第8話 八歳児の日々
早朝の兵舎。
一息入れる俺の前で激しく斬り合っているのは、兄のラキウスと従騎士のランズだ。
三年の月日が流れ、俺は八歳となった。
数ヶ月前、兄のラキウスはこの世界における成人、十五歳となり、父に連れられて寄親のブラスラッド侯爵へ挨拶に行った。ブラスラッド侯爵はアルシス帝国北東部の雄で、皇帝でも無碍にできない勢力を誇っていた。いわゆるブラスラッド侯爵派の長である。
帰宅した父は、正式に兄を後継者と宣言する。
異論があるはずもない。俺を始め、多くの者が心からの祝福を送った。リードヴァルト家に幸運があるとすれば、奸臣が皆無なところだろうか。俺自身がどう思おうと人が集まれば派閥ができる。丁度、アルシス帝国の現状と同じだ。しかし我が家には引っかき回そうとする者も、俺に擦り寄る者もいなかった。良くも悪くも武人だらけの領地なのだ。家令のグレアムは優秀な文官でもあるが、先代から仕える忠臣で全体を取り仕切る立場だ。混乱を招くような真似はしない。それに優秀な男なので、兄も手放さないだろう。高齢だが三代に渡って頑張ってもらいたい。
また水面下らしいが、北西のレウィンフォート伯爵家から嫁をもらう話が進んでいるという。名はリーリヤといい、俺よりも年下の七歳だ。ロリコンめ。
さすがに七歳の少女を嫁にするわけにもいかないので、成人まで待つらしい。それよりも皆が驚いていたのは、嫁が決まったことや年齢ではなく、伯爵の娘という一点だった。男爵とは家格の差がありすぎるのだ。
そんな臣籍降嫁並みの事態となったのは、ブラスラッド侯爵の一声だったらしい。
元からブラスラッド侯爵が兄の結婚相手を手配する話はあったそうだが、要所でありながら男爵家。濁さず言い換えれば、要所なのに最下級の男爵家、だった。手頃な娘が見つからず、やや放置気味だったところに成人の挨拶で対面、ブラスラッド侯爵は兄をいたく気に入ってしまう。そして急遽、レウィンフォート伯爵家の四女に白羽の矢が立った。ちなみにこのレウィンフォート伯爵の母はブラスラッド侯爵の姉にあたる人物で、兄とブラスラッド侯爵の関係はなんと呼ぶのか分からないほど複雑な続柄となる。俺と侯爵の続柄は――考えたくもない。
いずれにせよ、リーリヤが年下の姉になるのはだいぶ先だが、めでたいことに変わりはない。
それと、武闘派として名高いブラスラッド侯爵があの兄を気に入った理由は、ここ数年の変化によるものと思われる。俺が鍛錬や座学に加わってからというものの、兄はそれまで以上に己を鍛え、勉学に励んでいた。特に鍛錬ではロランやランズら従騎士を相手に実戦形式の模擬戦を繰り返し、『片手剣2』、『槍術1』、『盾2』、『馬術1』、『風魔法2』、『土魔法1』を習得するに至った。かなり多才だと思う。ランクは上げるのも大変だが、習得すること自体、困難を極める。武芸の才能が乏しければ尚のことだ。それでも本人は器用貧乏と考えているようで、鍛錬を一点に集中すべきかロランとよく議論していた。
こうした兄の努力の結果は、模擬戦にも現れている。
目の前で、ランズが兄に押されていた。手抜きでなく、本気で戦っているのにだ。純粋な戦闘力ならランズの方が上、レベルも10で兄の8より高い。それでも防戦一方だった。
確かにランズの技術は優れている。剣筋は流麗だし、受け流しも見事だ。しかし、どこか型に嵌まっている印象を受けた。対して兄の技術はつたないが、予測しづらい動きをすることがあった。受け流すと見せかけて強引に剣を弾き飛ばしたり、わざと空振りしてからの体当たりや、それを囮に柄による突撃を仕掛けてくる。どれも兄自身がロランにやられた技だ。
また、風と土の攻撃魔法を得たのも大きい。魔法は威力を抑えるのが難しいので今は封印しているようだが、時折それをほのめかすような動作を織り交ぜている。なまじ使えるのを知っているため、ランズは反応してしまうのだ。
模擬戦はランズが剣を取り落とし、終了となった。
荒い呼吸を整えながら、兄はランズを見下ろす。
「騎士であることに誇りを持つのは立派だ。なれど戦場に綺麗事は不要。ともに死線をくぐり抜けたではないか」
「……参りました」
悔しそうに俯くランズ。
なぜ格下の相手に手も足も出なくなったのか。ランズはそれが分からず、混乱しているようだ。
兄や従騎士たちは幾度も討伐隊に参加し、実戦経験を積んでいる。その頃から、兄の実力は従騎士たちを追い抜き始めた。それは能力やスキルが向上したわけではない。三年前も今も、変わらずランズの方が上だからだ。
二人は、ステータスの在り方を如実に示している。
