第34話「記憶の混濁」
二人で電車に乗り、会話なく帰宅した。
翔の右手はまだ桜花の掌の温かみを感じていた。もう既に離れているのだが、自分とは違う体温の感覚がまだ残っていた。
学校の荷物を部屋に放り投げ、リビングへ降りてくると、桜花が黙って座っていた。
梓はまだ帰ってきていないので翔がいなければ一人であるため、黙っているのは当然といえば当然なのだが、桜花から発せられる雰囲気はどこか重たかった。
「今日は色々あったな」
「響谷くん……」
翔がいた事も気付いていなかったらしく、翔が声をかけると、驚いたような声を出した。
「寝ていなくていいのですか?」
「寝たくても寝れないんだよ。昼間寝すぎた」
驚いたのは一瞬で、次には心配される。
随分と軽くなってはいるが翔はまだ風邪を拗らせた病人。桜花としては、安静にして欲しいようだ。
「横になるだけでも違うと思いますよ?」
「……」
どこかおかしい。どこか必死な感じが桜花の言動から感じられた。
翔は桜花の向かい側に腰を下ろした。
「そんな顔をするなよ。話が終われば部屋に籠るから」
「話とは?」
「双葉は今、一人になりたいんだろ?」
いきなり核心を突いていく翔の言葉は桜花に動揺をもたらせた。
どれだけ理屈で自分を納得させたとしても感情で起こった今日の事件未遂は心の中に植え付けられ、なかなか克服することは出来ないだろう。
翔はこの手のやられる側の気持ちは痛いほど分かる。
「一人になりたいわけでは……」
「家にいる時ぐらい素直でいろ」
「む……」
翔は聞く耳を持たない。
自分の考えに確信があるからこその事だった。しかも、それが桜花の気持ちへの図星であるから桜花にとっては居た堪れなかった。
「あのような事をされたのは初めてなので……まだ心が驚いていると言いますか……浮ついて落ち着かないのです」
「まぁ、あんな接触の仕方は須藤以外はしないだろうな」
どうして恋をした相手に嫉妬を向けるのか、翔には理由がわからなかった。
勿論、知りたくもなかったが。
良くも悪くも須藤が初めてのアタックだったので、桜花は戸惑いを隠しきれないようだった。
「初めは何とも思いはしませんでした。けれど、音や身体の威圧は……」
「やめろ、それ以上は思い出すな」
翔がこの話を始めたのは桜花の気持ちを軽くしてやろうとしただけで、傷を抉るためではない。
強い口調で思考を止めさせる。
「少し昔話をしようか」
「……今日の響谷くんは唐突ですね」
いきなり核心を突いていき、その次には全く関係のないような昔話を始めるという翔は確かに唐突な奴かもしれない。
元々、翔はあまり会話が得意では無いので、自分の思ったように会話を進めていくのが苦手だ。だから、どうしても唐突な感じになってしまっていた。
「昔、と言ってもそれがいつぐらいかはもう覚えていないが、花冠を作ったことがあって、その時一緒に居た背丈が同じくらいの女の子と作りあいっこをしたんだ」
翔は桜花の表情を盗み見る。
翔が話しているのは夢の話であるが、桜花にとっては本当の話ではないのか、と頭の切れ端で可能性を感じていた。
夢に出てくる女の子。
両親からおかしなヒントを沢山貰っていた。
そして、桜花本人からも。
「花冠、ですか」
「そ。男ながらな」
「別にそうは言ってませんよ。男の方でも作る人は作るでしょうし」
「それで下手くそな花冠をその女の子にあげたんだ」
正確にはあげたのではなく、ぶんどられたと言った方が正しい気もする。
桜花は翔の意図を読み取っているのか、読み取っていないのか。兎も角、真剣に聞き入っていた。
「その女の子は喜んでくれましたか?」
「たぶん。今日の僕がカルマに連れられて保健室へ行く時に見せた双葉の顔が喜んでのものだったなら」
桜花は電流が走ったかのように翔の方を見る。
「響谷……くん?」
「ここで本当ならかっこよく「ずっと覚えていた」なんて言うところなんだろうが、最近まですっかり忘れてたよ」
「でも……いつ?」
「花冠の話を思い出したのは今日の寝ている時で、昔から知ってる人だろうと予想したのは父さんと話した時」
「……」
「双葉がその女の子で僕の幼馴染だと気づいたのは保健室へ帰る時だ」
「どうして……今なのですか」
「ごめん」
「これでは何の意味の涙なのかわからないでは無いですか」
優しく零れ落ちる桜花の涙は美しいを通り越して儚かった。
「でも、双葉も忘れてただろ?初対面で何も言わなかったしさ。これでおあ……い、こ……?」
「私は今まで一度となく、忘れたことはありません」
涙を流しながら怒られる。
その有無を言わせぬ、桜花の迫力に押されて翔は軽率だったことを恥じた。
翔が忘れていたから、桜花も忘れている、と勝手に思い込んでしまっていた。
「全てを総称して響谷くんと過ごした時間は楽しくて大切なものなのです。絶対、忘れるなんてことはしません」
「ごめん、それ以上は僕が酷いやつみたいに聞こえる」
「違うのですか?」
「忘れてたのは謝ります。申し訳ないです」
反論などできないので、あっさりと全面降伏をする。
すると、深くため息を吐かれる。
呆れられたのか、と不安になるがただ区切りをつけただけのようだった。
「久しぶりですね、響谷くん」
「久しぶりだな、双葉」
こうしてようやく2人は幼馴染に戻ろうとしていた。




