第174話「見せ合い」
翔と桜花は一度、着てみることにした。身体に合っていない、ということはほぼないことだろうが、それでも確認しておきたい。
翔の思惑としてはそれに追加して桜花の浴衣姿を自分だけ先に見たいという欲もあった。
「着替えてきますね」
桜花はそう言うと、脱衣所に駆け込み、扉を閉めた。
ここで着替えればいいのに、と少しだけ考えてしまったが、もし自分がその立場になった場合、相手はそのままで自分だけが着替えるというのは恥ずかしい。
しかし、脱衣所から聞こえてくる布の擦れる音が翔の想像を掻き立て、あらぬ妄想が捗る。
一度、旅館に泊まった時に、和服を着ている桜花を見たことがあるのだが、先程の浴衣は落ち着いた中に華やかさがあり、頭の中で桜花に着せるだけでも吐血しそうなほどなのに、実際に着て目前に現れた場合、生きた心地がしないだろう。
しばらく経って、脱衣所の扉が開く。
「ど、どうでしょうか」
「よく似合ってるよ。可愛いと言うより美しいな」
「……どうしてすぐにそう褒め言葉が出てくるのですか」
それは翔が桜花のことを四六時中考えているからである。後は、アニメやラノベで「褒めるもの」と教えこまれたからだろう。
桜花の容姿はやはり、想像を超えていた。
桜花は簡単にではあるが髪を括っていて、濃紫色の大人びた雰囲気とよくあっている。所々に咲く百合の花が桜花の動作一つ一つを全て際立たせる。
最後に翔の主観だが、わざと袖は少し大きめに作られていたのか、桜花が指しか見えない手で、浴衣をぎゅっと握っている姿が最高だった。
所謂、萌え袖、というやつだ。
感想を言ってからずっと固まっている翔に桜花は翔の浴衣を胸の辺りで押し付けてきた。
「翔くんも早く着替えてください」
「写真撮りたい」
「……二人でなら」
「着替えてくる」
翔が正直な気持ちを吐露すると、桜花は恥ずかしそうにもじもじと身体を揺らしながら了承してくれた。
満足して脱衣所に入る。
(ちゃんとしてるな……)
目前に飛び込んできたのは桜花が先ほどまで着ていた私服だった。それらはしっかりと畳まれていて、翔ならありえない事だった。
翔だったら平気で脱ぎ散らかしていただろう。
心做しか、魔女の残り香ならぬ、翔とはまた違った匂いが微かにこの脱衣所に漂っているのを察知した。
それが桜花の匂いなのか、届いた浴衣の匂いなのかは流石に判別出来なかったのだが、兎も角も翔を落ち着かせるような匂いだった。
(とりあえず、脱ぐか)
翔は颯爽と服を脱ぎ、下着一枚になる。
黒地と白地のストライプ模様の浴衣に腕を通す。
浴衣と着物、というのはほとんど差異がないらしい、などとどうでも良いことを考えながら、黙々と着ていく。
腕を通し、帯を占める。
思ったよりも帯が苦しかったので、大分緩めて「着流し」と呼ばれる服装になった。
「不備はない、な」
鏡で確認する。残念ながら背中がしっかりとできているのかは判断できなかったのだが、その他の場所は特に問題は無いだろう。
少し緊張感が募った。
しかし、その緊張感を心地よいと前向きに捉え、翔は扉に手を掛けた。
おぉ……。
そんな感嘆の声が聞こえたような気がした。
真っ直ぐに桜花を見つめる。桜花は何も言うことなく、翔に近付き、翔の首に手を回した。
「ここが乱れてます」
「あ、ありがとう」
抱きつきたい衝動に駆られたのか、と思った翔の心を返して欲しい。
だが、最愛の人に身なりを整えてもらうのはそれはそれでありだった。
「かっこいいですね」
「変じゃないかな?」
「翔くんらしくていいと思いますよ」
自分らしさ、とは?
翔は危うく哲学の世界に飛び込みそうになったが、まぁ、変でなければいいか、と思考を放棄した。
「細く長く見えますね」
「柄だな」
ストライプ模様の浴衣なので、勿論縦線である。
元々が細い翔は視覚からの明らかな補正で更に細く見える。そして、背が高く見える。
「隣に並んで違和感がなければいいんだけど」
「ありませんよ。ほら」
桜花がそっと翔の隣に並び、腕を絡ませた。
翔との身長差があり、下から目線の桜花をちらっと見た翔は悶絶しそうな勢いだった。
これで屋台を巡ったり、花火を見対するのかと思うと、楽しみで仕方がない。
「ほら、と言われても見えないから分からないよ」
「写真を撮れば見えます」
桜花はぱたぱたと用意しておいたカメラに駆け出した。
幾ばくかの設定をし終え、また翔の隣に戻ってきた。勿論、腕を組み合わせるところまでも。
「翔くん」
「ん?」
「かっこよくて大好きです」
「……?!」
翔達は背景はいつもの何事もないリビングだが、貰った浴衣を初めて着てみたということで、約束の写真を一枚撮った。
後から確認するとやはり、翔の顔は変だった。