第6話 五歳児の日々 ~魔法
貴族といっても最下級の男爵家、大体の食事は質素である。
それでもリードヴァルトは自然に恵まれており、周辺の草原地帯や東にあるレクノドの森から肉や山菜がよく採れた。
今日は豪勢に、牛肉っぽいソテーがメインディッシュだった。
ちなみに「ぽい」なのは、牛の魔物ゴウサスの肉だからだ。
牛肉と言い張れないこともない。
また、ソースは焼いたときの汁に領内の村で採れたアクルーと呼ばれる柑橘系の果汁を加えて作ったそうで、高級感漂う見た目や味に反し意外に安価らしい。
豊かな自然に感謝だが、比例して多くの領民が魔物の犠牲になっているのもまた事実。
どう転んでも、人間には生きづらい世界だった。
そんな夕食の席で、俺は考えていたことを口にしてみた。
父は無言で聞いていたが、聞き終わると少し悩むような素振りを見せる。
「魔法を覚えたいのか。ラキウスが習ったのは何歳だ?」
「八歳です。町に宮廷魔術師の方がお見えになり、その時に手解きを」
宮廷魔術師か。
やっぱりいるんだな、そういうの。
ちょっと感動し、「どうでしたか?」と兄に尋ねた。
その途端、兄の顔は曇ってしまう。
「駄目だったよ。風と土の生活魔法は使えるようになったけど。せめて水か火ならね」
「あ……申し訳ありません」
「良いんだ。アルターが謝ることじゃないさ」
そう言って、少し悲しげな微笑で首を振る。
風と土の生活魔法は、外れと言われていた。
風の《軽風》は微風を起こし、土の《一握の土》は土を生み出すが、《火口》や《清水》に比べ使い道が少ない。
兄は気にするなと言ってくれたが、心底申し訳ないと思った。
魔法が使えないのは、『鑑定』でとっくに知っている。
知らない振りをするにせよ、その後のフォローも考えておくべきだった。
言葉を掛けるべきか悩んでいると、父が語りかける。
「魔法は強力だが、すべてではない。お前にはそれ以外の才能がある。習得できずとも気に病むでないぞ」
「ありがとうございます」
頷く兄を見て、父は視線を俺へ戻す。
「お前は五歳だ。まだ早い。今のリードヴァルトに、宮廷魔術師ほどの逸材がいるとも思えん。どうしてもと言うなら探しても良いが、まずは剣の鍛錬に励め。コンラードとロランは、お前に天賦の才があると評しておったぞ」
褒められたので素直に礼を述べたが、肝心の要望は却下されてしまった。
当然ながら、俺は納得していない。
ただ家長であり、領主でもある父に反論するのであれば、それなりの論拠が必要だった。
どう説得すべきか。
暇だから――は駄目だよな。
「よろしいのでは?」
助け船を出してくれたのは、意外にも母だった。
父も驚いたようで、無言で先を促す。
「アルターも魔法に興味があるのでしょう。専門家から話を聞き、資質だけでも調べてもらってはいかがですか。優秀な講師が必要となれば、改めて探せば良いのです。それまで先延ばしにしたら、何年先になることか」
しばらく思案し、父は深く首肯する。
「確かにそうだな。学ぶのは後でもできるか。グレアム」
控えていた家令のグレアムが、すっと前へ出た。
「冒険者ギルドに依頼を出せ。人選はお前に一任する」
「かしこまりました」
グレアムが慇懃に了承した。
◇◇◇◇
要望が通ってから三日。
今日は魔法の講師がやってくる日だった。
午前の座学を終え自室で待機していると、昼を少し回った頃、メレディが到着を告げにくる。
早足で応接室へ向かうと、そこには厚手のローブを羽織った男が待っていた。
室内には父とグレアム、そしてなぜか兄のラキウスも同席している。
もうすぐ午後の鍛錬のはずだが。
疑問に思ったが、それより魔法使いである。
「Dランクパーティー『スコロット』の魔法使い、バージルと申します。魔法の資質調査、並びに基礎講義の依頼を受けて参りました」
「アルター・レス・リードヴァルトだ。短い間だが、よろしく頼む」
貴族らしくを意識し、偉そうに挨拶を返す。
