第281話「初詣」
初詣に着物を着てお参りをする人は果たして日本国民全体の何割になるだろうか。
翔は身につけている黒を基調としたオーソドックスな和服を鏡でまじまじと見つめながらそう思った。
「よく似合ってますよ」
「まぁ、新年ぐらいは髪の毛もあげるよ」
「その意味で言った訳ではありませんよ」
「ありがとう、嬉しいよ。着付けもしてくれてありがとな」
翔が本格的な和服を着られるわけがない。そこは桜花が一から全て翔の身なりを整えてくれた。その際に翔は下着一枚になったのだが、桜花は特に反応を示さなかった。薄く示していたのかもしれないが、そこは本人に訊かなければ分からない。
一人だけ焦っているのも癪だったので、恥ずかしい気持ちはどうにか抑えて、桜花を見守っていた。
「ささっと着替えるので、後ろを向いていて貰えますか?」
「う、うん」
翔は大人しく桜花に背を向けた。
桜花が着ている服を脱いでいるのであろう布が擦れる音が妙に耳に届いてきて、翔は音を頼りに桜花の仕草や行動を予測し始める。
しかし、どうにもよく分からない。それに、どうしてか、自分は見られたのだから自分にも見る権利があるのではないか、と考え始めてきた。
「……着替えてる様子を見たいって言ったら……どうする?」
「……見たいのですか?」
「できることなら」
「翔くんは本当にたまにですけど、はっきり言いますよね」
「気持ちに嘘をつくのは負けだと思ってる」
翔はきっぱりと言い切った。人間誰しも人生においては一度くらい嘘をついたことがあるだろう。もしついたことがないという人がいるならば謝罪案件だが、そのような人は超少数派だろう。
桜花は分かりやすく戸惑った後、小さな声で「いいですよ」と言ってくれた。
翔はまさか了承の意が返ってくるとはまさか思っていなかったので、少し慌てた。
「……どうして翔くんが慌てるのですか」
「いや、まさか「いいよ」と言われるとは」
「……でもあまり見ないでください」
桜花はそう言ってから服を脱ぎ始めた。本当にこれは大丈夫なのだろうか。後で捕まったり怒られたりしないのだろうか、と少し疑心暗鬼に陥りながらも桜花の着替えている風景を眺める。
別に変態的に見ている訳ではなく、あくまでもその場にある景色としてみていた。まぁ、という建前だったが。
お風呂などで目にしているとはいえ、このような真昼間からしかも翔は完全に服を着た状態で拝めるのはまた別のような気がしてならない。
白い肌が顕になり、日光に照らされて艶やかに映る。背中側しか見えないとはいえ、その背中でさえも美しく翔は言葉を失う。
(……白なんだ)
……。
大分変態であった。
そんな翔の心中を察したのか、桜花はぼそぼそと小さな声で、
「……じっと見ないでください。ばか」
「み、見てないみてない。今は別の方向むいてる」
「……怪しいですけど。まぁいいです」
ふぅ、と一安心のため息を吐くと、翔は一度、視線を外してもう一度桜花を見つめた。
見ないと損である。そして義理は果たした。
とでも言いたいのだろう。
そのような事は露知らず、桜花は着々と着物を着込んでいく。今の日本において一人で着付けのできる若者はとても少ないのではないだろうか。
桜花が手際よく羽織り、帯を締め、形作るのを眺めながらそう思った。
一輪の花が咲き誇る過程を見ているような。
一匹の蝶がさなぎから孵るような。
そんな儚くも美しい瞬間を見たような気がした。
「桜花はやっぱり何を着ても似合うな」
「そうでしょうか。ふふふ、ありがとうございます」
桜花は髪を纏めながら感謝を述べた。
簪を刺して、もう立派な一人の女性である。
「赤色がよく似合ってるよ」
「黒色に合うのは赤色のような気がしましたので」
「……もしかして合わせてくれたのか?」
「合わせたというか……。翔くんを含めて男性の方はほとんどが黒色ですから」
「まぁ紺色とかもあるらしいけど基本は黒色かな」
「紺色ならまた違う色の着物を着てました」
「それはそれは」
翔が違う色の着物とは何かを詳しく訊ねようとしたところで、ふと時計を見るとそろそろ行く時間帯にさしかかろうとしていた。
翔達が向かう予定の神社は人混みになりやすい時間帯が決まっている。そこは事前にリサーチ済みだ。
とはいえ、今は正月である。
その事前リサーチはあまり役には立たないかもしれない。しかし、桜花が正月早々から注目の的となり面倒事になるのは避けたかったので、翔としては正月とは言えども少ない時間帯である時に参拝に臨みたいところだ。
なので、翔はその続きの言葉をぐっと飲み込み、桜花の手を引いた。
「そろそろ行こうか」
「そうですね」
新年初めての外出である。
その2人の姿は昨日までとさして変わりはない。しかし、微かな違いとしては幾分か二人の距離が更に縮まって歩いているような気がする。
そして纏う雰囲気も恋人同士のそれから夫婦同士のそれに移り変わっているような兆しが見受けられた。




