兵たちは何だ?」
「勅命です。そこにいる胡乱者たちは、嫌疑が晴れるまで、勾留されます。」
「嫌疑とは何の嫌疑か?」
「団長。抗うならば貴方も同罪ですよ。」
「貴様……。」
エルナは唇を噛んだ。
「お前たちはここを動くな。」
部屋の中にいる二人に向かってエルナは叫んだ。そして、衛兵たちに付いて、その場を去った。
「エルナ。よく来た。」
「陛下。これは何事ですか。」
「其方、異端者と混魔人を、何の報告もなく、宮廷内に連れ込んだな。」
「何のことでしょうか?」
エルナは呆気にとられた。異端者の方は分からない。それに、混魔人とはヴォーグのことだろう。しかし、それに関しても、サフラン村での狂戦士討伐の後に、協力者と称して、報告書は上げておいたはずだった。
「恐れながら。騎士団長は虚偽の申告をしております。」
「其方は、確か副団長だったな。どういうことか、申せ。」
「ラルフ=エシュテールにございます。騎士団長からの報告書には疑義があり、私が個別に調査しておりました。」
ラルフは、一歩前に進み出した。
「サフラン村での鏖殺事件の報告書にございます。ここでは、狂戦士による襲撃とその撃退に関して、例の三人の者が功を成し、一人がその過程で負傷したと書かれております。しかし、この者たちの素性、戦闘の過程と経緯、戦功等、詳細な記述が、意図的に省略されております。」
「……。」
エルナに言葉はなかった。確かに、カルン、ヴォーグ、神乃たちとの出会いやホーメリットでの出来事などは、公にできるものではなく、また、エルナ個人の考えもあって、伏せていた。そこを突かれたということである。
「それ故、副団長である私が秘密裏に調査しました所、騎士団長は件の者たちと、以前から繋がりがあったのではないかと推測されています。」
「それは、真実か。エルナよ。」
国王は報告書に目を通した。
「申し訳ありません。」
場がざわついた。国王に大臣が耳打ちをしていた。エルナは、名門の貴族の出自ではある。今ではそこの家長となり、名跡を継いでいる。剣の腕もなかなかで、魔法の素養もあり、国王から信頼を得ていた。しかし、中には、その気丈な性格と強引な統率の仕方に反発をする者もいた。その一人がラルフでもある。彼は、また、エルナと国王の蜜月を快く思わない大臣らの派閥に押されて、いわば目付役として、宮廷騎士団の副団長に抜擢されていた。今回の件は、エルナ自身の瑕疵もあり、それを利用して、エルナを追い落とそうという大臣一派らの策謀でもあった。
「更なる調査の上、嫌疑が明らかになり、追って沙汰あるまで、エルナ=クリフォード騎士団長は謹慎。その連れの者たちは勾留。」
大臣の声が響いた。
「申し上げます。騎士団宿舎にて、抑留していた者たちが、包囲を破り、逃亡しました!」
宮廷内の敷地では騒ぎが起こっていた。至る所で、衛兵たちが倒れている。
「口ほどにもない。」
神乃が剣を抜いていた。その傍らには、ヴォーグの他に、馬に乗せられたカルンと、無頼漢のような男たちががいた。
「宝物庫は向こうだ。行け。」
「へ。それにしても旦那は腕が立つ。」
「煩い。早く行け。」
「へ。衛兵たちは頼んだぜ。」
無頼漢は散った。
「おい。ヴォーグ。その辺りを火の海にしておけ。」
「でも……。」
「安心しろ。人はおるまい。」
「火球。」
芝生が燃えた。火の粉は、雑木林にも飛び火していた。
「所詮、俺たちは、生き堕ちた者だ。元に戻るだけよ。」
「ふん。」
ヴォーグは不機嫌だった。宿舎にいる間も、密かに神乃は、町に出ていた。そして、何かの役に立つと思い、町の無頼漢や悪党、盗人と会っていた。それと連絡を取り、今回、引き入れたのだった。
「俺たちも去るぞ。」
「さっきの奴等は?」
「放っておけ。どうなろうと知ったことか。どうせ向こうも同じよ。」
「エルナはどうする?」
「あんな馬鹿は放っておけ。」
馬小屋から盗んだ馬に乗り、神乃とヴォーグも消えた。
「火を消せ!」
宮廷内は喧騒を極めた。その隙を抜い、エルナも脱出していた。
「あの馬鹿者どもが!!」
エルナは走っていた。宮廷内には、盗賊のような者たちも見えた。宮廷が盗賊に襲われるなど、前代未聞であった。でも、逆に、ロードリア王国の治安がこれほど悪いとは思わなかった。いや、本当は気が付いていた。だが、そう思わないようにしていた。王国は、神の権威を笠に着て、権力を絶対化していた。政治が安定し、民衆の生活が穏やかならば、それでも良い。それでも、近頃は、恣意的で派閥争いに絡んだ思惑に政治が踊らされ、民衆は怒っていた。かの、魔物追討令もそのひとつだった。今まで、このようなことが起きないのは奇跡だったのかも知れない。
「なぜ、こんな所に、放浪熊が……。」
放浪熊は野獣の一種である。荒野大地を放浪して獲物を捕らえる。それが、なぜか、宮廷内の敷地にいた。
「グガアァ!!!」
「白銀の翼撃!」
「ガアァ!!」
エルナの斬撃に放浪熊は沈んだ。それでも、辺りには、火と煙が流れて来ていた。
「なに……!?」
倒したはずの放浪熊の体が溶けていた。そして、その泡の中から、一体の魔物が姿を現した。
「悪魔だと……?」
伝説の魔物である。魔物と言えるかどうかも定かではない。実在も疑わしく、神話の中だけの空想上の存在とも思われていた。それが、今、禍々しい姿を持って、エルナの前に立っていた。
「迷うな!天使の福音。」
強化魔法で、エルナは速度を上げた。神が造り出した存在である悪魔は、聖なる力が有効だと、書物に書いてあった。
「聖なる降誕。」
細剣に力が宿る。それは、相手の力を奪う魔力。攻撃を受ければ受けるほど、相手は弱体化し、その分だけ、己は強化される。短時間だけの強化ではあるが、それも、神聖魔法のひとつだった。
「聖痕!!」
悪魔の背後に回ったエルナは、今、使える最強の神聖剣を放った。細剣の切っ先から、凝縮された聖魔力が氾濫していた。そして、それは光と共に爆発し、エルナの突きもろともに、悪魔を打ち砕いた。
「終わったのか……?」
辺りに気配はなかった。結局、相手の力を奪うまでもなく、一撃で、悪魔を屠った。その時、エルナの背後で影が翼を広げた。それは、大きく、エルナを囲った。
「ぐうぅ……!?」
黒い影に包まれたエルナは、その力を取り込んでいくようであった。そして、エルナの体に宿った影は、彼女の腕を伝い、細剣へと浸透していった。
「はぁ……。何が起こった……?」
黒い恐怖は、エルナの体と細剣に宿っていた。
「エルナ!」
「ヴォーグ。」
「早く。」
ヴォーグが馬を止めた。後には、神乃とカルンを乗せた馬がいた。
「乗れ。」
「分かった。」
言われるがままに、エルナは、ヴォーグの馬に飛び乗った。