第80話 学院一年目 ~護衛契約
十一月も後半に差し掛かり、世間はすっかり秋の装いとなった。
その間、俺はヘレナを訪ねてやっぱり忘れられていたり、攻撃系スキルを使いこなそうと鍛錬したり、新たな魔法を習得しようと励んだり、冒険者ギルドを冷やかしに行ってレベッカに白い目で見られたりと、忙しく日々を過ごしていた。
そして後期試験が目前に迫ったある日の早朝、ランベルトとフェリクスが羊皮紙を抱えて家に転がり込んできた。
挨拶もそこそこにテーブルに陣取る二人。
「今度は大丈夫だ」、と胸を張っていたのは誰だろう。
確かに力になると約束したが、俺は学問を履修していない。教えるのは不可能ではないが、教科書がないため二人の書き込んだ羊皮紙で設問を判断するしかなかった。記述が正しいか大いに不安である。
困っていると、飛んで火に入るなんとやらがやってくる。
エルフィミア、そして何気に初来訪のロラだった。
ランベルトたちがいそいそと出かけるのを二人は目撃、目的地の予想は簡単に付いたが、暇潰しのついでに遊びに来たという。同じ二人でもこちらは余裕である。
そんなお二人さんを、俺は満面の笑顔で迎え入れた。
しばらくして――。
「どうしてそうなるの!」
居間でエルフィミアが怒鳴っていた。
必死で言い訳するのはランベルトか。
その剣幕に、テッドたちの「怖え」「エルフって怖え」と慄く声も聞こえる。
こちらがやってきたのはさきほどで、リリーも一緒だった。
ランベルトたちの面倒をエルフィミアとロラに頼み、俺は読み書きの指導に切り替える。
そして初めてすぐ、リリーは自分の名前はおろか、簡単な文章まで読めると判明した。どうやら庭の爺ちゃんの手解きを受けたらしい。
ロラは手すきだったのでこちらも手伝ってもらい、リリーは多少ながら教えられる。
こうなると俺の出番はない。
勉学に励む皆にエールを送りつつ、俺は『隠密』を駆使してそっと抜け出した。
「おお、ぶよぶよだ。ちょっと気持ち悪い」
水場には大きな盥が置かれ、その中にオークの皮が浮かんでいた。
帰還の日、俺はその足で石灰おばさんを訪ねたが、さすがに鞣しの詳細までは知らなかった。ただ知人に製革職人がいるというので、紹介してもらいドーコルの鞣しを頼んだ。
それを手伝い、大まかに工程を知ることはできたのだが――。
あれは無理だ。
とにかく時間が掛かる。付きっきりの作業が多く、工程も革の用途に応じて変化する。鞣しに使う一部の薬剤は、中身を教えてくれなかった。『鑑定』すれば覗き見できるが、入手や製造方法はまた別である。『調合』の範疇外なら「見え」ない。
結局、ドーコルの皮はすべて職人に任せ、俺は趣味の一つとして鞣し革に挑戦することにした。オークの皮はその第一陣である。
ちなみに損傷が酷く、値がつかなかった代物なので失敗しても損失は薬剤などの材料費のみだ。
「にしても、また石灰か。やっぱり石灰おばさんだな」
昨日、石灰おばさんの店で仕入れた石灰を水で溶かし、オークの皮を漬け込んでおいた。
一晩経ち、ぶよぶよの完成だ。
木の棒で慎重に取り出し、屋根から取り外した屋根――別名、板の上に広げて裏庭に運び出す。日光の下だと、生々しくてちょっと気持ち悪い。
革手袋を着用し、端を引っ張っていく。
表皮がずるりと捲れた。
やっぱり気持ち悪いが、ちょっとだけ楽しくなってきた。
剥がしにくい部分はナイフで切り、まだ残っていた肉や脂肪も取り除く。
ちなみに皮というのは、表と裏で二枚に分かれるそうだ。表皮や毛を剥がした後、さらに薄く裁断する。革製品でも趣が異なるのは、表裏の違いなのかもしれない。
表皮を剥がし終わると、なんとなく木の棒で叩いてみた。
石灰に漬けるのは皮の繊維をほぐすのが目的らしいので、叩けばさらに柔らかくなるはずだ。
ひとしきり叩いて満足したら、再び石灰に漬け込む。
