第94話 学院二年目 ~高潔の騎士
この決闘、俺に勝ち目はない。
『高速移動』と『多重詠唱』を封印した状態では、ハルヴィスにも勝てなかった。
『剣閃』であるクラウスはそれ以上の実力者。将来のハルヴィスだ。
おまけに相手は魔道具で固めている。剣や盾、チェインメイルやちらりと見えるネックレスに至るまで、すべて上質な魔道具だ。
だが、それがこいつの足枷にもなる。
ひとまずは小娘に従い、楽しませてもらおう。
負けても這いつくばるだけだしな。
クラウスに指名され、それなりの騎士が適当に開始の号令をかけた。
締まりのない始まりに、クラウスが問いかけてくる。
「始めても良いのか?」
「良いんじゃないでしょうか」
「違う。その武器だ」
クラウスはシャムシールを指差していた。
本当に凄いな、『剣閃』。振ってもいないのに主武器じゃないと気付いたか。これでもランク1、素人ではないんだけどな。
「生憎と、他はナイフくらいしか持ち合わせていません」
応えを聞くなり、クラウスは腰の小剣を鞘ごと引き抜いて放ってきた。
受け止めた瞬間、全身に微細な悪寒が走る。
なん……だ、これ?
「将来を見据え曲剣を使っているようだが、本来は片手剣だろう。貸してやる」
クラウスの言葉はほとんど耳に入らなかった。
手の中にある重みを、ただ見下ろす。
こいつ……ぽんと渡すような剣じゃないぞ。
鞘を抜き、剣身に視線を落とす。
平凡な剣。それでも、異様な雰囲気が立ち上っていた。
どう見ても魔道具だが、脳内には何も伝わってこない。
所有者として認められなかったか。
俺は小剣に向け『鑑定』を発動する。
名称 :ノスヴァール
特徴 :強い意思を宿した魔剣。
使いこなすには優れた剣の腕が要求される。
特性 :不明。
『剣閃』も人が悪い。魔道具で俺の腕を量ったか。
最初に感じた悪寒は、ノスヴァールが主として相応しいか調べたんだな。
聖撃の斧やアルア・セーロで悪寒は感じなかったし、それだけこの魔剣が異常なのだろう。
「扱えるか」
「無理そうです。何も伝わってきません」
クラウスは頷きながらも、目の奥で俺を観察していた。
どれだけ高く見積もってたんだか。今は『片手剣7』、天才と言われたハルヴィスの6を越えている。ノスヴァールの判断基準が他のスキルだったとしても、同年代と比較したらどれも飛び抜けて高い。俺で無理なら、誰だって無理だ。
それはそれとして――乗るべきか?
少し考え、内心で首を振った。
ハルヴィスは俺が隠すのを覚悟のうえ、手の内を晒してきた。
クラウスも全力の戦いを望み、惜しげもなく力を披露するなら応えたいが、この場を支配しているのはウォルバー伯の娘だ。安易に実力は見せられない。
「では、お借りします」
ノスヴァールを構え、改めて向かい合った。
『剣閃』には悪いが、少し困ってもらおう。
俺が無造作に歩を進めると、クラウスは目を細めた。
そして互いの剣が届く距離まで接近する。
しかし、どちらも動かない。
模擬戦ならまだしも、俺たちの武器は殺しの道具、それも殺傷能力の高い魔道具である。ましてや『剣閃』相手に不用意に踏み込むのは自殺行為以外、何ものでもない。
早速、困ってるな。
じゃ、もっと困ってもらいますか。
ほくそ笑みながらノスヴァールを振りかぶった。
これ見よがしに上段から『強撃』を放つ。
困惑しながらもクラウスは盾で受け流す。
続いて『二連撃』。それも防がれると『強撃』、またもや『二連撃』。
連携なしに、ひたすら戦闘系スキルを放っていく。
雑な攻撃とはいえ、よく防ぐな。
まったくもって、ありがたい。この辺りの魔物では、注意しないと大抵が即死か致命傷だ。本気でやっても死なないサンドバッグ――もとい、鍛錬相手はなかなかお目にかかれない。
この調子で目一杯、やらせてもらうぞ。