バージルは三十歳前後、いかつい顔立ちで体格もしっかりしていた。
戦士と言われても通用する風貌で、腰に下げた短い杖がなければ魔法使いに見えない。
見た目はともかく、これが魔法使いか。
風属性と水属性の魔法、他にもいくつか習得している。
スキルは『短剣』と『体術』か。魔法使いなのに、近接戦もこなせるんだな。
初めての魔法使いに平静を装いつつも、俺は鑑定結果に釘付けだった。
それと、バージルの言っていたDランクは、冒険者ギルドのランクである。
ロランの話によれば最低がF、最高はSSとのこと。
一見、Dランクは低く感じるが、ほとんどはEかDランクで、Cランクともなれば並みの騎士より強かったりするそうだ。ロランが良い例である。
またBランク以上は戦闘以外の素養を求められることがあり、平民出身者が多く占める冒険者は、よほどの強者でない限りCランク止まりだそうだ。
俺への挨拶を済ませ、バージルは父へ向き直る。
「依頼は明日からと伺っておりますが、四属性の資質を調べるのは、さほど時間を必要としません。今日のうちに把握しておけば、明日からの指針も立てやすくなります。いかがなさいますか」
「アルターが良ければ、私は構わんぞ」
「僕に異論はございません」
「では、庭をお借りいたします」
早速、資質を調べるため庭へと向かったのだが、ここでもなぜか兄が一緒だった。
首を傾げる俺に、兄は決まり悪そうに頬を掻く。
「アルターに刺激されてね。もう一度、魔法の鍛錬をしてみようと思ったんだ。父上の許可も取ってあるよ」
「そういうことですか。では、ともに頑張りましょう」
照れる兄へ、俺は笑顔を向けた。
一人で学ぶより楽しそうだな。
俺はこんなだし、七歳も年が離れているのもあって、今まで兄弟で何かすることがなかった。
少し気分を高揚させつつ、俺は兄と連れ立って庭へ出た。
午後の鍛錬は休みにしたようで、鍛錬場は無人だった。
休憩用に置かれた壁際のテーブルに腰掛けると、バージルはバックパックから道具を取り出し並べていく。
どう見ても、ただのコップや火口箱である。
唯一怪しげだった皮袋の中身は、そこらで採取した砂だった。
これで何をするつもりなのか。
「今から行うのは、最も簡単な検査方法です。魔道具のように正確な判断はできませんが、通常はこれで充分でしょう」
「魔道具――そんなものがあるのか?」
「はい。詳細に魔法の資質を調べることはできますが、超大国時代の遺物ですので数が少ないのです。帝都の冒険者ギルドと、おそらく宮殿にもあるでしょう。他にも大きな都市なら置いているかもしれません。ただ、起動するとき結構な魔力を吸い出しますので、幼かったり、魔力が低い者は昏倒してしまうので注意が必要です」
バージルの説明に納得した。
父はまだ早いと考えたのは、魔道具の性質が常識として広まったのだろう。
「気を楽にして下さい。この検査は魔力をほとんど消耗しませんから、昏倒の心配いりません」
バージルは《清水》で木のコップを満たし、俺と兄に差し出す。
「万物には魔力が宿っています。魔法とはその理に働きかけるもの。今から、その中でも代表的な四属性の資質を調べます。属性の詳細については後日とし、まずは水から始めましょう。水に宿った魔力を意識し、コップに触らず中の水を動かしてください」
兄がコップに手を翳すと、それを真似、俺も手の平を向けた。
魔力は万物に宿る、か。
コップの中を覗き込んだが、当然、魔力なんて代物は見えない。
水の中に不純物が混ざっていると仮定してみるか。
目に見えないほどの微粒子を想像する。
色は水っぽく濃いめの水色。
不規則に漂うそれに、規則性を与えてみた。
うまくいかない。
今度は微粒子に砂鉄のような性質を加える。
手の平は磁石だ。
それをゆっくりと動かす。
一瞬、水面がぷるりと震えた。
誰かが揺らしたのかと思ったが、バージルも兄も手をテーブルに触れていない。
今のが――魔力?
