第82話「家族の団欒は食事から」
「梓さん、修斗さん。私はお腹がすきました」
「ちょっ……えっ?桜花?」
桜花がこの場を取り直してくれる、とばかり思っていた翔は急に「お腹がすきました」と言われて、困惑するしか無かった。
ぽかん、と口を開けて呆けている梓と修斗。きっと翔も同じような顔をしていることだろう。
ふと、桜花が翔の方を向いて、ウインクした。意味合いとしては「見ててください」と言ったところが妥当だろうか。
「私と翔くんが料理を作るので、その間に仲直りをしてください」
有無を言わさぬ様子の桜花に大人であるはずの2人は完全に気圧され、こくこく、と素直に従った。
翔は関わり合いにはならない方がいい、と言ったことが悔やまれた。
中途半端に首を突っ込んでしまった翔は失敗しただけで、堂々とした桜花は一言で仲直りをさせることが出来る。
「仲直りって言っても……」
「まぁまぁ。いつもみたく何気ない会話でもして待ってればいいよ」
「それよりも大事な話をして……」
「今の状態だと落ち着いて話はできないから、な!」
梓と修斗が小さく反抗するが、翔が宥めて半ば強引に2人共をダイニングに送り出した。
ダイニングとキッチンの間には開閉式の扉があり、任意で閉めたり開けたりできる。
翔達は閉鎖的空間を作り出すために扉を閉める。
「ありがとうございます」
「最初に「お腹がすきました」って言った時は分からなかったけど」
「あれは……その。何か言わないと、と思いまして」
頬を染めて恥ずかし気に俯く桜花の頭に翔は手を伸ばし、優しく撫でた。
「何とかしてやりたかったんだろ?ありがとう」
返ってくる言葉はなかったが膨れた頬から当たっていたことを悟る。
桜花がしたかったのは「吊り橋効果」と呼ばれる、相手への気持ちを高める感情を揺さぶるものだ。
翔が分かったのは桜花のウインクに見蕩れて思いついたのだが、そこは黙っておく。
更にもっと言えば、こちら側、つまり翔と桜花も二人きりでいるのだが、桜花はそれが「吊り橋効果」を齎すものだと気付いてはいないようだ。
「ああ言ってしまったので、作りますよ」
「お手伝いでいいの?」
「私が作る、と言ってしまったので」
翔も料理はできないほどではない。
ただ桜花と比べてしまうと少しばかり見劣りしてしまうが。
家に二人きりの時は交互で作っていた。
「何を作りますか?」
「う〜ん、そうだなぁ」
翔は冷蔵庫を開け、中身を物色する。そこで肉を発見し、引っ張り出した。
「トンカツ、とかは?」
「そうしますか」
一番初めに思いついたのがそれだった。
桜花の承諾も無事に頂き、翔は下準備を始める。
手を動かしながら、扉の向こう側にいる両親のことをふと考える。
きっと、先程まで話していた話は、翔達が来てから話す、と修斗が言っているだろうからしていないはずだ。
代わりの世間話などをして仲直りはできるだろう。
だが、それは問題を先送りしただけで何の解決にもなっていないのではないだろうか。仲直りを済ませたところで、アメリカに移住する云々の話をすればまた揉めるし、平行線になるのは想像に難くない。
修斗の言い分も分かる。
実際翔達はまだ高校生であるし、いくらしっかりしているからと言っても、大人が介入しなければならない問題が一何時訪れるか分からない。
考えたくもないが須藤が再び翔に敵意を向け、暴力問題に発展する可能性も無くはないのだ。
しかし、梓の我儘も理解できなくもない。
好き同士で一緒に暮らしたいと思えるほど相手に心酔して結婚したにも関わらず、その相手と離れなければならない、というのは理屈で分かっていても感情では受け入れ難いものがあるだろう。
ふと、桜花はこの問題にどう結論を出したのだろうか、と考えを飛躍させた。
「ねぇ、桜花」
動かしている手は止めることなく、翔は桜花に訊ねた。
「何ですか?」
「2人と3人ならどちらを選ぶ?」
言葉足らずの問いだが、桜花は迷うことなく答えた。
「どちらも長所がありますけど、2人の方が落ち着けますかね」
「相手によるって感じか」
「言うなればそうですね。……揚げるのは任せます」
「うん、任された」
油などの危険を伴うものはできるだけ翔が行うことにしている。タイマーをセットし、油の海に肉を投下していく。
「翔くんならどうしますか?」
「僕はその人達の希望を尊重したいかな」
「そうですね」
その先に続く言葉を二人共が照れが入ってしまって声に出すことが出来ない。
翔はぽりぽり、と頬を掻いた。
「僕は母さんを行かせてあげたいんだけど……」
「はい。いいと思いますよ」
「そうなると必然的に僕と2人になる訳だが……」
「旅行でも2人でしたし、信頼しているので大丈夫ですよ」
「そっか。なら後は口頭弁論で勝つしかないな」
「2人でも大丈夫、というところを見せれば許してくれるでしょうか」
「それでアタックするしかない」
翔はカラッと揚がったトンカツを菜箸で引き上げながら、修斗の説得もカラッと揚がる、成功させたいと思った。




