第71話 学院一年目 ~臨時評議会
翌日の夕刻、冒険者ギルドを出ると、俺は目的地に向かった。
背後に付き従うのはすっかり馴染みとなった、それでいて懐かしい気配。
「お前たちが戻っていて助かるよ」
振り返り、語りかける。
「そりゃ良いけどさ、どこ連れてく気だ?」
「事情が事情でな。おいそれと口にできん。現地に着くまで待ってくれ」
後ろの四人、『破邪の戦斧』は怪訝そうに顔を見合わせた。
俺とエルフィミアは新たな協力者と相談し、助っ人を呼ぶことにした。
第一候補は『万年満作』だった。戦闘力はなかなかだし、悪意と無縁の稀少な冒険者である。
次点はハレイスト率いる『セルプス』だが、個人的に彼らを知らないし、この状況にどのような反応を見せるか予測できなかった。『万年満作』が不在で彼らの感触に懸念があれば、助っ人を諦めるつもりだった。
それがまさか、『破邪の戦斧』が食堂で寛いでるとは思いもしない。
聞けば、今日の昼過ぎにセレンに戻ってきたという。俺の家にも行ったそうだが、家主不在の裏庭で、少年らが鍛錬に勤しんでいたそうだ。
出立前と変わらぬ姿に、俺は緊張が解れるのを感じた。
一切の憂慮もなく味方と呼べるのは、エルフィミアだけだった。それで全貌が不確かな相手に立ち向かわなければならない。気付かぬうち、緊張していたのだろう。
ほどなくして目的地が見えてくる。
オゼはこちらを窺う視線に気付き、ダニルもまた、俺の発言と場所から察したようだ。
「目的地は庁舎――ですか?」
その言葉にマーカントとヴァレリーも庁舎に目を向ける。
庁舎はセレンの中央から西寄りのところにあった。合同庁舎であり、あらゆる行政機関、そしてセレンの意思決定を担う評議会の開催場所でもある。
その入り口で、エルフィミアと学院長のコルミスが俺たちの到着を待っていた。
俺は学院長に一礼する。
「お待たせしました」
「構わないよ。それで、彼らが助っ人かね」
「はい。Cランク冒険者、『破邪の戦斧』です」
学院長と『破邪の戦斧』が挨拶を交わす。
その間、エルフィミアは無言だった。
傍目からは思案に耽っているように見えるが、目線は絶えず動いている。
そしてマーカントの斧を注視すると、薄く笑った。
「良いんじゃない。たぶん必要になるわ」
マーカントが首を捻る。
「そっちのお嬢さんは誰なんだ?」
「彼女はエルフィミア・クローエット。この一件の主役だ」
「一件?」
「大した事じゃない。ただの死人狩りさ」
俺の言葉に、『破邪の戦斧』の目つきが変わった。
◇◇◇◇
学院長に頼み、庁舎内の一室を借り受けた。
すでに評議員は集まり始めているようだが、『破邪の戦斧』に事情を説明しなければならない。俺は要点だけを掻い摘まんで話していく。
「お前さ、何やってんの?」
聞き終えた途端、マーカントは呆れた。
不本意である。こんな騒ぎはここ数日くらいで、後は学生らしく……まあ、冒険者もやってるけど、平和に暮らしている。
ダニルは俺の話を吟味し、口を開く。
「そのお話だと、いくつか疑問があります。まず屋敷で研究していた者、それに遺体もエサルドである確証がないのでは?」
「そうだ、どちらもない。ただ高度な研究内容から、対象者は大きく絞られる。エサルドは最有力候補だ。それにゴーレムを使役する指輪をしていた。エルフィミアが来なければ、永遠に発見されなかったかもしれない。死を偽る意味はないだろう。協力者や支援者の遺体とも考えられるが、そうなると――」
不意に、学院長から視線を感じた。
急ぐように目で促していたので、俺は言葉を切る。
「すまない。あまり時間がないようだ」
「では、もう一つだけ。なぜ、アンデッドがいるとの結論に至ったのでしょうか」
「資料にあった手順や素材の性質だな。あれほど稀少な素材なら、何も起きない方がおかしい。これは僕の見解だけでなく、学院の専門家も同様の判断を下している」
そこまで答え、「詳細は後日」と告げた。
そして段取りを手早くを決め、俺たちは庁舎三階の会議場、臨時評議会に赴いた。
武装集団の登場に入り口の警備は鋭い視線を向けてくるが、話は通っているようで、学院長に簡単な確認をしただけで入室の許可を出した。
臨時評議会は評議員半数以上の要求か、議長により招集される。
俺とエルフィミアが仮眠を取っている間、学院長は今期の議長であり魔法ギルドのギルド長、ラヴィ・バーティンケインに事情を説明していた。ラヴィの立場は不明だったが、その辺りの判断は学院長に任せている。
