第150話「一つのお願い」
「翔。ちょっといいか?」
「何?」
「すまん、取り込み中だったか?」
「何も取り組んでないよ!!」
「みんなリビングで待ってるから来てくれないか?」
翔は桜花と顔を見合せた。少し格式ばった声色と想像できる光景に不思議を感じて首を傾げる。
「行くか?」
「そうですね、何の用なのでしょうか」
「行けばわかるだろ」
修斗からの呼び出しに、翔は何事かと思いながら、桜花を連れてリビングへと向かった。
色々と思うことはあったものの、声に出すのは躊躇われた。わざわざ和を乱すことをしなくてもいいだろう、反抗期でもないしと思ったからだった。
桜花にいつ探られるかもわからなかったので、ありがたいと前向きに捉えることにした。
リビングへと向かうと、両親の面々が全員並んで座っていた。思わず彼らから放たれる異様な空気に気圧されて部屋に籠ってしまいたい衝動に駆られるが何とか抑えて、修斗に訊ねた。
「全員集合してどうしたの?」
「大事な話があってな」
大事な話?と首を傾げる。
もう一番大事な話は終わっているはずだ。今更掘り返すこともないだろう。思いつく宛がないので迷っていると、梓が「まぁ座りなさい」と手招きしてきた。
梓は近くに座った桜花をぎゅっと後ろから抱きしめた。翔は似たような光景をしたようなデジャブを感じたが、努めて見て見ぬふりをした。桜花からの視線も知らない。
「いいなぁ」
「佳奈……」
桜花も梓にはすっかり気を許しているのか、抵抗しても無駄であると悟ったのか、なすがままにされていた。
佳奈の羨望が混じった声が聞こえたが、翔に言っているわけではないので、流した。
「可愛いわねぇ〜。本当に」
「桜花が可愛いって話なのか?そりゃ大事な話だけど……」
大事の意味合いが違うだろう。確認の意味を込めて修斗を見ると、こほんと一つ咳払いした。
「それもいつかはしないといけない大事な話だが」
「一生しなくて構いません」
「私達はもう今夜には渡ろうと思ってる」
「はぁ」
翔の口から腑抜けた声が漏れる。
そこに特別な感情など何も無く、ただ平然とそうなのか、思うだけだった。
翔の両親が突然にどこかへ行く、帰る、と言い出すのは日常茶飯事なので、気にするだけ無駄だ。
しかし、少し気になるのはそれに付き添うというより、同じ行動をしなければならない桜花の両親の方だろう。
振り回されて大変だな、としか思えないが。
「驚かないのね」
「もう驚けない。今まで何度急に帰るやら旅行行くやら言ってきたと思ってるんだ」
「覚えてないわ」
「覚えられないぐらいしてきたんだろうが」
とぼける梓に少々辛辣にツッコミを入れた。
「アメリカで私達が担っている一大プロジェクトがそろそろ動き始めるらしいんだ」
修斗が少し誇らしげに言う。
一大プロジェクトが何なのか気にはなるが深く追求すると、仕事好きの修斗がどこかの調査兵団十四代団長のように一昼夜話しかねないのでそこには振れないのが吉だ。
「いつもはそんなこと事前に言わなかったよね?」
「そんなこと?」
「帰るとか出ていくとかの連絡」
「あぁ、言いたいことがあるのよ」
梓が引き継いで翔の問いに答えた。
「私達と充のところで、翔達には不自由がないように最大限の金銭補助はするつもりだ」
「ありがとうございます」
「それで、翔達も高校生だろう?私達の時のようにしっちゃかめっちゃかしろとは言わないが色々な場所へと飛ぶのも悪くないぞ」
「見聞を広めてきなさい、と?」
「そうは言ってない。ただの旅行でもいい。高校生活を最大限に楽しかったという思い出にして欲しい」
「父さん……」
「放ったらかしにするからな、これぐらいはさせてくれ」
修斗からのありがたい申し出に翔は心が嬉しくなるのを感じた。暑くて気怠くて、なかなか桜花には相談できてないが、出来れば綺麗な海に行きたいと思っていた。
別に近くのプールでもいいのだが、兎も角も、この夏をただ家でゴロゴロするだけに潰したくはなかった。
「翔。顔が変よ」
「何も考えてないよ!」
「別に何も言ってないわよ。ん?何?どうせ桜花ちゃんの水着姿でも想像してたんでしょ」
「んッ?!」
梓は桜花に「えっちねぇ」と同調を求めていた。人の思考回路を改竄するのはやめて頂きたい。桜花の水着姿は本当に少しだけしか考えてなかった。考えるまでもなかっただけだが。
「そこで、充からのお願いもひとつ叶えてやって欲しいんだが……」
「お願い……ですか?」
「あぁ。桜花にと言うよりはどちらかと言うと翔くんへのお願いなのだが……」
「……?」
不安と不信感が募り、眉をひそめそうになるが、露骨に示す訳には行かないので、黙って聞くことにした。
翔は充からのお願いを聞き、はぁ、とため息にも、生返事にも似た声を漏らした。