第93話 学院二年目 ~受難
オークからは討伐証明の他、魔石が一つ見つかった。
またねぐらで金貨と銀貨が数枚、小さな赤い宝石を埋め込んだネックレスも見つかる。この世界には魔石があるため、宝石の価値はやや低い。それでもそれなりの品なので、金貨にはなりそうだ。素材としても悪くない。
人間の遺体があれば埋葬しようと思ったが、周囲に人骨らしいのは見つからなかった。
その代わり、別のものを発見する。
「同じに見えるが――」
俺は屈み込み、土に刻まれた複数の足跡を観察した。
倒したオークは若く、形状が似ている個体もいた。
だから雌と勘違いしたと思っていたが、もしかすると別働隊が狩りに出ているのかもしれない。
しばらく眺めるも、断言できなかった。
俺の『追跡』はランク4。斥候としては充分でも、オゼやピドシオスには劣っている。
彼らなら判別できただろうか。
別れ際にオゼから言われた言葉を思い出し、脳内で謝罪する。
今はやることが多すぎる。
ともかく、疑いがあるなら調べなければならない。
俺は両手持ちのメイスを背負い、再び森を歩き出した。
そして新たな足跡を追跡してからほどなく、疑念は確信となった。
雌らしき個体を含む複数の足跡を発見、折れた草や枝の様子からも、それほど時間が経過していなかった。念のため戻った痕跡を探したが、周囲には見つからなかった。
やはり別働隊がいるようだ。
通常、狩りは雄の役割であり、オークの雌や子供は集落にいかないと滅多に遭遇しない。
こいつらはまだ定住していないので、雌も駆り出されたのだろう。
足跡は不規則に進んでいたが、獲物でも見つけたのか東に急旋回していた。
さらに追跡していくと、『気配察知』が複数の気配を捉える。
数は十以上。
だが、オークじゃない。
それどころか、この分かりやすい気配は――。
嫌な予感がする。いろんな意味で。
帰りたい衝動に駆られながらも、俺は歩を進めた。
そして予感は的中、俺は頭を抱えてしまう。
森のど真ん中で対峙していたのは、『万年満作』と見慣れない集団だった。
どういう状況だよ、これ……。
集団の先頭は三名の騎士。他にも従騎士や武装した従者が数名、なぜかメイドまでいる。
こいつらの護衛対象は――偉そうな態度の小娘か。
あ、頭痛がしてきた。
帰りたい、帰ってもいい?
そんな願いも空しく、騎士の一人が俺に気付いた。
言葉みじかに警告を発し、全員の視線が俺に集中する。
「兄貴!」
ゼレットとバルデンは喜ぶが、いつもの調子で飛びかかってこなかった。
騎士たちと向かい合ったままである。
そして彼らの背後にはコーパスとイスミラ。
一見すると戦闘の布陣だが、明らかにイスミラの様子がおかしい。
どこか思い詰めた表情だ。
「何者だ?」
「Dランク冒険者、テンコと申します」
中年騎士の誰何に応えつつ、すばやく視線を動かす。
雌のオークが地面の上で息絶えているのが見えた。
全身切り傷だらけで、動きを阻害するよう的確に傷つけられていたが、打撲や致命傷になりそうな傷は見当たらない。
俺が追ってきた別働隊なのは間違いない。
だが、他のオークはどこにいった?
ここにいないということは――別のところで死んでいる?
