第142話「やってみたかった」
「お義父さん!何故ですか」
「キミにお義父さんと呼ばれる筋合いはないよ」
思考が混乱してしまって、ついお義父さんと呼んでしまったが、そんなことを気にしている場合ではなかった。
翔は桜花と付き合い始めてから今まで、漠然としてではあるが、未来の設計図を頭の中で構築してきたのだ。
それがこのままでは全てひっくりかえってしまう。それ以前に桜花と一緒に過ごせなくなる。
そう思うと翔は目頭が熱くなってきたのを感じた。泣いてしまうのは恥だ、と言い聞かせて何とか止めたものの、翔の心は崩壊寸前だった。
「翔くん」
「……何?」
「泣いているのですか?」
「泣いてないよ。……まだ」
「これから泣くのですか」
よしよしと慰められる。
頭に伝わる心地よい感触に心が落ち着いていくのを感じながら、翔はどうして桜花が心を乱されていないのだろうか、と不思議に思った。
「桜花はいいのか……?」
「何がいいのですか?」
「それは……僕が……桜花の相手は釣り合わなくて、認められないこと……」
「誰がいつそのようなことを?」
「桜花のお父さんがさっき」
翔が今にも泣きそうな顔で桜花を見つめると、あぁ、と納得したように微笑んだ。
「あれは冗談ですよ」
「……えっ」
「私とお父さんの会話を思い出して下さい」
桜花に言われたように翔は充の言葉を思い出す。
そして、翔は桜花の言いたいことを理解した。そうだ。充は「桜花が決めたこと全てを応援する」と言っていた。
翔は今の状態をもう一度確認する。充から見れば桜花に抱きつかれているようにも見えなくもない。
もし、これが逆ならば翔が好意を寄せているだけで桜花はそれほどでもないのかもしれない、と受け取られる可能性もあるが、抱きつかれているのは翔なので、桜花からの好意として映るのだろう。
そうならば「桜花が決めた男」として認識されたという解釈で良いのだろうか。
その確かめも兼ねて、翔はもう一度、充に訊ねる。
「お義父さん」
しかし、今度はじとっとした恨みがましく。
すると、充は豪快に笑った。
「一度は言ってみたかったセリフだったんだ。許してくれ」
充は深く頭を下げた。
翔はほっと心の重荷が降りたのを感じた。
「じゃあ……!」
「私が言えたことではないが、桜花を頼む」
「……はいっ!勿論です」
「私からも。これからも支えてあげてください」
「いえ……。どちらかと言うと支えられているのは僕の方で……」
「いいじゃないか。どちらもが支え合って生活していく。いい相手を見つけたんだな」
充は感極まったようで、ぐっと目元を押している。
子供想いのいい人なのだろうな、というのは伝わってくるが、それにしては息子になるための試練が体罰レベルで厳しすぎる。
桜花が言ってくれなければ気付けなかっただろう。
思考が真っ白になり、普段なら気づけるはずのことも気づけなかったせいなのだろうか。
それとも、こうやって桜花が助けることを望んでいたのだろうか。
「そろそろ終わったか?」
「修斗か」
「とりあえずは終わったと思うよ」
「その顔は……。そうか、また一つ皮を脱いだようだな」
顔色を見られただけで成長したことを見抜かれ、照れたように視線を外す。
「あらあらまあまあ!」
「あっ……。これは違いますっ!」
「そんなに否定しなくてもいいのよ。私はちゃんと分かってるから」
「本当ですか……?」
桜花は純情だった。
梓は内心でうふふ、と悪魔にも似た笑みを浮かべると徐ろに桜花を撫でくりまわし始めた。
「佳奈ちゃん、アレ、しなくてもいいの?」
「梓さん……!すぐに準備します」
あれとは一体何なのだろう。
視線を梓に向けると、イラッとするほど完璧なウインクをされてしまったので、無反応で佳奈の方へと移した。
佳奈は何やらごそごそと紙袋を漁っていた。
「何が始まるんだ……?」
「翔ぅ。察しが悪いわよ。女が集まればすることは一つ」
「すること……!」
ごくりと生唾を飲み込む。
一瞬で消したが、一番初めに「殿方に対する愚痴」というものが出てきた翔は果たして女子力が高いのか、低いのか。
「可愛い子を着せ替え人形にするのよ!」
「たっくさん持ってきましたからね」
「沢山ですか……?」
「そんなに身構えなくてもいいわよ。直ぐに楽しくなるわ」
「翔くんを惚れさせるような服を見つけましょう?」
「頑張ります」
「桜花?!」
「1000着ぐらいあるけど」
「……」
桜花……お気の毒に。
翔が慈悲も込めた瞳で桜花を見ると、助けて欲しそうな顔でこちらを見ていたので解放されてから存分に甘やかすことにしよう。
「翔。男だけで出かけるぞ」
「どこ行くの?」
「行ってみてからのお楽しみだ」
「どちらの運転で行く?」
「私が運転しよう。一応息子が乗るからな」
「一応……とは?」
翔は翔で、修斗に呼ばれて出かけることになった。
こちらもまた皆目見当もつかないので、大人しく修斗に連れられるしか無かった。
透明人間になって残って桜花のファッションショーを眺めたい、と少しだけ思った。