俺は『強撃』と『二連撃』を使いまくり、クラウスは防御し続ける。
さすがにこれだけ極端だと気付く。
俺の『二連撃』を受け流し、クラウスは反撃に転じた。
激しい金属音が森に響き渡る。
「良い動きだが――あまり大人を揶揄うな」
盾を構えながら、クラウスは苦笑を浮かべる。
反撃に転じた瞬間、俺は強引に身体を捻り、相打ち覚悟で『強撃』を放った。
さっきのオーク戦で試した動き、関節の負担を犠牲にした攻撃だったが、クラウスは瞬時に攻守を切り替え、盾で軽々と受け止めた。
つくづく大した男である。ハルヴィスの『流円剣舞』でも、真っ向からすべて受けきりそうだ。速度頼りの俺とは違う。本物の実力者。
構え直し、俺も笑いかける。
「滅多にない機会なんで」
「光栄だが、鍛錬に付き合ってやれるほど暇ではない。本気を引きずり出してやろう」
ついと、クラウスが長剣を引いた。
その直後、巨大な炎を纏った横薙ぎが放たれる。
咄嗟に身を伏せ、躱す。
髪の毛が数本、焼き切れて炎に飲み込まれていく。
クラウスが最初に使ったスキルは、『豪炎斬』だった。
マーカントの『豪風斬』と同系統だが、視覚化されるとその効果範囲に驚いてしまう。《火炎球》とまではいかなくとも、短矢系や槌撃系をはるかに凌駕した。
だが、これでは駄目だ。
瞬間的な発火でも、引火する。
俺は再び斬り込んで『強撃』を放つ。
さらに『二連撃』と、雑な攻撃を繰り返した。
発言を無視した俺の行動に、クラウスの苦笑が消えていく。
「まだ遊ぶか」
振り回した『強撃』をクラウスの盾が受け止めた。
その瞬間、空を切るように剣先が抜ける。
なんだ――この感触。
完全に体勢を崩す俺の眼前で、またクラウスが剣を引いた。
見覚えのある予備動作。
全身の力を連動させ、戦車のごとき突進を封殺する上位スキル。
だが、俺は踏み込む。
ノスヴァールを下げ、無防備の特攻。
相打ち狙いですらない。
クラウスの表情が驚愕に歪んだ。
『廻旋衝』が右脇腹から左胸へ振り抜かれ、血飛沫がそれを追う。
痛みを感じる暇もなく、俺は崩れ落ちた。
驚くほど静かだった。
剣戟は止み、誰も声を上げない。
クラウスは驚愕の表情のまま、血塗れの俺を覗き込む。
「何を考えてる。死ぬ気か?」
「まさか……僕の負けです」
口の端を吊り上げる俺を、クラウスは化け物を見るような目で見下ろしていた。
この男は分かっていない。自分のことなのに。
もしクラウスが『廻旋衝』を引かなければ、俺は本当に死んでいただろう。
だが、それはない。
名称 :天儀の法剣
特徴 :ラタル輝鉱で作られた守護と断罪を司る法剣。
高潔な騎士でなければ使いこなすことはできない。
特性 :不明。
これがクラウスの剣。
天儀の法剣に認められているということは、高潔な騎士である証明だった。
そして高潔な騎士なら、こんな戦いで俺が死ぬのを良しとしない。看過できない。
横取りがあったにしても、その後のルシェナの行動は限度を越えていた。
無関係の俺に対する一方的な魔法攻撃、勝てる見込みのない決闘。さらに言えば、雌のオークを楽にしてやった『万年満作』に感謝すらしていたかもしれない。
「兄貴が……!?」
ようやく我に返ったようで、ゼレットとバルデンから驚愕と激しい怒気が立ち上った。
首を捻り、目で押さえつける。
馬鹿をやって混ぜっ返すなよ? 良い感じに負けたんだから。
それでもゼレットたちは収まらなかったが、俺が生きていたのとイスミラに「決闘の邪魔をするな」と注意され、どうにか堪える。
勝利したクラウスの方は、まだ困惑から覚めていなかった。
そこへ、ルシェナの声が響く。
「何をしているの」
「は……?」
呆けた口調でクラウスが問い直す。
「生きてるわ。さっさと片付けなさい。次は残りよ。獲物を奪った女は、特別にわたくしが的にしてあげます」
「お、お待ちを! すでに勝負は決しております!」
