第70話 学院一年目 ~サイジート
「僕が範囲内に入っても害のない、広範囲魔法は使えるか?」
「《聖域》なら使えるけど……でもゴーレムには効かないわよ」
感心する素振りを見せながら内心、ほっとする。
普通、無闇に手の内を明かさない。エルフィミアがはぐらかしたら、いきなり線は途切れていた。
「もう一つ。それを使ったとき、範囲内の魔力はどうなる?」
「どんな魔法でも周辺の魔力に干渉するわ。当然でしょ、魔力をばら撒くんだから」
「そうか、なんとかなりそうだな」
甲犀の剣を検め、鞘に収める。
素人目には異常はなかった。
だが、何度も鉄塊を斬りつけている。見えない損傷があっても不思議じゃない。
もう少し、頑張ってくれよ。きちんとメンテナンスに出すから。
「何するつもり?」
「終わってから説明するよ。やることは単純だが、ちょっとややこしい。もう一度戦うから、合図で《聖域》を頼む。ゴーレムを中心にな。あ、バッグも借りるぞ」
「は!? ちょっと――」
慌てるエルフィミアから、バッグを借り受ける。
そして屋敷へ近付くと、早速、ゴーレムの足音が響いてきた。
感情があれば、「また、こいつか」と思っていそうだ。
周辺の瓦礫を見渡す。
どこまで効くか分からんが、保険も掛けておこう。
手頃な瓦礫に移動し、ゴーレムとの距離を測る。
「初の実戦で、この使い方は申し訳ないが」
爆音に広場が燃え上がる。
二発の《火炎球》で瓦礫は吹き飛び、空中で散り散りとなった。
月光に照り映える黒い板に向け、四発の《火炎球》を四方に放つ。
板は行き場を失い、空中で炎に煽られた。
さらに追加の四発。
黒かった板が、鈍く光り出す。
ゴーレムは頭上で破裂する炎に気を取られていたが、無害と判断したのか俺に突進してきた。
それに向かって俺も前進。
振り下ろされる拳を躱し、ゴーレムの肩を足場に空中へ躍り出る。
「まずはこいつだ」
左右の手から《火炎球》を放つ。
目標はゴーレム正面と板の背面。
炸裂した炎の塊にゴーレムがのけぞり、その直後、背中に板が激突――重低音が響き渡る。
板の一部が千切れ、どこかへ飛んでいく。
残りは……思ったより溶けたみたいだな。
鉄塊に纏わり付くのは、鉛だった。
ゴーレムに関節はない。別々の部位を魔力で繋ぎ合わせているだけだ。その隙間に異物、それも魔力の流れを阻害する鉛が入り込んだらどうなるか。
ゴーレムは振り返ろうと動く。
それが、揺らいだ。
効いてる。
しかし、大して保たない。冷えれば剥がれ落ちてしまう。
甲犀の剣を抜き、《筋力上昇》、《脚力上昇》、そして『高速移動』を発動する。
「やれ、エルフィミア!」
エルフィミアは口をぽかんと空けていたが、慌てて意識を集中した。
さて、正念場だ。
遅くとも、弱くとも失敗する。一振りも無駄にできない。
剣を構え、雑念を払う。
「行くわよ!」
エルフィミアが叫び、途端、庭園が青白く輝いた。
それを合図に斬り込む。
右脚の関節、付け根へ一閃。
強引に剣を返し、股下から左脚へ斬り上げる。
両脚を失い、ゆっくりとゴーレムがずれていく。
よし――修復していない。
跳ね上がりそうになる身体をさらに捻り、強引に振り下ろす。
左腕を空中に胴体が傾く。
最後に左腕を斬り飛ばすと、ゴーレムは大きな音を立て崩れ落ちた。
まだ休む暇はない。
修復しようと手足が動き始めている。
それらを拾い、次々と魔法の鞄に放り込んでいく。
「念のため頭も落とすか」
胴体に足を掛け、頭部を切り離す。
「これで良しと。しかし胴体がでかいけど――おお、入ったよ。凄えな、このバッグ」
文字通り、ゴーレムはこの世から消滅した。
取りこぼしがないか見渡し、ようやく一息つくと、『高速移動』を解除する。
どうにか上手くいったようだ。
ゴーレムという存在は、スキルに似ていた。魔力を有しておらず、手足を繋ぎ止める魔力は外部に依存している。そこに範囲魔法を放つとどうなるか。一瞬だが、周囲の魔力に方向性が生まれ、流れが阻害される。普通なら意味のない一瞬だが、でたらめな速度を出せる俺なら最大の好機。
それでも、球体関節のような構造だったら簡単に切り離せなかっただろう。
実際、今のままでもかなり強引だった。
甲犀の剣を翳すと、無数の刃こぼれが見つかった。
もし鉛で動きを鈍らせていなければ、折れていたかもしれない。
無理をさせすぎたな。
金属の剣と違い、打ち直しはできない。研ぎ直せば、さらに軽量になってしまう。
もっと大事に使わないと。
「な――」
不意の声にそちらを見やれば、エルフィミアが肩を震わせていた。
どうしたんだ、こいつ。トイレ?