実のところ、俺が冒険者を巻き込みたかったのは、評議会自体が敵に回る可能性を考えてのことだった。セレンにおいて冒険者ギルドは部外者。彼らが関与している可能性は低いと判断していた。助っ人の話を持ち出したとき、学院長はすぐに同意を示した。俺の考えを察していただろうし、また学院長も状況を読み切れなかったのだと思う。
会議場の円卓には、四名の評議員が着席していた。
議長のラヴィ、魔法ギルド副ギルド長のニグアス・ヴィルタス、ラプナス学術院学院長のイェーヴァ・レイシン、セレン守備隊総隊長のキネール・サブロワ。
学院長はそうそうたるメンバーに軽く挨拶しながら、自分の席に座った。
俺とエルフィミアはそのすぐ後ろ、『破邪の戦斧』はさらに後方の壁際で控える。
議長以外は入ってきた武装集団が気になるようだ。
その一人、ラプナスのイェーヴァが俺たちをねめ回し、じろりと学院長に視線を定めた。
「介添えかい。老いぼれたもんだね、あんたも」
「議題に関わるのでな。同席してもらっとる」
イェーヴァは「ほう」と呟くと、俺たちに半眼を向けてきた。
きつそうな婆さんだな。ラプナスのトップらしいが、うちの爺ちゃんとは正反対だ。こっちは庭園で泣き崩れてたし。
イェーヴァは鼻を鳴らすと、学院長に視線を戻し、嘲笑を浮かべる。
「ま、お互い年なんだから無理は禁物だよ。そういや腰の痛みはどうだい。この前、良い薬が入ってね――」
おかしい、表情と発言が合ってない。
学院長は気にも止めず、高齢者得意の健康トークに花を咲かせる。
どうやらこの婆さん、顔つきが悪いだけで意外に良い人らしい。
健康トークはいつしか近況報告に移り、学院長は最近雇った少女、リリーについて熱く語り出した。すっかり孫自慢だ。
なんでも良いけど余裕だな、学院長。
下手すればこの後、殺し合いだ。それを微塵も感じさせないのは、さすがというべきか。『土魔法2』のみでトップに君臨しているだけはある。
そんな雑談の中、ルルクト学院学院長のベンス・パラクス、セレン魔法研究所所長のマニクト・リオヴェットも入室する。
残り二人となったところで到頭、評議員の一人が痺れを切らした。
「議長、私も暇ではない。議題だけでも教えてもらいたい」
守備隊総隊長のキネールは、静かな口調で議長に訴えた。
言葉こそ丁寧だが、上に立つ者特有の高圧さが滲み出ている。
「それはできん。今回の臨時評議会は非常に重要な案件でな。全員が揃うまで議題を明かすことはできんのだよ」
議長は拒絶するも、キネールは食い下がる。
「昨夜の騒動で、今も部下は奔走している。悠長に談笑している暇はないのだが」
「それについては私にも報告が上がっておる。調査はすぐに終わるだろう」
「――議長に?」
キネールは驚いたが、すっと俺たちへ目線を動かす。
詰問するような目つきだった。
困ったことに、心当たりがありまくりだ。《火炎球》を派手に撃ちまくったので、相当の爆音が倉庫街に響き渡ったらしい。帰るときに覗いたら、倉庫の連中と警備兵が右往左往していた。結界って音、ずらさないんだな。
今、自白するわけにもいかないので、無言の詰問を澄まし顔でやり過ごす。
さらにしばらく、再び会議場の扉が開いた。
笑い声を上げながら入ってきたのは、ヤルズ・アラスター。矍鑠たる老人で、火属性に特化しながらも上級魔法を操る元Aランク冒険者だ。
そんなヤルズにエスコートされ入室してきたのは、ハーフエルフだった。
俺とエルフィミアの視線が交わる。
そっと背後に手を回し、「当たり」のサインを送った。
リスリア・サイジート。エサルド唯一の家族。
だがその種族は、レヴァナントだった。
エルフでもハーフエルフでもない。
紛れもないアンデッド。
微笑みながら挨拶を交わす彼女は、ただの美しいハーフエルフ。
詳しい話を聞いたとき、もしやと思ったが――。
花の手入れをする姿が重なった。
ランベルトが嘆きそうだな。あの時の彼女がそうだとは。
視線を切り、気を引き締める。
こいつは、想定以上に厄介な相手かもしれん。
並みのアンデッドは生前の能力をほとんど引き継がない。だが、リスリアは複数の中級魔法を扱い、身体能力はマーカントを越えていた。吸血鬼などの上級アンデッドと同等かそれ以上だ。
もし暴れ出したら、戦闘力の低い評議員は殺されてしまう。
俺が警戒心を引き上げていると、議長が鷹揚に切り出す。
「皆、揃ったな。では臨時評議会を始める」
その宣言に、幾人かが部屋の隅の空席に目を向けた。
おそらく書記の席だろう。この部屋には評議員と俺たちしかいない。
書記を置かないほどの案件。
気付いた評議員たちは、わずかに緊張する。
「昨晩、そちらのカルティラール高等学術院の生徒二名が、所在不明となっていた《幽棲の隠宅》を発見した」
議長の言葉に、再びキネールが睨み付けてきた。
これは……どっちだ?