スキルを漢検のような資格と考えてみよう。二人がそれぞれ適当な級を保有していたとして、無資格の者に必ず漢字勝負で勝てるか? 否である。言語学者かも知れないし、無資格者にも無類の漢字好きは存在する。これらをステータスに置き換えた場合、スキルを獲得する条件は満たさないが、条件以外の技術を保有している、と言えるだろう。戦闘であれば、巧者の戦いができる者たちである。ランズのスキルや能力は兄よりも上。しかしステータスに表示されない部分で、兄の方が格段に上なのだ。
俺は二人から視線を逸らした。
名前 :アルター・レス・リードヴァルト
種族 :人間
レベル :3(1up)
体力 :29/29(3up)
魔力 :38/38(14up)
筋力 :6(3up)
知力 :14
器用 :7(3up)
耐久 :4+2(1up)
敏捷 :10+2(24:倍加)(3up)
魅力 :14(1up)
【スキル】
成長力増強、成長値強化、ステータス偽装、言語習熟、高速移動(new)
精神耐性3、鑑定2(1up)
片手剣3(2up)、体術4(3up)、短剣4(new)
火魔法1、水魔法3、風魔法3、土魔法2、無属性魔法2、氷結魔法1、雷撃魔法1、
変性魔法1
【魔法】
●初級
火炎の短矢、鋭水の短矢、疾風の短矢、土塊の短矢、魔力の短矢、氷柱の短矢、
雷衝の短矢
水流の盾、旋風の盾、礫土の盾、魔力の盾
筋力上昇、脚力上昇
【称号】
転生者、帰宅部のエース(耐久+2、敏捷+2)、リードヴァルト男爵家の次男
やはり鍛錬だけでは、ほとんどレベルは上がらない。三年間で上昇したのは、たったの1だ。対して、スキルはずいぶん増えている。戦闘系ではスティレットによる『短剣』、回避技術を磨いたことで『体術』が大きく伸びた。
魔法スキルは自主訓練により、満遍なく成長している。ばらつきがあるのは夜間に練習できる場所が自室に限られるためだ。室内を汚すとメレディから小言を言われるので土は不可、火も火災の恐れがあるのであまり練習できなかった。
レベルが上がったことで魔力に余裕も生まれたが、継続して生活魔法重視の鍛錬を行っている。いかなることでも基礎は重要だ。風の《軽風》、水の《清水》を中心に鍛えつつ、雨や風の強い日はどの部屋も窓を閉め切っているので、ここぞとばかりに窓から土の《一握の土》をダラダラと垂れ流したり、鬼火よろしく火の《火口》を外に向かって放ったりもした。両手で《軽風》を発動し、どっちの風が強いか勝負させ、ふと空しくなったりもしている。
それ以外の魔法はバージルの教えを土台に模索、盾系統の魔法や変性魔法も習得できた。盾系統の魔法は魔法ランクが高い順に習得していったので、系統ごとの熟練度のようなものが関係しているかもしれない。
低ランクの魔法使い以上の成長を遂げたわけだが、最大の収穫は魔法ではなかった。
【高速移動】
身体能力強化系の中位スキル。
敏捷が倍加され、各能力が平均化される。
これが『鑑定』結果である。
ベタな名前のくせにチートスキルだった。人間の能力は20が限界と言われている。俺は八歳にしてそれを越えてしまったのだ。さらに変性魔法の脚力上昇は重複するため、敏捷の最大は25となる。並みの相手なら俺を捕捉することすらできないだろう。
そんな『高速移動』だが、悩ませたのは「各能力の平均化」という文言だった。検証を重ねても比較対象がいないし、この世界には精緻なストップウォッチも存在しない。頭を捻り続け、ふと虫人間ことガーネレスを思い出した。彼らは『腕力強化』や『加速強化』のスキルを持っている。このことから、能力値というのは様々な能力を大雑把にまとめたものと推測した。敏捷なら加速力や最高速、持久力など、である。
それが正しければ、本来はばらばらな値の加速や最高速が、『高速移動』によって強制的に倍加の値に変えられてしまうのではないだろうか。たとえば『高速移動』持ちのチーターなら、持久力は二倍以上に高まり、最高速は二倍以下に止まるはずだ。正解は文字通り神のみぞ知るだが、おそらく合っていると思う。
それと『高速移動』の習得は庭を散策中、何気なくステータスを確認したときに気付いた。深く考えずに発動。軽く動いた途端、屋敷の壁に衝突し即行で気絶した。
目撃者のメレディさんは、「ぶわっとすっ飛んでいきました」と証言している。
『成長力増強』も大概だが、はっきり自覚できる分、こちらの方が化け物じみていた。幸い、任意でオフにできるので普段は切って過ごしている。発動中に屋敷内を全力で走ったら、激突死する自信がある。
能力の多様性、『高速移動』による敏捷の倍加は、充分すぎるほどチートだと思う。手札の数は、そこらの冒険者よりも間違いなく多いはずだ。
では――俺はどの程度の強さなのだろうか?