反論するクラウスに、ルシェナは無機質な目を向けた。
なんでも良いから早く決めてほしい。死にそうなほど痛いんで。
あ、寒くなってきた。本気で死にそう。ちょっとだけポーションかけとこ。
血塗れになりながらこっそりポーションをかける間も、主従は無言で睨み合っていた。
業を煮やしたのか、ルシェナが短杖を振り下ろす。
クラウスの顔に命中したが、微動だにしない。
「命に背くの?」
「ルシェナ様をお守りするのが私の使命。冒険者ギルドと敵対すれば、それに反します」
「そう」
短杖がまた振り下ろされるも、クラウスは動かない。
硬い音が何度も鳴り、気付けば荒い息だけとなった。
「……興が冷めたわ」
ルシェナは短杖を投げ捨て、踵を返した。
護衛たちはクラウスに嘲りや怒りの視線を向け、主を追っていく。
やっと終わったか。魔物と殺し合ってる方が、ずっと楽だな。
一人残されたクラウスは、俺の隣に片膝をつき《創傷治癒》を発動させた。
瞬く間に細かい傷が癒え、『廻旋衝』で受けた傷も完全に血が止まる。
おお、これが回復魔法《創傷治癒》か。
効果は――良質のヒーリングポーションくらいだな。
シスラス草やサラス蝶の尾状突起は不要で、魔力さえあればいくらでも発動できる。便利過ぎだろ、回復魔法。
「助かりました」
俺は上半身を起こし、ノスヴァールを差し出した。
「構わん。では、失礼する」
「お待ちください、一つお尋ねしたいことが。どちらの神を信仰なさってますか?」
俺の問いにしばし呆然としていたが、不意にクラウスは吹き出す。
「最後まで妙な少年だ。私はラクトス神を信仰している。生まれたときからな」
「ありがとうございます。命があったこと、ラクトス神にも感謝を」
クラウスは頷くと、ルシェナの後を追っていった。
残念、太陽神か。もう祈ったよ。
小娘一行の気配が消えたのを確認し、俺は起き上がった。
土を払い落としながら革鎧を調べてみると、すっぱりと切り裂かれていた。
青藍のマントは大事な品なので脱いでおいたが、革鎧はそうもいかない。それに布鎧だけなら、この程度の怪我では済まなかっただろう。
さすが『剣閃』と上位の魔道具だ。
天儀の法剣の素材であるラタル輝鉱は、オリハルコン鉱に匹敵する魔法金属として知られている。含有率次第では、最上位扱いでもおかしくない。
森に目を向け、『剣閃』を思い返す。
スキルを具現化したような男だった。
あれほどの人物が、なんでルシェナみたいのに仕えてるんだろうか。
父親がよほどの人格者――とは思えんな。娘や供回りがあれだし。
「兄貴ぃぃぃぃッ!!」
不意の絶叫と迫り来る気配。
俺は即座に『高速移動』を発動し、飛びかかる二人を回避した。
「な、兄貴が消えた!?」
「消えてたまるか。怪我人に無理をさせるんじゃない」
背後に立つ俺に、イスミラとコーパスも驚いていた。
本当に無理をさせるなよ。
今は皮一枚で塞がっている状態だ。血は止まっていても簡単に開いてしまう。
「驚いた。まだそんなに動けるの?」
「まあな」
感心するイスミラ。
その隣で、コーパスは驚きつつも首を捻る。
「でも、さっきは見失うほど速くなかったような……」
「当然だ。信用できない奴らに手の内を晒すか」
「本気なら『剣閃』にも?」
「どうだろうな。逃げるのは余裕だが、勝つとなると――どうした、イスミラ」
イスミラは意味有り気な笑いを浮かべていた。
なぜに笑う。
「それって……俺たちは信用してると?」
疑問に答えてくれたのはゼレットだった。
そうなるのか。まあ、間違ってないが。
「今更だろ。ゴブリンの時に見てるし――」
「兄貴ぃぃぃぃぃぃぃッ!!」
「だから、やめんか!」
「な、兄貴が消えた!?」
涙と鼻水を撒き散らしながら突進する二人を、『高速移動』でまた回避した。
本当、止めてほしい。あ――傷が開いた。