そこまで考えたとき、朧気ながら全体像が浮かび上がった。
俺は敵意はないと集団に示しながら、イスミラに近付く。
「何があった?」
「咄嗟だったの。いきなりオークが飛び出してきたから……」
消え入りそうな声で、イスミラは応える。
厄介なことに予想どおりだった。
やはり……横取りか。
どこかでオークの別働隊と騎士たちが戦闘になった。
そして騎士たちにより別働隊は壊滅、雌は半死半生にさせられた。
目的は不明だ。珍しいから長く生かしただけかもしれない。上流階級の考えることなんざ、俺には分からん。
ともかく雌は逃亡したか、わざと逃がされた。
しかし、その先にいたのが『万年満作』。
雌に致命傷がないのは――イスミラの《魔力の短矢》だな。
集団は森を見渡し、俺が一人なのか確認した。
おかげで場の流れは止まっているが、ゼレットとバルデンは明確な敵意を向けたままだ。
模擬戦とは異なる、殺し合いの敵意。
これはまずい。
直後ならフォローしようもあるが、完全に拗れてる。
冒険者の決め事では、獲物を逃せば権利を失う。雌のオークはかなりの傷を負っているので交渉の余地はあるが、今はそれ以前の問題だ。
騎士が相手では決め事が通用しない。
だとしても妙だ。
自分が原因を作ったにしても、イスミラならうまく立ち回り、こうなる前に対処したはずだ。
それとなく視線を動かし、そっと集団を『鑑定』する。
もし『精神耐性5』でなければ、驚愕が顔に出ていただろう。
こいつら、よりにもよってとんでもないのと……。
名前 :クラウス・シュメル
種族 :人間
レベル :38
体力 :204/204
魔力 :187/187
筋力 :16
知力 :13
器用 :15
耐久 :17
敏捷 :14(加速:16 反応:19)
魅力 :15
【スキル】
剣閃(片手剣10、両手剣8)
強撃、斬岩、二連撃、剛連撃、豪炎斬、聖撃、聖裁施断、廻旋衝、
穿孔、倒旋薙、盾強打、柔羽の守り、壊崩烈盾、投擲:短剣
加速強化2、反応強化4、斬撃耐性3、打撃耐性4、苦痛耐性4、
精神耐性6、気配察知2、危機察知5
短剣2、槍4、盾8、体術3、馬術5、投擲3
神聖魔法3
【魔法】
●初級
軽傷治癒、弱毒浄化
●中級
創傷治癒、聖譚の二重外套
【称号】
なし
こんなところで『剣閃』とご対面か。
おまけに神聖魔法まで扱うとはな。まるで聖騎士様だ。よく知らんけど。
他の騎士や従者はそれほどでもなく、メイドに至っては非戦闘員だった。
それよりも、『剣閃』以上に厄介なのは小娘である。
ルシェナ・イニーネ・ウォルバー。
小娘の正体は、セレンの北東部にある伯爵家の娘だった。
たったそれだけ――伯爵家の娘というだけで、こちらの有利は消滅した。
俺と同じ貴族でも伯爵以上は別物、真の貴族であり影響力は絶大である。
イスミラは小娘の正体に気付いたんだな。
そして、交渉できる相手じゃないと悟った。
ゼレットたちは相変わらず敵意を向けていた。
いつもの勢いで斬りかからないのは、『剣閃』がただ者ではないと感じ取っているのだろう。その証拠に、二人は『剣閃』しか見ていない。
本当にやばいのは小娘なんだけどな。こいつらの嗅覚でも、そこまでは分からんか。
どうあれ、戦闘が始まれば『万年満作』は一方的に殺される。
たとえ奇跡的に勝てたとしても、結局は負けだ。
伯爵の娘を傷つければ、生涯に渡って追われ続ける。ギルドも守り切れないから、国を捨てるしかない。
こいつらに借りはないんだが――。
「下がってろ」
俺は二人の前に立ち、短く言い捨てた。
しかしゼレットは反駁する。
「でも兄貴! こいつらは獲物を逃がし――」
「下がれと言ったんだ。これ以上、拗らせるな。お前たちの出る幕じゃない」
俺は強い口調でゼレットを黙らせた。
そして向き直り、集団に片膝をつく。
「この者たちが獲物を横取りしたとお見受けいたします。いかなる理由があろうと許されることではございません。また我らは粗野な冒険者ゆえ、不愉快な物言いや態度があったかと思われます。重ねて、お詫び申し上げます」
深く頭を垂れると、騎士たちの殺気が和らぐのを感じた。
対照的に不服の感情が背後に渦巻く。
そのままの姿勢で強い視線を背後へ送って牽制すると同時、跪くよう目で促す。
ゼレットとバルデンは反射的に何か言いかけたが、イスミラ、そしてコーパスに促され、どうにか膝をつく。
まったく、謝罪するだけでも一苦労だ。
こいつらの判断は間違ってないんだけどな。身分の無い世界なら。
「我ら冒険者は戦うことしか能のない者たち。このような失態をしでかしてしまい、どう謝罪すれば良いものか。せめてもの償いとして、今より我ら全員で新たな獲物を探し出してまいります。必ずや、オークを越える獲物を――」
言いながら、難しいと思っていた。
この辺りでオーク以上は、かなりの難題である。ドーコルは珍しいが、オーク以上とは言えない。無理矢理でも探し出すつもりだが、もし駄目なら大量の魔物と魔石を並べ立てるしかあるまい。魔石なら宝石以上の価値、多少でも溜飲は下がるはずだ。
「顔を上げなさい」
幼い少女の声に、俺は顔を上げた。
同時、目を見張る。
こいつ、何を――!?