「なんてもの入れてんのよ!? 私のバッグに!」
「あ、そっちね。大丈夫、大人しくしてるぞ。ばらばらのままだし。ちょっと出してみようか」
「止めなさい! それより何なのよ、あんた! いきなり消えたと思ったらゴーレムの手足が――いえそれより、あの魔法は何!? 《火炎球》に見えたけど、まるで……」
エルフィミアはくわっと目を見開き、絶句する。
どうやら正解に辿り着いたらしいが、元々目が大きいからちょっと怖い。
この状況で隠すのは無理だし、そのつもりもない。俺は正直に告げる。
「言い忘れてたけど、僕は『多重詠唱』が使える。あと『鑑定』も」
「嘘でしょ!? だけど、あれは確かに……」
エルフィミアはぶつぶつ言っていたが、俺の言葉を思い返し、ぴたりと止まる。
「え――今、なんて?」
「『鑑定』。こっちは珍しくないだろ、宮廷にもいるって言うし。な、『基礎鑑定』持ちのエルフィミアさん」
エルフィミアは、俺を睨み付けながら後退った。
言葉の真偽を探っているようだが、悩むだけ無駄だと思う。
「いつから……知ってたの?」
「最初から。あまり覗き見は感心せんぞ。僕だって必要なとき以外は見ないようにしてるのに」
何をもって必要かは気分次第だが。
ふと気付けば、エルフィミアの顔が見る見るうちに赤くなっていく。
そして、いきなり叫ぶ。
「勝手に人のステータス、見ないでよ! この変態ッ!!」
「よく言えるな……それ」
これで覗き見られる側の気持ちが分かったろう。こうやって人は大人になっていくのだ。
ちなみに俺は大人だから、そんな気持ちは知らなくて良い。
◇◇◇◇
魔法の角灯の白い光が邸内を照らし出す。
慎重に踏み込んでみたが、他のゴーレムが出てくる様子はなかった。
この魔法の角灯はエルフィミアの持ち物で、魔法の鞄をおっかなびっくり覗き込み、俺に貸してきた。そして当の本人は《光源》の魔法を発動している。俺より冒険者らしいのはどういうことだろう。
さらにエルフィミアは《魔法探知》を発動、『魔力視』も使って邸内を見渡す。
「不審な魔力は見当たらないわ」
「了解」
サロンの左右には隣室、二階への階段が正面に見えた。
ゴーレムがやってきたのは左手の隣室だった。
そちらを覗き込むと、休憩室らしくソファやテーブルが無数の瓦礫で埋もれていた。その中央は綺麗に瓦礫がどかされている。散乱する石材には真新しい傷がついているので、ゴーレムが通った跡だろう。
休憩室の奥は廊下になっているようだが、一旦戻り、反対側も覗き込んだ。
こちらは食堂で、荒れていることを除けば特に異常は見当たらない。
まずはゴーレムの足取りを追うべきだろう。
エルフィミアも異存はなかったので、俺たちは食堂のトンネルの抜け、廊下へ出た。
いくつかの分岐はあるが、多くは瓦礫に埋もれている。ゴーレムの足跡は分岐の一つに続いていた。
足跡を辿り、屋敷の左奥へ進んでいく。
しばらくして、突き当たりにぽかりと暗い穴が現れた。
その手前には壊れた扉が散乱し、足跡はその手前の窪みに続いていた。
窪みを見たが、何もない。
「たぶん待機場所よ。拠点ゴーレムは命令が完了したり、不可能となったときは指定された地点に戻るの」
「ということは――ここが最も守りたい場所か」
エルフィミアに待つように伝え、室内を覗き込む。
大半が瓦礫に埋もれているが、大きなベッドの残骸や精緻な彫刻の施されたテーブルが確認できた。どうやら寝室らしい。
室内に入り、魔法の角灯で照らしていく。
妙な感じだな。