ヒーリングポーションを取り出し、傷口に掛けていく。
増血付随を用意しておいて良かったな。出血が酷すぎる。
俺が治療している間、コーパスがゼレットとバルデンを抑えてくれた。
じたばたする二人を横目に治療を済ませ、イスミラが差し出す青藍のマントとバックパックを受け取る。
「そういや、どっちを知ってたんだ?」
「騎士の方よ。クラウス・シュメルは有名だから」
「自ずと女の正体も判明するか」
イスミラは無言で頷いた。
さぞかし驚いただろうな。森の中であんな連中に遭遇したら。
マントを身につけ、バックパックも背負う。
さて、騒ぎは収まったが、まだやることが残ってるな。
「お前らに話がある」
声を掛けた途端、二人はコーパスを払いのけ、俺の前にすっ飛んできた。
そう、本来ならコーパスを排除するなんて容易い。
俺が治療中だったから我慢した。それだけだ。
人は些細な物事なら、考えずに経験則で動く。こいつらはその範囲が広すぎた。
揉めた原因は、こちらにもある。
「なぜ、こんな事態になった?」
「それは私が――」
「口を出すな、イスミラ」
イスミラは押し黙り、俯く。
その姿と俺の冷淡な視線に、ゼレットとバルデンは戸惑っていた。
どう言えば良いか。こいつらに理解してもらうのは難題だ。
まずは……率直に伝えてみよう。
「仲間を守ろうとする姿勢と、行動に移す決断力は尊敬に値する。それにお前たちの主張も正しい。冒険者同士の決まりは、揉め事を避けるためだからな。だが、時に通用しない相手もいる。今日、出会ったのがそれだ。あれは冒険者の決まりどころか、法さえ捻じ曲げる。自分の判断と欲がすべて。そんな奴らに何を訴えても、ただの騒音だ」
イスミラを守るため、冒険者のルールを盾に言い争ったのは明白だった。
ルシェナにはどんな謝罪も無駄だろうが、それは重要ではない。
おそらくはこれまでも――そうか。
「セレンを拠点にすると提案したのは、イスミラか?」
ため息をつき、イスミラは肯定した。
やはり、初めてじゃなかったんだな。
過去に貴族か大商人、どこかの権力者と揉めたことがある。だからセレンに拠点を移したんだ。ここの支配者である評議員は全員が平民であり、ヤルズ・アラスターやリスリアに至っては強いだけの魔法使いだった。『万年満作』には理想の環境である。
二人に視線を戻し、俺は続ける。
「お前たちの生き方は長所だ。それは誇っても良い。ただ、通用しない相手を判断する能力を身につけろ。それができなければ、いずれ仲間もろとも殺されてしまう。お前たちの嗅覚で嗅ぎ分けるんだ。さっきの小娘と同じ臭いや気配を感じたら、イスミラかコーパスにすべて委ねろ。お前たちが動くのは、どうしようもないとき。許可が出たら思いっきり暴れてやれ」
熱意が通じたのか、ゼレットとバルデンは力強く頷いた。
「任せておけ、兄貴! 許可で暴れるんだな!?」
「俺も分かった! 暴れるまで我慢だろ!?」
うん、おかしいね。合ってるんだけど、おかしい。
俺の不安を見透かすように、イスミラが口を開く。
「大丈夫でしょ」
「いや、暴れるってとこだけ強調してるけど? 最後、余計だった?」
「許可に我慢もあるじゃない。この二人からそんな言葉を聞くなんて、悔しいけど感激したわ」
「本当に苦労してるな、お前……」
俺が同情していると、イスミラはおもむろに姿勢を正し、頭を下げてきた。
「今日は本当にありがとう」
「あれは天災と同じ部類だ。助け合わないとな」
「貴族も色々ね。あんなのもいれば、あなたみたいのもいる」
そう言ってイスミラは笑みをこぼす。
ふと、リードヴァルトの町を闊歩する『万年満作』を幻視した。
いつか起こりうる未来だろうか。
うちならセレン以上に向いてるかもしれない。二年後には俺もいる。
ともかく、今はセレンに帰るとしよう。