咄嗟に顔を背けるも、肩口に《雷衝の短矢》が命中、激痛と痙攣が全身に広がる。
いきなりか……攻撃魔法なんて初めて喰らったぞ。
続けざま、ルシェナから《雷衝の短矢》が放たれ、腹部や右胸に直撃する。
「意外に丈夫ね」
片手片膝をつく俺を、小娘は興味深そうに見下ろしてきた。
「兄貴ッ!!」
手の平を向け、ゼレットとバルデンを抑える。
急所さえ外せば、この程度の魔法でやられるような鍛え方はしていない。
それでも、駆け出しや一般人なら間違いなく死んでいた。
こいつは人を人として見ていない。
貴族以外は虫けら、いや、それ以下だと本気で思っている。
選民意識に凝り固まった貴族か。
いつか遭遇すると思っていたが、面倒な状況で出会ったものだ。
とっくに消えた痛みを堪える体で、もう片方の膝もつく。
ちらりと窺えば、ルシェナは平然と見下ろし、護衛の者たちは嫌な笑みを浮かべていた。
主従揃ってクズばかりのようで。
違うのは『剣閃』だけ――と言いたいが、こいつは探るような目を向けていた。
なんとなく分かるんだろうな。初級魔法、数発で死ぬような奴じゃないと。
しかし、どうしたものかね。
かなりどうしようもない連中だ。
今更だが、俺の身分を明かすか?
最下級の男爵家であっても、理由もなく貴族の息子を殺しかければ大事になる。それにウォルバー伯は皇帝派、派閥が違うから力尽くで黙らせることもできない。
そして子の家族が殺されかければ、寄親であるブラスラッド侯が動く。抗議文程度でも、相手は帝国を代表する大貴族、陛下は揉めるのを避けるだろう。ウォルバー伯爵家が揺らぐ事態に発展しかねない。
そう、こいつは考える。
だから俺たちを殺す。絶対。
この場は穏便に、とか言っても信じるわけがない。
駄目だな。ルシェナが手を出した瞬間、手遅れだ。
ことごとく後手に回ってしまった。
俺一人なら『剣閃』相手でも逃げ切れるが、『万年満作』は殺されてしまう。
この状況のまま、どうにかやり過ごすしかない。
いっそ……先にやるか?