リスリアだけでも強敵なのに、魔法剣士まで相手にしたくないぞ。
判断しかねていると、議長は俺たちに視線を送ってきた。
エルフィミアが目線で首肯する。
それを受け、議長は手を組み直し、言葉を継いだ。
「そして彼らは邸内で、遺体と研究資料を見つけた。今からその写しを配る。また私やハリカル評議員は、資料の著者並びに遺体がエサルド・サイジートだと睨んでおる。知ってのとおり、四十年も前に病没した希代の錬金術師だ」
評議員たちは、怪訝な表情で見交わした。
平然としているのは、視線を浴びながらも微笑を湛えるリスリア・サイジート。
議長に促され、『破邪の戦斧』が評議員に資料を配っていく。
そしてこちらには戻らず、散開したまま壁際で待機した。
リスリアはちらりと視線を送るが、他の評議員は配布された資料に釘付けだった。
資料にはラッケンデールの分析も添付されている。
俺とラッケンデール、ヘレナの三人で導き出した結論だ。
死者蘇生への挑戦。その結果、生み出されるであろうアンデッド。
同じ結論に達したのか、錬金術に精通している魔法研究所所長のマニクト、研究者のヤルズは食い入るように資料を読み返す。
添付した分析には、各触媒の効能や相乗効果についても簡潔にまとめ上げている。
資料そのものは難解でも、こちらは分かりやすい。不得手な評議員にも内容は充分に伝わった。
「原本を見せろ!」
いきなり吠えたのはヤルズ・アラスターだった。
「儂はエサルド殿を知っておる! こんな馬鹿げた真似をなさる御仁では断じてない!」
「アラスター評議員の意見に賛同します。これは極めて重要な報告かと。改竄がなされていないか、原本を確認させてください」
マニクトも訴えると、議長は首肯した。
「良かろう。ただし、触れてはならんぞ」
そう言って、テーブルに羊皮紙を並べていく。
二人は写しを片手に、原本と比較した。
改竄がないと分かるとマニクトは着席、しかしヤルズは俺たちに怒りを向けてきた。
「お前らの目的は何だ?」
なるほど、今度は俺たちが捏造したと。
面白い考察だが、一介の生徒に何の得があるのかね。
平然と受け止めていると、不意に視界が遮られた。
「私の生徒を侮辱するのかね、アラスター評議員」
二人の老人が激しく睨み合う。
やるな、庭の爺ちゃん。元Aランク冒険者相手に大した胆力だ。
高齢者が火花を散らす中、他の評議員は視線を交わし、また資料に目を落としていた。
しかし、見てはいるが誰も読んでいない。
資料と分析が事実であれば、何が起きたのか。
亡き夫の話題にも拘らず、リスリアはなぜ一言も発しないのか。
ただ微笑を湛えるだけの麗人。
その異様さを、室内の誰もが感じていた。
膠着した状況に業を煮やしたのは、守備隊総隊長のキネール・サブロワだった。
「門外漢の私では、この資料が本物かの判断はつかん。遺体が誰なのかもな。また本物であるなら、それこそ悠長に構えてる場合ではあるまい。まずは皆の疑念を晴らすべきだ」
そして、リスリアに鋭い視線を送る。
「サイジート評議員。鑑定か神聖魔法、どちらかをお受けいただけませんか」
「キネール! リスリア殿に無礼だぞ!」
「無礼は承知の上。見合っていても時間の浪費だ。魔法一つで済むなら話が早い」
「貴様……ッ!!」
激昂してヤルズが詰め寄る。
やけに庇うな、この爺さん。関与しているのか、思い当たる節があるのか。
どちらであっても彼の様子は――そういうことなんだろうな。
悪いが、爺さんの恋路にかかずらうつもりはない。
「それには及びません」
切り出すと、一斉に視線が集中した。
俺はマーカントに合図を送る。