これでさらに柔らかくなるそうだが、この辺りから皮の種類や用途に応じて手順は様々だった。職人技の世界へ突入だ。
スキルにならない技術の習得は難しいが――ま、どうなるか見物だな。
澄んだ晩秋の空を仰ぎながら、俺は労働の疲れを癒やす。
そうしてのんびりしていると、不意に背後で扉が開いた。
顔を覗かせたのはランベルトだった。
「消えたと思ったら、何してる?」
「労働だが」
ランベルトは怪訝そうに盥を覗き込む。
「まさか――鞣してるのか? お前、いつから革職人を目指しだしたんだ。父の騎士になるんだろ」
「なるぞ。鞣しもするが」
なぜか呆れるランベルト。
その背後からフェリクスにテッド、ジェマも現れた。
テッドとジェマも盥に気付く。
「なんだ、これ」
「オークの皮だ。ぼろぼろだから鞣しの練習に使ってる。あ、触るなよ。その水は石灰が入ってる。皮膚が荒れるぞ」
二人は「おお」と意味不明に感心しつつ、棒で突っつき出した。
そういや、攪拌するんだっけ。あとでやっておこう。
「それはそうと、お前たちはどうして裏庭に?」
「息抜きに身体でも動かそうかとな」
その言葉にテッドたちも頷く。
内心、驚きつつも嬉しかった。
一方的とはいえ、距離のあった両者がともに鍛錬。
根っこの部分は不明瞭なれど、表出する部分は間違いなく変わったのだろう。この変化はランベルトにとってもプラスに働くはずだ。兵士には素性のよろしくない者も多い。身分で態度を変えるような指揮官には、心底から従うことはない。
物置から木剣を持ってくると、早速、模擬戦が始まった。
最初はランベルトとテッド。
テッドはスキルこそ未習得だが、動きはかなり良くなっていた。技術だけなら学院の生徒に引けを取らない。
数合斬り合い、ランベルトもそれを理解する。
しかし、格が違った。善戦空しく、テッドは敗北してしまう。
ランベルトはフェリクスに木剣を渡しながら、「意外にやるぞ」と忠告する。
フェリクスはそれに首肯し、気を引き締めた。
続いてフェリクスとジェマ。
互いに盾持ちで防御主体。
やや消極的に戦いは推移するも、ジェマは盾役に徹する必要がないと気付き、突然、豹変する。
不意の猛攻に、フェリクスは困惑した。
ジェマが防御無視で攻め続け、フェリクスは追い込まれる。
それでも、地力の差は埋められなかった。
平静を取り戻したフェリクスはジェマの動きを注視し、猛攻を凌ぎながら確実に攻撃を当てていく。そして肩に一撃、ジェマは武器を落としてしまった。
「苦戦したな」
「いきなり別人のようになったので、少し焦りました」
感想を述べ合う主従。
テッドとジェマも加わり、反省会が始まった。
そこに貴族や騎士、難民の姿はない。より強くなろうとする少年と少女だ。
「だけど、結局は負けたし……」
「いえ、攻撃重視に踏み切ったのは正解ですよ。相手の気勢に合わせ、意識して切り替えられれば――」
「いつまで遊んでんのよッ!!」
壊れんばかりの勢いで扉が開き、怒声が響き渡る。
短い平和だったな。
ランベルトが素早く木剣を背に隠す。
「いや、ちょっとだけ息抜きを――」
「どれだけ息抜いてるの! 勉強しないなら帰るわよ!? それにあんた!」
俺に向け、びしりとエルフィミアの指先が突きつけられる。
「私たちは手伝いでしょ! なんで当事者が寛いでるの!?」
「すまん!」
俺たち三人は一斉に頭を下げた。
その頭上で、テッドとジェマがまた慄く。
「怖え……。やっぱりエルフって怖え……」
違うぞ。エルフは怖くない。こいつが怖いんだ。
◇◇◇◇
そんなことがありつつも、後期試験は無事に終わった。
ランベルトたちは手応えがあったようで胸を撫で下ろしていたし、俺は俺で無難にこなしている。舞踏以外。
そして学院は試験休みに突入したのだが、俺は学院の一室に籠もっていた。
固唾を呑んで見守るは、ラッケンデールとコディ。
火から丸底フラスコを下ろし、《溶液作成》を発動する。