元から広い部屋のようだが、何もない空間が多すぎる。多くの調度品は乱雑に壁際へ寄せられ、ベッドとテーブル、椅子を除けば何も置かれていない。まるで大掃除の最中だ。
「危険はなさそうだ」
見渡すなり、エルフィミアも「寝室みたいね」と同じ感想を述べた。
「内装からして、主人の部屋だろうな。片付いている理由は分からんが――何かはあったようだ」
足で埃をどけ、魔法の角灯を絨毯に近付ける。
どす黒い染み。明らかに血痕だった。
血痕は辺り一面に飛び散っている。
戦闘が起きたのか、ただの殺人か。一応、魔物や動物の可能性もある。
崩落は戦闘の影響だろうか。
改めて壁際の調度品を眺める。
戦闘になると分かっていた? だから片付けていたのか?
であれば、テーブルと椅子を片付けていない理由が不明だ。
情報が少なすぎる。今、考えても無意味だな。
もう一度、寝室を調べ直したが、他に目につくところもなく退室した。
分岐のほとんどが崩落しているので、引き返して右手の食堂に入る。
やはり荒れているだけで、血痕や戦闘の痕跡はない。
構造は左手と似ており、食堂の先は廊下となっていた。
こちら側は無事だが、どこが崩れるのか分からないので慎重に進んだ。
奥には調理室や使用人の部屋があり、調理室では放置された食器が二組見つかる。
誰が使っていたにせよ、ここの利用者は集団ではなさそうだ。
再びサロンに戻る。
後は二階だ。
奥の階段から上がる。
左手の床は屋根ごと崩れているので、右手に向かう。丁度、食堂の上だ。
そして最初の部屋を覗き込んだ瞬間、俺は飛び退いた。
背後でエルフィミアも戦闘態勢に入る。
しかし――何の物音もしなかった。
しばらく構えていたが、変化はない。
エルフィミアに残るように合図し、そっと部屋を覗く。
動かないか。
「安全だ。先客はいるがな」
注意しながら入室し、俺とエルフィミアは先客を見下ろす。
部屋は書斎だった。
壁には書棚、その前に執務机。部屋の中央には長方形のテーブルを挟み、上等な数人掛けのソファが置かれていた。
先客はソファに座り、テーブルに突っ伏している。
白骨だった。
黒い頭髪の長さや服の作りから、これは男性らしい。少なくとも祖母には見えない。
これはどういう状況だろうか。
書斎を見渡した。
テーブルの上には錬金器具や羊皮紙の束や書物、そこから零れ落ちたのか、床にも羊皮紙が散らばっている。執務机には素材を納めたガラス瓶や、予備らしき錬金器具などが置かれ、そして白骨の対面のソファには、寝床にしていたようで高級そうな寝具が敷かれていた。
エルフィミアはソファから離れ、部屋の中を調べている。
そちらは任せ、俺は白骨に目を向けた。
見るからに高価そうな服だ。寝具は屋敷に備え付けられていたとしても、服はさすがに用意されていないだろう。自前であれば、この人物は裕福だったらしい。
死因は――背中の刺し傷か。
数カ所、服に穴が空いている。繊維が綺麗に切断されているので、刃物の傷だろう。
遺体を起こすと、軽い音を立て頭部がテーブルに転がった。
服で包みながら崩れる身体をソファに寝かせ、頭骨をあるべき位置に置く。
服を正面から調べたが、他に傷は見当たらなかった。
骨を調べればもう少し情報が集まりそうだが、致命傷は背後からの刺突だ。穴の位置から、即死でもおかしくない。
テーブルに目を向ける。
ばらばらとなった指の骨に指輪がはめられており、『鑑定』を発動してみるとゴーレムを使役する指輪だった。