その途端、リスリアの真横に、ぬっと聖撃の斧が突き出された。
リスリアは表情を変えることなく、横目で見下ろす。
「聖撃の斧は神聖属性の魔道具です。サイジート評議員、触れていただけますか」
「小僧ッ!!」
詰め寄ってきたヤルズに、学院長が立ち塞がる。
「どけ、コルミス!」
「断る」
ヤルズは学院長に任せ、俺はじっとリスリアを見つめた。
これでどう出るか。
拒否するなら俺と『破邪の戦斧』が包囲し、その間にエルフィミアが《聖域》を発動する。中級以上のアンデッドには効果は薄いそうだが、痛みは与えられる。魔法の発動がしにくくなるだけで、リスリアの戦闘力は大きく低下する。
後は――ヤルズ次第か。
彼が敵に回れば、うちの爺ちゃんでは抑えきれない。議長なら対抗できるが、剣とは訳が違う。室内が火の海になるのも覚悟しなければ。
リスリアはそんな俺たちの様子をゆっくりと見回し、にこりと微笑んだ。
艶麗な、それでいて、どこか物悲しい微笑。
たったそれだけで皆の懐疑心が薄れてしまう。
分かっていても信じられない。
どう見ても生者。
もし『鑑定』がなければ、俺も自分を疑っただろう。
そしてリスリアは美麗な指輪を外し円卓に置くと、言った。
「もう、終わりのようね」
途端、目が覚めたように評議員が戦闘態勢に入り、また距離を取る。
リスリアは白い指を、すっと伸ばす。
その先は聖撃の斧。
皆が固唾を呑む中、ただ触れた。
さらりと崩れる指先。
評議員の誰かが微かに悲鳴を上げ、嗚咽が漏れた。
すでにリスリアは聖撃の斧に触れていない。
それでも手首が、腕が、灰となって崩れていく。
指輪を見て、俺は眉をひそめた。
何を考えてるんだ……このアンデッド。
これにどんな意味がある? これで脱出できるのか?
『鑑定』でスキルや魔法を確認するが、この行動に直結する能力は何もなかった。
吸血鬼のように復活するつもりか?
いや、それは不可能なはず。これは浄化だ。吸血鬼でも消滅する。それでも復活するのは最上位クラス、こいつはそれほどのアンデッドではない。
では本当に……ただ、浄化されたのか?
「待って!」
エルフィミアの声で我に返る。
「お祖母様はどこにいるの!?」
短杖を向け、エルフィミアが問い質す。
それを見つめ、そして彼女の握るネックレスに視線を落とした。
リスリアは微笑を深める。
「そう、あなた……セルテレスの孫ね。よく似てるわ。でも、どこにいるかは知らないの。彼女に会ったのは、私じゃないから」
灰の浸食は、胸部の半ばまで進んでいた。
それでも平然と、彼女は微笑んでいる。
紛れもなくアンデッド。生者を憎み、存在への飽くなき固執。
だがこいつは憎悪もなく、自らの存在に執着しない。
俺は彼女の目を覗き込み、問いかける。
「あんた、一体何なんだ?」
リスリアは心底不思議そうに、小首を傾げた。
「さあ……私は」
不意に言葉は途切れ――落ちた。
リスリアだったものがふぁさりと、椅子に、床に広がっていく。
静まりかえった室内で、誰もが言葉を失い、動かぬ灰を見つめ続けていた。
どれほどの時が経ったのか。
気付けば、評議員たちは動き出していた。
議長と学院長、守備隊のキネールが集まり、別のところでは他の評議員たちが小さく、それでいて激しい議論を交わしている。
エルフィミアはまだ、泣き出しそうな表情でリスリアを睨み付けていた。
「なあ、アルター」
マーカントが隣に立つ。
「よく分からんが……不愉快だ」
応えることができなかった。
嗚咽に目を向ければ、ヤルズが床に伏していた。
何が起きたのか、何が起きていたのか。
自分でも己の感情が捉えきれない。
ただ――マーカント、奇遇だな。
俺もだ。