第241話「風邪ではないが」
帰宅して早々に修斗はアメリカへと帰国した。この場合帰国したという表現が適切なのかどうかは議論の余地があるが、兎も角、慌ただしく出ていった。
翔は宣言通りに梓にメールを送った。秒で返ってきたメールの内容は文面ですらわかるほど、怒りで満ち溢れていたので、修斗はこってりとしぼられることだろう。
「帰られ……ましたか?」
「あぁ。まったく、騒がしい人だよ」
「そう……ですね」
「どうした桜花?言葉に覇気がないけど」
翔は椅子に座っている桜花の額に手を当てる。素人が「熱がある」と判断するほど、熱は高くないがそれにしてはしんどそうにしているので熱があるのではないだろうかという予想が立つ。
翔が手を離すと桜花は徐に立ち上がった。
「シャワーを浴びてきます」
「……大丈夫か?熱は無いのか?」
「微熱はあるかもしれませんが、シャワーを浴びれば多少はすっきりするでしょう」
「そうか……」
止めたくはあったが、シャワーに入ってさっぱりしたいという気持ちも充分に分かる。もし熱が発覚してそのままベッドに直行した場合は滝に打たれたその水を被ったままということになる。
桜花が一歩を踏み出す。しかし足元がおぼつかなく、よろよろとよろめくので翔は堪らず桜花の身体を支えた。
「その状態で風呂に行くのか?」
「気持ちが悪いので……」
「一人で歩くのも辛そうなのに?」
「……」
翔の正論に桜花は黙るしか無かった。
とはいえ、どうしてもシャワーを浴びたいのもまた事実。桜花は色々と考えた結果、翔をじっと見つめた。それもお願い、の意味を込めた瞳で。
「ま、待て。僕は別に行くなって言ってるわけじゃない」
「というと?」
翔はその瞳に耐えきれず、狼狽えた。
「一人で行かせるのは気が引ける」
「……え」
「タオルを巻いてくれるなら」
「タオル、ですか?」
「桜花はもう少し僕に対して羞恥心を覚えた方がいいと思う……」
翔の方が桜花に比べてそういうことに対しては敏感で羞恥心もまた大きいのでそれを見ている桜花は逆に冷静になれるからこそだとは思うのだが、それでは翔の心臓が持たないことは明白なので翔はタオルという妥協点を見つけた。
「翔くんに身体を流してもらうのですか?」
「まぁそういうことだな。この状態で風呂場に一人で行かせる訳にはいかないよ」
「えっち」
「ばっ……!!」
これではまるで翔がそういうプレイをお好みであるかのように聞こえるではないか。
桜花は翔が動揺したのを見てくすっと微笑むと翔に身体を預けてきた。
「どうせなら……お風呂場まで運んでください」
「……我儘なお嬢様だ」
「私だけタオル一枚なのですからこれぐらいはいいでしょう?」
「……分かったからもうその話は言わないでくれよ」
うふふ、と悪戯に笑われてしまうとすっかり抵抗できない。
翔は桜花を抱き上げた。勿論横抱きで、お姫様抱っこ、というやつだ。
先程よりもより密着して翔は桜花の体温が上がっていることを認識した。それは翔と触れ合っているからでは無いだろう。いや、まったくないだろうというのは少し心が痛むので多少はあると信じたいが恐らくは熱が上がってきたのだろう。
熱がある人にシャワーをするのは正直、正しいのか間違っているのか分からないのだが、桜花がお風呂に入りたいというので、仕方がない。
「翔くんは私のお願いをいつも聞いてくれますよね」
「かもね」
「ありがたくはあるのですが、たまには断ってもいいのですよ?」
「今の病人に近しい状態でそれを言うか。……いいんだよ、僕がしたいと思ったからしてるんだ」
「翔くん」
「何だ?」
「好きです」
「……あ、ありがと」
翔は唐突な愛の告白にドキッとした。そっぽを向きながら礼を返すとふふふ、と笑われた。
「翔くんの心拍数がとても上がってますよ」
しかも挙句の果てに心拍数まで把握されてしまう始末。
風呂場までがここまで遠いとは思わなかった。
「気の所為だ。それより降ろすぞ」
「はい」
脱衣所で桜花を降ろす。少しよろめきながらも扉に手をかけて何とか立った。
「大丈夫か?」
「えぇ、平気です。……お風呂上がりももう一回お願いできますか?」
「まったく……。いいよ。運んであげるさ」
「えへへ、ありがとうございます」
うっ、と翔の心に矢が刺さる。
普段の桜花とは違うあどけなさが残る笑みに翔はくらっときてしまった。桜花の前では大袈裟に出来なかったが、カルマといる時なら胸に手を当てて悶え苦しんでいただろう。
「……着替えられるか?」
「頑張ります。……着替えるので外で待っていてください」
「うん」
翔の願いが届き、桜花に羞恥心が芽生えたのか、それとも単に脱いでいるところは見られたくなかったのか。翔の頭は男らしい変態な妄想で広がっていた。
翔は後ろ髪を引かれながらも大人しく脱衣所をあとにした。