繋がりが切れないよう、慎重に引っ張ってみる。
すると、生き物のようにコップの水がうねった。
そのまま手を動かし、方向性を与えていく。
しばらくして、俺は大きく息を吐いた。
目の前のコップには、綺麗な渦ができあがっていた。
「お見事」
バージルの賛辞を受け、繋がりを断ち切る。
水属性はクリアか。
兄の方はぴくりともしなかったが、特に落胆はないようだ。
同じような要領で、残りの属性も調べていった。
その結果、兄は申告通りの風と土、俺は四属性すべてに適性があると判明する。
「ラキウス様は風と土ですね。生活魔法はどちらも実用性が乏しいと言われていますが、初級魔法を習得できれば、世界は変わりますよ」
兄は複雑な表情でバージルの話を聞いていた。
その初級を習得できなかったから、兄は魔法を諦めている。
「風属性は不可視であることが多く、隠密性に長けています。土属性はその対極、大地を操作し物理的な攻撃や防壁を構築します。そして風と土の属性からは雷撃属性が派生します。金属鎧はもとより、大抵の相手に有効な万能属性と言えるでしょう。私は土属性の資質がありませんでした。本心からラキウス様が羨ましいです」
特徴までは知らなかったのか、兄は驚いていた。
でも、ものすごく基礎っぽい話だよな。
宮廷魔術師って、何を教えたんだ?
顔も知らない宮廷魔術師の株が急落する中、バージルは話を続ける。
「リードヴァルトはバロマット王国への最前線。そしてレクノドの森を擁し、多くの危険が伴う土地でもあります。この三属性はラキウス様の大きな力となるはずです」
「隠密の風、障壁の土、万能の雷撃か」
兄は自らの手の平を見つめる。
外れ属性と思っていたが、考え直しているようだ。
「なれど――初級魔法を覚えなければ、外れに変わりはないんだな」
「安請け合いできませんが、資質調査の反応を見る限り心配無用かと。以前、ラキウス様は宮廷魔術師の指南を受けたそうですね。はっきり申します。彼らは優秀ゆえ、そうでない者を理解できないのです。自分のやり方が通用しなかったので、才能無しと決めつけた可能性があります。まずは風か土、資質が高そうな方を選び、初級魔法の習得を目指しましょう」
「分かった。指導のほど、よろしく頼む」
頭を下げる兄に、バージルは「こちらこそ」と応えた。
そして話が終わったとばかりに、二人して俺へ目を向ける。
「それにしても、アルター様は四属性ですか」
「あっさり水を動かしたとき、もしやと思ったが――」
「四属性を使いこなす魔法使いなんて、帝国に何人いるか……。もしこれで他の属性にも資質があれば、初級止まりでも飛び抜けた才能ですが……」
バージルはそう呟くと、不意に小さく首を振る。
「ですが資質は所詮、目安です。資質だけで魔法は習得できません」
強く言い切り、妙に鋭い視線を向けてきた。
あれ、なんか厳しくね?
一緒に頑張りましょう、みたいな言葉はないの?
ふと、両目の奥で嫉妬の炎が燃えているのを幻視し、俺は慌てて目を逸らした。
そんな一幕がありつつも、翌日からの十日間、俺と兄はバージルの指導で魔法の基礎を学んだ。
前世の賜物か資質の恩恵か、俺は講義内容を簡単に理解できた。
ただそれも面白くなかったようで、バージルは途中から俺を放置し、兄に付きっきりとなってしまう。
まるで、こちらがおまけになった気分――いや、本当におまけ扱いだった。
頼んだのは俺だよ?
