第43話「粋な計らい」
翌朝、寝ぼけ顔でリビングに降りた翔は梓の妙に艶やかな肌を見て昨日どれほどまで行ったのかを十二分に察した。
夫婦なので全く問題は無いのだが、それでも、行く所まで行ったんですね、という感想は残る。
「おはよう」
「おはよー、翔。桜花ちゃんよりも早いなんて珍しいわね」
「あれ?起きてないのか」
いつものように居るものだと思っていた桜花の姿がなかった。
梓はトースターにパンを入れ、フライパンで卵を焼き、と忙しそうにしていた。
「ちょっと様子を見てきてくれない?」
「んー」
生返事を返した後、翔は再び階段を上り、翔の部屋の隣のドアをノックする。
元物置部屋であり、桜花の部屋である。
桜花がこの家に訪れてから初めてこうしてノックしたな、と返答が来るまでの刹那の時間にふと思う。
「朝だぞ〜」
「あ、開けないでください!」
拒絶反応を示され幸か不幸か翔の頭は夢現から現実に戻り、ずーん、と気分が沈む。
ドアノブに手をかけていたので、慌てて手を離した。
「どうした?調子が悪いのか?」
「いえ、そうではありません。ただ少し寝不足で」
心配して訊ねると、桜花に似つかわしくない理由が返ってきた。寝不足とはらしくない。
しかし、翔には心当たりがあった。
「もしかして……興奮して寝られず聞いてしまったのか?」
「……」
扉越しに伝わってくる雰囲気は明らかに沈黙の肯定を示していた。
翔はまったく、と零した。
翔は慣れているので急に寝ることも案外あっさりとできてしまうのだが、桜花はそうではないようだった。
ゲームの攻防を見て興奮し、関係ないかもしれないが翔から下の名前で呼ばれるようになり、ベッドに入って耳を澄ませれば、下から何やら妙な声が聞こえてくるのだ。
意識しない、なんてできるものでは無い。
「……身支度を整えるので下で待っていてください」
「わ、分かった」
有無を言わさないような口調だった。
翔はすぐに回れ右をして階段を下る。
いつもよりも一回多い、階段の上り下りに、おじいちゃんではないが、流石に疲れてきた。朝なので頭に充分に血が巡っていないというのも理由の一つだろう。
しかし、頭への血の供給はすぐにされる事になった。
「何か郵便落ちてる」
「あぁそれは翔達宛のものね」
「開けてもいい?」
「どーぞ」
梓は朝食を並べながら軽く返した。
「おはようございます」
いいタイミングで身支度が整ったらしい桜花が降りてきた。
「……何これ」
「どうしました?朝から変な顔をして」
ざっと文面に目を通した翔は驚愕しているような、困惑しているような表情になった。
「僕は昨日、確かにキャンセルしたのに……」
翔の手には宿泊の予約表が握られていた。
翔は桜花にも読ませようと渡した。桜花も読み終えた時、翔と同じような言葉にしにくい表情になった。
一人、事情を知っているようでにやにやと笑っていた。
「宿泊はそのランクだったかしら?」
「……最上級のグレードになっています」
「一体、どういうこと……?」
口ではどういうこと、と言いながらも翔はこのサプライズをしたのは十中八九、修斗だろうと推測していた。
消去法なので理由を問われても答えられないが、梓と昨夜、何か交渉でもしたのだろう。
「私は全部は分からないけど、修斗さんが認めてくれたことだけは確かね」
「なら僕達は行ってもいい……?」
「そういう事ね、良かったじゃない」
「でもどうして?」
「私もだけど、翔が誰かとどこかに行きたいなんて言い出すとは思いもしなかったから嬉しかったのよ。だからそれとなく伝えたらお酒まで飲んじゃってゲームで決めようなんて」
うふふ、と身体をくねくねさせて修斗への思いを膨らませる梓に翔は底知れない愛情だな、と完全に他人目線での感想を持った。
しかし、こうして粋な計らいをしてくれる修斗は相変わらず憎めないしかっこいいと思う。
翔は嬉しくなった。
理由はどうあれ、旅行することは認められたのだ。これを喜ばずにはいられない。
桜花と目を合わせる。
桜花も翔と同じ、いやそれ以上に喜んでいた。
掌を桜花へと向ける。
桜花も同じく返す。
そして、触れ合い、破裂音を鳴らした。
ハイタッチをしたあと、気恥ずかしくなったからか、頬をぽりぽりとかいてしまう。
「やったな」
「寝不足もあって、まだ夢の中のような気がします……」
「現実だよ?ちゃんと手、合わせただろ?」
「昨日のも現実だったのでしょうか……」
「桜花ちゃんが寝不足?!」
事の原因であろう本人は今更に気付いたようで驚いた声を発した。
「誰のせいだと……」
翔のぼやきは梓の耳には届かない。
「大丈夫?今日は学校休む?」
「いえ、ちゃんと登校します」
桜花はそれだけ言って、席に着いてから朝ごはんを食べ始めた。
「翔くんも早く食べないと遅刻してしまいますよ?」
「僕の方がいつも食べ終わるのは早いぞ」
「そのあとの準備が遅すぎますけどね」
「急いでるつもりなんだけどなぁ……」
翔も桜花の隣の席を引いて、腰を下ろし朝食にありつく。
梓は仲睦まじく見える二人に小さく微笑み、「楽しんでらっしゃい」と小さく呟いた。
「うわっ!日付まで同じ!酒飲んで酔ってたはずなのにどういう記憶力してるんだ……?!」
「お酒に強い方でしょうか」
「それにしても限度があるだろ……」
二人の間の距離が日々、少しずつ無くなっていくのは梓の毎朝の楽しみだ。