血生臭い思考に振れた瞬間、『剣閃』の手が柄に動く。
殺気まで感じ取るのかよ。怖いぞ、『剣閃』。
ま、やらないけどね。伯爵の小娘ご一行の皆殺しなんて、後始末が面倒過ぎる。
それに娘が行方不明ともなれば総力を挙げて捜索するだろうし、西の森にいた人間、特にギルドのような組織に属している者はすぐに判明する。
そうなれば、こちらはただの悪人。どんな言い訳も聞き入れてもらえなくなる。
手詰まりか。
残る手段は俺がこいつら全員を引きつけ、その間に『万年満作』を逃がす。
その後で冒険者ギルドやブラスラッド侯に訴えるしかない。
ただ――全力でも『剣閃』を抑えられるかどうか。
そんな思考を読んだわけではないだろう。
ルシェナが不意に微笑む。
「クラウス、それと勝負なさい」
「勝負――にございますか」
「戦うしか能がないのなら、それで楽しませてもらいましょう」
『剣閃』は困惑した様子で俺を見下ろす。
模擬戦なんて可愛らしい提案ではなく、殺し合いをしろってことらしい。
無茶苦茶だが……なるほど、その手もあったか。
「承知いたしました。お前も良いな?」
「非はこちらにございます。異存はありません。ただ、勝負とは何を賭けるのでしょうか」
俺の問いかけにルシェナは呆けた後、高笑いした。
よほど壺だったようで、なかなか治まらない。
しばらくしてメイドから無駄に高そうなハンカチを受け取り、涙を拭う。
「クラウスは『剣閃』、冒険者風情が束になっても敵う相手ではないわ」
うん、知ってる。
とりあえずゼレットたちと一緒に驚愕の表情を作っておいた。
そんな冒険者風情でも、Bランク以上なら中級に到達している者はそれなりにいる。
ま、確かにクラウスはその中でも別格だと思う。
スキルの多様性や装備を考えると、Aランクと肩を並べてもおかしくない。
俺たちの驚愕に満足したのか、不意にルシェナは真顔に戻る。
「黙って地べたに這いつくばりなさい。お前たちにはそれがお似合いよ」
発言に酔ってすらいなかった。さも当然の態度。
セレンに来てこれなら、自領でもさぞかし――待てよ。
妙に聞き覚えがあると思ったら、テッドとリリーの出身地じゃないか。
あいつらが貴族嫌いになるわけだ。
俺が一人納得していると、話は終わったとばかりにルシェナは口を閉ざす。
まるで質問に答えてないな。それは困る。
「では、僕が勝ったら横取りを水に流す。負けたら這いつくばって謝罪とする。それでよろしいでしょうか」
俺の物言いに、護衛から不穏な気配が沸き上がった。
突き刺さる憤怒を流し、能面のようなルシェナと向かい合う。
「あなた――よほどの馬鹿ね。クラウスに勝てると思ってるの? 好きになさい」
「ありがとうございます。では、証人は彼らでよろしいでしょうか」
ルシェナは面倒そうに手を振り、話を打ち切った。
どっちが馬鹿なんだか。
俺は神妙な顔で頷き、背後の『万年満作』を振り返る。
「聞いたな? お前たちが証人だ。冒険者ギルドの名誉に賭け、今の言葉を忘れるな」
「分かったわ。名誉に賭けて」
即座にイスミラが応えた。
ゼレットたちは分かっていないようで、呆けたまま縦に首を振っている。
何のことはない。双方が条件に合意し、証人が立った。
この瞬間、勝負は決闘となった。
証人は冒険者ギルド所属の冒険者たち。当事者だろうと関係ない。それを含めての合意だ。
そして勝敗がどうなろうと、決着が付けば皇帝陛下でも覆せない。
結果に小娘が駄々をこねるようなら、名乗り出たうえで「帝都や冒険者ギルドに報告する」と告げる。『万年満作』に手を出せば、最終案、全力で足止めして仲良く離脱だ。
利はこちらにあり、ルシェナ側は人数の多さが仇になる。
少なくとも、必ず一人は転ぶ。決闘だったと証言する。
護衛の中にも、俺の言動に不審な顔を浮かべる者はいた。
だが、いきなり現れた冒険者の小僧が貴族の息子とは考えないし、Dランクが『剣閃』に勝てるとも思わない。
俺はバックパックと青藍のマント、両手持ちのメイスを『万年満作』に託すと、鞘を弾いてシャムシールを抜き払った。
残るはこいつだな。
俺は涼やかに佇む『剣閃』と対峙した。