これで侵入者でないのが、ほぼ確定か。
そのまま『鑑定』で男の遺体を眺める。
残念ながら、死者に関しては『鑑定』でも詳細は分からない。この場合は「人間の死体」と表記されるだけだ。死体の詳細が分かるなら冒険者の装備は情報まみれになるし、おちおち食事もできやしない。
男は他にも魔道具をいくつか所持していた。
触らないようにそれらをテーブルに並べていく。
俺はそのうちの一つ、いや二つに吸い寄せられた。
ポケットから出てきたのは、古びたスケルトンキー。
どちらも材質や歯の形は同じ。
少し悩み、その一つを手に取った。
途端、鍵から脳内に情報が流れ込む。
主人を問わない魔道具か。
手の平の鍵を見やる。
こいつは――結界を通り抜けるための鍵だ。
名称 :隠宅への道標
特徴 :最上級魔法《幽棲の隠宅》により生み出される結界の道標であり、
対象建造物の鍵。
特性 :作成時に展開された結界以外には機能しない。
《幽棲の隠宅》――それが見えない屋敷の真の名か。
森の倉庫に鍵穴がなかったのは、建物も《幽棲の隠宅》の効果対象だったんだな。
二つの鍵をつぶさに見比べる。
やはり違いは何もない。どちらかが倉庫の鍵なのではなく、これは予備だろう。そうでなければ、一人しか出入りできなくなる。
しかし、意味不明の名称か。
こうした名称の魔道具や魔法は、ヴェリアテスより古い時代の遺物と言われていた。おそらく、アルファス一派が太古の最上級魔法を復刻したのだと思う。やっぱり頭おかしいな、あいつら。
道標をテーブルに置き、顔を上げる。
エルフィミアは書棚を調べていた。
視線を外し、今一度、室内を見渡す。
テーブルには錬金器具に羊皮紙の束、執務机や棚には文献や多種多様な素材、床には殺されたときに落ちたのであろう、羊皮紙の一部が散乱している。
それを一枚一枚、拾い集め、白骨の男を見下ろす。
そろそろ教えてもらおうか。
あんた、何の研究していたんだ?
◇◇◇◇
いつしか俺は白骨の対面に座り、羊皮紙を読み耽っていた。
最後の一枚を読み終わると、深くため息をつく。
エルフィミアは、まだ書棚を調べている。
その背に声を掛けた。
「お前の集めた情報は、ほとんど当たりだったぞ」
羊皮紙をぱらぱらとめくり、目当ての箇所を探す。
「プロストの魔石、上位闇精霊の魔石、最高品質のヒーリングポーション、劇物同然の消毒液、神聖属性の上質な魔石。これらを掻き集め、何かを作ろうとしていたんだ。たぶん、そこの白骨がな。はっきり言って天才だよ。僕でも何が出来上がるのか、よく見えない」
「エサルド――エサルド・サイジート」
書棚を向いたまま、エルフィミアがぼそりと呟く。
「サイジート? それが彼の名か。初めて聞く名だが、有名人なのか?」
「評議員よ」
「なるほどね、上等な服を着てるわけだ。それと何が出来上がるか見えなくとも、何をしようとしていたのかは分かったよ。これが事実なら噴飯物だぞ」
俺は言葉を切り、羊皮紙をぽんと叩く。
「死者の蘇生だ」
この世界では、いかなる魔法、スキル、魔道具を持ってしても、死者の蘇生は不可能と言われていた。瞬く間に部位欠損を復元する伝説上のヒーリングポーション、エリクサーであっても、死者の蘇生はできない。
「錬金術を囓った者として努力は買うけどね。誰を生き返らせたかったんだか」
「違う。評議員は彼じゃない」
振り返ったエルフィミアの目は、不穏な光を帯びていた。
その手には古びたネックレス。
「リスリア・サイジート。エサルドの妻は評議員なの、今も」