仕方ないので自力で鍛錬に励み、気がつけば四属性に加え、氷結と雷撃、無属性の全短矢系を習得してしまった。
水と風を習得したところで嫌な予感がし、残りの練習はこっそり行っている。
心の底から正解だったと思う。
ちなみに、こうも簡単に習得できたのはメレディの発言、「生活魔法は自然に覚える」も助けとなった。
それは生活魔法の鍛錬が、日常生活に紛れ込んでいることを示唆している。
気付いてからは積極的に手作業で火を熾し、無意味に水を汲んだりして四属性と意識的に関わった。関わるのが難しい派生二属性の雷撃と氷結は、原理を思い浮かべて魔力を練り続ける。
ほどなくして生活魔法四種、その後、水属性の《鋭水の短矢》を習得した。
それと同時に魔法を扱うためのスキル、『水魔法1』も習得している。
このスキルランクが高いほど、その属性魔法に精通し、中級以上の魔法を習得できるようになるそうだ。
ともかく、切っ掛けを得られれば、残りはそれほど難しくなかった。
《鋭水の短矢》発動時の魔力を別属性に置き換えて調整すれば良い。
苦労したのは季節外れの《氷柱の短矢》くらいである。
想像していたより簡単だったが、俺の実力と言ってよいものか。
いくら前世の知識や五歳児らしからぬ知力があっても、この世界は才能――いわゆる資質が絶対だった。
簡単に習得できたのは、相当な資質を小太りから与えられていたに違いない。
チートは成長しやすいだけだと思っていたが、目に見えない部分もかなりチートなのだろう。
俺が試行錯誤している間、バージルは何もしてくれなかったわけではない。
練習の付き添いはあれだが、講義はきちんと行っている。
魔法の属性は地水火風の四属性、魔力そのものを操る無属性、火と水から派生する氷結、土と風から派生する雷撃、どれにも当てはまらない変性、神聖、死霊の十種が存在した。
中でも最後の三属性は特殊で、変性は自己や他者の肉体操作、神聖は治癒や浄化、死霊は死霊術を操ることができ、神聖なら神官、死霊はアンデッドのような魔物が習得していることが多いという。
また、神聖と死霊は資質持ちが少ないそうだが、変性だけは派生二属性並みにいるという。
実際、バージルも《集中力上昇》という変性魔法を覚えていたので、試しに発動してもらったところ、まったく違いが分からなかった。
微妙な反応を示す俺と兄に、「乱戦では重宝するんです」と訴えていた。
そう言われても、乱戦どころか実戦経験すら皆無、まるで実感が沸かなかった。
一方的に喰われた経験ならあるけど。
そしてすべての日程を終える頃、兄は念願の初級魔法、《疾風の短矢》を習得する。
二人の喜びようといったらなかった。
もちろん、兄とバージルだ。
俺も祝福したのだが、二人とは興奮の度合いが違いすぎ、まったく輪に入れなかった。
飛び跳ねて喜ぶ即席師弟を、俺は微妙な笑顔で遠くから見守った。
◇◇◇◇
兄弟の垣根を生み出した魔法の講義から数日、俺は庭を散策していた。
普段はどこからともなく嗅ぎつけるメレディも、今日は買い出しなので一人である。
どこまでも青く高い空に、大きな雲が漂っている。
初夏を迎えた五月の下旬、季節に相応しい好天だった。
そんな空を眺めたり、庭木を検分して時間を潰す。
決して怠けているわけでも、休憩しているわけでもない。
手持ち無沙汰なだけだ。
こういう時間が無駄と考え、魔法の習得を願い出たのだが、魔力に限りがあるのをすっかり失念していた。
初級魔法の消費魔力は生活魔法とは比較にならず、今の俺では十回も発動できなかった。
一度は注意を怠り、発動した直後、倒れそうになってしまった。
バージルから「魔力が枯渇してもまず死なないが、止めた方が良い」と釘を刺されている。魔力が大きく減少すると意識が混濁したり、気を失うからだ。
体感し、確かに危険だと思った。戦闘中だったら、事実上の死である。
仕方ないので日中は生活魔法に留め、寝る前に初級魔法の鍛錬を行うことにしたのだが、生活魔法も使い続ければ同じである。
よって、ある程度魔力が減少したら、回復まで休息せざるを得なかった。
庭をふらふらしていると、いつもの場所から鋭い声が聞こえてきた。
声の主は兄とロランだ。二人の模擬戦は珍しい。
俺は何とはなしに歩を進め、遠目で観察する。
守勢に徹するロランに対し、兄は覚え立ての《疾風の短矢》を組み込み、全力で攻撃を仕掛けていた。
この世界の魔法はすべて無詠唱だ。
その分、イメージをしっかり固めないと発動しない。
兄はその鍛錬を行っているようだが、不発の連続だった。
頭脳労働者向きの兄でも、難しいのか。
俺は――そうでもないんだよな。
走ったり飛び跳ねたりしても、簡単に発動できる。
断言できないが、戦闘中でも問題ないと思う。
資質には、魔法の操作しやすさなども含まれているのかもしれない。
俺がいると兄の集中力が乱れそうなので、静かにその場を離れる。