その疑念が常に付きまとっていた。直線的な動きしかできない『高速移動』に、実戦未使用の魔法。兄とランズの模擬戦を見れば、その疑念は深まる一方だ。元Cランクのロランや、騎士団長コンラードにどこまで通用するのか。実戦経験がないため、予想すらできなかった。
「上がる前に一勝負しますか?」
ロランの声に思考を打ち切る。
「良いだろう」
◇◇◇◇
水場で汗を洗い流してから朝食を取り、自室に戻った。
座学が始まるまで少し時間がある。俺は椅子に座り、ぼんやりと空を眺めた。
前はこうしていてもメレディが何かと出入りして気を抜く暇は無かったが、最近では日に数回、顔を合わせるくらいになっていた。メイドとしての技量が上がり別の仕事が増えたこと、俺が危険な行為をしないと父たちに理解されたためだ。事実、鍛錬や座学を真面目にこなし、魔法を覚えても部屋を爆発させたりしていない。我ながらよくできたお子さんだと自負している。壁に特攻して気を失ったのは不可抗力だから問題ない。
吹き込む風に秋の気配を感じた。
暦の上では残暑だが、涼しい日が増えてきた。ヴェリアテスと呼ばれるこの世界は、本当に地球とよく似ている。太陽は一つで衛星も一つ、季節の移り変わりも大差ない。
流れる雲を見ていたら、ふと元の世界に戻った気分になった。八年の歳月が過ぎているとはいえ、向こうでの生活は十七年。まだまだ記憶は深く根付いている。
だが以前に比べると、だいぶ薄らいできた。時折、前世の肉親や友人、通い慣れた学校や通学路を思い出せない時がある。貴族の息子としての人生が、高校生の意識を少しずつ浸食しているのだ。
それは、決して不快ではない。小太りの所為で転生する羽目になったが、今では良い家族に引き合わせてくれたと、一応は感謝している。
リードヴァルトの町並みへ視線を動かした。
中世ヨーロッパのような町並みを眺めているうち、前世の意識は薄れ、現世が明瞭となっていく。この景色にも違和感や感動を覚えなくなっていた。
人々の生活を眺めながら、最近起きた些細な出来事を反芻する。
あの言葉は額面通りの意味だったのだろうか。
それを発した人物を思い浮かべる。
兄が後継者と確定し、遅まきながら嫁の話も決まった。早くても九年後だが、子も授かるだろう。そうなれば次男である俺の役割は、ひとまず終わりを告げる。
その後の俺はどうなるか。適当な貴族と縁を結ぶため、婿として送り込まれるかもしれないし、家を出されるかもしれない。
俺はなんとなく、冒険者として生きていくことになると思っていた。鍛えていたのはそのためでもある。しかし最近、状況の変化を感じていた。
少し前、兄から「お前にはロランを越える才能がある」と声をかけられた。
その時は適当な言葉を返したが、今ではロランを引き合いに出した理由に引っかかりを覚える。ロランは元冒険者だ。そのまま受け取るなら、お前は冒険者としてやっていける、という意味に取れる。ただ、感覚がそれを否定していた。
ロランは言葉使いこそ今ひとつなれど、能力、人格は折り紙付き。将来の騎士団長とさえ噂されている。
もしかすると兄は、俺を手元に置こうと考えているのではないだろうか。
そうであるなら、兄が独断で決めるはずもない。兄弟仲はともかく、いずれ誕生する甥との関係は未知数だ。歴史を紐解けば、親族一丸となって困難に立ち向かうこともあれば、殺し合うこともある。もちろんそんな事態にさせるつもりはないが、こればかりは何が起きるか分からなかった。それを承知で兄が決断したのなら、父と相談した上でだろう。
おそらく、二人は俺に野心が無いのを嗅ぎ取っているのだと思う。実際、領主なんて本気で困る。祭り上げられても蹴り飛ばして辞退だ。そんな俺だからこそ、手元に置いておいても害は無いと考える。実力はほとんど隠しているが、公表している能力だけでもかなり早熟。優秀な騎士になると判断してもおかしくない。
「それも悪くはない――か」
思わず、思考が口をついて出た。
