第42話「約束と条件」
やるせない虚無感が翔を支配していた。
勝つ気で挑んだオセロゲームに序盤、中盤と差をつけられた挙句、ようやく盛り返した終盤で逆転することなく敗北した。
「ごめん……負けた……」
「響谷くん……」
精神的なダメージが桜花の想像よりも大きかったので桜花には翔にかけてあげる言葉が直ぐには見つからなかった。
「ギリギリで勝ったようだね、危なかった」
「修斗さん汗だくじゃない」
「この後も汗をかくから大丈夫だよ」
修斗は修斗で、捌きを見せつけられ内心焦っていたようだ。梓との汗関連の話は聞き流しておく。
「もし勝っていたら翔は何を私達に願う気だったのかい?」
勝利の美酒に酔いしれながら修斗は訊ねた。
翔は寝転がったままぽつぽつと語り始めた。
「ゴールデンウィーク中に双葉と宿泊付きで旅行に行きたかった。それを認めて欲しかった」
「あくまでそれだったんだね」
翔は無言で、肯定を示した。
「どこに行くつもりだったの?」
「遊園地に遊びに行ってから、絶景が見られる露天風呂がある宿に泊まるつもりだった」
「どうして行きたいと思ったの?」
「僕達だってゴールデンウィークぐらいは遊びたいんだよ」
梓が修斗から引き継いで質問を続けていく。翔はもう無駄となってしまったこの思いをどうして深く掘り下げてくるのか全く分からなかった。
「ごめんな、双葉」
「いいえ、仕方がありません。勝負は勝ち負けが決まってしまいますから」
桜花の優しさに思わず泣いてしまいそうになる。何とか抑えたが部屋に戻って一人になると恐らく泣いてしまうだろう。
(キャンセル……しないとな)
翔が連れて行けないこともないが、修斗達が認めなければ元も子もない。金があるからといって何でもできる訳では無いのだ。
桜花も分かっているからこそ翔がスマートフォンからキャンセルの手続きをしているのに何も言わなかった。
「いつ行くつもりだったの?」
「5月の4と5」
尚も訊ねてくる梓にぶっきらぼうに答える。それと同時にキャンセルをした。
キャンセル料はかからないようだった。
「梓、もういいかい?」
「えぇ、もういいわ」
修斗は梓に微笑んだ後、契約書を突きつけた。
「契約に誓って行われたゲーム。負けたら相手の言うことをなんでも一つ」
「分かってる。僕は何をすればいい?」
途中で遮り、先を促す。
修斗は契約書の下の方にある署名の部分を指し示した。
「ここに名前を書く。それだけだよ」
「二人分あるんだけど?」
「勿論、翔だけじゃないよ?桜花もペナルティには入ってる」
「大丈夫ですよ」
翔と桜花は契約書に名前を書き込んだ。親子同士のものなので法的関連性はない。印鑑も押す必要が無いからだ。
しかし、この場にいる全員が、家族内のルールとしては認知したことになった。
「今日はここまでにしよう」
「修斗さん?!」
言うが早いか、修斗は梓を抱えて立ち上がった。驚いた声を発したのも束の間、梓はあっという間に心酔しきった表情を見せる。
これからは大人の時間だということをはっきり悟った翔は盛大にため息をついた。
「そこまで悔しがる必要は無いですよ」
「いや、うん……」
微妙に勘違いした桜花が励ましてくれるが、このため息は子供の前であろうと、幼馴染とはいえ、血の繋がりの無い他人である桜花がいようと関係なく事に及ぼうとする両親達へのものだったので曖昧な感じになる。
悔しかったのも事実なのであまりに否定できないのが辛いところだった。
「早く寝ないと眠れなくなるよ?」
「眠れなくさせるんだろ?」
「極力、声は抑えるつもりだけど」
具体的な事を言われると想像力が広がってしまうのでもうこの話はおしまいだとばかりに首をぶんぶん振って想像を誤魔化した。
「声とは一体、何の話でしょう……」
「知らなくていいから」
「知らなくていいことは無いだろう?いつかその時が来るかもしれない」
「それはいつかであって、今じゃない」
「今でも私は大丈夫だよ」
「父さんはこれからだろうが」
桜花はこの手の話には疎いらしい。それが今回は吉と出た。純情な桜花がこの手の話を理解したその日には顔面真っ赤にして倒れ込み、ぐるぐる目を回す未来が簡単に想像できる。
「双葉、今日はもう寝よう」
「まだいつもより早いですけど……」
「寝ないといつもより遅い時間……いや、寝れなくなるぞ」
翔の真剣な眼差しにただならぬものを察したのか桜花は素直に頷いた。
「翔」
「何?」
「いつまで苗字で呼ぶつもりだい?」
修斗はそう言って寝室へと入っていった。
翔はちらりと桜花を盗み見ると、桜花はもじもじと身体を揺らしていた。
修斗の言葉を気にしているのが丸わかりだった。
「……桜花」
「ひゃいっ!」
返事なのか何なのか、桜花の口から変な声が漏れた。
桜花も自分で変な声だと思い、恥ずかしくなったのか、かぁーっと頬を染める。
「急に呼ばないでください」
「ごめん、いやならやめる」
「誰もいやとは言ってません」
「……そうか」
「翔くんの……ばか」
今度は翔が頬を染める番だった。
どきり、とした心臓を誤魔化すために「行くぞ」とぶっきらぼうに言い、翔は階段を上った。