そして塀伝いに進んでいくと、塀の向こうから蹄鉄や車輪、人々の雑踏が聞こえてきた。
散歩に出た時間が早い所為か、普段より活気を感じる。
屋敷を囲む高い塀を見上げ、兄の姿を思い返す。
祖父母が他界しているため、俺の家族は両親と兄だけだった。
父に二人の姉はいるが、どちらも嫁ぎ先で他界し、トーディス子爵の血族は遠方ばかりである。
そんな貴族家に生まれた俺は、次男だった。
貴族にとって、弟というのは長男の代用品である。
万が一に備え、手元に置いておく。
それとなく使用人に尋ねたところ、大抵は何らかの役職か騎士に任命されるそうだ。
ある意味、気楽な立場だが、それも絶対ではないと思う。
役に立たなかったり有害と判断されれば、家から放逐されるだろう。
前世の歴史からも分かるように、為政者はときに非情な判断を迫られる。
敬意を払える父だからこそ、判断に情は挟まない。
不意に木陰が揺れ動き、俺は思考を中断した。
のそりと現れた年寄りは俺を見るなり、顔の皺を深くする。
「おや、アルター坊ちゃん。こんなところでどうされました?」
暢気に声を掛けてきたのは、庭師のノルトだった。
気心の知れた相手に、俺も笑いかける。
「いつもの散歩だよ」
「はっは、左様ですか」
ノルトとは一年ほど前、今よりも暇を持て余していた頃に出会っている。
あまりにも暇だった俺は、軽い気持ちで庭木について質問したのだが、興味を持ったのがよほど嬉しかったらしく、大喜びで色々と教えてくれた。
老人の長話になると後悔したものの、いざ聞いてみると異世界特有の話も多く、かなり盛り上がってしまった。
呆れるメレディに気付かなかったほどだ。
「会うのは久しぶりだな。毎日のように散歩してるんだが」
「こちらへは週に一度ですので」
「そうなのか? まったく知らなかったぞ」
屋敷の使用人は年中無休である。
週に一度で生活できるほど、庭師というのは高給取りなのだろうか。
そんな疑問をぶつけてみると、ノルトは「とんでもない!」と大仰に手を振る。
「私は庭師ギルドからの派遣なんですよ。他の日は別のお屋敷や商家を回っておるんです」
「では、他の町にも?」
「リードヴァルトだけですよ。若い時分は町を転々としましたがね。私はナルセルの生まれですし」
「ここの生まれじゃなかったのか。初耳ばかりだな」
勝手に使用人と思い込んでいたので、出会っても庭木や天気の話題ばかりだった。
個人的な話に踏み込んだことはない。
それとナルセルはすぐ北の伯爵領で、寄親は同じブラスラッド侯である。
メレディもその辺りの出身だから、人の行き来が多いようだ。
それより――町を転々か。
屋敷に軟禁中の俺とはえらい違いだが、優雅な旅ではなかったと思う。
この世界では死と隣り合わせだ。
「旅は危険だったろうな」
俺の問いかけにノルトは少し首を傾げる。
「場所によりけり、ですかね。帝国の中央は安全と言われておりますが、森や草原が広ければ魔物が出没します。一度、グリフォンが飛んでいるのを見かけたこともありますよ。あの時は死を覚悟しました」
「それはまた……よく無事だったな」
「幸い、目もくれず飛んでいきましたので。馬車の中に隠れて見上げていたんですが、生きた心地がしませんでしたねぇ。襲われていたらここにいなかったでしょうな。護衛の冒険者なんて膝が震えてましたし」
楽しかった記憶を辿るようにノルトは語った。
草原はまだしも、大部分の森は魔物の領域だ。
リードヴァルト近郊なら、レクノドの森である。
ドラゴンはさすがにいないが、グリフォンクラスの魔物なら生息していてもおかしくない。
その質問を振ったところ、さすがに畑違いかノルトは考え込んでしまった。
「森の浅いところであれば、草原と大差ないと聞きますな。ですが、南の方は浅くとも危ないそうです。冒険者でも実力がなければ踏み込まないとか。ところで、どうしてそんなことをお聞きに? 町の外に興味がおありですか」
「そういうわけでも……いや、興味はある」
俺はノルトを見上げた。
「僕は次男だ。将来どういう立場になるにせよ、実戦へ赴くだろう。外がどれほど危険か、今のうちに知っておきたいんだ」
俺の答えに、ノルトは柔和な笑みを浮かべる。
「それで鍛錬に励んでおられたのですな。ご領主様も良きご子息に恵まれました。されど、急く必要はございませんよ。坊ちゃんはまだお若い。他に学ぶべきこともございましょう。一つずつ経験なされていけばよろしいかと」
「そうだな――うん、ノルトの言うとおりだ。焦ってはいかんな」
俺が頷いていると、午後三時を告げる鐘が鳴り響く。
見えない音を辿るように、俺とノルトは空へ視線を向けた。
「もうこんな時間か。つい話し込んでしまった。仕事を中断させて済まない」
「いえ、構いませんよ。帰るところでしたので」
「なに!?」
予想外の返答に、思わず叫んでしまった。
なんということだ……帰宅の邪魔を?
