第67話「大浴場」
桜花が泣いていたのは十分にも満たなかった。
これまでの辛いことも全て泣いてしまうことで吐き出して欲しかったが、そこまで行ってしまうと泣いた後に疲れてしまうので身体が拒否したのだろう。
桜花はそっと翔から離れ、忍者も驚くであろう早さで荷物からお風呂関連の道具を持って駆け出すように出ていった。
恥ずかしかったのだろうが、初めにそう思っていなければ、今頃、何か悪いことをしでかしてしまったのだろうか、と一人で悶々と悩んでいたはずだ。
「広い風呂はやっぱり最高だな」
と、言うのがつい10分ほどの話だ。
翔は桜花に頼られて少なからず嬉しいと感じていたし、少し楽にしてやれたという自負もあった。
そのため「恥ずかしかったのかよ」と素直に思え、それ以上の詮索はせず、翔も風呂に入って嫌な事と汗を一緒に流してしまおうと思えた。
風呂は部屋に付いている露天風呂ではなく、宿泊客ならば誰でも入れる大浴場だ。重箱の隅をつつくような人のために一応、注釈を入れておくが、勿論のこと、混浴はない。
ただ今の時間はいい時間だったようで、翔の他に誰も客がいなかった。おじさんの裸を見たところで感じるものなど特にないが、見えてしまうもの、見てしまうものが見えないのはありがたかった。
誰もいない大浴場を独り占め。
「この旅一番の贅沢かもな」
翔が肩まで浸かり、ゆったりとくつろいでいると、
「翔く〜ん」
隣の浴場から先程まで翔の腕の中にいた桜花の声が届いた。
風呂から上がったあと、恥ずかしがっている桜花とどのような会話をすればいいのだろうか、と頭の片隅で思っていた翔はやや拍子抜けだった。
「聞こえてるぞ!そっちも誰もいないのか?」
「も、ということは翔くんの方もですか?」
「あぁ!独り占めしてる!」
こちらの事を知らずに人の名前を大声で叫んだのか、と翔はツッコミをいれたくなったが、寸前のところで翔も女湯に人がいるかどうかなど確認することも無く、桜花との会話に結構な声量を出している。
「泳いでは行けませんよ!」
「お、泳がないよ!」
翔は内心冷や汗で目が泳いでいた。
実は今が限定的な貸切状態であると早々に気付いた翔は先程軽く泳いでいたのだ。これが知れたら桜花はどんな顔をするのだろうか。
「しっかりと浸かって、旅の疲れを癒すのです」
「桜花こそ!しっかり浸からないとダメだぞ」
翔はそう言ったあとで、何故か、桜花がくすっと微笑んだ幻覚が見えた。
その幻覚に誘われ、翔も笑みがこぼれる。
「あと30分ほどで出ます」
「なら合わせるよ」
「脱衣所を出てすぐの所で待ち合わせでいいですか?」
「簡易的な広間があっただろ?そこの方が待ってるのは楽だと思うけど」
「あそこは人が多いので嫌です」
「左様で」
桜花の中では広間、という選択肢はないらしい。
翔も好き好んで人が多いところに行く性格では無いので桜花の言い分も理解できなくはないが、やや意識が強く感じられ、まだあのチンピラに絡まれたことが根強くトラウマとして残っているのだろうと思った。
「のぼせないようにしてくださいね」
「サウナで耐久してる」
「水風呂厳禁です」
桜花の有難くないお言葉を頂く。
(どうしてそんなに僕の思考が読めるんだよ)
合わせるよ、と言った時にまるでそういうと分かっていたかのように返って来たのは心配するもので、サウナ耐久では限界まで来た時に水風呂でさっぱりするのが翔の流儀であるにも関わらず、桜花はそれを阻めてくる。
健康に気を使うと確かにサウナと水風呂は身体に悪いらしいが、翔はサウナの事も水風呂のことも今ここで、合わせると言ったのも桜花が事前に知る術はなかった。
水風呂はやめとくか、と大人しく従うことにした翔はサウナルームへと入室した。
サウナは上側に行けば行くほど熱くなる。逆に下側にいれば、上側程は熱くない。
(真ん中にするか)
普段の修斗と行くサウナは上側で我慢大会が発生するのだが、今回は時間指定もあり、そこを上手い具合に調節しなければならない。温泉に行く時は毎回耐久している翔が30分程で音を上げることはないだろうが一応の保険をかけておく。
無心になることが大事、というが翔は無心になろうと思えば思うほど気にしていることが脳裏に浮かんで、チラつく。
何が浮かんでいるかといえば、桜花の事だ。
どうして割り込んだ時に彼氏だ、などと大見得を切ったのだろうか。別に、通りすがりの交通人でも、幼馴染でも何でも良かったはずなのに、どうして。
答えは分かっているが認めてしまうには少し早すぎる気がした。
桜花の事をどう思っているのかと聞かれれば素直に「好ましく思っている」と答える。
願わくば一緒にいて欲しいし、もっともっと欲を言えば彼女になってくれればどんなに心強く、嬉しいことだろうと妄想もした。
(好きじゃないわけあるか、くそっ)
容姿だけ、性格だけいいから好きだ、なんてことは無い。勿論どちらも揃っていたとしても翔はそれだけで好きだとはならない。
相手が双葉桜花というかつて幼馴染だった翔の近くにいてくれる女の子だから好きになったのだ。
ただ、どうしても桜花に伝えようとは思えない。少なくてもこの旅行中には言わない。
そんな突拍子もないことを聞かされて平静を装えるわけが無いのはわかっているからだ。
桜花のための旅行なのだから一点の曇りもない綺麗な満足だけで終わる旅行にしたい。
大事にしたい。
この旅行を。
そして。
桜花の事も。