たとえ前世の記憶があろうと、今の俺には彼らが家族。このリードヴァルトも気に入っている。もし父や兄が俺の力を必要としているなら、体を張ることに躊躇いはない。
「そろそろ時間だな」
立ち上がり、もう一度空を見上げた。
推測が早とちりだとしても、やることは一緒だ。
まずはそれを片付けるとしよう。
◇◇◇◇
「話とはなんだ?」
夕食を終え、両親が居間で寛いでいたところに、俺は「話がある」と切り出した。
いつもと違う雰囲気に察したのか、隣に座る母は居住まいを正す。
「お願いがあって参りました」
「願いか、珍しい。まずは申してみよ」
俺は一呼吸置き、口を開く。
「レクノドの森へ入る許可を下さい」
父は怪訝な顔をし、母は驚いていた。
「ふむ、物見遊山ではないようだな」
「はい。実戦を経験したいと考えております」
父は眉間に皺を寄せ、口元に手を当てる。
母はそんな父と俺の間で視線を彷徨わせ始めた。
「子供が行くところではない。実戦の恐ろしさを分かっているのか? 殺し合いだぞ」
「それを理解するために行きたいのです」
実際は嫌というほど理解している。なんせ喰い殺されたからな。
父は俺の意思が固いと悟ったようだが、渋い表情は崩さなかった。
「来年――いや、二年待て。それならば討伐隊の一員として同行を許可しても良い」
父は許してくれそうもなかった。
母も当然とばかりに頷いているから、こちらの説得も無理だろう。
どうしたものか。
色々頭の中で説得の言葉を考えてみたが、どれも決め手に欠けていた。俺が思っている以上に八歳という現実はネックだったようだ。
騙すようで気は引けるが、こうなれば仕方ない。
そっとステータスを開き、偽装を施す。鍛錬で結構見せているし、多少は大丈夫だろう。小太り神に与えられたほとんどのスキル、一部の称号や別格の『高速移動』を隠蔽する。魔法は短矢系だけ残し、能力を全体的に落としつつ『片手剣3』、『体術3』、『短剣2』に書き換える。これでも兄より多彩で、なおかつすべて上回っている。
ステータスの閲覧許可を二人に指定した。
「僕のステータスが閲覧できるようになっているはずです。それをご覧下さい」
両親が虚空に向かい視線を動かす。
戦闘と無縁の母はあまりぴんとこないようだが、父はすぐに顔色を変えた。
「『片手剣3』……『体術』に『短剣』もか。魔法は短矢系七属性をすべて……優秀とは思っていたがこれほどとは――」
父は絶句した。
かなり抑えた能力だが、それでも想像を上回っていたようだ。もう一押しだな。
「一年ほど前から成長が鈍ってきました。鍛錬では、得るものがなくなりつつあるのです」
父はしばし悩んだ後、グレアムに「ロランを呼べ」と指示を出した。
重苦しい空気の中、ほどなくしてロランがやってくる。
「お呼びでしょうか」
「実はな――」
父が事情を説明すると、ロランは納得の表情を浮かべた。
「なるほど、思っていたより早かったですな」
「気付いておったか」
「鍛錬に余裕があるようでしたので。それもだいぶ前から。手加減しているとはいえ、私との模擬戦も平然とこなしますし、単純な戦闘力なら騎士にも引けを取りません。さらにアルター坊ちゃんは考え方も早熟ですから、来年辺り、こういう話が持ち上がるのではないかと考えておりました」
ロランにそこまで評価されているとは知らず、どこかこそばゆかった。
父は再び思案を始めたが、先ほどまでの否定的な雰囲気は薄らいでいる。
「危険ではないか?」
「実戦で戦えるか――との問いであれば、実力はあると保証します。ただ鍛錬とは別物ですので、やってみないことにはなんとも」
父はロランの言葉に傾いているようだった。
しかしもう少しのところで、母が割って入る。
「まさか、許可なさるおつもりですか!?」
「反対のようだな」
「当然です! 私の父が戦場に出たのは十四歳と聞いています、早すぎです!」
「私は十歳の頃、討伐隊で戦ったぞ」
「それでも二年後ではありませんか、身体だってまだ小さいんですよ!」