俺は慌てて頭を下げる。
「すまん。なんと詫びればよいのか。いや、それよりも今すぐ帰宅してくれ。謝罪は後日、改めてさせてもらう」
「ははっ、坊ちゃんは相変わらずですな。ご安心を、急いでおりませんので」
「帰宅を邪魔してしまったのに――お前は心が広いのだな。分かった。今度一緒に帰宅しよう。俺が知る限りの帰宅術を伝授させてくれ」
「楽しみにしております。そういえば、もうすぐ夏至の祭りですな。ご領主様にお願いすれば、町の中くらいはご許可を頂けるかもしれませんよ」
「夏至――広場に集まるやつだな。では、父上に頼んでみるとしよう。助言、感謝する」
せめてもの詫びに、俺は正門までノルトを送った。
そして自責の念に駆られながら、遠ざかる後ろ姿を見守る。
俺が帰宅を妨害してしまうとは……なんたる失態。
彼にどう詫びれば良いのだろう。
ナンバでも伝授するか?
良いかもしれん。高齢者だから体力維持にもなる。
ついでに帰宅路の洗い直しもやろう。
絶対に無駄があるはず――あ、屋敷を出られなかった。やはり許可が必要だな。
ノルトが雑踏へ姿を消すと、俺は踵を返した。
そして屋敷に戻りかけ、足を止める。
玄関アプローチから庭へ戻り、周囲に人気が無いのを確認する。
そして芝生の隙間から土を摘まみ上げると、生活魔法《一握の土》を発動した。
土を呼び水に、一握りの土が生成されていく。
生活魔法に触媒は不要だが、用いれば少ない魔力で発動できる。
さらに魔力を込め、初級の攻撃魔法《土塊の短矢》を発動。
土は一瞬で凝縮、鋭利な矢へと変じ、それを地面へ放った。
自然の土を触媒にするか生活魔法で土を生み出せば、発動後も物質として残り続ける。
中級魔法の《妨土の壁》なら、簡易な防壁も作成できるという。
地面から突き出た土の矢に足を乗せ、体重を掛けて踏み潰した。
それなりに固いが、五歳児の体重でも破壊できる。
これが標準の強度だ。
さらに魔力を込めて発動すれば、石並みの硬度まで上げることができ、威力も比例して上昇する。
バージルのおかげかはともかく、俺はすべての短矢系を習得した。
弱い魔物であれば、充分対応できるはずだ。
だが――ノルトの言い分も正しい。
俺はまだ五歳。時間はある。
そう頭では分かっても、わだかまる焦燥感は拭いきれなかった。
屋敷を眺め、壁から空へ視線を動かす。
外壁一枚を隔て、未知の世界が広がっている。
「俺の世界は狭い」
知らないことが山ほどあった。
そして何を知らないのかを、俺は知らない。
屋敷とわずかな人間関係、それが今のすべてだった。
ここから先は未修正です。
改行が少なく、スキルや魔法も『』などで囲んでいません。
さらに支離滅裂な表現が多々あり、かなり読みにくいです。
学院三年目の投稿が終わり次第、少しずつ修正していく予定です。
一応、二章(38話)から現在のやり方へ変更されていきますので、そこまで到達すれば、読みやすくなるかと思います。