『鑑定』で完成したのを確認し、ふうっと息を吐く。
よし、これでおしまいだ。
俺は錬金溶液を調合していた。
自宅で出来るし、普段はそうしているのだが、後期試験の最中、
「最近、僕のところに来てくれないじゃない……」
と、隣でずっとくねられてしまった。
放置すると自宅まで押しかけてきそうなので、仕方なくここで作業したわけだ。
少しは落ち着いてくれるだろう。
「それにしても、さらっと作るね。高品質。また腕を上げた?」
「以前より色々なポーションに挑戦してますから」
応えながら、錬金溶液を小瓶に移し替えた。
ラッケンデールは並んだ小瓶を眺める。
「これだけあれば足りるでしょ。もう始めたら?」
「すでに始めてますよ。これは交換分です。安物の指輪や短剣ですが、素材は溶液の盥に漬けてます」
「最初は安物で良いと思うな。失敗も多いしね。時期を見て、専用の容器を買いなよ。盥じゃ、武具が入らないでしょ」
「そうですね。いずれは」
俺は『魔道具作成』の習得に向け、準備を始めていた。
今は安価な装身具や外で入手した武器を持ち帰り、錬金溶液に漬け込んでいる。
鞣し革は趣味に留めて正解だったと思う。二階はすでに盥だらけだ。
用件が済んだので、俺はラッケンデールとコディに暇を告げて部屋を出た。
人気のない廊下を進み、窓から弱い日差しを見上げる。
昼を回ったくらいか。
外に出るには遅すぎる。露店を回って魔道具の素材でも探すか。
そんなことを考えながら学舎を出ると、正門から見慣れた人物の姿が歩いてきた。
人物は俺に気付き、やけに驚く。
「珍しいな、休みの日に」
ロラはしどろもどろになりながら、挨拶を返してきた。
はて、常日頃から若干の挙動不審だが、今日は明らかにおかしいな。まるで、ばつが悪いと言った様子だ。
ま、それなら詮索すまい。
簡単に別れの言葉を告げ、横を通り過ぎる。
だがその直後、「あの!」とロラは呼び止めてきた。
振り返ってみたが、なぜか黙っている。
幻聴――じゃないのよな?
「なんだ? 黙っていては分からんぞ」
「あ、ええと……少しだけ……お時間をいただけませんか」
と、消え入るような声でロラは呟いた。
特に予定も断る理由もない。了承し、俺たちは道を外れて外壁のそばに移動した。いくら人気が少ないとは言え、多少の出入りはある。
「誰かに用事があったんだろ。そちらは良いのか」
俺に用なら自宅に来るはずだ。
そのうえで学院まで探しに来たとも考えられるが、であれば、最初の反応は妙である。
「はい。もう大丈夫です」
「そうか。なら良いが」
益々、分からん。ただ、俺が関わっている何からしい。
それからもロラは俯き加減であれこれ悩んでいたが、不意に顔を上げ、口を開く。
「実は――この前、『調合1』を覚えたんです」
「それはおめでとう。かなり早いな」
「ありがとうございます。自分でもびっくりでした」
ロラは固い表情を綻ばせる。
なるほど、その手の話か。錬金術を受講する半数は、まだ『調合』スキルを習得していない。二年になっても未習得者はいるそうだが、大抵は諦めてしまう。
「調合の方もだいぶ上達しました。失敗も多いですが、難易度の低いポーションなら粗悪品質が作れるようになったんです」
「充分じゃないか? 粗悪なら売り物になるだろ」
「そうなんです。父に見せたら店に並べてしまって。どうにか売れましたが……」
ロラは顔を赤くしながらも、嬉しそうだった。
粗悪でも一応の効果が見込めるので、一般家庭や低ランクの冒険者に愛用されている。
ともあれ、数ヶ月の努力の結果が実を結んだわけか。
さらにわずかでも、家業の助けになった。恥ずかしいが、それ以上に嬉しいのだろう。
「あの――アルター様は、頻繁に調合なさってますよね?」
「なさってるぞ。たった今も、丸いのをくねらせてきた」
一瞬、ぽかんとした後、ロラは小さく吹き出す。
