第144話「変わらない心」
ドライブから帰ると、外はもういい時間になっていた。どこまで行ったのかはよく分からないが、往復で日が沈む程なのでそれなりには時間がかかったことは分かる。
窓の外を見ていても、それは一々今はどこを走っている、と考えるためではなく、どことなく安心して視線を向けられるところを探していただけに過ぎないので、翔は分かるはずがないのだ。
「ただいま」
「……お帰りなさい」
「えらく疲れてるな」
「一日でこんなに着替えたのは初めてです……」
へとへとのようだった。
桜花も女の子なのでファッションには興味が強いはずなのだが、その桜花が疲れてしまうほど着替えさせた二人の母親に戦慄する。
もしも、桜花ではなく翔だったなら、と考えるととてもではないが耐えられない。
「楽しかったか?」
翔は今日初めて母親と関わりを持ったことについても重ねて訊ねた。
翔もファーストコンタクトで「認められない」などと、ブラックジョークを真に受けてしまい、充に対しての印象は未だに少し構えなければならないが、桜花は翔以上に自分の内に秘めていた思いがあるはずだ。
「楽しかったですよ。色々と教えてくれましたし」
「教えてくれた?」
「はい。殿方の……。いえ、何でもありません」
「あ、あぁ……?」
何かを言いかけたようだが寸前で思いとどまってしまったようで、翔はその先を深く尋ねたい衝動に駆られるが、梓が絡んでいることを思い出し、何か変なことかもしれないと思い、聞かなかった。
「翔くんこそ、男性だけのドライブは楽しかったですか?」
「う〜ん、まぁ、楽しかったよ」
翔はそっとケツポケットにありがた迷惑のプレゼントを隠した。これは早急に目に見えないところ、尚且つ、桜花が見つけなさそうなところに隠さなければならない。
修斗につき返そうとしてもまるで相手にしてくれなかったのだ。
「何を隠したのですか?」
「ん?……秘密」
これは流石に言えない。
修斗と充が悪戯の成功した高校生のように、向こう側でくすくす忍び笑いをしているのが見えた。
そろそろ大人、もしくは自分達の親の顔へと戻って欲しい。
「そろそろご飯にしましょうか」
「そうだな」
「もう私達が並べちゃったわよ?」
「料理上手ね、桜花」
確かに、着替えさせる方は疲れないので動けているのだろう。
佳奈に褒められ、桜花は照れたように微笑んだ。ぐはっ、と佳奈が吐血したように見えたがきっと気の所為だろう。
翔に続いて桜花が食卓に揃い、皆で手を合わせる。
「美味しい」
そう呟いたのはいの一番に食べた充だった。元々、桜花の料理は美味い。それを修斗達から聞いていたのか、一目散に食べ始めたのを見て、翔は箸が止まってしまった。
もう義理の親としても見れないような気がしてきた。あの最初に感じた厳かな雰囲気はどこか遠くに消えてしまっていて、むしろ、同級生なのではないか、と疑うほどであった。
「お味が合いませんでしたか……?」
「いや、そんなことは。今日も美味しいよ」
「ありがとうございます」
翔が箸を止めていたので心配したのか桜花がそんなことを訊ねてくる。翔はいつも通り感謝を伝えると、桜花はよかった、と安堵するように笑った。
「さて、今日はここで寝食を共にする訳だが、如何せんここにはこれ程の大人数が入ることを考えて設計されていない」
梓が酒を開けたので、成人の皆さんはアルコールの摂取も始めた。それがしばらくして酔いが周り始めた頃だろうか、唐突に修斗が声を上げた。
ここにいるのは全員で6人。修斗達はいつも寝ている寝室があるし、翔も桜花も自分の部屋があるのだが、客人としている充と佳奈には宛てがう部屋がない。
「私はリビングででも寝させてもらうよ」
「充さん……」
やっと親の顔になった充が一人称もしっかりと戻し格好をつけた。
しかし、ここは酔っているとはいえ、修斗も大人。客人にそこで寝させる訳にはいかない、と口を開いた。
「お二人が私達の使っている部屋を使うといい。苦労をかけるが、梓はソファで寝てくれ」
「一日ぐらいなら平気よ」
梓の返答に頷く修斗。
これで決まりかけた時に、隣に座っていた桜花が制止の声をかけた。
「梓さんは……私の部屋を使ってください」
「桜花ちゃんはどうするの?」
「……翔くんの部屋に行きます」
「……はい?」
衝撃的な言葉に思考回路がショートして、理解が追いつかない。
状況を整理すると、今のままでは部屋の数に比べて人数が多くて、布団が足りない。
そこで、男が意地を見せ、雑魚寝をする、と言った訳だが、男が意地を見せたということは妻もそれ相応の覚悟をしなければならない。
それに対して、桜花が翔の部屋に来ることで一つの部屋を提供し、全員が仲良く眠れるようにしようと提案したのだ。
「桜花……。大丈夫なのか?」
「何がですか?」
「自分の部屋に誰かが入ってくるんだぞ」
「……梓さんかお母さんのどちらかでお願いします」
訂正。男が意地を見せるのは確定事項らしい。
しかし、桜花の気持ちも充分に分かる。提供してくれただけでもありがたい。
だから、血涙を流さないでいただきたい。
翔は血涙を流しながらも意味ありげな視線を向けてくる男達に睨み返した。
「佳奈さんどうぞ」
「え、でも」
「それに……ね?」
「お言葉に甘えさせていただきます」
佳奈には何か隠しておきたい何かがあるらしい。梓との一瞬の会話しか捉えることの出来なかった翔はそこまでしか分からなかったが、サプライズ計画かもしれないので桜花がいるこの場で追求することは躊躇われた。
「寝る部屋は決まったな。……母さん達に頼みがある」
「翔が頼みなんて珍しいわね。何?」
「あの男達をどうにかしてください」
「あぁ、高校時代の悪い癖が出てしまったのね……」
「分かったわ」
翔はとてつもなく強い味方を得た!