紅潮した顔で母は訴えた。
どうでも良いが、小さくはない。大人と比較すれば頭一つ以上は低いが、平均的な身長である。そもそも、小さかったとしても危険はほぼ無い。いざとなったら『高速移動』で大抵の人間や魔物は簡単に振り切れるだろう。隠しているから説得材料にできないが。
それにしても、予想以上に母からの反発が強いな。
頑なに首を振る母に父は押し黙っていたが、不意に深いため息をついた。
「ヘンリエッテ。私はな、弱いのだ」
唐突な切り出しに、母はもとより俺やロランも困惑する。
「どれほど鍛えても、英傑たる祖父はおろか父の足下にも及ばん。それはラキウスも変わらん。いかに実力をつけようとも、父には届かんだろう。だが、アルターは違う。すでに私やラキウスを越えている。弱冠、八歳でだ。間違いなく、祖父の血を色濃く受け継いでいる。英傑の器だ」
「ですが……」
「正直に申せば、私も反対だ。いくら強いとはいえ実戦は殺し合い、恐怖に囚われ実力が発揮できないこともある。伸び悩んでいるなら優秀な冒険者を雇い、教えを請うことだってできる。だからこそ問おう。アルター、なぜそれほど戦いを求める?」
「それは――」
俺は言葉を切った。
なぜ戦いを求めるか? 簡単だ。実戦が最速の鍛錬だからである。
人間を捕食する魔物の群れ、敵対的な隣国、我がアルシス帝国は派閥の争いが激化していると聞く。二年という歳月を待ってくれるほど世界が平穏とは思えない。次男である俺は、人生がどう転ぼうと必ず戦いを余儀なくされる。その時になって実力が足りませんでしたでは、また呆気なく殺されるだけだ。そして何より、実戦には殺される恐怖もあれば殺す恐怖もあった。いかに鍛錬を積み重ねようとどちらも克服できないし、戦闘スキルを鍛えても解決しない。だからこそ、森へ入ることを望んでいるのだ。
俺は顔を上げた。
「三年前の夏至祭で、エレーフという魔物の皮を見ました。年を重ねれば手のつけられないほどの魔物に成長するそうです。腕の良い狩人によって幼いうちに仕留められましたが、彼が見過ごしていればリードヴァルトの脅威となっていたでしょう。いつ何時、そのような魔物が出没するか分かりません。後悔してからでは遅い。僕は生き抜くため、そして守るべき者たちを守るために戦う力を欲しています」
「守るべき、者?」
「父上と母上、そして兄上です。僕は領主ではありません。領民には申し訳ないですが、最も守りたいのは家族です。しかし父上や兄上が民を守るために戦い、僕を剣として振るいたいと仰せであれば、喜んで戦場へ赴きましょう」
父は深く頷き、母は厳しい表情を浮かべつつもどこか嬉しそうだった。
「ラキウスから話を聞いたのか」
「いえ、なんとなく察しただけです」
「明言すれば断れんからな。お前に考える時間を与えたかったのかもしれん」
父が紅茶に手を伸ばす。すでに冷めていたようでグレアムが淹れ直そうと手を伸ばしたが、父はそれを制してカップを口に運んだ。
「ブラスラッドに赴いたときの道中、リードヴァルトの将来についてラキウスと話し合った。あいつは言っておったよ。お前は自分に足りないものを補ってくれる存在だとな」
父はまっすぐに俺を見た。
それは領主であり、家長であり、また父親の目でもあった。
「良かろう。レクノドの森へ入ることを許可する。ただし必ずロランを同行させ、冒険者の護衛も雇うのだ」
「あなた!」
母は怒りの表情で詰め寄ったが、父は見向きもしなかった。
「差配はロランに任せる」
「はッ」
俺とロランは片膝をつき、頭を垂れた。
それからも母の抗議は続いたが、父は決定を覆さなかった。仕舞いには子供のように不貞腐れ、一切父と口を利かなくなってしまう。険悪な空気を和らげるため、俺は母を買い物に誘い、着せ替え人形になったり一緒に芝居を見に行ったりして奔走する羽目となる。
母が機嫌を直してくれたのは、ロランが段取りを終えた頃、数日後のことだった。