錬金術の講義でくねるラッケンデールは、すっかり風景と化していた。
ロラの表情がすっかり和らぐ。
俺には心労でも、少しは役に立つようだ。
「不躾な質問で申し訳ありません。調合の素材は、買われてるのでしょうか?」
「ほとんど現地調達だな。足りないときは買っているが」
「では――!」
不意にロラが踏み込み、懐に入られてしまう。
悪くない。体格的に短剣をお薦めする。
「では、採取に同行してもよろしいでしょうか!? 邪魔しませんし、何かあったら置いていっても構いません!」
目の前でロラが捲し立ててきた。
家業の役に立てたのが、よほど嬉しかったようだ。
もっとポーションを、さらに良いポーションを――ってところか。
俺は片手を上げ、ロラを制す。
「少し、落ち着け」
「あ……」
瞬く間に意気消沈し、ロラは再び俯いてしまった。
学院も素材を自由に使わせてくれるが、数が少なく競争率も高い。
だから調合したい生徒は、素材を自費で購入している。ロラは商会の娘なので金銭面では問題ない。ただ家業へ貢献しているかと言われると、疑問符が付く。
『調合1』は失敗が多い。素材の購入費を考えると、利益が出てもわずかだろう。
鍛錬したい、利益も出したい、店に迷惑は掛けたくない。
そんな欲張りを叶えるには、自分で採取するほかなかった。
学院に来たのは、エルフィミアか。
ただ、あいつに同行を願うとは考えにくい。いくら優秀な魔法使いでも、同い年の少女だ。しかも魔法使いは手数に限度がある。武器さえあれば戦える剣士とはわけが違う。
それに、エルフィミアもほとんど採取しなかった。その時間があれば、魔法の鍛錬か勉強に費やす。錬金術は知識の一端として学んでいるに過ぎない。
そんな彼女への相談は一つ。俺が同行させてくれるかどうかだ。
後期試験の前、初めてロラは俺の私生活を知った。テッドたちを見て、どうして知り合ったか疑問に思っただろう。そして俺が外をふらついていること、素材を自力で集めていると知ったはず。
いきなり頼んでこなかったのは――そこまで親しくないからだな。
性別や趣味趣向の違い。貴族と平民という遠慮もある。
俺だって、ロラの家がどこにあるのか知らない。
前期試験で班に誘わなければ、接点はほとんどなかったと思う。
話を遮ったことで、ロラはすっかり落ち込んでいた。
俺が不快や迷惑に感じたと考えているようだが、迷惑は否定できない。
基本、俺は単独で好き勝手に探索している。
これまでの同行者は『破邪の戦斧』と狩人のネリオ。実力者ばかりだ。まったくの素人と森に入ったことがない。もちろん、ロラがいても負担にならないし、いざとなれば抱えて逃げられる。
ただ、ロラの安全が最優先になってしまう。
稀少な経験や素材をもたらしてくれる魔物と遭遇しても、ロラに危険が及びそうなら諦めなければならない。それに行動範囲も日帰りに限定されてしまう。
とはいえ――たまになら問題ないか。
希少種と遭遇するなんて滅多にないし、素材採取に絞れば一度の探索でかなりの量を見込める。もう冬になるが、それでも掻き集めればロラの鍛錬用くらいは――。
ふと、俺は思考を停止させた。
そうか、もう冬だ。
思考を切り替え、考察していく。
うん、たぶん大丈夫。いけそうだ。もし駄目でもフォローしてやれば良い。
「話は変わるが、ヒーリングポーションを調合できるか?」
不意の問いかけに、ロラは困惑する。
「粗悪でしたら何度か……」
「もう一つ。実家は武具を扱っているか?」
「うちは小さな店ですので、魔道具は少ししか置いてません。アルター様には不向きの中古ばかりで……」
答えるたび、ロラは身を小さくしていく。
いや、それでいい。理想的だ。
俺は満足げに頷く。
「人を雇う気はないか?」
言葉の意味が飲み込めなかったのだろう。
ロラはちょっと間の抜けた顔で、俺を見上げていた。




